さあつっちーから回ってきましたラストブログ。
彼は共に学生コーチとして活動した最高の戦友です。
3部作2番手はこの私荻原浩太郎が務めさせていただきます。
書きたいことがありすぎてかなり長くなってしまったので短編小説を読む感覚で読んでいただければ幸いです。文才をご覧ください。
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まず初めに、いつも配信を見てくださる皆様に厚く御礼申し上げます。
私は2年生頃からリーグ戦はじめ、試合配信の実況を務めさせていただきました。とにかくユーモアある配信を意識し、音割れするほど喜んでしまうため聞きづらい部分あったと思いますが、配信をご覧になった皆さまからお褒めの声をいただき、心から嬉しく1つの生きがいになっていました。後任の実況にもご期待ください!
「チームのために何ができるか?」
これは私が部活動という組織に所属する上で1番考えなければならないことであり、1番の課題だと考える。私の引退ブログではこの問いに対する考え方の1つとして自身の経験を踏まえ伝えていきたい。
思えば一生分の嬉しさ、悔しさを経験し、上手くいかないことしかない波瀾曲折な4年間だった。
学部、専攻が同じだった末吉に誘われてラクロス部に入部した。ラクロスというスポーツに魅力され、のめり込み、当時ゴーリーだった31期加賀さんに憧れてゴーリーを始めた。
初めの方はうまく行っていた。だか、途中から同期の河原に抜かされ、結局サマーはBチーム、ウィンターも出場機会はなかった。とにかく悔しくて冬のオフ期間金子とほぼ毎日3時間自主練をした。結果、年明け新チーム編成の時にAチームのに自分の名前があった時が最高の瞬間だった。同時に関東ユースにも選出され、ここが自分のラクロス人生の絶頂期だった。
ここから転落人生が始まる。
春先に自身の課題を当時トップチームだった塚田さんに指摘され、Bチームに落とされた。落とされた当初は課題克服し必ずAに戻ると息巻いていた。
しかし、3月末に事件が起きた。
ファンリーグへの登録である。
ファンリーグへの登録がなされた選手はその年にリーグ戦にメンバー入りすることはできない。ここでAチームへの昇格という目標が無くなった瞬間だった。
当時DFリーダーだった仁科さんに「チームのためにお願いしたい」と言われた時、はいとしか言えなかった。チーム第1の考えがあった私は受け入れるしかなかった。
そこで4年間という長い目で見れれば良かったのだが、捻くれ、腐ってしまい、自主練もしなくなり寝坊も増えていった。
結局チームのためにと言いながら素行面が怠惰となりチームに迷惑をかけるお荷物となっていった。
ここからどん底のラクロス人生を送る。とにかくボールへの恐怖心が生まれ、思うようなプレーができなくなってしまった。ただ努力も何もせず時間が過ぎ、ラクロスは好きだったが部活動を辞めたい気持ちが大きくなっていき、シーズンは終わった。
そして当時主将の塚田さんに辞めたいと打ち明けた。ゴーリーというポジション柄、寒い冬に日々体にボールを当てられ、ただただ痛くなぜ続けているのか分からなくなった。
そんな私を塚田さんは見捨てなかった。チームビルディングに精力を注ぐ忙しい中、話す機会を設けてくださり、「まだまだこれから、ポテンシャルは1番あるから恐怖心を無くすだけ、一緒に乗り越えよう」と最後のチャンスを下さった。ラクロス人生2回泣いた内の1回だった。
そこから再び猛特訓した。春先は当然Bチーム。しかし折れなかった。後輩ゴーリーの尊の急成長に感化されながらも懸命に努力した。しかし手遅れだった。1度ついた恐怖心を克服することはできなかった。スタメンを後輩の尊に譲り自分は2枚目へと退いた。
ゴーリーとしての最後の思い出は中立戦だった。ラスト数分で出場機会を得て、フィールドに立った。不安しかなかった。案の定、玉井、加藤慶悟と共に数分で失点し、その後も打たれ続けたがなんとか凌いで勝利を掴んだ。
皆んなが喜ぶ中、1人ここが潮時だなと決心した。
しかし転機が訪れる。ロングへの転向だ。
HCの新子さんに「フィールド能力を活かしてロングをやってみないか」と言われた。ここに来て1年時の毎日壁当ての成果が日の目を浴びたのだ。
何かを変えたかった私はすぐに提案に応じた。
そこからは日々に彩りが戻りラクロスをここから楽しいと感じる時間が訪れた。Companyで師匠の蔵さんに教えを乞いながら成長していった。
迎えたラストシーズンのオフシーズン。
最後の勝負が始まった。
チームのために最高学年として何ができるか考え、私は行動で示すことにした。オフ期間もほぼ毎日ラグ場に来て練習した。壁当ても毎日した。
