私がJWやめて、一番に始めたかったことは、
合唱
でした。
素敵な曲いっぱいあるのに、宗教要素があって歌えないものが沢山あって、
当時の高専の合唱部の先生に泣きついて宗教曲以外でお願いします・・・って無茶振りしたり。
合唱部に入るのはいいのかよ?っていうツッコミもありますけど笑、
中学校の時の部活みたいに拘束時間が長いわけではなかったので、親も比較的目をつぶってくれてました。
あと、部活にJWの先輩がいたので、言い訳しやすかったなー。
寮生にもJWの人がいたり。だいぶフリーダムなJWが周りに多かったです。なんなら学生会も「イベント手伝うだけ」と言いながらせっせと通ってました。
JWのしがらみから最大限開放されながらいいところどりしていた懐かしの学生時代です笑
話が逸れましたけども、そういうわけでやめて即始めたのが本格的な合唱。
かれこれ20年近く続けています。
で、都内に引っ越してきてから、子供もいたのですが奇跡的に出会えたのが、超有名な作曲家の某先生。
児童合唱団をちょうど始められるところで、そこに入れていただく事ができました。そして私も先生の合唱団のひとつに入団。
・・・したのはいいのですが、
なんだかこの先生、たしかにすごく熱心で、音楽的には素晴らしいものがあり、人間的にも魅力ある方なんですけど、
違和感がだんだんひどくなってきまして。
私、JWの書籍の言い回しで、直接的に言われなくても「こうすることを期待されている」ってのが丸わかりの文章、すごく苦手だったんです。
もう詳細は再現(笑)できませんけども、
明らかに聖書に記されているわけでもない詳細な行動に関して真綿で締められるように行動の方向を規制されて行く感じの。
巡回監督とか地域監督の話を聞いた後、「すごい、話上手だなー、さすがだなー、がんばらなあかんなー」と思いながらも心の息苦しさは聞く前よりも増えているあの感じの。
子どもたちの頑張りを、強制するわけではないと言いながら、「でも、ほんとにエホバを愛してたらこうするよねー」と言う言い方が、
現在のその大先生の言い方とそっくりでして・・・
うまくいえないけど、聞くと心がきゅーってなる。
聞くたびに当時の嫌な気持ちが蘇ってくるので、
私の気にし過ぎかなぁ・・・と思いながら、
ちょっと距離をとって、ほんとにやりたくない事にはあえて空気を読まずに「NO」という事にしています。笑
自由になりたくて始めた合唱でこんな思いをするなんて。。という気持ちはありますが、
結局大なり小なり、組織化されたところにはこうした無意識の強制みたいなものは結構あるんだろうなぁと思います。
まぁ、JWと違って、やめたところで完全に無視されるなんて事はないと思いますけども・・・
これからも歌いたいと思ってはいるけど、この団で歌い続けるかは悩みどころではあります。。