わが千葉県の北総エリアに位置し、“江戸情緒”を今なお、残す北総四都市を巡る「北総四都市江戸紀行」、今回は佐倉の町並みを散策しますニコニコちなみに“北総四都市”とは、今回の佐倉市を一番、江戸寄り(東京寄り)として、時計回りに成田市、佐原市(現香取市)、銚子市と成田線沿線に展開する都市を指しています(^^)/ これらの町は江戸を支え江戸と共に発展しつつ、江戸の影響を受けながらも独自に発展し続け、そして今もこれらの都市には江戸の情緒がそこかしこに残されていることから、平成28年(2016)佐倉・成田・佐原・銚子の四都市が、「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」-佐倉・成田・佐原・銚子:百万都市江戸を支えた江戸近郊の四つの代表的な町並み群- として日本遺産に認定されたことに端を発しています。

ちなみに拙blogでは、幾度となく個別にこれらの町を訪ね歩き紹介させて頂いてはおりますが、何れも「北総四都市江戸紀行」巡り…つまり「町の歴史探訪」を目的として歩いてきていたわけではなく、やや統一性に欠けている面も否めませんあせるあせるまた、銚子に至ってはblogにアップすらしていなかったりします滝汗ショボーン(今度、書き起こしてみましょうあせるあせるウインク)
直近のものでは成田はこちら👇(chuは成田市三里塚御料牧場1-1を代表住所とする「新東京国際空港」に若い頃、勤務していました(^^)v)

一昨年、訪れた佐原はこちら👇

そして、今までにも佐倉市を訪ねたものも(「さくらふるさと広場」でのお花の鑑賞がメイン(^^)v)多数ありますが、今回は江戸情緒を求めて訪ね歩きましたものをまとめてみました。訪れたのは「緊急事態宣言」が解除された直後の3月下旬。ちょっと筆が遅くてご紹介させて頂くのに時間がかかりましたがニヤニヤ なに、江戸情緒はそう簡単にはなくなりませんのでご安心くださいウインク

 

 さて、こちらがその武家屋敷。昔の佐倉藩士の住宅が、そっくりそのまま、往時の姿を残しています。場所は佐倉市内の宮小路町。今は城跡しか残っていませんが、佐倉城から南東に5~800mの地にあり、城下町佐倉の面影をいまに残す土塁と生垣の通りに面して、「旧河原家住宅」(千葉県指定文化財)、「旧但馬家住宅」(佐倉市指定文化財)、「旧武居家住宅」の3棟の武家屋敷が現在公開中。 公開されている3棟の武家屋敷からは、当時の武士の生活を偲ぶことができます。なお江戸時代にはこの周辺にはたくさんの武家屋敷が立ち並んでいたとのことですので、今風に言えば何棟も建つ公務員住宅をイメージして頂ければ宜しいのかと爆  笑なお廃藩置県以降は、城跡に陸軍の兵営が設置され、武家屋敷はそのまま軍人屋敷として転用されていたそうです。

その前に、佐倉藩とは!?、を見て参りましょう👇幕末には幕府老中・堀田正睦が藩主を務めている徳川幕府発足時からの有力な親藩で、後に藩主は譜代大名が就き、その後、幕府の要職に登用されることが多い有力藩。これは領地の佐倉が江戸からも近く、南関東における要衝と見做されていたことの証左でもありますウインク

武家屋敷の入場案内等はこちらから👇

こちらが現在公開されている3棟の武家屋敷の概観です👇

土塁や生け垣が残る武家屋敷通りニコニコ

ここは河原家、但馬家の真ん中を通る坂道で、「くらやみ坂」という文字通り、鬱蒼とした雰囲気が漂う坂道。もし佐倉藩にも水戸藩をはじめ、幕末期における他の諸藩のような、藩内を二分する攘夷の風が吹き荒れていたのであれば佐幕である藩の幹部は真っ先に襲撃されるポイントとなっていたことでしょう(-.-)(実はあの長州藩でも当初は佐幕派が藩の上層部。維新の偉人とされている吉田松陰は英雄視されていますが多くのテロリストを生み出したアジテーターでもありました。極めて短い時間の中で日本を取り巻く状況が大きく変わったのは事実ですが、安政の大獄で刑死された事もあるのでしょう、維新を成しえた土壌を造った偉人とされているのですが、私はそうは思いません。これこそまさに“歴史は勝者が造る”の典型例だと思うのです)

御覧のように結構、急な坂道。そして左右には竹林が高く聳えており、日中でも陽の光が入りずらいため鬱蒼とした雰囲気なのです(-.-)

それでは、お屋敷を訪ねて参りましょうニコニコまずこちらが河原家。往時のままの姿を残しています。こちらで、武家屋敷3軒分の見学料を支払います。

お屋敷の内部にも立ち入ることが出来ます。

屋敷勝手口付近から木戸門を覗く。表の通りは武家屋敷通りです。

お屋敷の東側が細長い縁側になっています。日当たりもよくまったりと出来ますね照れ梅が咲いていますので、季節は3月ということがお分かりいただけるかと(^^)/

お屋敷の、外と中とを往ったり来たり爆  笑

こちらは但馬家の中。

佐倉藩士 倉次亨さんの写真。江戸末期には佐倉藩の年寄役として、また維新後には士族授産のために奔走、その方策として佐倉に新たな産業を興す等、明治期以後の佐倉の発展の礎を築いた功労者として知られていますニコニコ

http://sakura-hiking.club/m_senkakusya/kuranami_tooru.htm

こちらは旧城下の地図 当時の町名などが記されています。

こちらは武居家の西隣のお屋敷ですが、見学には入場料はかかりません。最もお屋敷の中には上がることは出来ないのですが、広いお庭は見学可です。庭には一本の大きな木が残っており、剣術の訓練に使われていたものだそうです。

再び武家屋敷通り。西側から東端の河原家方面を眺めます。う~ん、電柱が立っているのが残念(>_<) ここは是非、地中線にされてはいかがでしょうか!?

