この榛名時代の月組の若手エースが大地真央だったが、音楽学校以来の自由奔放な言動もあって当時“現代っ子”として名を馳せていた。「風と共に去りぬ」冒頭の順スカーレットが汽車でアトランタに到着するシーンで大地は蒸気機関車の機関士の役だったが、特に台詞もなく舞台前方で榛名バトラーと順スカーレットが芝居をするその後側で、到着した汽車の陰で駅にたむろする人々に紛れているだけのはずだったが、そこで事件は起こった。

 

 機関士が機関車を降りて知り合いを見つけ帽子を取って挨拶をする、と、その帽子の下から現れたのがハゲづら!観客は目敏くそれを見つけて爆笑、笑いが起こるシーンではないのに突然客席で沸き起こる笑い声に、何が起こった理解できず舞台上で戸惑う舞台前方の出演者たち。本人としては毎日色々な設定で舞台後方での群衆に紛れた小芝居をしていて、その日は禿げ頭の機関士ということだったようだが、これがきっちり客席に気づかれて笑われてしまい後で水代玉藻組長に大目玉を食らったそう。今もテレビCMでお茶目な姿を見せる大地だが、こんなことがあって『これだから現代っ子は…』と言われていた。

 

 大地は当初レコードデビューしたり、アイスクリーム「宝石箱」のCMに出演したりとアイドル的に売り出していたのだが今一つブレイクせず、結局王道の御曹司路線に乗って舞台回帰して1978年(S53年)開場間もないバウホールで「マリウス」に主演。確かこの公演で娘役の八雲あけみが、なぜか突然あご髭を付けた男役で出演し吃驚仰天した記憶があるのだが、あれはいったいどうゆう経緯だったのか…。

 

 翌1979年同じくバウ公演「ロミオとジュリエット」をロミオ役で主演したのだが、相手役ジュリエットに抜擢されたのが研3の新進娘役で、バンビーズに選ばれた後NHK朝ドラにヒロインの友人役で出演した経歴の持ち主だった。当時の歌劇団は遥くららの成功に気を良くしたようで、このテレビドラマで知名度を上げて舞台で抜擢というパターンを何度か試みている。この時の生徒や、雪組の鮎ゆうき、花組の純名里沙等。最近でも星蘭ひとみが久しぶりで現役生のままドラマ出演となったが、あっさり退団となってしまった。

 

 話は戻って、その「ロミ・ジュリ」の稽古中にジュリエットが目を閉じて横たわるシーンで、いつの間にか本当に眠ってしまったという事件が発生してさすがの大地も呆れたとのこと。それのせいかどうかは知らないが、その生徒は結局研4で退団してしまった。そして大地は1981年「新源氏物語」の前物のショー「ジャンピング!」で大劇場初主演を果たす。しかしながら上演時間がわずか30分で、テレビみたいと評されてしまったのだった。

 

 1979年瀬戸内美八が星組へ移動すると三番手に、1980年順みつきの花組移動に伴い二番手にと順調に昇格を重ね、前述の通り1982年(S57年)「あしびきの山の雫に」をもって榛名由梨が専科へ移動となり、晴れて次のトップとなった。「あしびき」で大地の相手役となったのが研2の黒木瞳で、黒木は同年バウ公演「シブーレット」にタイトルロールとして出演した後、大地の相手役としてコンビを組むこととなり、披露公演が1982年(S57年)「愛限りなく/情熱のバルセロナ」で二番手は剣幸となった。

 

 以前雪組編でも触れたが、この披露公演の第一幕「愛限りなく」は春風ひとみが相手役を務めた。当時春風は既に何度か新人公演のヒロイン役の経験もある有望な若手娘役で、初の本公演のヒロインもそつなくこなしていた。一方黒木は新公でヒロイン経験のないままトップ娘役となったわけで、大地の申し出で相手役に決まったとはいえ当時まだ研2ゆえの未熟さもあって、大地ファンからはほぼ総攻撃に近いブーイングを集めることとなってしまった。それでも非難の嵐に耐えて舞台を全うしたのだから、若いのに大した精神力を持っていたものだと思う。

 

