3.魏、呉、蜀の争い

 

以下に示す三国志の簡単な紹介文(『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(一・三国志を簡単に紹介)』に記載)を、引き続き検証します。

 

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三国志は2~3世紀頃の中国における、魏、呉、蜀の3つの国の争いが描かれています。書物としては、陳寿が書いた歴史書である「三国志」と、羅貫中が書いた物語としての「三国志演義」があります。

歴史書「三国志」は歴史上の事実を伝えており、中でも卑弥呼が登場する「魏志倭人伝」は、2~3世紀頃の日本の様子が書かれた貴重な史料になります。

「三国志演義」は歴史書「三国志」を時系列に組みかえたところに、羅貫中による多くの創作が加わり、劉備、関羽、張飛、諸葛亮、曹操といった人物が活躍する、優れた文学作品になっています。

 

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三国志は「正史三国志」と「三国志演義」のいずれにおいても、多くの戦いが描かれています。

 

しかし、魏、呉、蜀が国として成立した後、どれほど争っていたのでしょうか。

 

魏と蜀は、蜀の諸葛亮と姜維が何度も北伐を行い、魏の鄧艾[トウ艾]と鍾会が蜀に侵攻して滅亡させるまで、約40年間争い続ける関係でした。

 

魏と呉は、呉が成立して数年の間に洞口や石亭で戦い、魏に対して叛乱を起こした毌丘倹、文欽、諸葛誕を呉は支援するなど、こちらも度々争っています。

 

一方、呉と蜀ですが、三国志演義では周瑜が劉備と諸葛亮を除こうと執拗に策をめぐらします。また、荊州の領有を争って関羽が斬首され、夷陵の戦いで陸遜が劉備を破っており、争っている印象はあります。

 

しかし、呉が国として成立したのは元号を定めた222年で、夷陵の戦いの後になります。呉と蜀はこの時に関係を改善し、蜀滅亡まで同盟関係にありました。多少の小競り合いはあったかもしれませんが、国としての呉と蜀は争うような関係ではなかったと言えます。孫権と劉備の両勢力による争いは、国として成立する前のことになります。

 

よって「魏、呉、蜀の三国が争っていた」とまでは言えず、「魏、呉、蜀の三国が鼎立し、魏は他2国と度々争っていた」というのが実態になるでしょう。

 

「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(四・正史三国志の著者)』に続く

 

(関連ブログ)

「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(一・三国志を簡単に紹介)

「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(二・魏、呉、蜀とは)』前回

「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(三・三国の争い)』本ブログ

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三国志に関する表記