私には、JWだった頃から仲良かったものの、一度排斥になって疎遠になり、その後再会した友達が2人います。
その子達との出来事を今日は少し。
ひとりは同じ会衆の子でした。
それこそ幼稚園に入った頃からの友達で、ブログにも以前書いたことがありますが、親友(と少なくとも私は思っていた)でした。
彼女が先に排斥になり、
その後1年ほどして私が排斥になり。
彼女が組織への不信感を育てている時、
私はそれを「わかるー」と言いつつも、どこかそれでも彼女はJWに残ると思っていたフシがありました。
最終的に排斥になった時には、まだ真面目だった私は、お母さん姉妹に手紙を託し、そしてそれから私自身が排斥になるまで連絡を取りませんでした。
彼女はその後、ピアノの先生として自立し、
私は排斥早々に結婚。
初めて排斥後に会おう、と言って会った時には、長男が既に生まれていました。
会おう、と言うのにはものすごく勇気がいりました。
私自身が忌避していたというのに、こちらも排斥になったから会おう、というのはムシが良すぎないか。
連絡を取ることで、彼女のお母さんにいらぬ気遣いをさせてしまうのではないか。
色々と悩みましたが、
会ってみれば彼女は至って普通で、そしてしっかりした社会人になっていました。
私が悩んでいたのなんて、小学生の無視したーシカトしたーの仲直りに悩む幼稚な悩みみたいで。
彼女には既にしっかりした生活基盤と、何でも話せる友達と、安定した精神状態がありました。
父親が未信者だった、というのもあるのでしょうが、
それにしても、彼女の母親の忌避ぶりはかなり厳格で、
一人暮らししていた彼女が実家に用があって戻る時には、顔を合わせないように家を空けていると言う徹底したものでした。
それでも忌避されたことを悩んでいる様子はほとんどなかったし、
正直かなり覚悟して会った私には、1年の差でこんなに吹っ切れるものなのかな?と、ちょっとびっくりしたのを覚えています。
もうひとりの友達は、排斥にはなっていないのですが、献身後に自然消滅していました。
なんとなく、私自身が排斥になる前後は連絡を取っていませんでしたが、
排斥後しばらくしてどうしようもなく毒を吐きたくなった時があって、
その時に彼女を訪ねて行きました。
彼女はその時既に大学に行くため一人暮らしをしており、以前からよく泊まらせてもらっていました。
高専の時の友人も同じ大学で同じアパートにいたため、みんなで集まって夜中までおしゃべりしたり。朝ごはん作ったり。
そこは私のJW人生の中でちょっとした息抜きのできるオアシスみたいなところでした。
でも多分、その時点で彼女は集会にはおそらく行っていなかったと思います。
でも、あえてはそこに突っ込んでいませんでした。見て見ぬ振りをしていた感じだったので、私が排斥になった後も連絡を取りやすかったのです。
そこで、どうにもならない組織への怒りや、家族への思いを、きっと共感してもらえると思って打ち明けたところ、
帰ってきたのは、「まぁ、宗教っていうのは過渡期にあるからねぇ、JWもきっとそうなんだと思うよ」と言う、大変俯瞰的な意見でした。
同じ立場として共感してもらえると思っていた私にとっては、ちょっとがっかり、何か満たされぬ思いを抱いたのを覚えています。
彼女も未信者の父親がいて、JWなのは彼女と母親だけでした。
正直、この頃mixiで割と大暴れしていた(笑)私は、
両親にも組織にも、そして個人的に恨みのあった兄弟姉妹にも(笑)、
怒りで心がパンパンでした。
だから、再会したふたりともその気持を分かち合って、なんなら当時あっちこっちでやっていた元JWオフ会にも誘うつもりでした。
オフ会でお会いした方たちは、多かれ少なかれ、己のキズを隠すことなく、そして「元JWだからこその強いつながり」がある気がしていました。
でも、二人とも全くそんな気配はなく。
怒っているのは私だけ?もしかしてこれが普通なの?と、途方に暮れました。
もちろん、連絡を取れた事自体はとても嬉しかったですし、SNS上ではありますが、今もちょいちょい付き合いはあります。
でも、私が期待していた「元JWならではのつながり」を得る事はできませんでした。
この二人の共通点は、物心ついてからJWになったゆえに、あまり根が深くなかった事、
また、片親に連絡を取れると言う、ある意味精神的バランスを取りやすい環境だったからかもしれません。
神権家族で、交友関係がJWの中だけで、仕事もアルバイトで、開拓奉仕で、結婚相手もJWで…と、