 後の壇れいのケースを見ても思うのだが、宝塚をお嬢さん芸と一言で片づけるのは簡単だが、どんな形であれスターとなって舞台を全うするには容姿や技術に恵まれるだけでなく非常に強い精神力と体力が必要であり、特に宝塚を辞めた後も芸能界で活躍を続けられる人は、中でも飛びぬけてパワフルな根性の持ち主なのだろうと思う。

 

 1984年(S59年)「ガイズ&ドールズ」では大地スカイ・マスターソン・黒木サラのトップコンビに加えて、剣ネイサン・デトロイトと条はるきアデレイドのコンビも素晴らしく、宝塚時代の大地の代表作になった。なお、条は大劇場公演の後でバウ公演に主演し退団、東京公演ではアデレイドを春風ひとみと仁科有理のWキャストとなった。

 

 翌1985年大地は「二都物語/ヒート・ウェーブ」で退団を発表するが、その記者会見で記者から『トップ在位3年半での退団は短すぎないか?』との質問に対して、『劇団への義理は十分に果たしまた!』と答えて話題になった。現在ではトップ3年というのは平均というよりも、目途と言っていいくらいだが、特にベルばら4強とよばれた4人は意外に早いと言われた安奈淳でさえ9年間、榛名が10年間、汀夏子が11年間、鳳蘭が10年間と非常に長期にわたって君臨していたので、3年というのが余りにも短いと見えてしまったのも無理はないだろう。また黒木も同時退団が発表されて、今で言う“添い遂げ退団”の先駆けとなった。当時コンビは同時退団ではなく、一公演でもずらして退団するのが不文律となっていたので、同時退団というのは結構な衝撃だった。

 

 もう一つ異例の発表となったのが、劇団側から次のトップが二番手だった剣幸だと明言されたことだった。記者からの次のトップは?という質問に対して、当時の体制として次が剣だというのは明らかなことあったから、という事でその場での発言となったらしい。今は次期トップ及び娘役トップの内定についてのマスコミ発表というのが普通になったが、当時そのような劇団からの正式発表というものはなく、トップが退団して後次の公演と香盤(配役表)が内部で発表されて主演(=トップ)が明らかになりポスター撮りで漸く実感する、というのが当時の流れだったとか。ということで、とにかく異例づくめの退団発表となったのだった。この退団公演のチケットは早々に売り切れとなり、当日券すら入手困難な状況となってしまった。

 

 大地退団後に帝国劇場にて大地主演で「風と共に去りぬ」が上演され、遥くららもメラニー役で出演していたので観劇に行ったのだが、大地スカーレットが次から次へと衣装を換えて登場し、またどれもド派手なものだったのでアレアレと目を回しそうになった。加えてバトラーを演じた松平健の時代劇調のせりふ回しが強烈で、北軍相手にもろ肌脱いで『ええい!この桜吹雪が目に入らぬか!』と今にも見得を切りそう。一方で遥は持ち味のナチュラルな演技でメラニーを演じると、とにもかくにもカオスぎりぎりのところで、色々と記憶に残る刺激的な舞台が繰り広げられたのだった。その後この舞台が縁で大地と松平が結婚と、更に別の意味で想像の斜め上を行く展開となり、ただただ驚くばかりだった。

 榛名由梨のことだけで長くなったので、次のトップ大地真央に移る前にこの頃月組にいた他の生徒たちついてまとめておきたい。

 

 二番手となった瀬戸内美八は前述の通り新体制となった最初の公演1976年(S51年)「紙すき恋歌」に主演し、「風共」ではアシュレイを演じた。ただし今一つ為所のないアシュレイ役よりも、フィナーレのセントルイス・ブルースを踊った際の笑顔の方が印象に残っている。その後瀬戸内は1979年星組でトップに就任するために組替えとなった。

 

 スカーレット役に順みつきが決まったと聞いても、ヴィヴィアン・リーのイメージが強いスカーレットとパワフルな男役のイメージが強い順では、正直あの当時当初はちぐはぐな印象しかなかった。しかし「風共」の冒頭スカーレットがアトランタに登場するシーンで、客車から降り立った順スカーレットは先ず何も言わずに眼を見開き眼球だけを動かしてぎろりと周囲を見定める、それだけでその場の主導権を握ってしまったのだった。この睨みをきかせる技は、郷ちぐさから頂いたのではないかという話を後で聞いた。その後順は1979年(S54年)「春愁の記」で主演し、1980年花組へ移動し松あきらとWトップを組むことになる。

