我が家は超ビンボーで、
確か父親の手取りが12万くらいしかなく、5人家族は極貧で過ごしていました。
でも、すごく田舎だったので、
奉仕に出るたびに何か貰って帰る事が多かったです。
幼児パワー炸裂ですね。笑
その時は奉仕が嫌だなんて思った事もなかったし、
お家の人に褒められて、お菓子や果物や野菜を貰って、(野菜の時はがっかりしてました)まさに「エホバは養ってくださる」を地で行ってたと思います笑
奉仕の休憩時間には母の手製のお弁当をぱくぱく。飲み物は手作りしそジュースか梅ジュース。
花を摘んだり歌を歌ったり、楽しい時間でした。今考えると絶対わたしにはそんな子育て無理やわー。
おかん、当時40歳くらい。よう頑張ったなぁと思います。
そうそう、団地の奉仕もあって、
5階からおりてくる人と1階からの人に分かれて行くんですけど、
私は思いやりの精神の示しどころだと思って笑、
絶対5階から行ってました。
ただし、おかんに抱っこしてもらって笑
ただ抱っこしてもらうのは申し訳ないと思ったのか、
「カバンもったげる!」って親切にも言ってましたが、
それ総重量一緒やで、とは思いつかない程度におバカさんでした。笑
おかんは苦笑いしながら私の親切ごっこに付き合ってくれてましたね。
今の私では確実に無理やな。3歳の子と荷物持って5階まで階段で上がるとか絶対無理。笑
奉仕の帰りにはつくしや野草を摘んで、夕飯の足しに。
おかげで今もはこべやクレソン、つくしやすかんぽが懐かしくなって時々摘みに出かけます。
研究やムチのある集会は嫌やったけど、
なぜか楽しかった事ばっかり覚えてるなぁ。
あと、地域大会。
実演も劇も相当気合入ってたし、当時の経験談は相当すごいやつが多かったですよね。
そしてなぜか地域大会だけは寝てても許されたので笑、
床にレジャーシート敷いて寝てました。
寝て起きたらお昼。
大会で食べるカレーはなぜかめっちゃ美味しかったです。
自発奉仕もかなりあって、自発奉仕多すぎてプログラム聞けなかったりね。おとんはずっと会場整理で、一緒に席に座っていた記憶がありません。
休み時間は友達探して、広い大会会場でかくれんぼとかしてたな。笑
最初が水口の大会ホールで、その後ワールド記念ホールになりました。
私の旦那の実家、なんと水口町なんですよ。
それが分かった時は、状況が状況だったのに(私排斥直後、親は結婚にもちろん反対中)やや家族で盛り上がってしまいましたね。笑