七回忌。 | 5番の日記~日々好日編~

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気の向いた時に気の向いた事を勝手に書いています。
よってテーマは剛柔バラバラです。

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父親の七回忌でした。

特別な事は何もしません。
菩提寺から月命日にお経をあげに来てもらってるんですが、年月が流れて七回忌になる日が巡って来ただけ。

一周忌はちょっとさすがにそれなりの事はしましたが、三回忌は「家族だけで」と親戚にはお断りして呼びませんでした。
土地柄(奈良)、親戚は皆さん天理教ですし(仏教=浄土真宗はウチだけ。天理教は神道系です)、正直言うと親戚を呼んで飲み食いさせてお返しも.....が面倒なので。

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ブログを書いてらっしゃる方の中にも、家族が亡くなった事を綴ってらっしゃる方が少なからずいらっしゃいます。

皆さん、そういうお年なんですね、と同時に、
とりあえずそういう記事へのコメントは遠慮させていただいております。
人が死んで「いいね!」ってのも何だかなぁという気もしますので完全スルーで。
(読者登録している限りはちゃんと読んでますからね)


これまで何度も書いている事ですが、人間の感情というのは、喜びならそれが何であってもどこか共通点があります。
しかし、悲しみだけは百人百様。

例えば親が死んだ時、兄弟姉妹でも元々の親との距離感は同じではありませんから、個々の思いは違うはず。
老親の介護が長かったりすると、愛情は必ず愛憎に変わります。

他人はキレイ事しか言えませんからそもそもそういうモノに外部から介入できません。
また、すべきでもないと思っています。

私と父親の距離感も、私以外の誰にもわからんでしょう。
(急死でしたので介護も何もしておりません。元気な顔の記憶が最後)

悲しみは少しずつ形を変え、いつか終わります。
その「いつか」も個人差があり..... 形は変わりましたが、私にはまだ終わりは訪れていません。

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私の実家の地方だけなのかもしれませんが、家族の誰かが亡くなると、出棺の際に故人が使っていた茶碗を割るんだそうです。
これは、亡くなった人のこの世への未練を絶つ為とか言われています。
(武士が出陣する際にも茶碗を割ったそうです)

が、私はそんな風習は無視して父親の茶碗を割りませんでした。
オカルト話は一切信じないのもあるんですが、
そういう「けじめ」はつけたくないと思ったので。


母親の夢は、実母、継母共に一度も見ないんですが、なぜか父親の夢はしょっちゅう見ます。

昔の人は良い事を言いました。
「墓に布団はかけてやれない」
「孝行のしたい時に親はなし」