 

 順と入れ違いに花組から来たのがみさとけいだった。入団時は“美里景”で月組配属だったが、その後雪組から花組へ移動しトップの松あきらに次ぐ二番手として、「THE SCARLET PINPARNEL 」と原作を同じとする1979年(S54年)「紅はこべ」でショーブランを演じる等ポスターメンバーでもあった二番手だったはずなのだが、月組に戻った時には大地真央が既に二番手スターとして確固たる地位を固めており別格的な立場で脇を固めることとなった。雪組編でも述べたが、当時但馬久美も同様に星組で二番手までは昇進したものの、花組に組替えとなって路線から外れて後に副組長・組長を担い最後は専科で退団となった。みさとは1981年に退団後一時劇団初の女性演出家を目指し演出助手として新人公演の演出などもしたが、諸事情から夢かなわずその後宝塚受験スクールの経営に転じた。

 

 一方榛名が月組に復帰して相手役となったのが小松美保で、初風諄のような華やかさはなかったものの堅実でコケティッシュな魅力をもった娘役だった。「風共」でメラニーを演じた後、1977年(S52年)「我が愛しのマリアンヌ」のマリアンヌ、「アンジェリク」のアンジェリクとタイトルロールを二度も演じている。舞小雪は前述の通り「紙すき恋歌」と、大劇場のみではあったが順みつきが主演した「春愁の記」でもヒロインを演じ、「風共」地方公演(全国ツアー)でスカーレットⅠを演じる等、二番手というよりは1.5番手ぐらいにいた娘役だった。小松とは対照的に時に娘役よりも女役と言いたいような妖艶なイメージで、「風共」のベル・ワットリングや「アンジェリク」のカルメンシータが印象に残っている。

 

 そして北原千琴。幼少時は少女雑誌の表紙をたびたび飾ったモデルで、前述の通り少女時代のアントワネットでその美少女振りを強烈に印象付けたが、月組が新体制になった頃から可愛いだけの印象を脱して内容も伴う娘役に成長し、「風共」後安奈淳の相手役となるため花組へ移動した。「アンジェリク」で小松美保が退団した後は、五條愛川(ごじょう あいせん)が榛名の相手役となった。五條は当初雪組で男役をやっていたが、『兵隊のおもちゃみたいな可愛い男役』と言われたこともあって娘役に転向し、1979年に月組へ組替えとなっていた。そして1982年榛名の月組最後の公演「あしびきの山の雫に」で退団となった。

 

 当時の若手男役スターとして条はるきがいた。麻実れいと同期で「風共」新公でバトラーを演じる等新公で何度も主演し、当然将来を嘱望された存在だった。しかし組の中堅として活躍していた研9の頃に突然娘役への転向を宣言し周囲を驚愕させ、そして1979年(S54年)「カリブの太陽」で榛名の相手役としてヒロインを演じたのだった。元々とてもきれいなソプラノの声を持っており、それを潰したくなかったからというのが理由だそうだが、それにしても余りの大転換には唖然とするばかりだった。その後は「新源氏」の六條御息所、「永遠物語」吉岡夫人、1984年(S59年)「ガイズ&ドールズ」アデレイド(大劇場のみ)と所謂別格娘役として活躍をつづけた後、1985年(S60年)バウ公演「愛…ただ愛」エディット・ピアフ役で主演したのが退団公演となった。

 

 その条はるきの同期の男役に世れんかがいた。「風共」新公では条バトラーに対してスカーレット役、「バレンシアの熱い花」では条に次いで瀬戸内美八の演じた二番手役が付くなど、公私ともに条とは仲の良い存在だったようだ。ただ涼風真世を更に細くしたような非常に繊細なイメージで、男役よりも娘役の方が似合うこともあってか娘役をする機会が増え、転向宣言はなかったもののいつの間にか娘役ということになっていた。1979年(S54年)「ラ・ベルたからづか」では条と世が双子のようなデュエットコンビを組み、あの二人がかつて男役同士で新公に主演していたのに…、と感慨にふけったこともあった。そんな世が結婚のため退団することとなり最後の公演「アンジュリク」の大劇場公演には出演したものの、東京公演の稽古中に体調を崩して、結局東京公演に出演することのないまま逝去するという悲しい事態になってしまった。世の大好きだったという、桜の咲き誇る下で葬儀が行われたと聞いた。

