「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(九・「三国志演義」は羅貫中の創作か)-全十回
9.「三国志演義」の虚構は羅貫中が創作したのか以下に示す三国志の簡単な紹介文(『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(一・三国志を簡単に紹介)』に記載)を、引き続き検証します。--------------------三国志は2~3世紀頃の中国における、魏、呉、蜀の3つの国の争いが描かれています。書物としては、陳寿が書いた歴史書である「三国志」と、羅貫中が書いた物語としての「三国志演義」があります。歴史書「三国志」は歴史上の事実を伝えており、中でも卑弥呼が登場する「魏志倭人伝」は、2~3世紀頃の日本の様子が書かれた貴重な史料になります。「三国志演義」は歴史書「三国志」を時系列に組みかえたところに、羅貫中による多くの創作が加わり、劉備、関羽、張飛、諸葛亮、曹操といった人物が活躍する、優れた文学作品になっています。--------------------『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(五・三国志演義の著者)』で見たように、「三国志演義」の著者は羅貫中と言えるのか疑問は残るものの、ここでは一般に言われるように羅貫中が著者であるものとします。三国志演義がどのように著されたかというと、羅貫中が正史三国志を時系列に再構成し、様々な創作で脚色したものというイメージを持つかもしれません。しかし、歴史書であれば後漢書や晋書に記される内容が含まれ、先行する資治通鑑や三国志平話で時系列を把握することができます。また、歴史書に記載がなければ全て羅貫中が創作したかというと、先行する様々な三国志に関する創作を取り込んだとされています。創作の例として三国志平話を確認します。三国志平話は史書にない講談や民間伝承の内容が残っていると言われます。現存する三国志平話は元の至治年間(1321~1323年)に刊行されたことに対して、三国志演義は元の末から明の初期に成立したと言われており、明が建国された1368年前後の著作になります。三国志演義より先に成立している三国志平話には、既に桃園結義、関羽千里行、借東風(赤壁の戦いで諸葛亮が東南の風を呼ぶ)といったエピソードが見られます。内容に異同はありますが、三国志演義の虚構の中には、既にあったエピソードに肉付けしたものがあるとわかります。また、同じ三国志平話には貂蝉や周倉、中には孔秀(※1)といった名前が見られます。三国志演義における架空の人物が登場しており、羅貫中が創作した人物と言い切れないことになります。次に角度を変えて曹操による呂伯奢一家殺害を確認します。三国志演義では、曹操が董卓暗殺に失敗して逃亡する際、呂伯奢一家を殺害しています。この事件自体は正史三国志に記されており(※2)、呂伯奢本人が殺害された形跡はないものの、裴松之の注として3つの説が書かれています。各説はそれぞれ魏、西晋、東晋の時代の書物で、同じ事実を立場により都合良く書いた可能性もありますが、仮にそうでも魏から東晋の時点で一種の創作が始まったと言えます。もちろん、三国志演義のみ存在する虚構もありますが(※3)、いずれにせよ三国志演義における虚構は、羅貫中のみが創作したものではありません。三国志演義の虚構とは、三国時代から既に始まっていた創作を、羅貫中がひとつの物語としてまとめあげた集大成と言えるでしょう。『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(十・三国志の紹介文を推敲)』に続く(関連ブログ)『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(一・三国志を簡単に紹介)』『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(二・魏、呉、蜀とは)』『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(三・魏、呉、蜀の争い)』『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(四・正史三国志の著者)』『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(五・三国志演義の著者)』『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(六・「正史三国志」は存在するか)』『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(七・「三国志演義」は存在するか)』『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(八・「正史三国志」は事実か)』前回『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(九・「三国志演義」は羅貫中の創作か)』本ブログ『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(十・三国志の紹介文を推敲)』次回(続き)『三国志に関する表記』(※1)孔秀は、三国志平話では赤壁の戦いの前に曹操が孫権に送った書面の中に登場し、洛陽にいて曹操がとらえたことになっています。三国志演義では、関羽千里行において東嶺関で斬られた人物として登場しています。東嶺関は関羽千里行の順番からすると洛陽手前ですので、偶然の一致かもしれませんが、何らかの関連がある可能性もあります。(※2)「正史三国志」魏書武帝紀より(※3)失われた書物の存在まで考慮に入れると収拾がつかず、三国志演義のみと言い切るのは難しいとは思います。ただ、確たる証拠はありませんが、三国志演義に散りばめられた伏線、実際にはほとんどなかった一騎討ち、主要人物の作られた死亡場面などは、三国志演義のみの虚構と考えても支障はないと考えています。