2025年5月13日~15日にかけての2泊三日のプランで、前々から“ぜひ行ってみたい”と思っていました日本百名山の一つでもあります鳥海山に行ってきました
前回はこちら👇
さて、「鳥海ブルーライン」を使って標高2236mの鳥海山…もとい、chu一行が実際に居た場所は標高1150mに位置している鳥海山5合目にある鉾立展望台付近でしたが、それでも30分もかからずして海抜ゼロメートルのにかほ市の旧象潟町にある、東北でも屈指の規模を誇る「道の駅象潟ねむの丘」に到着
さすが、“東北最大級”を謳っているだけあり、ビックリするほどの大きさです![]()
取り敢えず、新鮮な野菜を探しに行ったのですが、そこで出逢ったのが「超神ネイガー」のコーナー
この「超神ネイガー」とは秋田が生んだ御当地ヒーロー
で、名前の由来は“神をも超えるネイガー”で、そのネイガーとは、秋田県の男鹿半島付近が発祥のなまはげが発する言葉、“泣く子(ご)は居ねがぁ”から来ているそうです![]()
で、この道の駅は、物販コーナーやらお食事処やら、新鮮野菜の直販所やらと、普通の「道の駅」に加え、温泉が併設されているため、平日であっても来訪者、特に地元のお年寄りと思しき女性陣の方が多い
昨今、恐らく人口は漸減傾向にある御当地と思われますが、人が集まれる“集客スポット”があれば、たとえ過疎化は進んだとしても地方の生き残りは可能だということを実証しているような気もします。ガンバレ地方
とエールを送らせて頂きたくなる施設でありました
そして今回chu一行がここに立ち寄りましたのは、お買い物以上の目的がありまして、建物6階部分にある無料展望台がそれ
そこからの眺望がこちらになります👇
しかしこの景色を御覧頂いても
と思われるのは無理ありません
なぜならワタクシも想像していたものとはちと異なっていたからです
んで、ここから見えているのは実は鳥海山が山体崩壊を起し、それにより崩れ出した土が固まって日本海側へと流れ出し、しかしこの場所の地名である「象潟(きさかた)」からもわかる通り、この地は昔は日本海に接した干潟の地。その干潟に、鳥海山から流れ出た土砂が“島”を造り、あたかも宮城県の松島に見られるような島群を形成したのでした
そうです、今では“陸の松島”と呼ばれている「九十九島」なのです
「九十九島」についての説明はこちら👉約2500年前(紀元前466年)に鳥海山の山頂付近が山体崩壊を起こし大きく崩れました。そのときの大量の土砂が岩なだれとなって数分で日本海まで流れ込みました。その土砂は日本海を埋め立て多くの「流れ山」ができます。やがて砂州が伸び、東西約1km南北約2kmの浅い潟湖ができ、「九十九島」と呼ばれる日本三景の松島のような風景になりました。 ところが1804年7月10日にマグニチュード7と推定される大地震が起こり、秋田県内で倒壊家屋5000以上、死者500人以上という大きな被害が出ました。そのとき象潟は一夜にして地面が約2m盛り上がってしまいます。そのため潟湖の水が流れ出し、現在のような風景ができあがりました。 ここはものすごい大地のエネルギーを感じ取ることができ、後世まで大事に保存していきたい場所です。
干潟(象潟)に“流山”が出来たのが今から2500年前の紀元前の話
しかしここが陸地になったのは1804年ですから江戸時代の話。最も1804年でも現在から220年も昔のことですが
つまり、流山が出来た時から、現在の陸地になるまでの間、2280年間は干潟の中に島が浮かんでいたのですね
ちなみにこの“流山”は、chuが住む千葉県松戸市に隣接する千葉県流山市でもその伝説があり、群馬県の赤城山が噴火による山体崩壊を起し、流出した土砂が利根川を伝って流れ着いた場所とされており、そこから付いた名前が「流山」
そして流山市には実際に赤城山(赤城神社)もありますから、最初にこの話を聞いた時は、“ふん、昔からの伝説だろう”程度に聞き流していたのですが、実際に象潟に来て、こうした現実を目の当たりにすると、流山市のその話も、本当だったのか
と、再認識した次第です
そしてこちらが現在の姿👇赤で〇囲みした部分が昔は干潟に浮かんでいた“島”だったのですが、「九十九島」が一番、確認しやすい場所とされている「道の駅象潟ねむの丘」展望台からでもわかり難かったりして![]()
で、にかほ市の観光協会などのサイトに掲載されていました「九十九島」の写真、恐らくドローン等で撮影したものと思われますが、これならば少しは“昔は島だった”イメージが出来るかと
(こちらの2枚の写真は前記サイトからお借りしました)
こちらは展望台にありました「九十九島」の全容👇ただこの写真は空撮されたもの。この高さまで来なければ、99の島(影)は確認出来ませんね![]()
現在、陸地になっている部分に水を張ったイメージ図です![]()
ちゃんと、“島”の位置図もありました![]()
と言うことで、「九十九島」の観賞を終え、今度は「道の駅象潟ねむの丘」の展望台、は360度の景観が眺められるので、西に広がる日本海を眺めてみましょう
ですが…ね、言ったとおりでしょ、これでは水平線に沈む夕日は眺められません
ですので今宵の“夕陽ウオッチ”はやはり断念の巻![]()
こちらは芭蕉の句碑
