桐島、偽名やめるってよ。 | 5番の日記~日々好日編~

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よってテーマは剛柔バラバラです。



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この手配写真。

交番などに何十年にも渡って貼られていた連続企業爆破事件の犯人とされる桐島聡という人物。


誰もが一度は見た事がある、指名手配界のスーパースター(?)の一人でした。




経緯は散々報道されてますので省きますが、入院先の神奈川県内の病院で死亡したそうです。

上の手配写真からさらに7年経過していて、70歳。




1970年代の連続企業爆破事件から約50年、一人で逃げ続けられるはずもありません。逃亡を助けた支援者が必ずいるはずですが、核マル的思想なんてのは今やカビの生えた都市伝説か日本むかしばなし...   世代交代する事もなく、公安関係者に言わせると「支援者も高齢化してるんです。老老介護ですよ」



....普通に考えりゃ、もう日本にはいないだろう、偽造パスポートなんてお手のものだろうし、なんですが、日本国内から出てはいないと見られていたようで、このあたりはさすが公安。



でも、居どころはわからなかったんですよね。

私も、こんな有名な手配犯でも、目の前にいたとしても絶対に気がつかない自信があります。

マンウォッチングって好きなんですが、「もしかして手配犯じゃないのか?」なんて視点で人を見ませんし、何よりも写真が古すぎる。


同じ指名手配界のスーパースターだった重信房子が身柄確保された時、「顔が違う。これはわからん」と思いましたし。




桐島と見られる男は数十年前から偽名を使って神奈川県藤沢市の土木工事会社に住み込みで働いていましたが、胃がんを患って容態悪化、そのまま同じ偽名で入院。

そして今月25日になって病院関係者に「自分は桐島聡だ」と名乗り始めたとか。




「最期は本名で迎えたい」

のが名乗った理由だと?



勤めていた会社がマトモなら社会保険関係の手続きもしていたと思うんですが、健康保険には加入していなくて自費で通院していました。

そもそもどういう経緯でこの会社で働く事になったのか?

事情を抱えた人が行きつきがちな・あらゆる事に不問の職場だった?




どちらにしても、本人が死んでしまえばもはや聞く事は不可能。

逃亡50年弱ですから、20歳そこそこの頃からずーっと逃げていた事になります。


その人生ってのは何だったんでしょうね?



左翼思想にかぶれた末のこの男、ソ連の崩壊、東西ドイツの統一をどう思って見ていた?

北朝鮮が日本人拉致を認めた時にどう思った?


重信房子は自分の過去を「本気で革命ができると信じていたが、間違っていたと思う」と語りましたが、桐島は?




「東アジア反日武装戦線」というセンスないネーミングの集団も今は存在しません。

若い世代にとっては2.26事件などと同じ歴史の中の出来事。


交番に貼られている手配写真も間もなく剥がされて世間から消え、我々のうっすらした記憶からも消えます。

皆、忙しいですからね。他人の顔など覚えているヒマはない。




最期は本名で....


名前は単なる記号じゃない。自分の生きた証だけは残したい?


身勝手な理由ですが、希望通りそれは残るでしょう。

公安には記録として。



それだけ。