奈良のちゅんたろう

奈良のちゅんたろう

フォトグラファー、表現者。

ツインソウルの彼女&ソウルメイトの親友のお陰で
30年間の引きこもりから脱出!
.
2021年1月〜写真講座の講師。
2022年2月初の個展。
2023年3月東京の奈良まほろば館で写真展開催。
作品は王寺町ふるさと納税返礼品に選ばれている。

前回は家族について書きましたが、今回は「もうひとつの家族」について綴ってみます。



意味深なタイトルと写真〜もしや人の道に反する系〜えー


頭の中で流れたのは浜省〜!?

はたまたglobe〜??



いやいや何のことはない、俺にとって家族のような存在=雀のお話です〜てへぺろ

それでは晩秋の大阪城公園〜はじまりはじまり〜拍手



やっぱり可愛いです〜誰が何と言おうと可愛いです。


「モフッとするから可愛く撮ってや〜ヒヨコ



最近、天守閣界隈に雀が戻ってきてめちゃめちゃ嬉しい。


「かっこいい姿も頼むで〜ヒヨコ


この日は紅葉が色づいて〜もみじ

「ちゃんとピント合うてるか〜ヒヨコ



一本の小さなカエデの前で何時間も居座るお馴染みのパターン〜笑い泣き


「燃えてるぜ〜ヒヨコ



「主役はうちやで〜ヒヨコ



「そろそろ休憩させてほしいんやけど〜ヒヨコ



「ちょっと疲れてきたかも〜ヒヨコ


ごめんごめん、もう少しで終わりにするね〜ニコニコ



「うちら自由人やねん〜ヒヨコ


長い付き合いや〜それはよーく知っている〜グラサン



「ねんねやで〜ヒヨコ




「また来てや〜ヒヨコ



「おやすみ〜ヒヨコ


また来るよ〜ありがとう〜バイバイ



帰り道の空には美しい三日月が〜ラブ



さて、2026年の大阪城では、この家族の絆を更に深める出来事が起こります。


それはまたの機会に〜照れ




制作途中ですが、ちゅんたろうの新しいホームページができました。よろしくお願いいたします〜お願い


https://chuntaro-nara.com/


前回はたくさんの激励をいただき、ありがとうございました。



今回は、写真を交えながら家族のかたちについて綴ってみようと思います〜鉛筆




法起寺で彼女に拾われた俺だけど、はじめの頃は必要な時だけお邪魔するだけで、家族とは距離を置いていた。


その後、コロナ禍真っ只中の2020年4月、俺は逃げるように実家を出ることに。


母子4人が平和に暮らす温かいお家へ、突然よう分からんオヤジが転がり込んできた。しかもひきこもりだと〜!?

普通に考えたらカオスだよね。俺自身もそう思っていた。


(フクちゃんもいます〜ラブラブ


ところで、昔はよく野良猫を撮っていた俺〜三毛猫猫の写真を投稿した際、Instagramのフォロワーさんから「ちゅんたろうさんって気配を消せるんですか?」と言われたことがある。


友達から「あんたは窒素」だと言われたことも。その心は、酸素や二酸化炭素と違って目立たないけど、ないとめちゃめちゃ困るからだそうだ。


頑固な俺は、彼女の家で気配を消した窒素を貫いている。居ないと困るかは別にして〜(笑)



前置きが長くなったけど、ここからはポートレートを中心に年末年始の光景を載せていきます〜カメラ


まずは家族揃っての馬見丘陵公園〜スター





続いては大晦日の奈良公園〜トナカイ








年が明けての石上神宮〜神社




こうして見ていると「どこへ行くか」よりも、「誰と行くか」がどれほど大切かを思い知らされる。




仕事の依頼なら「ハイチーズ」も織り交ぜるけど、プライベートでは持ち前の無気配を武器に自然な表情を追いかけるのみ。

それは、紆余曲折を経て「ありのままが一番素敵なんだ」という結論に達した俺の生き方に重なる。




最後に、このブログに登場し損ねた家族を紹介して、今回はこの辺で〜パー





4月に向け、新たなホームページやInstagramの再開など、ぼちぼち進めているところです。

至ってマイペース〜FREE

のほほーんと新しい年へ〜鏡餅



とはいえ令和8年は、俺にとって間違いなく転機となるだろう〜ヒヨコ


「あの出来事がターニングポイントだったなぁ」と顧みてばかりだった俺が初めて前を向いて感じる意気込みである〜炎



社会人になってまだ4年、でももう55歳。

2年前、30年間のひきこもり生活で培った知見をもとに福祉の世界へ飛び込んだ。

今の仕事に大きな不満はないが、悠長なことは言っていられない。新しいステップを踏み出す時が来た〜NEW



折しも去年の仕事納めの日、利用者さんからこんな言葉をもらう。

「ちゅんたろうさんの存在感は別格。纏っているオーラが圧倒的」


2年間頑張ってきた自分へのご褒美として、ありがたく胸に刻んだ。


“伝説のスタッフ”なんて言われたら嬉しいが、それはないだろう〜てへぺろ


4月からはいったん福祉を離れ、本格的に写真の仕事を始める予定。

正直に言えばカメラマンなんて山ほどいる。

だけど、いやだからこそ、ドン底から舞い戻った俺の写真への桁違いの熱量を活かしたい。


振り返れば2012年の冬。


小さいながらも会社を経営していた父が病気で倒れ、生活は一気に苦しくなった。


かろうじて自分に出来ることとしてクラウドソーシングを始めたものの、収入はごくわずか。


それでも週末には、どうしても写真を撮りに行きたかった。当時の自分にとって写活が唯一の光だったからだ。



昼食は安物の食パン2枚にスライスチーズを挟んで焼いたもの。


電車賃もなく、移動は可能な限り自転車で。

その自転車もまた、徒歩で写活するしか術のない俺に、夏祭りの特賞が舞い降りたものだった。

暑い夏も寒い冬も一途に被写体を探し続けた。橿原市から南は吉野神宮、北は般若寺まで〜自転車




たまにしか叶わない電車での写活はめちゃめちゃ大事な時間で、気が済むまであちこち彷徨っていた。



当然ながらアラフィフオヤジはヘトヘトだったが、とても不自由で、ものすごく不便な写活を3年続けた経験が、俺の集中力、一枚一枚にかける情熱を支えている。

マラソンを走り終えた選手のように、今でも帰宅後に倒れ込んだりするけど、衰えない創作意欲は仕事への力に変わっていった。



ひきこもりから這い上がり、福祉の現場で培った経験と写活で鍛えた集中力。

俺はこの二つを武器に、次のステージへ挑む。




ひきこもりカメラマン、ついに出陣!