「奥の細道」紀行の道中、芭蕉はこの象潟にも立ち寄られていました
「奥の細道」は、現在の東京都足立区千住から日光街道沿いに北上し、岩手県の平泉、そして一度山形県の新庄付近まで南下した後、日本海沿岸を再び北上し、現在の秋田県にかほ市象潟に滞在。滞在期間は1689年(元禄2年)6月16日から18日までの二泊三日ですから、今回のchuの鳥海山を巡る旅と偶然にも同日程
なお、「奥の細道」紀行ではこの象潟が江戸からは遠く離れた道中最北の地でもあります。なお芭蕉は、この象潟では3つの句を詠まれているそうです![]()


【御参考】こちらは東京都足立区の北千住。芭蕉が「奥の細道」紀行に旅立つスタート地点であり、3月27日に千住を出発した芭蕉一行は、3か月弱の行程にて6月16日に象潟に到着しています
※写真はchuが参加した「駅からハイキング」の際に撮影したものです
さて、次は再び鳥海山の麓にある「仁賀保高原」を目指します。鳥海山五合目から海岸べりへ、そしてまた高原へとアップダウンの激しいコースを巡っていますが
移動ですので全然疲れません
そして今、通行中の箇所は「九十九島」の中をぬって高度を上げている所。これらのこんもりとしたものが「九十九島」の一つ一つです。ですが、ただ走っているだけぢゃ、分かりませんね![]()
そして到着したのが「仁賀保高原」
仁賀保高原は鳥海山の北麓に広がる標高約500mの丘陵地帯。また鳥海山を背後に無数の…無数ぢゃありませんが
風力発電の風車が立ち並ぶ独特な景観が特徴の人気スポット。また近くの「土田牧場」でははジャージー牛の放牧が見られるなど、牧歌的な光景が広がる場所でもあります![]()
ここから眺める鳥海山も秀逸です![]()
ところが…実はここでchuは致命的なミスをしました
👆の撮影場所は👇の赤色で〇囲みをした“現在地”と書かれている地点。しかし「仁賀保高原展望台」は青色で〇囲みした部分だったのですΣ(゚д゚lll)ガーンしかし、高原でとても気持ちが良かったので徒歩で向かおうとしたところ、草地に足を踏み入れたところ、足元でがガサガサと音がして、“ん、何かな
”と覗いてみたところ蛇が居た
実はchuがこの世の中で一番苦手な生物が蛇![]()
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👈コンナニカワイクナイ
この瞬間、心臓は破裂せんばかりに鼓動を強め超高速で脈をうち、血圧が急上昇している自分がわかり、“この場所は危険だ![]()
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”と早急に現場離脱するよう、脳が指令を下しました![]()
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今にして思えば
で向かえば良かったのに
と思っているのですが、それは後の祭りなのでした![]()
展望台まで行けばこんな景色が見えるはずでした
次回の楽しみにとっておきます
首を横に傾けて御覧頂くと仁賀保高原と鳥海山の大パノラマが広がります
(写真は秋田県公式観光サイト「アキタファン」からお借りしました)
続いて訪れたのは「土田牧場」![]()
牧場内の売店はアメリカの中西部をモチーフした造りに
また店内にはジャージー牛を使った食材やお土産が
しかしほれ、chuは牛肉は食しませんから、こうしたものに関心はnothing
ただ“高原牛の濃厚ソフトクリーム”は少し気になった
けど“濃厚”というところか気になって注文をためらっていたところ、なんら気にせず注文して食べていた家内に聞いてみた、ワタクシに食べられるか
と。すると、“無理ね”とひと言
そうなんですよ、chuは「牛」関係は全般に苦手![]()
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低脂肪乳ならば飲めるんですがね
こちら👇は「土田牧場」から眺めた鳥海山
何れもいい「絵」になります![]()
そして次に訪れたのが山を降りて来て羽越本線の折渡(おりわたり)駅
そうです、ここは秘境駅の一つ![]()
もちろん無人駅 そして秘境駅にはお決まりの“駅ノート”
chuも記入させて頂きましたよ![]()
秋田県の県都・秋田駅からは8駅、運賃は590円ですので秋田駅までのアクセスは比較的容易そう…と思うことなかれ、次の時刻表を御覧下さい
なんと、下りの秋田駅方面には1日4本、上りの羽後本荘方面には1日3本しか停車しません
そうなんです、この駅は1~2時間に1本は走る羽越本線の普通電車も通過することが多い、電車での到達度がとても困難な駅だったのです![]()
リンクさせて頂きましたWikipediaの説明にもある通り、ここは昔は信号場(信号所)。1987年に国鉄が民営化されJR東日本になったことで、駅に“昇格”したのです
こちらは構内踏切。遮断機はありませんが列車が近づくと警報音がなりますので一応、安全は確保されています![]()
ホームの構造は2面2線、相対式ホームのごくありふれたものです。“駅”になったのが1987年ですから今年で38年目の新しい駅。そしてホームは意外と長い
昔は長い編成の電車が走っていたのかな
