あまりにも人が良すぎて、bandits全ての愚痴の受付嬢を務めている坂井・アルデンテ・狂みから回ってまいりました。
彼女とは今まで数多の飲み会にて、互いの腹の内を吐き出してきました。
いや、、見せあっての方が適切ですかね。申し訳ありません。日本語は難しいです。
審判の事でよく言い合いをしているので、仲が悪いと思われているかもしれませんが、そんな事はありません。なんせ彼女と一緒にご飯に行く時は、必ず財布を忘れてしまうほどの気の許しようです。BWFっちゅうやつです。
社会人になっても楽しく、一緒にジゴリアンしていけたらと思っています。どうぞよろしく。
狂みへの愛が止まらず、前置きが長くなってしまいました。
地獄へ誘う盲導犬、副将兼OFリーダーの芳野遥です。
自慢の文章力を活かし、パッションに溢れ、読後涙が頬を伝うような、ハートフルでプリキュアな文章を残してみせますので、是非ご一読ください。
正直、ラクロス部には明確な理由や目標を持たずに入部した。
新勧で行ったサークルの飲み会は楽しかったが、4年間楽しみ続けられる気はしなかった。また、自分は何かに縛られてるくらいでないと、すぐに楽をしてしまうダメな人間だから、入ったらロクな大学生にならない事だけはなんとなくわかった。
弁護士になったろうかな、バイト死ぬほどやろうかなとか考えている中で、高校の水球部の先輩が所属しているラクロス部の体験会に行った。
その体験会でも別に「これだ!!」という感覚は芽生えなかった。
シュート大会でも自分よりシュートが早い人が何人もいてむしろつまらなかったし、朝早いって点も寝坊癖のある自分にとっては致命的だった。
そのまま入部する決心はつかず時間は過ぎていき、中附の同期が仮入部で朝練に参加する中、まさにサークルの新歓期に案じていたぐーたら生活のサイクルに突入した。
やっぱり自分は何かに縛られていないとだめだ、中附の友達もいるし、就活も有利らしい、自分は器用だからどうせ試合出れるだろ。
そんな感じで入部した。
モチベーションがそんなに高くない割には、自分の肌に合ったようで頭角を現していった。
フレキャンではオールフレッシュマンに選ばれたし、サマー前の練習試合でも連戦得点、他大にも自分よりうまいと思う選手はあまりいなかった。
寝坊はしばらく治らなかった。
チームとしても勝ちが続き、ラクロスが上達していく事、新しい仲間たちとの日々が新鮮で楽しかった。
そんな日々の最初の試金石サマーステージ。
チームとして勝つのはもちろん事、漠然と関東ユースにも入りたいなあと思って試合に臨んだ。
初戦の始まりを告げる笛が鳴った瞬間ビビった。
足が震えだした。なんだか視界の端も暗かったし、心臓の鼓動が大きすぎて客席の声援も仲間の声も聞こえなかった。
結果、予選2試合で1得点、ミスも多発と不甲斐ない結果に終わった。チームは2連勝してみんな大喜び。でもどこか喜びきれない自分がいた。
自分はもっとできる。たまたま運が悪かっただけ。そんな考えがその日の夜、目をつぶっても頭から消えなかった。
あれ?
