目が開けたきっかけ | 置かれた場所で咲くんやで!元JW2世の前向き備忘録

皆様のブログを追っているとほんとに壮絶で、自分はこんなにぬるかったのにJWを抜けるなんて相当我慢が足りなかったんじゃないか(笑)などと考えてしまうくらいなのですが、
一応私も悩んで悩んで、最終的には恋愛の力を借りてですが、目を開くことができました。
「信仰とは、望んでいる事柄に対する保証された期待です」
この聖句、バプテスマのときに長老と討議した記憶があります。
その言葉こそが私の目を開くきっかけでした。

私はプロフィールにもある通り、交友の面ではとても恵まれて育ちました。
小さいときから注解できるように読み書きをしっかり親が教え込んでくれたおかげで、学校でも成績もよく、証言することも苦にならなかったし、同級生にJW2世が多かったおかげでいじめられることもありませんでした。
むしろ、JWが理由でいじめられたことは皆無でしたが、成績の良さで少々天狗になって性格が悪かったので友達があんまりいなかったと言う黒歴史はあります・・・。
なのでちやほやしてくれるJW界は天国。
調べまくって注解してみんなに褒められて、お姉さん姉妹達にもいっぱいかわいがってもらって。
必要の大きなところに出た姉妹たちのところに遊びに行って、格安で色んな所へ旅行にも行きました。楽しかったなぁ。

だから、JWでいることを望んでいたのです。
望んでいたから信じていたのです。
ただ、それは教理の内容に対する希望じゃなくて、交友関係に対する希望でしかなかった。
健康を損ねて、交友がなくなって、初めてその事に気づきました。
私はこのまま、開拓もできなくて、集会にも行けなくて、アトピーのせいで見た目も体力も若さも失って、
そしたら開拓学校に行って素敵な旦那さんをゲットして、貧しくも楽しい必要の大きなところでの夫婦ラブラブの奉仕を楽しむんだと思っていた将来が一気に消えた時。
それって、全部、エホバに対する愛じゃなくて、
自分をちやほやしてくれる人たちへの愛でしかないんだな、と。
奉仕に行く時、「これ・・・一般の人に教理を納得してもらうのって無理よなぁ・・・どうやって無難なところから入ってもらってごまかすかなぁ・・・」などと考えていたのは、全て教理の矛盾だったと言うことが、全て見えていたのに無視していたんだと気づいたのです。
(詳細は他の方が散々考察されていると思うので、そこは省きます)
同時に、これからも組織の中にいたいなら、そうやって自分をごまかし続けることもやろうと思えばできると思いました。
どうしようか。
真剣に考えました。
そして、小康状態になった時、そう気づいている心のまま、奉仕に出てみました。注解してみました。
それは思った以上にものすごく苦痛でした。
でも、他の兄弟姉妹達の優しさだけに触れてきた自分は、それを裏切りたくなかった。
みんなの優しさが急になくなって、全くの無関係になってしまうのが怖すぎた。

なので、恋愛の力を借りました。
旦那には申し訳ないけど(笑)、
当時はJWから出るにはこれしかないと思って、そっちのほうが動機が大きかった。
結果、ものすごくいい人だったんですけどね。なんとなくの直感もあったので、それにすがってよかったと思います。
エホバの証人内で結婚する姉妹たちって、みんな美人ですよね~。
私は元々もそんなに良くなかった上にアトピーにもなってしまったので、
共働きが大前提な組織の中で自分のタイプの人に出会って結婚するなんて将来はたぶんないだろうと思いました。
あと、大会で経験や実演で呼ばれる姉妹たちも揃って美人揃いで、たぶん私はそこに呼ばれないだろうなぁとも思っていました(笑)
なので、組織内だろうと、組織外だろうと、この人を逃せばたぶん私は一生結婚できない。と思ったわけです。
当時20歳。いや、もうちょっと考えろよとJWでもJWでなくても止めると思います。
そうして、絶対後戻りできないようにしてからにしようと、ガンガン誘惑(笑)して婚前交渉で既成事実を作りまして。いやまじで旦那ごめん。
そして審理委員会を開いてほしいと長老へお願いしました。

当時の長老兄弟達は、MIT?なんだっけ、特別な学校を出た兄弟達で、
美人な姉妹が奥さんで、とっても仲が良くてうらやましいご夫婦でした。
私も将来結婚してあんな夫婦になるんだ!と、ずっと夢見てきた人たちでした。
その前で「やめます。」と言うのはとてもつらかったです。
「なれることなら兄弟たちのようになりたかった。でも自分では無理です。この教理を信じたいとこれ以上思えないです」
そして冒頭の聖句を引用しました。
「不道徳の内容によっては・・・」とか、「真理だって思ったからバプテスマを受けたんですよね?」などと、一生懸命説得してくれようとしていた長老たちは、その聖句を聞いてすべてを諦めた顔になりました。
そうしてめでたく排斥となりました。
以降親とバトルしたり色々ありますが、そこは省きます。

ちなみに兄も姉もJWを離れていますが、兄は「組織の人間が嫌いになっただけでエホバを嫌いになったわけじゃない」ので、
私がやめると言った時には全力で阻止しに家に帰ってきました。
「組織の人は好きだったけど教理がおかしい」と思って離れた私とは考えが真逆で、おかげで排斥者の兄から忌避されるというおかしな事態にいっときなっていました。笑

人は、信じたいものを信じるんだ。
そして人は信じたいものを信じるために、必ず道を、理屈を見つけられるようにできている。


ツイッターでの政治論争とか、他の宗教の方とか、見るにつけそう思います。
だから信じたいものを心から信じられているなら、それはその人の幸せだと思う。
そこに踏み込むのは私の望むことではありません。

かつて理想だと思った兄弟姉妹たちが、今もそれなりに幸せでありますように。
今も心からそう願っています。