壮一帆は初舞台後花組配属後に雪組へ、そしてまた花組へ戻り真飛聖と同期蘭寿とむの下で長らく愛音羽麗と2・3番手コンビを務めていた。この頃の壮は何だか視線がだんだん鋭くなってきているような感じがして、2012年に愛音が退団した際には、続いて退団するのではと思ったりもした。しかし2012年末に音月の退団を受けての後任のトップとして、またまた雪組へ戻ることになり2013年(H25年)「ベルサイユのばら」で大劇場披露となった。どうゆう因果か、寿ひづると高汐巴以来花組と雪組を行ったり来たりする生徒がやたら目立つ。

 

 壮の二度目の花組時代に大空祐飛が宙組へ落下傘でトップに就任した頃から、歌劇団でそれまでの若手抜擢人事と並行してベテラン活用人事も目立つようになってきたと思う。100周年に合わせようと急いだ感のあった音月桂のトップ就任だったが、色々あった末に予想外に早かった退団の一方で、当時2番手だった早霧せいなが未だ今一つ線が細くそのままトップに昇進するのはどんなものかなと個人的に思っていた。歌劇団としても万全の態勢で100周年をむかえるため、壮を花組から呼び戻して次期トップとしたのではないかと勝手に想像していたし、個人的にも壮のトップ就任は納得できるものだった。そもそも水夏希の後に先ず壮をトップに据えて、焦らずに音月を二番手として育成した方が良かったのではないかと思うのだが。

 

 相手役となったのが愛加あゆは星組トップ娘役だった夢咲ねねの妹で、姉妹同時のトップ娘役は宝塚史上初の快挙だった。しかし、愛加も一度は舞羽美海や夢華あみに抜かれた形になって、むしろ脇から支える立場で行こうと一旦は心を決めたそうで、2012年(H24年)「ドン・カルロス」エボリ公女役を演じた際は、歴史上本人が黒いアイパッチをつけていたのに習って舞台でもアイパッチを着用するほどだった。

 

 このコンビで再演ではあるが、2013年(H25年)「若き日の唄は忘れじ」や2014年(H26年)「心中・恋の大和路」と“和物の雪組”の評判通りの舞台を見せた。一方で2番手としての早霧は「ベルばら」ではオスカル役、2013年「Shall We ダンス?」ではほぼヒロイン格のダンス教師エラを演じるなど、男役としての本領を発揮しきれない状況が続いた。しかし結局壮・愛加コンビはわずか1年半で幕を下ろすこととなり、創立100周年の2014年(H26年)「一夢庵風流記 前田慶次/My Dream TAKARAZUKA」で同時退団する。

 音月桂は研4で2001年(H13年)「猛き黄金の国」の新公初主演した後5回主演を重ね、2002年(H14年)「ポップスコッチ」では立樹遥、壮一帆とともにトリプル主演ではあるがバウ公演の初主演を果たすなど、雪組の御曹司として順調に路線スターとしての道を歩む。2007年(H19年)「エリザベート」ではルキーニを演じ、2010年彩吹真央が退団すると、次の水夏希の退団公演で2番手を務めた後トップに就任となった。

 

 しかし当初相手役が確定せずにトップ披露となる2010年(H22年)バウ公演「はじめて愛した」の相手役は愛加あゆ、翌2011年(H23年)大劇場披露の「ロミオとジュリエット」ではジュリエット役が舞羽美海と夢華あみのWキャストとなり、新公では愛加が演じたが、最終的に音月の相手役は舞羽となりコンビを組むこととなる。2番手に早霧せいな、3番手格に未涼亜希という布陣となった。

 