 

またこの頃ダンサーとして名を馳せたのが藍えりなで、たしか「ラ・ベルたからづか」でだったと思うのだが、シック・シックスというユニットを組んで、SKDのエイト・ピーチェスに対抗していたような。歌手では潮はるかの美声が思い出される。男役のダンサーの江夏淳、芝居が上手かった藤城潤と有明淳と三人“ジュン”も忘れ難い。

 

そして最後にもう一人、花小路諄という生徒がいた。榛名由梨の同期生だったから当時既にそこそこの上級生だった。芸名は華やかだったが実に地味な存在で、芝居で台詞は一か所、ショーではフィナーレのパレード以外はほぼ所在不明という状態だった。しかし、この人がその唯一の台詞をどこで発するのか、それを確かめるのも当時の月組を見る際の一つの楽しみとなっていた。決して馬鹿にしているのではなく、見つけるたびに『今回はここにいた!』と純粋に楽しくなってしまったのだった。今になって思えば、多分只々宝塚が好きでそこまでやって来て、その気持ちを込めて唯一の台詞を発しようとするその姿が気になっていたのかもしれないと思う。

 初演「ベルサイユのばら」で男装の麗人オスカルを演じ一躍時の人となった榛名由梨だが、芸名の“榛名”は“戦艦榛名”に因んで名づけられたとか。

 

 榛名は花組で再演の「ベルばら」のために組替えして安奈淳とWトップとなっていたが、大滝子の退団を受けて月組に復帰し改めて単独での月組トップ就任となった。同時期に星組から順みつきが組替えでやって来て、ここに榛名・瀬戸内・順の強力な3トップ体制が出来上がることとなる。一方娘役陣も初風諄という大スターはいなくなったものの、初風の役を新公で多く務めた小松美保、舞小雪、そして北原千琴と強力な3人が揃う。初風・大の対立で一時は荒れたものの、この3トップ×3娘役の体制となって月組は当時の劇団にあっては一気に最も強固なものとなった。大劇場披露公演は1976年(S51年)「紙すき恋歌/バレンシアの熱い花」芝居の二本立てで、「紙すき」では瀬戸内と舞が主演し「バレンシア」で榛名と小松が主演コンビとなった。

 

 「ベルばら」で一山当てて取りあえずは長年の苦境を脱出した宝塚歌劇だったが、せっかく盛り上がったブームを何とか継続する方法を考えなければいけない、ということでポスト「ベルばら」対策として「風と共に去りぬ」の“レビュー化”(当時の新聞評ではこの言葉を使っていた)が企画されることとなり、翌年1977年(S52年)に月組・星組での連続公演が決定された。前述の通り、これが自分にとって初の生舞台・生宝塚となったわけだ。

 

 ここで問題になったのが舞台でのメイキャップだった。「風共」と言えばもちろん映画のクラーク・ゲーブル/バトラーとヴィヴィアン・リー/スカーレットのイメージが先ず浮かんでくる。スカーレットはまだ良いとして、問題だったのはゲーブル/バトラーの口髭だった。当時は未だ敵役や脇役、老け役ならともかく主役トップスターには絶対的な清潔さが求められていて、髭をつけるなどもっての外という時代。しかし、やはり口髭はバトラーのイメージの象徴のようなもの。悩んだ挙句に一幕若い時代のバトラーは髭なしにして、二幕壮年期は髭ありという苦肉の策、というか奇策で対応することにした。しかしながら当時の東宝劇場の支配人がこれに大反対して、『 (髭を)箱根の山は越えさせない!』と発言して大いに話題となった。

 