また駅の付近には民家はありませんからいったい、何方が利用されるのかはわかりません
左側が下り線で秋田駅方面、右側が上り線で羽後本荘駅方面です![]()
すると遠くの方で踏切の警笛音がなり始め、やがて構内踏切の警笛音も鳴り出した
慌てて線路外に退避して通過する「JR貨物」の貨物列車を![]()
今度はゆっくりとホームに上がり…あ、入場券は買っていません
だって、売ってないんだもんね![]()
ホームと柵と階段だけの簡素な造りなのですが、手入れは行き届いていますね
38年前に造られた状態のままであれば、こんなに綺麗な状態ではありませんからね![]()
こちらが折渡駅の“駅前ロータリー”あ
視界の先には民家がありました
そしてここまでは
で進入することが出来ますから、折渡駅は“列車到達度”だけは困難ですが、自動車での到達度は楽勝ですし、駅周辺にも人家もありますから、“秘境駅探求家”の牛山隆信さんが調査されています秘境度駅ランキングではそう高くはなさそうです
…と思ったのですが![]()
【御参考】しかし意外にも折渡駅は👇の「秘境度駅ランキング」(牛山隆信さん監修)では44位にランキングされていました![]()
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そして今回、chuが折渡駅に行きたかった本当の理由がこちら👇
以前、電車でここを通過した時に通った「折渡トンネル」は、実は日本の土木学会史上、特筆すべき価値があるトンネルなのです![]()
chuが初めてここを列車で通過した際の所感は、このように拙blogに綴っておりました👇
そしてこちらが「折渡トンネル」。実はこのトンネルは日本の土木学会史上に輝く功績を残すことになる、きっかけを作ったトンネルだったのです
このトンネルが掘削されたのは大正初期(※追記します。完成は大正13年でしたので末期でした。訂正してお詫び致します)だったようですが、当時のトンネル工事の工法は掘削しつつ支保器と呼ばれるつっかえ棒でトンネル上部を支えながら強度を与え(現在ではコンクリート補強ですがその大昔は煉瓦など)前進、というものだったのですが、この折渡トンネルは掘削し始めしばらく進むと土質が軟弱に変わり支保工が崩れてしまい工事の中断を余儀なくされました…そこで登場したのがドイツ製のシールドマシーン
そして現在のトンネル工事の主流となっていますシールド工法は、この折渡トンネルの工事が日本で初めてのものだったのでした(chuも知りませんでしたよ、もちろん
blogを書くにあたって知りました
)。そのあたりのことが夕刊フジのWeb版に掲載されていますので謹んでこちらにリンクさせて頂きますm(__)m>https://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20101217/dms1012171932019-n1.htm
次にここを訪れる機会がございましたら、今度は現地を直接確認してみたくなりました(^^)/
そうです、この時“次に訪れる機会がございましたら、今度は現地を直接確認してみたくなりました(^^)v”と記していまして、その“次の機会”が今回だったのです
大昔のことですが、chuは某大手ゼネコンでNATM工法の黎明期にトンネル掘削の設計施工の現場に携わったていたことがあり、chuの“トンネルFreak”はこの時から始まっていたのでした![]()
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👆の写真2枚は「新折渡トンネル」で1705m。1971年、羽越本線の複線化に伴い新たに造られたもので現在は上り線に使用されています。そしてこちら👇が土木学会が歴史的価値を認める、1924年完成の「折渡トンネル」で1438m。現在は下り線に利用されている、日本初のシールド工法により掘削されたもの。そしてこの土木技術が日本における後世のトンネル掘削技術の進化に及ぼした影響は極めて大きく、「日本土木遺産」に認定されていないのが不思議なくらいなのです![]()
そして、この現地調査をするにあたり、ここは
は進入出来ない、閉鎖されている踏切から撮影したもの。またその踏切は閉鎖されていますから警報音はなりません。ここを通過する列車はそれほど多くはないのですが、先ほどのように時刻表には記載されていない貨物列車が通過する可能性はありますから、列車が近づいていないかをよぉく確かめての撮影となりました。危険と隣り合わせではない、歴史的遺構の現地調査などありえませんからね
そして目的を果たし、無事帰還いたしました![]()














































































































































































































