 96期生については色々言われたが、夢華が一時はトップ娘役候補になった以外に、咲妃みゆ、花乃まりあ、綺咲愛里、更に現雪組トップ娘役の朝月希和と4人も娘1を輩出することになる。これは74期生(森奈みはる、麻乃佳世、白城あやか、渚あき)、76期生(純名里沙、風花舞、月影瞳、星奈優里)以来のこと。勿論裁判沙汰にまでなるようなスキャンダルをやらかしたことは好ましくはないが、それだけの資質を持った優秀な人材の多い期であったことは否定できない事実だろう。そしてその当事者となったならばとにかく、全然関係ない他人がネット上の匿名という安全な立場から偉そうに物申す、“正義の味方(匿名)”という独善性はどんなものかと考える。

 

 相手役も決まった後の2011年(H23年)「仮面の男」で、今度は舞台上の問題が発生。その演出が余りにも下品だとして東上に際しては大幅な改訂が行われたがそれでも悪評紛々、“仮面の男事件”とまで言われてしまう程だった。担当した演出家はこの件が祟ったのか2年後に退団となってしまった。劇団としては音月を100周年の舞台を飾る雪組のトップとして期待していたのだろう、梅田芸術劇場で「ハウ・トゥ・サクシード」「フットルース」と2本のブロードウェイミュージカルを上演したりしたが、色々あったせいか観客動員も今一つ伸びなかったようで、結局100周年まであと1年の2012年(H24年)末「JIN-仁/GOLD SPARK!」にて舞羽と一緒に退団となった。

 水夏希は月組、花組、宙組を経て2005年に雪組へ移動となり、翌2006年(H18年)星組公演「ベルサイユのばら」にオスカル役で特出して全5組出演を果たした。前述の通り2006年貴城けいが雪組から宙組へ転出すると、朝海ひかる退団公演「堕天使の涙」で2番手に昇格し、そのまま次のトップに就任となった。この「堕天使」大劇場公演の前に「ベルばら」全国ツアーで主演をしたのだが、この頃から2番手の全国ツアー主演が次期トップ就任の前振りというシステムが固まってきたよう。

 

 2007年(H19年)の披露公演は中日劇場で「星影の人」、実に30年振りの再演だった。相手役は星組から白羽ゆりが来てコンビを組み大劇場披露公演は「エリザベート」、2番手に壮一帆と入れ替わりに花組から移動となった彩吹真央、3番手音月桂という体制になった。水は歌というよりは、どちらかといえばダンス系の人という印象だったので、披露公演が「エリザ」ということに少々驚いた記憶がある。むしろ同時期に星組トップとなった安蘭けいが歌の人ということもあって、安蘭の披露公演「さくら/シークレットハンター」と入違ったのでは?と個人的に思っていた。

 

 この年世界陸上大阪大会の開会式出演のため、彩吹、音月、彩那音、凰稀かなめと5人でAQUA5というユニットを結成したのだが、これにあこがれて紅ゆずるが作ったのが紅5(紅、壱城あずさ、美弥るりか、如月蓮、天寿光希)、最初は冗談の宴会芸だったが後に結構まともに扱われるようになった。

 

 2009年(H21年)「風の錦絵/ZORO仮面のメサイア」で白羽ゆりが退団し次の相手役は愛原実花となったが、実力よりもつかこうへいの娘であるという話題が先行した感があり、少々気の毒な感じがした。2010年(H22年)「ソルフェリーノの夜明け/Carnevale 睡夢」で2番手彩吹が退団するのだが、雪組に来る前の花組時代から2番手羽根を背負いながら結局トップになることができず、2番手のままで退団に至った状況がファンの間で議論を呼ぶことになった。花組では彩吹の後に2番手になった真飛聖がそのままトップになったこともあって、余計に騒ぎが大きくなったよう。この騒ぎ以降番手順でいえば実質2番手だが2番手羽根を背負わなかったり、番手順をあいまいにする状況が時々見られるようになった。いわゆる“番手ぼかし”である。

 

