正直、何を書くか迷いましたが、ありのままの部活人生を書いていこうと思います。
五度の骨折に難聴症状による休部、そしてリーグ戦も未出場。
決して華やかな部活人生ではありませんでしたが、その中で感じてきた気持ちや葛藤をここに残したいと思います。
【1年生】
大学1年の10月に、半年遅れて入部した。
未経験者でもスポーツで日本一を目指せる環境があることを知り、勢いだけで部活体験に行き、パンフィーで行われていた34期の一年練に混ぜてもらった。
ラクロスをやるために大学を変えて中央大学に来た34期主将の存在と、みんなの生き生きとした姿に惹かれ入部を決めた。
入部後すぐ、基礎も教わらずに1on1に入り、訳もわからないまま組織練にも入った。奇跡的に6on6で点を取った時はまぐれでもものすごく嬉しかったのを覚えている。この日、OFで点を取る選手になろうと決めた。
【2年生】
自分はすぐ上手くなるという根拠のない自信があったが、そんなものはすぐに挫かれた。5月に行われた中立戦でBチーム(現在はcompanyチーム)の試合に出場させてもらえるも、ボールダウンの連続。
試合に出場できるレベルではないと見切られ、Cチーム(1年生練)に落とされた。
当時は一丁前に悔しがっていたが、当然である。半年遅れて入部してきて、基礎練習も疎かにしてきた奴にできるはずがなかった。
このタイミングから、自主練に本気で励むようになった。この時期に35期と一緒に基礎を学べたことも本当に良かったと思っている。最終的には同シーズン中にBチームでも経験を積ませてもらい、明らかに基礎力が上がったことを実感した。
代は替わり、33期が最高学年になった。
おそらくこの頃が自分の成長を1番実感していた時期だ。毎日YouTubeに上がる1on1の動画を見るのが楽しく、一橋との合同練にAチーム(現在のTOPチーム)帯同として参加したこともあった。
コーチの方からは「あと体重さえ増えればA」と伝えられた。
色々順調に進み始めていると思っていた。
そんな矢先、
持病である難聴の症状が現れた。
耳鳴りとめまいが止まず、急激に聴力も低下した。活動できる状態ではなくなり、休部することになった。
普通に生活を送ることで精一杯なのに。部活を続けるのは厳しいかもしれないと思っていた。こんな状態で部に残る資格は無いとも感じていた。正直心はほぼ折れていた。
そんな状態の中、当時の主将であるゴリさんとOFリーダーであった増岡さんに休部したいとの旨を伝えた。
その時に増岡さんが仰ったのは、
「俺はリーグ戦でつっちーを使うビジョンを持っている。今は回復に専念して欲しい。」
というものだった。
結果的にこの期待に応えることはできず、それが非常に悔しいのだが、間違えなくこの言葉に自分は支えられた。この言葉のおかげで自分自身にもう一度期待することができ、回復のために今できることをしようと思えた。
増岡さん、本当にありがとうございました。
【3年生】
以前のような元気な状態とまではいかないものの、なんとか練習に参加できるまで体調を回復した。
結局3年生のシーズンはcompanyで過ごした。自分への期待を残しつつ、実際は体調を第一に考える"無理をしない"1年間だった。
companyとしても勝てず、自分としても何一つ結果は残せないシーズンだったが、それでも続けることに意味があると思い、耐えるように過ごした。
そしてまた代は替わり、大学4年になる直前の3月、34期全員で数日に及ぶミーティングが行われた。
ミーティングのテーマは、34期一人一人が
"最上級生としてチームにどう貢献するか"
というものであった。
その中で中心の議題となったのが
"学生コーチ決め"である。
「学生コーチには、人格、技術、熱量の全てを高いレベルで持ち合わせている者を選出する。」
我々34期が学生コーチを決めるにあたり設けた基準だ。
Banditsでは例年、学生コーチになる者はプレイヤーを引退し育成に専念する。
学生コーチになる者は、3年間思い描いてきたプレイヤーとしての理想を諦め、コーチとして新たな覚悟を持たなければならない。
34期も、その方針は同じだった。
俺は、学生コーチ候補として名前が挙がった。
正直候補に出ることは予想できていた。
自分にはTOPチームを確約されるほどの武器がなかったからだ。
チームにどう貢献するかという点においても、自分はコーチになった方がいいのかもしれないと、心のどこかでは思っていた。
