朝日のあたる家 | 5番の日記~日々好日編~

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気の向いた時に気の向いた事を勝手に書いています。
よってテーマは剛柔バラバラです。



「The  House of the  Rising Sun(朝日のあたる家)」

ボブ・ディランがカバーして有名になりましたが、元は作者不詳のアメリカのトラディショナル・ソングです。


現在聴く事ができる最も古い録音はたぶん.....  戦前ブルースマンのレッドベリーのもの。

そして1940年代にはディランのヒーローだったウディ・ガスリーが、1950年代にはピート・シーガーがそれぞれカバーしました。


ディランの録音の前年にはジョーン・バエズがこの曲を録音していますが、それぞれ歌詞が違っています。



♪ ある家がある ニューオリンズに

♪ 朝日のあたる家と呼ばれたその家は

♪ 貧しい少女たちの奈落だった

♪ そう、私も 神様、私もその一人


♪ お母さんの言うことをよく聞いていたら

♪ 私はまだ家にいたはず

♪ だけど私は幼くて 愚かだった

♪ 流れ者が 私を地獄へ導いた


♪ 愛しい私の妹

♪ 私のようになってはだめ

♪ 絶対に近寄ってはだめ

♪ ニューオリンズのあの 朝日のあたる家には


♪ 片足は汽車に乗り 片足はプラットフォーム

♪ お前が決めるんだよと言われる

♪ 朝日のあたる家に帰ろう

♪ 残りの人生を過ごすために


♪ 朝日の当たる家に




何を歌ってるのかと言いますと、ニューオリンズの娼館。

「朝日のあたる家」というタイトルからは、希望に満ちたイメージが浮かんで来ますが、元々ここで歌われていたのは希望なんてない世界。

夜が明けて明るい朝日が部屋に差し込めば、それは辛く長い夜が明けたという事。

人々が動き出す時間に、娼婦たちは眠りにつかねばなりません。

夜になってまた新しい客を迎え入れる為に。



そんな人生を送った女性が、自分の半生を振り返って懺悔する歌です。



「The  House of the  Rising Sun」の最も有名なバージョンは英国のバンド、アニマルズによるカバーですが、

アニマルズのバージョンでは、なぜか歌詞が少女ではなく少年。娼館ではなく刑務所に差し替えられて歌われています。


当時のラジオのオンエアの都合上.... と言う事ですが、この時代は「女が身体を売る歌なんてけしからん!」の風潮だったようで、歌詞を変えたおかげで(?)ヒットチャートに入りました。




この人も。


内田裕也さんがステージで好んで取りあげたのが「The House of the Rising Sun」でした。


「日本語でロックなんて無理。日本人はカバーをやっていればいい」が持論で、最後までブレなかった人ですから、当然のように英語詞で歌っていましたが、♪many poor boy.... と裕也さんはいつも少年バージョンで歌っていました。





エレキのアルペジオが非常に印象的な曲ですが、娼婦の歌だとわかっていたら歌わなかったかも?



人生ロックンロール!の内田裕也さんですが、裕也さんにとってのロックはずーっと「Johnny B.Goode」から一歩も進んでいないので....



"ジャズ発祥の地" とされるニューオリンズ。

ジャズのルーツを辿ってゆくと、華やかな音楽の街とは別に、売春街ストーリーヴィルを抱える裏の顔にも出会います。



ストーリーヴィルは日本の赤線地帯、あるいは江戸時代の吉原のような人為的に作られた公認の売春街

でした。


それは歌に歌われるほどに有名。



ルイ・マル監督の映画『プリティ・ベビー』(1979年)


ブルック・シールズが主演したこの映画は、正にそのニューオリンズの娼館を描いた傑作です。


....傑作、なんですが、もしかしたらこの映画を今、観るのは不可能かもしれません。



主演のブルック・シールズはこの時12歳か13歳。

"処女"を競売にかけられる役を演じていますが、スッパリと脱いでますので完全に児童ポルノ....



でも、ジャズの街が舞台だけに、気だるいジャズが作品のアクセントになっていてエエ感じなんですよ。



さて、

我が国の公認売春街と言えば、江戸時代の吉原。


東京芸大主催の『大吉原展』が女性差別だとクレーム付けられていましたが、皆さん「吉原」にどんなイメージをお待ちでしょう?




2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう 〜 蔦重栄華乃夢噺』は、江戸時代のカルチャー王・蔦屋重三郎の話だそうですが、ドラマの軸は横浜流星演じる蔦屋重三郎と吉原の花魁。



花魁ってのはかなりの身分で、おいそれと面会も叶わない雲の上の存在と伝えられています。



が、

吉原とは、平たく言えば幕府公認の売春街。

砂漠の真ん中に突如現れる歓楽地帯・ラスベガスのように、周りは田畑、堀と塀に囲まれたネオン街です。


実体は、

吉原の周りの堀と塀はもちろん、逃亡を防ぐ為のもの。

どのように美化したところで、親に売られた若い娘が毎日毎日、身体を売る事を強要されている場所。




「花魁」なんていう特別な存在になれるのはほんの一握り。

時代劇で時々出て来る「....でありんす」のような変ちくりんな独特の喋り方はお国訛りを隠す為です。



親に売られた彼女たちには、もう帰る家はありません。

娼館で暮らすしかない。


親が死んだ頃には解放されて故郷へ帰るのかもしれませんが。



「吉原」なんてのは我が国の黒歴史のはずなのに、大河ドラマにキャスティングされた女優が「花魁に興味あります」など、華の部分だけしか見ない(知らない?)コメントをしてるのは無知にしても、かなり違和感あり。