そして武家屋敷通りの西端には有名な「ひよどり坂」があります。“サムライの古径”なる、洒落たネーミングで紹介されていますが、この界隈の武家屋敷に住んでいた佐倉藩士は、この「ひよどり坂」を通って佐倉城に登城していたのです。ま、今風に言えば通勤ルートですねウインク

往時の姿とはほとんど変わっていないそうです。もう、雰囲気は抜群チュー

この坂は、傾斜はさほどきつくはないのですがそこそこ長いので今ではこのように途中に休憩スペースが設けられています。勿論これは江戸時代にはなかったでしょうから、“往時の姿とはほとんど変わってい”のうちの数少ない変わった個所と思われます爆  笑

陽が差し込む幻想的な「絵」照れ

以上、武家屋敷と、武家屋敷通り、くらやみ坂、ひよどり坂などを御案内して参りました。決して広いエリアではないのですが、旧佐倉藩、佐倉藩士の生活の一部を窺い知ることが出来たのではないでしょうかニコニコ なお、ここには無料の駐車場とウインク

中でお弁当を食べることが出来るくらい爆笑、綺麗なトイレがあります男性トイレ女性トイレ なお、武家屋敷は月曜日はお休みです。chuは仕事の関係から月曜日のお出かけが比較的多いのですが、この武家屋敷、何度もここまで来て見学できなかったことが多く、今回、久しぶりにお屋敷の中に入らせて頂くことが出来ました(^^)v(なお月曜日でも駐車場とトイレは開放されていますので、ひよどり坂など、周辺の観光は可能ですウインク)

こちらが、この界隈の地図。JR総武本線・成田線の佐倉駅からも、京成線の京成佐倉駅、いずれの駅からもそこそこの距離があります。また、武家屋敷の場所を案内する道標も十分とは言えませんのでお越しの際は地図を片手に御留意ください。なお佐倉市では、観光用のレンタサイクルが用意されていますので街中散策には利用する価値、大ですねウインク (※チューリップやひまわり、コスモスで有名な「さくらふるさと広場」へは京成佐倉駅が便利、かつフラットなコースのため普通の自転車でも快適ですが、武家屋敷や佐倉城址、旧堀田邸、佐倉順天堂記念館などを回る場合には、坂道が続きますので電動アシスト自転車の方が楽ちんです(^^)/)

現在地👇と書かれている場所が武家屋敷が建ち並ぶエリア。そして左上に佐倉城。この間、おおよそ5~800mですので10分以内に登城が出来た訳です。ま、“職住接近”の典型例ですね爆  笑

こちらは「麻賀多神社」。佐倉藩の総鎮守(^^)/ なお、ここからほど近い佐倉市寄りの成田市内にも麻賀多神社18社の惣社といわれています麻賀多神社があります。あれ、びっくりこれって太川陽介さんが出ている“国盗り”レースのバス旅でどっちかのチームが間違えていなかったかなキョロキョロ

麻賀多神社の駐車場横には、このような江戸の香りを感じさせてくれる建物もありました。右下の赤い郵便ポストもレトロ感たっぷりですね照れ

そしてやって来ました、こちらはJRの佐倉駅。総武本線と、成田線がここから分岐していきます。総武本線はピーナッツの町、八街(やちまた)や成東、八日市場を経由して銚子へ、一方の成田線は成田、佐原を経由してやはり銚子へ。ま、どちらを選択しても終点は銚子駅なのですが、東京駅から銚子駅に向かう特急(「しおさい」号)は、佐倉を停車した後は成東、八日市場等を停車して銚子に向かいますから、メインのルートは総武本線のようです(成田線を行く特急は成田、佐原などを経由して鹿島神宮駅に向かう「あやめ」号でしたが現在では定期運行はされていません)。なお、こちらでもレンタサイクルの受付場所があります(^^)/

そして、佐倉と言えばなんと言いましても「巨人軍終身名誉監督」である長嶋茂雄さん合格クラッカー の故郷!千葉県が生んだ超々一級の方です照れチュー 御存じの方もいらっしゃるかもですが、生粋の千葉県民にありながらchuは根っからの「埼玉西武ライオンズ」ファンウインク野球観戦、中継もパ・リーグしか興味はなくて、“球界の盟主”(昔ならともかくニヤリ今でもホントにそうなのえーいゃいゃ、違うでしょニヤリ)の「東京読売巨人軍」にもまるで関心はないのですが、それでも長嶋茂雄さんの現役時代の活躍をかろうじて覚えていますので、やはり千葉県、千葉県民にとりまして長嶋茂雄さんは英雄、郷土の誇り、とても素晴らしい方なのですニコニコナガシマカズシゲサンモサイコウダ爆  笑