 榛名は髭がいやらしく見えないように長さ、形、装着する角度等、毎日鏡とにらめっこで研究を重ね、さらに違和感を失くすために一日中付けてみるなどしたらしい。そのような努力もあって「風共」は大ヒットし、髭も何とか箱根の山を越えて東京公演も幕を開け、今日の興隆へとつながる基礎をより強固なものとしたのだった。ちなみに榛名バトラーは南部男の意地を見せ、順スカーレットと正面から四つで組む迫力を感じさせるものだった。アシュレイの瀬戸内美八、メラニーの小松美保、ベルの舞小雪、スカーレットⅡの北原千琴とそれぞれ適役で、バランスの取れたアンサンブルで作品をまとめていたと思う。対して鳳蘭バトラーは髭も洒脱に、遥スカーレットを手の内で転がすような大人の色気を感じさせた。因みに植田大先生は「ベルサイユのばら」「風と共に去りぬ」と、ロシア革命に題材に取った1981年(S56年)「彷徨のレクイエム」を革命三部作と称している。

 

 「ベルばら」では漫画キャラの実現、「風共」では髭と革新的な道を開拓してきた榛名が次に挑んだのが、1980年(S55年)「アンジェリク」。フランスの小説を原作とした少女漫画の舞台化で、榛名は顔に傷がある主人公ジョフレを演じた。美しさが売りの男役トップの顔に醜い傷なんて!とやはり話題になったが、もう榛名も動じることなく不快感を与えぬ傷のメイキャップを工夫して難なくこなした。また、この舞台で当時三番手だった大地真央が演じたフィリップが、人形のように美しいと評判を取ったと記憶している。この「アンジェリク」の続編が後に雪組で麻実れい・遥くららのコンビ披露公演として上演された1980年(S55年)「青き薔薇の軍神(マルス)」で、フィリップを麻実が演じた。大地と麻実という2大スターに演じられて、“フィリップ”も本望の事だろう。なお、この「アンジェリク」でヒロインアンジェリクを演じた小松美保が退団し、次に雪組から来た五條愛川とコンビを組むこととなった。また、その前年1979年に榛名はトップでありながら月組の副組長となっていた。

 

 榛名は1981年(S56年)「新源氏物語」で光源氏を演じる。この作品は舞台機構を生かした宝塚ならではの素早い舞台転換が評判となり、出演陣の好演も相まって非常に高い評価を得た。特に葵の上/有明淳と六條御息所/条はるきの車争いから、生霊となった六條に葵が取り憑かれて亡くなるまでを盆回しを駆使しながら一気に見せた下りは、さすが宝塚と内外で評判となった。そして自分にとってこの舞台で最も衝撃的だったのはフィナーレだった。実はこの公演は前物が大地真央の大劇場初主演作「ジャンピング!」という30分ほどのショーで、初演「新源氏」はフィナーレ付の2時間超の作品、そしてそのフィナーレで和装に羽根をつけた衣装がでてきたのだった。さすがにあのフワフワした大羽根ではなく、和装に合うように雉羽根主体にデザインされたものではあったけれど、とにかく驚いた。

 

 1982年(S57年)「あしびきの山の雫に/ジョリー・シャポー」を最後に榛名は大地真央にトップの座を譲る形で専科へ移動した。「あしびき」は榛名が花組時代安奈淳とW主演した1976年(S51年)「あかねさす紫の花」に続く柴田侑宏の作品で、後の1988年(S63年)雪組公演「たまゆらの記」と併せて万葉三部作とされている。専科移動後の第一作は1982年(S57年)バウ公演「永遠物語」で、映画「無法松の一生」をミュージカル化した作品。無骨な松五郎をヒロイン吉岡夫人/条はるきを相手に情感豊かに演じた。1984年(S59年)春日野八千代、神代錦ら重鎮と共に専科公演「花供養」に出演、てっきりこのまま第二の春日野八千代の道を進んでいくものと思っていたが、組公演の重要な役処で脇を固めるような形で出演を重ねた後、1988年(S63年)星組公演「戦争と平和」で退団となったのだった。後年榛名が退団後に現役生と一緒に上演された「永遠」を観たが、現役時代と変わらぬその見事な演技だった。