自分の周りがJW一色になればなるほど、きっと抜けた後のショックや怒りは大きいのだと思います。
私だって、病気のおかげでJWとある程度距離を置けて、またいいタイミングで旦那と出会えたから、
あんまり闇落ちすることなく生きてこれた訳で。
でも、この怒りで頭がいっぱいの状態の時に、
社会人としてバランスの取れた二人を見たことは、結果的に私にとってとても良かったと思います。
元JWだけが色々な痛みを抱えているわけではないこと。
マイノリティと呼ばれる人はもっといっぱいいて、それでもその人達は自分のキズ、あるいは個性を、ある時は隠しながら、またある時は主張しながら、普通に生きていっていること。
そして、愛情の反対は無関心であること。
つまりは、組織に対する怒りが残っている間は、なんだかんだ言ってJWのことが気になって仕方ないんだということ。
そこに気づいた時に、
既に見切りをつけたはずの組織に、自分がこんなに拘っていたんだと言うことに改めて気づき、ぞっとしました。
無理に忘れろとは言わないし、現実問題として親から忌避されて、友達から忌避されている事に傷つくなとは言えない。
失ったものは事実としてそこにある訳で、もう戻ってこない若さやキャリアや、そうしたもので実際に損害を受けているのも事実で。
でも、それに目を向けてばっかりいると、逆にいつまでもJWから卒業できへんのやな、と、
かっこいい友達二人の後ろ姿から、ちょっと認めたくないながらも、学ぶことができました。
私がJWとして生きよう、と、いっときにせよ心から思っていたのは事実で。
たとえその動機が間違っていても、根拠が間違っていても、ずっと嫌々やっていた訳ではない。
じゃあ、少なくとも問題の一部分の責任は、きっと私にもある。
そして、きっとその問題くらいちょろいって思えるくらい、私は幸せになれる。ならなきゃいけない。
そして気づけばmixiに書き込むことがいつしか無くなっていました。
いつしか10年がたち。
もう、JWの事を思い出しても、何の怒りも湧いてこないようになり、
残ったのは懐かしさと、時々出てくる賛美の歌の鼻歌くらい。笑
たもさんの漫画を読んでも、いしいさやさんの漫画を読んでも、怒りのスイッチは入らなかった。ただ、自分の境遇への感謝が湧いてきた。
あ、もう大丈夫だな、と思って、
そうしてJWの事をネットで話すのに自分の中で再びGoサインを出すことができました。
たぶん、友達ふたりは私と違って、おそらくもうJWだったことを語ることはない気がします。
ほんのちょっと、「世の人」になりきれない部分が残っている、それだけ幼い頃から深く関わった私だから、時々語りたくなるのかな。
でもいつか、子育てが終わって、ゆっくりふたりとお酒を飲む機会があったら、
「あの時はありがとう!」って、
何のてらいもない笑顔と一緒に言えたらいいな、って、そう思う。
その後は改めて、ちゃんと「世の友人」同士になりたいな笑
でも、あの頃オフ会で出会って仲良くしてくださった方たちとの出会いは、それはそれですごく貴重なものだったと思います。
特に元1世の方の意見は、とても参考になるし、
また、自分の親であれば見えなかった子供への思いと言うものを、客観的に見ることができました。
それによって、親もただの一人の人間だったんだな、と言う事に気づく一因になったと思います。
そして、心の深いところを打ち明け合うと言う行動は、(もちろん相手を選ぶべきではありますが)やはりセラピーになりました。
JW会衆内でのラブシャワーに慣れていた私には、無条件で歓迎してくれる、気持ちを共有できる場所が確かに必要でした。
そのつながりは、私が吹っ切れていくと同時になんとなく無くなっていきましたが、
そうした去るもの追わずなコミュニティであったこともある意味ありがたいことでした。
また、マイナス面もたくさん見たことにより、
JW=悪、脱JW=善 なんていう二元論は成り立たないんだな…と。
むしろ、JWやめてもっとたちの悪いものにハマるパターンもあるんだな…と。
悪い意味でも勉強になった面もあり…。
あの人達はどうしてるんだろうな、というのはちょっと今でも心配になる…。
これからも、なんとなく「元JW」と言うカテゴリを気にしながらではあるのでしょうが、
ゆるっと、何なら小学校の同窓会のような気分で、今後は生きていきたいなぁ、と思います。
もちろん、傷を癒やし途中の方々がいらっしゃる場合は、その癒やしの手助けもできるように。
安定したしなやかな心でありたいものです。