ラグ場に来ると35期の誰かしらがいてロングでは先輩に当たる綾小路や智ちん、大雅に教えを乞いた。とにかく練習した。そして明学との練習試合にAチームに招集された。
とにかく嬉しかった。このままリーグ戦まで行けると思った。
だが現実はそう甘くなかった。
試合では思うような結果を残せず、他のロングとの力量の差を感じた。初めは挫けず頑張ろうと決心した。
しかしそんな中、改めて『最上級生としてエゴを捨てて本当にチームに貢献できる道は何なのか』
という問いを1人考えるようになった。
そしてつっちーのブログにもあった通り、34期の最上級生としてのミーティングが行われた。
ミーティングの目的は私が考えてきたものだった。
学生コーチを決める際、私は他の同期と違い初めからやろうと考えていた。
それがチームへの1番の貢献であり、
「自分の力を現在ではなく未来へ託す」
ことだと考えたからだった。
しかし猛反発をした人物がいた。
同じ学生コーチの川上士雄である。
学生コーチを決める判断基準としてつっちーのブログにもあったが、これが基準だった。
「学生コーチには、人格、技術、熱量の全てを高いレベルで持ち合わせている者を選出する。」
反発される理由は分かっていた。人格である。
度重なる過去の寝坊やその対応が問題だった。
同期の吉川に言われたこの言葉は今も自分の中に深く残っている。
「やりたいとできるは違う」
これを指摘された時、何も言えなかった。自分が悪いからである。
「私は欠陥人間だったのである。」
引こうとしても一瀬に「チームを去るか、学生コーチをやるか」と言われ訳が分からなくなった。
しかしその真意は覚悟を試されていたのである。
己を変えろということを。
自身が必ず変わるという想いをぶつけ、
先に同期皆んなに了承を得ていたじおとつっちーに「一緒にやろう」と言われた時覚悟を決めた。
そこから1年生40人が入部してきて激動の日々が始まった。
覚悟を持って始めたものの、人は油断をするとすぐ綻びが出る。
5月18日、入部式。自分史上最悪の出来事が起こる。入部式の前に練習があったのだが、寝坊をした。
結局それほどの覚悟だったのだと後からは思う。
じおとつっちー、幹部陣に今後の自分の進退について話してもらった。
皆んなの本音をそのまま聞き、正直心を抉られるものばかりだった。最終的な決定権は2人にあり、2人は37期のために最後のチャンスを私に与えてくれた。変わるチャンスを。
ここから改めて本物の覚悟と熱量を持って取り組んだ。
私はDF,Gメインで指導をしていたが、自分のラクロス技術が中途半端に終わったこともあり、分からないことだらけだった。同期の河原や一瀬を始めとする皆んなの力を借りながら学び還元していった。
そして私のラクロス人生で最高の瞬間が訪れる。
『中央大学史上初のフレッシュマンカップ優勝』
歓喜の瞬間だった。決勝、VS慶應戦。最後のホイッスルがなった瞬間コーチながら嬉し過ぎてグランドに飛び出してしまった(じおに怒られる)
しかし迎えたサマー、Bは予選敗退。Aは決勝1回戦敗退。ラクロス人生2回目の悔し涙を流した。
その上DFのせいで負けた部分が大きかった。
自分の指導不足のせいだっだ。
この結果は最後の覚悟を決めた瞬間だった
全てを捧げてフルフィールドでは必ず勝利する。
フルフィールドになって早3ヶ月。
点を取ってくれるOF陣、今や上級生に対してもターンオーバー誘発する最硬のDF陣。
フルフィ始めたてのあの頃と比べたら天と地の差がある。
学生コーチ他の2人と37期皆んなと1つ1つのプレーで喜びを分かち合う瞬間こそ最高だった。
「全てはチームのため」
この根本の原動力があったからこそやってこれたと信じている。
いよいよ明日は学生コーチ最後の大会だ。
4年間の1つの通過点かもしれないが、明日今までの全てをぶつけよう。
過程がどうとか誰がなんと言おうと勝利という結果でしかやってきたことを証明はできない。
明日は勝とう。あの優勝の景色をもう一度見よう。
この7ヶ月みんなで歩んだ確固たる自信と共に。
最後に
「チームのために何ができるか?」
という問いに対して。
組織の中において人にはそれぞれ役割があると思っている。輝く人もいれば支える人もいる。
そんな中、いかに皆んながチームファーストの精神を持つことが答えだと考える。
私の好きなドラマ、グランメゾン東京にこんな言葉がある。
「ちゃんと考えたのか。目が覚めた時も。飯食ってる時も。帰り道も。女としゃべってる時も。ずっとすべてをかけて考えたのか。お前らそれでいいのか」
これは木村拓哉演じる主人公が料理の開発に関して言及する場面である。