 次に時代は雪組と星組で若いWトップが生まれてから3年後の、1973年へ戻ることにする。上月晃、甲にしきとともに3Kトリオと呼ばれた月組トップ古城都が退団し、次のWトップとなったのが大滝子と榛名由梨だった。両名共に雪組の郷ちぐさと同期で当時研11、榛名は専らダンサーとして評価されていたが、大は歌唱に優れたものはあっても演技面で今一つといわれていたようだった。ただし、当時の月組にはこの2人よりも目立った娘役スターの初風諄がいたので、このWトップは少々地味なものと見なされたらしい。2人よりも2期上の初風は入団時男役だったが入団直後に娘役に転向し、研1で映画「ローマの休日」を舞台化した「絢爛たる休日」の王女役に抜擢される。その後1960年代後半に星組で上月晃や南原美佐保の相手役を務めた後、1970年月組で八汐路まりの後を継いで古城の相手役となっていた。「ベルばら」の後になるが、1975年(S50年)「ラムール・ア・パリ」では初風がサラ・ベルナール役で主演した。

 

 そして1974年(S49年)「ベルサイユのばら」が初演されることとなった。当初ファンからは星組のゴールデントリオと呼ばれた鳳蘭・安奈淳・大原ますみでの公演希望が圧倒的だったが、大原の退団もあって当時アントワネット役に最も適していた初風がいる月組での上演となったのだろう。ただ一方で漫画を実の人間が演じるのは絶対無理、イメージを壊すなという原作漫画ファンから上演反対の声が上がったり、演出を担当することとなった長谷川一夫も当初は“清く正しく美しく”がモットーの宝塚で王妃の不倫の話を上演するのはどんなものか、と上演に対して難色を示したとのこと。中には「薔薇はイギリス王室の花で、フランス王室の花は百合だ!」という声もあったとか…。ただ当時の宝塚の非常に厳しい経営状態の中で、とにかく何かをやらなければいけないという意気込みからなんとか上演のこぎつけ、初風アントワネット、榛名オスカル、大フェルゼンで幕が上がることとなった。

 

 特に榛名はオスカルを演じるに当たり、舞台に立った時に元々の宝塚ファンだけでなく原作漫画のファンの期待も裏切ることのないようにと、とにかく漫画を片手にメイキャップの研究に勤しんだそう。また、カツラを二個合せてあのヘアスタイルを実現したとも聞いた。そしてオスカルに扮した榛名が舞台に登場すると、その姿が漫画そっくりと大評判を呼び榛名の人気は文字通り爆発したのだった。勿論長谷川一夫の自身の経験を生かした、観客受けを第一に考えた演出も重要な要素だった。スポットライトが当たった際の視線の向け方等細に入る指図によって少女漫画特有の瞳に宿る光までも実現させたり、役者にとってきつい態勢ほど客席から見て美しくなるという自らの経験による指導も効果を上げた。

 

 最近は劇画やアニメを舞台化した所謂2.5次元ミュージカルも随分一般化したけれど、その元祖はやはりこの「ベルばら」と言えるだろう。宝塚歌劇はこの公演を切掛けに息を吹き返して現在に至るのだが、現在も劇画原作の公演でその再現性の高さが評判を取るのは、この時の経験が伝統の一部として受け継がれているからだと思う。

 

 この初演は後で「アントワネット編」と呼ばれたように最も原作に近くアントワネットの生涯を綴った話で、フィナーレでは榛名オスカルと大フェルゼンに挟まれて初風アントワネットが舞台センターの立ち位置を占めていた。また物語の冒頭のアントワネットがオーストリアから馬車に乗って輿入れするシーンで、少女時代を演じた北原千琴の余りにも可愛らしく可憐なその姿は伝説となり、後に甲にしきが「ベルばら」で演りたい役は何との質問に対して少女時代のアントワネットと答えたとか。そして初演ではまだ脇役だったアンドレを演じたのが麻生薫という生徒で、松あきらや常花代の同期で音楽学校では良い成績を取っていながら中々役がつかなかった麻生の抜擢を、この同期生たちが喜んで演出家の所へ揃ってお礼に行ったとのエピソードも聞いた。なおこの初演は一本立てではなく大劇場での併演は「秋扇抄」、特に大ヒットとなった後の東京公演での併演が真帆志ぶきの退団公演「ザ・スター」だったため、かなりのチケット争奪戦となったとのこと。

