三国志学会第二十回大会を拝聴して(二・三国志演義の諸葛亮像)-全四回
引き続き、2025年9月7日に行われた、「三国志大文化祭2025」および「三国志学会第二十回大会」の所感を中心に記します。〇三国志演義の諸葛亮像は無意識に影響されていないか日本で三国志演義は長い年月親しまれています。これほど受け入れられている背景は、主役である劉備陣営が志を果たせず散ってゆくことへの判官びいきや、武士道的な滅びの美学を感じているのだろうと、短絡的に考えていました。苦労の末に蜀を建国した劉備であるが、関羽と張飛と死別し、復讐戦に敗れて漢王朝の復興を諸葛亮に託す。諸葛亮は劉備への忠義から、度々魏に進軍するが、馬謖の失敗そして自らの寿命が尽きて、志半ばに斃れる。諸葛亮の後を受けた姜維の奮戦もむなしく、鄧艾[トウ艾]と鍾会の侵攻により劉禅は降伏し、蜀は滅亡する。意図して悲劇的に書いた文章ですが、判官びいきになるのも仕方がない気がします。しかし、いつの間にか三国志演義の原典から離れ、人物像を美化しているのではないかと気付かされました。例えば、泣いて馬謖を斬る。ルールや秩序のためなら大切なものでも処分するという意味で、大切なものを失い悲しむという意味ではないはずです。しかし、次の文章を見てください。馬謖は街亭で失態を犯し、蜀軍は大敗します。大事な愛弟子ですが、軍法を明らかにするため、諸葛亮は涙をふるって処刑します。苦渋の選択を迫られた末、命を失った馬謖のために涙を流す諸葛亮の姿に、深い人間性を感じることができます。何となく自然に受け入れてしまうことはありませんか。しかし「三国志演義」での諸葛亮は、敗戦の原因を作った馬謖を叱責し、「処刑しないとしめしがつかない、自分を恨むな」と言います。馬謖を惜しみ処刑を止めようとする蔣琬[ショウエン]には、法のために処刑するしかないと答えます。この間、諸葛亮は度々涙を流し、処刑された馬謖の首を見ても泣いていますが、涙の理由は馬謖のためではなく、劉備から馬謖を重用しないよう言われていたのに、馬謖を用いて蜀の大敗を招いたことの自身の不明に対するものだったのです。(※1)言い過ぎかもしれませんが、馬謖が処刑されるのは当然であり、諸葛亮は劉備の言葉を守れなかった自分を嘆き泣いているのです。ちなみに「正史三国志」の記され方を確認すると、諸葛亮伝では馬謖は敗戦の後あっさり処刑されていますが、董劉馬陳董呂伝の馬良伝では諸葛亮は馬謖のために涙を流し、兵士も泣いて悼んだと記されています。「泣いて馬謖を斬る」のイメージは、正史三国志の馬良伝が一番近いことになります。ただ、馬良伝を読んでいる人は少ないと思いますので、「泣いて馬謖を斬る」のイメージは三国志演義の翻案や創作、場合によっては字面の印象もあり得そうです。余談ですが、字面の印象という点では、苦肉の策も同じような目にあっています。同じような視点で「三国志演義」を読むと、同じ諸葛亮の最期の場面を見ると、死を目前にしても特に感動的なセリフを言う訳ではなく、残された人々を案じて今後のことを順に言い含めていきます。そして後継者を言い切れずに息を引き取るのですが、ここで姜維の名前を出さないことが未来を暗示しているかのようで、悲劇というより文学的な表現のように感じます。他のシーンや人物にも同じような例があると思いますが、おそらく三国志演義を翻案、脚色した小説や漫画、ゲームなどの影響を多分に受けているのでしょう。元々の姿から離れて作られた人物像が、無意識に自分の中に根付いているのだと思います。特に、最初に脚色たっぷりの漫画やゲームから三国志の世界に入ると、その印象は大きくその人の中に残ることでしょう。『三国志学会第二十回大会を拝聴して(歴史書の取捨選択)』に続く(関連ブログ)『三国志大文化祭2025を拝聴して(前編・地図について)』『三国志大文化祭2025を拝聴して(後編・人物の知名度)』『三国志学会第二十回大会を拝聴して(一・草船借箭)』前回『三国志学会第二十回大会を拝聴して(二・三国志演義の諸葛亮像)』本ブログ『三国志学会第二十回大会を拝聴して(三・歴史書の取捨選択)』次回(続き)『三国志学会第二十回大会を拝聴して(四・魏志倭人伝の限界)』『「三国志」とは何なのか、知るほどに悩む(八・「正史三国志」は事実か)』(※1)岩波文庫「完訳三国志」第96回より抜粋、要約しています。(※2)ちくま学芸文庫「正史三国志」蜀書諸葛亮伝より抜粋、要約しています。