たのしい思い出②幼少期 | 置かれた場所で咲くんやで!元JW2世の前向き備忘録
幼児期、ビンボーだった我が家も、
会衆内であの頃はよくレクリエーションがあったおかげで色々と連れて行ってもらいました。

野外集会もあったし、
体育館を借りてのスポーツレクも月2回くらい。
もう少し年上のお兄さん達はグラウンド借りて野球やテニスもよくやってたと思います。

兄は野球少年だったのですが、部活に入れなかった分を多少そこで発散できたようでした。
でも当たり前ですが足りなくて、JWやめた後、息子達2人とものすごい勢いで少年野球にのめり込みまして笑、
甥っ子をついには甲子園に送り込みました。抑圧からの解放って(以下略

私は近所の姉妹が個人スポーツ教室を開いてくれて、
そこでバスケとバレーの基礎を教えてもらいました。
幼稚園に行かなかった代わりに習字やそろばん、体操教室、ヤマハに通い、
おかげで体育も音楽もそこそこできるように。

送り迎えも家でのフォローも大変だったんだろうなぁ、と今になっては思います。
幼稚園には放り込んどきゃ済むのに、
習い事っていちいち準備もスケジュール管理も大変なんですよ…。
子供3人の習い事繰り回すのマジで大変なので…(遠い目
幼稚園行かせない代わりに、すごく頑張ってくれたんだと思います。
家ではいつも童謡のテープが流れてて。脳の発達にいいとからしい。
あと、貧乏ゆえもあるけど、我が家テレビがありませんでした。
兄や姉は嫌だったと思うけど、幼児の発達には良かったんでしょうね。
おかげで本大好きに育ちました。

みんなでキャンプにもよく行きました。
日本海まで泊まりがけで行って、温泉行って、バーベキューして。
当時は子供も多くて、リーダーになれる若者も多くて、ほんとに楽しいことがいっぱいだったなぁと思います。

ただ、楽しかったのは私だけだったらしく、
姉は私が4歳になる頃には家出して家におらず、
兄は私が小学生になった頃から仕事が忙しくなり家に帰らなくなりました。
ムチ文化や75年の解釈や両親の不仲、義実家との確執など、ダークなところをてんこ盛りで食らった年代でした。
親はそんな上2人の子育てに色々後悔するものがあったようで、
全ての愛情と教育と期待を私に注いだようです。
なのにこんなんなって正直気の毒ですが、
私もそこは譲れません…。
とにかく、愛してもらった記憶しかない幼児期でした。

小学生になった頃から、
少しずつ「幸せだなぁ」と思うことが減っていきましたが、
それはきっと世の人たちの暮らしを知ったからだと思います。
何も知らなければ幸せなままだったのかも。
そういう、社会から隔絶して生きている宗教集団もありますよね。アーミッシュとか。
あえて希望して目を閉じ続けていることも、
健康であれば可能だったと思います。
目を開けたことをラッキーだったと思いますが、
幼児期に親を含め沢山の人から注いでもらった愛には感謝しています。