ここのところYouTubeを開くとアジア人差別についてのトピックが目につくので何かなと思ったら、アカデミショー授賞式でのロバート・ダウニー・Jrのアジア人プレゼンタースルーが問題になっているらしいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分としてはすっかり忘れていた事実だけれど、「かつてアメリカに住んでいてアジア人差別にあったことがあるか?」と聞かれたら「思い出せばいくつかある」と答える私です。

 

初めてアメリカに渡った1986年、現地の駐在員である日本人男性に観光に連れて行ってもらってレストランに入った時に、あからさまにパントリーの入り口の横の悪い席に案内された時には、差別されたとはっきり感じたので席を交換して欲しいと頼んだことがあります。

 

その時に大したことないような感じで受け入れようとした日本人男性にも呆れたものですが、きっと彼にとったら日常茶飯事のことなので事を大きくしたくなかったようで。プンスカの私に「全くプライド高いんだから」と笑っていたくらいでした。

 

1990年代に再度アメリカに渡りLAはマンハッタンビーチの近くに夫と1年間住んでいましたが、一人でいた時にやはり透明人間扱いされたことはかなりありました。スタバの列でカウンターの青年が私を通り越して後ろの白人女性のオーダーを取ったり、ジムのスタッフに何をしてるのか尋ねられ語学学校に行ってるなど答えようなものならば、その後はまるで無視だったり。当時は英語にも振る舞いにも自信がありませんでしたからね。シャイでいたら一発で透明人間です。

 

当時「ベイウォッチ」という人気番組で有名だったお洒落な白人のビーチタウンであることから(LAの日本人は内陸の方に固まって住んでいます)「美貌とお金がない人はこのエリアで恋愛をするなんて不可能」という声もよく聞きました。

 

当時夫の友人の繋がりで、男たちが振り返る程の華やかな白人女性と仲良くなったことから、彼女と一緒に行動することで興味深い世界を垣間見たし、彼女のアティチュードを学んで「人からなめられない振る舞いをすること」を身につけることになりました。(そのおかげで日本では態度でかいと人から退かれたりすることにもなりましたが)

 

専業主婦というのは、日本ではある意味ステータスでもあるのかもしれませんが、アメリカ社会では「仕事する能力のない人」と思われます。普通にきちんとした格好をして夫の隣にいた時、一度会ったことがある彼の同僚や、挙句にはいとこにまであからさまに挨拶なしでスルーされ、彼らは私を飛ばして直接夫に話しかけるという状況がありました。そう、まるでアカデミーの授賞式で起こったことのように。

 

もちろん、夫に文句を言って失礼なことをしたということを彼らに伝えてもらいましたけれど。

 

こういうことが起きなくなったのは、私が当時流行った一点もののハンドメイドのハンドバックを作りサブカルファッションをし始めてからです。「何かをやってる人」という意味である種の尊重というか存在を認めてもらえるようになったようです。(その後にイタイおばさんになってる自分に気づいて、路線変更をしました)

 

サンフランシスコはLAよりはるかにアジア人のポピュレーションが高く知識人も多いので、LAのような扱いを受けるようなことは少なかったです。私には夫の存在があり、高級住宅街で一般的なアジア人よりも小綺麗でセクシーなファッションをしていたせいもあり人受けはかなりよかったですが、一人で独立してアメリカ社会で頑張っている人は(特に身体の小さな男性)かなり世知辛い思いもしているのではないでしょうか。

 

自己啓発やビジネス関係のセミナーなどにに参加すると、また悪夢が蘇るような思いでした。専門的な職業の参加者たちの中で萎縮したせいもあるけれど、全く相手にされていないことを意識しました。

 

私の30代の鬱というのは、そういうアメリカ社会での透明人間の自分に嫌気がさしていた部分も大きかったです。が、それこそ藁にでもすがるような思いで様々なことにトライしてセミナーなどに参加し、針のむしろの上で徐々に殻を破り自分の存在感を高めていったのだと思います。

 

 

 

 

世界を旅していれば、やっぱり嫌な思いをすることがあります。

 

イスラエル人の子供や女子から「アジア人の顔」を露骨に馬鹿にされたことがありますし、ウィーンのオペラ会場で年配の女性が露骨に私を席に通すのに立ち上がるのを嫌がる表情もありました。

 

でもそれ以上に、日本人と分かると好意的な態度を取ってくれる人々がほとんどでしたので、英語できちんと会話ができ、自分が何を思う人であるのかを伝えれば一個人としての尊重を得て差別で辛い思いをしたという記憶はそれほど多くはありません。

 

 

 

 

イタリア人のルシウスの奥さんはブラジル育ちの韓国人女性です。190cmのルシウスに引けを取らない長身でスタイルの良い彼女ですが、顔立ちはほにゃらとした優しい地味な感じで化粧もしてません。(彼らが住むスペインでは人は元々顔立ちがはっきりしているのでメイクはあまりしないようです)

 

ルシウス宅では30人以上人が集まるパーティーがしょっちゅうあるのだけれど、そんな中には「自分には彼女のようなアジア人とでも普通に会話をしてあげられる能力がある」ということを恥ずかしげもなく告げる輩がおるんだとか。なんて凄い差別的な発言だと思うのですが、本人には全く悪気がない。

 

奥さんがシャイで、パーティではホストとして「楽しんでる?大丈夫?」と客に気遣いをしている様子が疲れるから「奥さんがいないパーティの方がリラックスしていい」と本音を告げる輩もおるんだそうだ。

 

ルシウスが奥さんと出歩いているといつも必ず周りの視線を感じる。それがバルセロナなのだそう。

 

確かに、私の1986年のサンフランシスコで知り合ったバルセロナ出身の友人も黒髪に浅黒い肌のラテン女性だけれど、社会的になんとなく低く扱われてることがあるということを耳にしたことがあるし、昔行ったスペイン語学校のアルゼンチン人の白人女性の先生も、他の先生たちから下に見られているような扱いがあったことを覚えています。

 

ヨーロッパの方がアメリカよりも無意識下の人種的差別はあるのだろうなぁと察します。過去にパリに何度か行ったけれど、観光地以外では確かにそういうのを感じたし、もう行きたい土地ではありません。

 

 

 

 

差別的な態度を受けるときはアジア人=中国人と思っている人々は多いようです。ひとたび日本人と分かると「おぉ!日本、クール!」というような態度に変わることも多いですからね。まぁ、尊敬されているのは日本のカルチャーであって、一般の日本人ではないことは確かですけれど。

 

でも最近、真田広之が「Shogun」という映画でめちゃ株を上げています。野球の大谷翔平然り。日本人の持つ精神的なクオリティもどんどん世界に認められていくことでしょうね。ウインク