別にそんなやる気満々で入部したわけじゃないのに。
その時、ラクロスが自分の中でとてつもなく大きなものになっていることに気づいたが、世紀の大失敗を犯した日ということもあり、その思いの大きさは全て羞恥心に変換されてしまった。
その後のサマー決勝は一戦目で負け。
自分は得点を取ったものの、得点よりもミスをせずに試合が終えたことが凄く嬉しいと感じてしまった。
チームの目標である優勝は叶わず、当然自身もユースに選ばれることはなかった。
サマー予選の時に気づいたラクロスへの大きな気持ちは、羞恥心からプライドへと形を変え、その後は純粋にラクロスを楽しむことができなくなった。
ミスしない事が至上命題になり、豪快なプレーをするよりも堅実なプレーをするようになった。
上手いというレッテルを剝がされぬように。
もちろん成長速度は緩やかになった。1年生後半からずっとAにはいるものの結果は出ない。
度重なる怪我も相まって練習に参加することもあまりできなかった。
なんなら怪我の期間はむしろ気が楽だった。
そんな自分が凄く嫌だったし辛かった。
でも変わることはできなかった。
それでも部活を辞める選択肢はなかった。
ずっと期待し続けてくれる先輩方、怪我の治療に当たってくれるユニバースの方々、そして何よりもBANDITSが好きだった。
先輩も、
同期も、
後輩も、
ラグ場も、
第一体育館のシャワー室も、
日髙とする筋トレも、
ゲロで口をぱんぱんにして走る3往復走も。
そんな日々が大好きだった。失いたくなかった。
が、もちろんラクロスはそんなに甘くない。そんな日々を過ごす自分を許してはくれない。ラクロスが大好きで上手くなることを目標としている選手たちとはどんどん差が開いていった。
苦痛だった。
プレイヤーとして大成できない自分と部活を続けたい自分との板挟みだった。
結局、周囲に期待されるようなプレーは一度もできず2度も先輩を送り出してしまった。
本当に大好きで尊敬できる人たちだった。力になりたかった。
悔しさと申し訳なさで2年の時は泣いたし、3年の時は寂しさか冬の寒さかわからないけど、練習に行くのが本当に苦痛だった。
そして、自身が副将を務めるラストシーズンになった。
今年は自分が点を取らなければ、チームを引っ張らなければ。
わかってはいた。
が、簡単に変わることはできなかった。
そんな時、中央大学男子ラクロス部に嵐が訪れた。
新子崚OFコーチである。
新子さんは既存の部のルールや価値観をことごとく変えていった。
自分は副将としてもOFリーダーとしてもその活躍を近くで見ることが多く、刺激的だった。
また、そんな新子さんに興味を持ち、現役時代のラストブログも読んだ。
するとそこには、自分と同じような3年生を過ごしたと思われるブログがあった。
青天の霹靂だった。
あの威風堂々、傍若無人な新子さんでさえ結果を出せないことがあるのか。
でも、すぐに反省した。新子さんは3年生の苦境をバネに環境を変え、意識を変えラクロスに向き合っていた。
自分はサマーから今まで何かできていただろうか?
ラクロスの自主練は人並みにしかしていない、やったことといえば週5、6回の筋トレくらい。
でも、それもラクロスから逃げるための口実でしかなかった。
なんだか少しスッキリした気がした。
別に意識が180度変わったとかではない。
すぐに完全復活とかでもない。
今だって100%自身のパフォーマンスを出せているかと言われればNOである。
でも今はラクロスをするのが楽しい。
ラクロス部にいることが目的となっていたころとは違う。
自主練の量も増えたし、試合で点を取ることもできるようになった。
そして何よりも不思議なのが怪我をすることが全くなくなった。
病は気からという言葉は本当なのかもしれない。
だから、今は愛すべきBANDITSでめちゃくちゃ楽しいラクロスができる日々を守りたいと心から思っている。
それが今の目標であり、ラクロス部にいる理由。
学生日本一というと大仰でイメージがつかない時もあったが、目の前の引退がかかった試合に勝ち切り、BANDITSでの日々を守る。
そんな戦いを続けていくうちに学生日本一になっていると考えるようになった。
その戦いがまさに次の獨協戦。
もう後はない。
どれだけ辛くてもどれだけ苦しくても60分でこれからの生活が変わる。
生きるか死ぬか。
死ぬつもりは毛頭ない。ユニフォームを脱ぐにはまだ暑すぎる。
極寒の12月、芝が凍ったラグビー場でユニフォームをぼんしょーに託すまで
毎年恒例の31同期飲みに大野が初出席するまで
愛媛でゆうとさんとあやいさんと写真を撮るまで
BANDITSは負けない。
#99 芳野遥
次は2022年、世界で最もストレスを受けた男
小幡圭人キャプテンです。
中大のガウタマシッダールタと呼ばれるほどの優しさを持つ彼の内に秘めた想いに注目です。
なんやかんやあったけど小幡が主将で良かったと思ってます。幹部ミーツもまだあと3回できるように頑張っていきましょう。