 

 榛名は「ベルばら」を花組で再演するために1975年組替えとなり、入れ替わりに瀬戸内美八が花組から移動となった。その結果大が月組の単独トップとなり二番手瀬戸内、三番手叶八千予という体制になる。初風がソ連・パリの長期海外公演で休演した際、1975年(S50年)「恋こそ我がいのち」(東京公演は「赤と黒」に改題)では代役の舞小雪が相手役となった。

 

 ところで、月組ではこれ以前より初風と大の間で何やら不穏な空気が流れていたようで、榛名が花組へ組替えとなった後に状況はかなり悪化し組を二分しかねないまでになったらしく、結局事態を収拾できなかった責任を取って美山しぐれ組長を始めとして数名が退団することとなった。その後大も1976年(S51年)「長靴をはいた猫/スパーク&スパーク」で退団となる。当時トップの退団公演は、例えば真帆志ぶきの「ザ・スター」や上月晃の「ザ・ビッグ・ワン」というように、タイトルからしてスペシャル感のある公演を打つのが恒例で、当時『歌舞伎は襲名披露で稼ぎ、宝塚は退団公演で稼ぐ』と言われたほど、トップスターの退団公演は非常に大きなイベントだった。

 

 しかしながら大については「長靴」は童話劇でショーも特にスペシャル感はなく、しかも大劇場公演だけで東京公演はなし。更に退団後に金銭スキャンダルが報じられるなどもあったせいかどうかは知らないが、その後のOGイベントに名前を見ることはなく(度々改名を重ねていたようなので見落としたのかもしれないが…)、初演オリジナルキャストでありながら「ベルばら」上演史や歌劇団100年史でも大についてほとんど触れられることがないという、ほぼ黙殺状態となってしまったのだった。

 

 一方で初風は「ベルばら」後に前述の「ラムール・ア・パリ」に主演したり、ヨーロッパ公演に参加した後、退団公演として1976年(S51年)星組公演「ベルサイユのばらⅢ」に再度アントワネット役で特出し、鳳フェルゼンと相対することとなった。ところが長らく在籍していた月組のメンバーから最後は是非月組から送り出したいとの声が上がったとのことで、続く月組の東京公演は急遽「ベルばらⅢ」の続演となり、今度は鳳が月組に特出での公演となった。退団後は芸能活動から遠ざかっていたが、東宝版「エリザベート」初演のゾフィー役での突然のカムバックを皮切りに、現在に至るまで多くの舞台やOGイベントで活躍する姿を見せている。

 

 因みに「ベルサイユのばら」は後に梅田コマ劇場で森田日記という人の主演で舞台化されたり、フランスのジャック・ドミー監督で映画化もされ、現地ベルサイユ宮殿でのロケを敢行したり化粧品のCMとタイアップしたりと随分盛り上げようとしたものの、いずれもヒットには程遠い結果となってしまった。その際にライバル会社が対抗して打ったキャンペーンのCMソングが布施明の「君は薔薇より美しい」だった。元々宝塚とロココは相性が良いと言われていたが、図らずも「ベルばら」がそれを証明したこととなった。

 壮の後任トップとしてようやく早霧せいなの登場となる。早霧は宙組時代に役がついてそのまま宙組で路線に乗るのかと思っていたら雪組に組替え、しかも当時雪組には早霧と同期の沙央くらまがいた。沙央も新公で「ベルばら」オスカルや「エリザベート」トートを演じていて若手エース格のはず、なんでこの二人を並べるのかなと思っていたところ思い出したのが水夏希と貴城けいのケース。

 

 1期違いとは言え、宙組からきた水が元々雪組にいた貴城と取って代わる形でトップになったのだが、まさか又やるかなとの思いで見ていた。すると2011年「ロミオとジュリエット」で早霧がマーキューシオ役に対して沙央が乳母役に回ったことでまさかと思ったら、やっぱりその後沙央は月組へそして専科へと移動。最終的には男役も女役もこなす良い役者になったが、まあ当時は歌劇団の冷酷な一面を感じたことも確かだった。

 