それでもやはり、プレイヤーとしてリーグ戦で活躍する自分を簡単には諦め切れなかった。
候補になってからも、壁打ちも増量も筋トレも続けた。
選手を諦めたくないという気持ち
育成でチームに貢献できるという期待
選手を続けても活躍できないという不安
育成に熱量を注げるのかという不安
様々な気持ちが入り混じる中話し合いを重ねた。
葛藤があったのは自分だけではない、みんなそれぞれが複雑な気持ちを持ち合わせていた。
高橋監督やコーチの方々、OBの先輩にまで相談し、4月まで時間が限られている中で自分の考えを整理させていった。
そして、最終的に選んだのが、学生コーチというポジションである。
様々な理由があるが最終的な決め手は、
「選手を続けることと同等以上の熱量を注げるという自信、覚悟を持てたから」
「じおと荻と一緒なら強いチームを作り、最後まで学生コーチをやり抜けると直感したから」
である。
【4年生】
学生コーチが決定し、一息つく間もなく新入生が入部してきた。
(本当に申し訳ないが)個人的に3年次までは全く力を入れていなかった新歓活動に、今年はかなり力を入れた。
そして約40人の新入生がBanditsに入部してくれた。人数も多く個性的な37期にこの頃からとても期待していた。
そこからは怒涛の日々を過ごした。
みんな成長は凄まじく、やる気も凄まじい。
次から次へと新しいことを教え、自分自身も教えるために勉強する日々だった。
フレッシュマンカップでは優勝の景色を見た。
サマーでは非常に悔しい経験をした。
そしてフルフィー練に入ってから3ヶ月弱、OFもDFも見違えるほど成長している。
毎日成長を感じられる練習がとても楽しい。
振り返ってみると、コーチという立場でもしっかりと熱量を持ち続けることができたと思う。
「1年生のために」
という気持ちと一緒に
「勝ちたい」
という気持ちを忘れずにやってこれたからだと思う。
そして今、我々学生コーチにとって最後の大会であるウィンターの予選が明後日に迫っている。
実力を発揮できれば必ず勝てるという自信があるし、このチームは1日単位でまだまだ成長するという期待もある。
「リーグ戦を見据えて」
「ウィンターはあくまで通過点」
これは何度も言ってきたことだし、実際にそう思っていることだ。リーグ戦を見据えて、ウィンターがゴールにならずに走り続けて欲しいと思う。
でもやっぱり、めちゃくちゃ勝ちたい。
自分の部活人生最後の、ウィンターという大会で優勝の景色を見たい。
みんなで最後まで戦い抜こう。
さて、熱のピークをブログの中盤に持ってきてしまい失敗したと思っているところですが、
最後はコーチらしく、(一応後輩に向けて?)学んだことを3つ共有したいと思います。
一つ目は、自分に期待すること。
まずは自分に期待することだ。
この4年間を通して感じたのは、
・自分への期待は活力になる。
・自分への期待は自分が進む道の指針になる。
・自分に期待することは、楽しい。
ということ。
休部してた時期、増岡さんの言葉でもう一度自分に期待を持つことができ、活力が湧いた。
そもそも俺がラクロス部に入った理由も、
"自分に期待したいから"だったのかもしれない。
ラクロス部に入部したことで、特に目標もなく楽だけどつまらない日常から、自分に期待できる日常に変わり、より生き生きと過ごせるようになった。
もし自分に期待できていない人がいるなら、自分がどうなりたいのか、なぜこのチームを選んだのか、もう一度考えてみて欲しい。
二つ目は、チームメイトに期待することだ。
学生コーチというポジションに就いてから、1年生に期待することは日常であった。
このチームなら優勝できる、というわかりやすい期待もあれば、荷物を揃えることや集合離散など、日常の小さな行動にまで期待があった。そしてそれをみんなに求めた。
「他人に期待しない方がいい」
よく聞く言葉だ。
他人をコントロールすることはできないし、もし期待通りにならなければ、ネガティブな感情が押し寄せてくるかもしれない。だから最初から期待しない方が楽である。
たしかに理解はできる。
でも、チームとして強くなるためには、仲間に期待する必要があると思う。
仲間に期待して、要求して、ぶつかって、話し合う、これを繰り返してチーム全員の目線を合わせていく。チームの基準を上げていく。そうやって、強いチームになっていくのだと思う。
是非後輩たちは、自分への期待とチームメイトへの期待を持って目標へ進んでいって欲しい。
三つ目は、現実を受け止めた上で、できることをやり続けること。