昭和的思考かもしれないが私はこの考えが全てだと思う。
オンオフをはっきりさせる?そのオフをラクロスのことに当てたらどうだろうか。
我々は体育会だ。学生最後の4年間、全てをかけて組織に尽力してこそ最高のチームを目指せ、自分にとってもその4年間はかけがえのない財産となるだろう。
今遊びたい、逃げ出したいと思っている人へ。
私の4年間を見て欲しい。後悔しか残っていない。本当にその緩い気持ちで終わってもいいのか今一度考えてみて欲しい。
本当に偉そうなことを言って恐縮ですが、これが4年間を経て私が感じたことであり、残すべきものだと感じました。
今後の愛すべしBanditsの皆んなに明るい未来が待っていることを祈って。
#学生コーチ 荻原浩太郎
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ブログの終わりにお世話になった方々へ一筆を添えさせていただきます。
両親へ
小学校から続けた部活動人生が幕を閉じようとしています。本当に支えていただきありがとうございました。東京まで試合を見にきてくれる2人が大好きです。ゆっくり恩返ししていきます。
高橋監督
高橋さんが毎朝早くグラウンドに来てくださるたびに、自分も頑張ろうと勇気と覚悟を貰っていました。人として、人生の先輩として尊敬しかない高橋さんの元、学生コーチをできたのは大きな財産です。また飲みにいき、たくさんお話ししたいです!ありがとうございました。
34期の同期みんなへ
皆んなと過ごす時間は最高でした。1人1人色がある皆んなとラクロスできて幸せものでした。
精神的にキツい時もお互いに励まし合って練習した日々を忘れません。社会人になってもよろしくね。
じおへ
この4年間で何度衝突し喧嘩したか分かりません。でも写真フォルダーを見返したらじおがいっぱいいました。間違いなく人生において最も影響を与えてくれ、最も尊敬する人物です。1番です。
つっちーと一緒に最強のOF陣を作り上げてくれてありがとう。3人で飲み行こうね。
つっちーへ
学生コーチとして今まで以上に深く関わるようになって本性を現してくれてありがとう。じおと2人の絡みは聞いていてめちゃくちゃ面白いし朝のLINEに元気づけられてました。その優しさと厳しさの両面を持つ唯一性に惹かれてます。
早く釣りに連れて行ってください。
たつるへ
守護神として中大のゴールを守ってくれてありがとう。同期ゴーリーとしていつもたつるの背中を追いかけていました。実況していてたつるが止める度に喜びが溢れました。免許取るよ。
じえいへ
34期2人しかいないユースとして一緒にユース練行ったりラクロス見た日々が懐かしいです。
学生コーチ決めの時、自分へのメッセージは今でも覚えています。退任しそうな時引き止めてくれてありがとう。34期を、Banditsを引っ張ってくれてありがとう。なんだかんだラクロス好きなじえいが大好きです。
加賀さんへ
私の憧れのプレイヤーでした。どんな相談ごとも親身に接してくださりありがとうございました。
ブログ読んでくださってるか分かりませんが連絡お待ちしております。
えんじ組へ
2人には色々支えていただきありがとうございました。1人は来年の守護神として、1人はチームの中核を担う者としてリーグ戦で闘う姿を楽しみにしています。見に行くね。
37期DFTeamちーへ
何度OFに点を取られ、貶され、気持ちを落としたか分かりません。しかしそんな君たちもミーティングを重ね、自主練をし最硬のDF組織になりつつあります。明日は無失点に抑えよう。
緊張せずにちゃんと喋ってね。
最後に37期へ
この7ヶ月間こんなにも不甲斐ないコーチについて来てくれてありがとう。個性溢れる皆んなは仲間内で最初から声をかけあったり、指摘があったり自分たちの1年生の頃と比べてすごい代になると感じていました。
日本一を目指すチームの中でそれぞれに目標があってそれぞれの価値観があると思うけどブログに書いたことが全てです。全力で4年間駆け抜けてね。何よりもまずはラクロスを楽しむこと。これ以上ない最高のスポーツに出会ったからにはどんどんのめり込んで行ってラクロス狂になってください。今後皆んなが日本一をかけて試合に出る瞬間を楽しみにしています。ありがとう。
ご愛読ありがとうございました。
さあ残すところ34ブログも2人、学生コーチブログは最後の1人となって参りました。
紹介しましょう、3人目の学生コーチブログは
この男、川上士雄くんです。
同じ配信者、学生コーチとして活動して参りました。最近は資格勉強から解放されてすごいことになっています。
そんな彼は皆んなさんにはどんな文章で人生に彩りを与えてくれるのか、乞うご期待!!