 一方早霧は相手役の咲妃みゆとのコンビで、2014年(H26年)「伯爵令嬢」、2015年 (H27年)「ルパン三世」、2016年(H28年)「るろうに剣心」と劇画原作物でヒットを飛ばしたが、一方で2015年「星逢一夜」や退団公演となった2017年(H29年)「幕末太陽傳」と“和物の雪組”の伝統もしっかりと受け継ぐ一面も見せた。「幕末」では舞咲りんの演じたやり手婆が一番目についた。一方で舞咲については硬質的とも言いたいダンスも印象的で、このギャップがとても面白かった。この早霧・咲妃・望海のトリオをかつてならば“ゴールデントリオ”とでも呼んだだろうが、今は“トリデンテ”と呼ぶのだそうな。

 

 ともかく作品に恵まれたこともあるが、早霧の高い身体能力の生かした好演がやはり観客を呼ぶ力となったのだろう。大劇場公演の5作が全て客席稼働率100%以上を達成したと、大きな話題を呼んだ。退団後に今度は外部で「るろうに剣心」を再演し、その後「ポーの一族」に続く、宝塚歌劇を外部で男女混合バージョンにて上演という、輸入ミュージカル“宝塚→東宝”スタイルを一歩進めた新しいビジネスモデルとなった。

 

 花組新人時代の望海風斗は当初、当時の御曹司朝夏まなとの陰に隠れるような存在だった。しかし新公最後の年次となる研7で2回連続して主演し、2013年(H25年)「オーシャンズ11」ではテリー・ベネディクトを演じて3番手格となっていた。そして当時2番手だった壮一帆が雪組へ移動したが、月組で公式に準トップと格付けされた同期の明日海りおが来て、蘭寿に次ぐ2番手となったためにそのまま3番手に留まる。その後明日海の花組トップ披露公演となった2014年(H26年)「エリザベート」でルキーニを演じたものの、やはり結局明日海との同期時差入替人事のような形で雪組へ移動となった。

 

 しかし早霧トップ体制での二番手となり「星逢一夜」の農民源太役で絶賛を浴る。早霧退団後は順当にトップへ昇格し、相手役の真彩希帆と“希望”コンビを組んで歌うまコンビとして評判を呼ぶこととなった。大劇場披露となった2017年(H29年)「光ふる路」はフランク・ワイルドホーンが音楽を担当して話題になった。真彩は宙組で初舞台、組回りで月組、その後花組に配属されたのち星組から雪組へと5組全部に出演経験があり、それまでは若干便利に使い回された感があった。

 

 2020年(R2年)「ONECE UPON A TIME IN AMERICA」は小池修一郎のハリウッド映画の舞台化が話題になったものの、東京公演の途中で折からのコロナ禍による緊急事態宣言の発令により上演中止を余儀なくされ、新人公演初主演となった諏訪さきは大劇場では公演できたものの、東京では公演できなくなってしまった。結局夏に予定されていた望海と真彩の退団公演も一旦延期となったことで退団も仕切り直しとなっていまい、結局2021年(R3年)になって「fff/シルクロード」で退団となったのはつい最近の事だった。

 

 望海退団によって、2番手だった彩風咲奈が次のトップとなった。望海が優れた歌手なのに対して彩風はダンスに秀でており、2番手時代ショーではその対比がとても面白かった。礼真琴が技巧派ダンサー、柚香光がビジュアル系ダンサーならば、咲風はスタイリッシュ・ダンサーとでも言いうべきか。朝月希和が相手役となってコンビを組むこととなったが、朝月も花組と雪組を二回づつ行き来して娘役トップ就任となった。二番手となったのはゴールデンエイジ95期生の朝美絢のようだが、もし次のトップとなれば雪組で3人目のアサミ(麻実、朝海、朝美)ということになる。

 

 披露公演として発表されたのが人気劇画原作となる「CITY HUNTER」。早霧せいなの大劇場披露が「ルパン三世」だったのが思い出されるが、個人的に咲風は特に強い印象のないままいつの間にか2番手になっていた感じで、今後はトップスターとしてどの様な個性を出していけるかが課題となりそうな気がする。

 

 という事で雪組編はこれにて完了し、次からは月組編となる