4年間本気で部活を続ければ、しんどいことや壁にぶつかることがあると思う。しんどい時間の方が圧倒的に多いかもしれない。
それでも、今の自分がやるべきことを地道にやり続ける人が最終的に活躍するチャンスを得る。
これは、他のスポーツやビジネスでも同じなのかはわからないが、少なくとも俺が見てきた大学ラクロス界はそういうものだった。
一年生の時試合に出られなくても、関東ユースに選ばれなくても、4年生のリーグ戦で活躍する人は山ほどいる。
例え今上手くいっていないと感じていても、自分に期待できるのであれば目の前のできることをやり続けて欲しい。やり続けていれば、チャンスが訪れるはずだ。
みんなの4年生になった時の姿を、勝手に期待しています。
#学生コーチ 土屋優大
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お世話になった方々へ
両親
小学生時代のサッカーから、長い部活生活を支えていただき本当にありがとうございました。自分のやりたい部活を続けることができたのは言うまでもなく2人のおかげです。これからたくさん恩返ししていくので、長生きしてね。
高橋監督
学生コーチになってから、改めて高橋さんの視座の高さを痛感しました。そして熱く、チームへの愛にあふれる方だと感じました。
そんな高橋さんの近くで、37期の育成に携われたこと、本当に誇りに思っています。
引退後も、是非またお話しさせてください。
4年間本当にありがとうございました。
34期へ
秋ごろ突然やってきた自分を元気に迎え入れてくれてありがとう。個性の強いメンバーと、ラクロスに限らずたくさんの思い出ができました。折れかけた時期を乗り越えられたのは間違いなくみんなの存在があったからです。ありがとう。今後ともよろしく!
じお
こんなに面白くて仕事ができる人には出会ったことがない。学生コーチになってからは士雄のシゴデキ具合に何度も驚かされ、意味のわからない言動に毎日笑わせてもらいました。本当にありがとう。チームのためにも自分のためにも思ったことをはっきり発言できるとこ、非常に尊敬しています。あと少し、最強のOF陣作り上げよう
おぎ
試合中コーチズエリアからはみ出して指示をしてしまうほど熱い男。荻の感情丸出しの声かけには、プレーヤー時代から励まされていたよ。練習ではOF vs DFの構図が多くてバチバチすることもあったけど、ウィンターはチームBanditsとして一緒に感情爆発させよう。ウィンターはライン踏み出さないようにしてね。
えいき、ひろと
二人とは入部時期が一緒で、何かとお世話になりました。入部当初は二人の存在がとても心強かった。4年次はそれぞれ別のカテゴリーで過ごしたけど、二人が頑張っているのを見て励まされていました。ありがとう。
そして引退してからも37期の練習に来てくれてありがとう。ラストスパート頑張るから応援してくれ!!
慈英
いつかの慈英不在の飲み会で酔っ払いながら「慈英が部活辞めたら俺も辞める」って言い放った記憶があるくらい、なぜか主将慈英について行きたい土屋でした。
そして、ミーティングでの言葉やリーグ戦での姿を見てその直感は正しかったと感じています。34期を引っ張ってくれて、真剣にチームと向き合ってくれてありがとう。
最後に37期へ
短い間だったけど、入部してから学生コーチについてきてくれてありがとう。
練習の質、集合離散、挨拶、声出し、筋トレ、増量、自主練などなどなど、毎日色んなことを求めてきました。それを全て当たり前にやるのが難しいことくらい俺もわかってます。それでもみんなに求め続けるのは、それが目標達成するには必要なことだと思うし、みんなならできるという期待があるから。
最後だから言うけど、過去の自分と比べたらみんな本当によくやっていると思うし、とても尊敬しています。
それでも、日本一になるにはこれからもっと基準を上げていかなければならないと思う。これからはみんなで、その基準を上げ続けてください。このチームにも、37期一人一人にも本気で期待しています。
長編を最後までお読みいただきありがとうございました。
さて、次回二人目の学生コーチブログは、荻原浩太郎くんです。ゴーリー、ディフェンス出身の学生コーチとして、幅広くチームを引っ張ってきてくれました。
四年生になってからも数々の話題を部に提供してくれましたが、必ず立ち直るその精神力と覚悟には脱帽です。
普段から熱い彼がどんな中央旋風を巻き起こすのか、期待です。