 過去2番手または2番手格にまで到達しながら、トップに届かなかった生徒が何人かいる。但馬久美やみさとけいは2番手を一旦務めたが、その後組替えとなり他組で脇に回ってしまった。寿ひずるはトップ昇格が決まっていたけれど自ら寿退団を選択し、山城はるかも峰さを理トップ就任時に2番手を務めたがあっさり退団した。朝香じゅんは大浦みずきの2番手を長らく務め、人気実力とも十分にトップが務まる人だった。しかしながら丁度天海祐希がトップになった頃に重なったこともあって、タイミングを逸した形となってしまった。全くもって、巡り合わせが悪かったとしか言いようがない。

 

 郷真由加は剣幸の下で、桐さと実、郷、涼風真世ら2番手群筆頭という感じだったが、やがて別格的になり最終的に涼風真世に抜かれてしまった。そして彩吹以降においては、涼紫央は別格的2番手として柚希礼音を支えた。美弥るりかと凪七瑠海は当初龍真咲の2番手格コンビだったが結局珠城りょうに抜かれ、美弥は珠城の2番手として活躍の一方で凪七は専科へ移動となった。瀬戸かずやも別格的な2番手として柚香を支えて、退団を迎えることとなった。“2番手切り”などと言われもするが、それぞれ退団に際して、“ここまで来たのに残念”となるか“ここまで来られて良かった”となるかは微妙なところだろう。

 

 一方で次公演の演目発表の前に水の退団がアナウンスされることとなり、劇団に対して公演スケジュールを優先して生徒の扱いが疎かになってないかという声を漏れ聞くこともあった。結局2010年(H22年)「ロジェ/ロック・オン!」で水と愛原は同時退団となった。

 花組、宙組を経て1999年雪組に来また朝海ひかるは、前述の通り安蘭けい・成瀬こうきとともに三兄弟と呼ばれたが新公での主演経験はなかった。2000年の「凱旋門」の公演に際しては、専科からの特出とベルリン公演が重なってキャスティングがかなり複雑になっていた。大劇場公演では主演の轟悠に続いて、2・3番手の役を専科から香寿たつきと汐風幸が元々の番手順通りの配役となった。しかし当時の新人公演メンバーは同時期に行われたドイツ・ベルリン公演に参加していたため、役替わり公演として当時研9だった朝海が主演し、同期の安蘭と成瀬が2・3番手役となった。朝海は新公での主演経験がなかったが、結局この役替わり公演で主演することで形を整えたようなことになる。安蘭はこの大劇場公演後に星組へ移動となり、東京公演では安蘭だった役を朝海が演じることとなった。そして新公も行われて当時研6の蘭香レアが初主演した。

 

 2001年(H13年)「猛き黄金の国/パッサージュ」に際して、組の番手順は轟に次いで朝海と成瀬2人が2番手格だったが、キャスティング上は2・3番手の役に専科から絵麻緒ゆうと湖月わたるが出演した。この後で成瀬が専科へ移動となり、次公演の「愛 燃える」で絵麻緒が専科から雪組へ移動して来て2番手に収まり、朝海は3番手となった。そして2002年前述の通り絵麻緒に次いで2番手となるがが、この公演をもって絵麻緒は退団となる。ただし専科から特出した成瀬もこの公演が退団公演となったため、やはり番手とキャスティングの関係は微妙なものとなってしまった。しかしながら最終的に絵麻緒の後任として、ようやく2003年(H15年)「春麗の淡き光に/Joyfull!!」で大劇場トップ披露公演となった。

 

 演出家植田紳爾がかつて日経新聞のコラム「私の履歴書」で2000年の“新専科”騒動について、路線に乗って番手が付けば後は順番でトップになれるというような雰囲気をどうにかしたかった、と言うような趣旨の事を述べていたのを読んだ。しかし下世話な想像をするに、当時上がつまったような状態の花組と雪組でどうやったら愛華の後に春野寿美礼を、轟悠の後に朝海ひかるをそれぞれの組で早くトップにするかを考えた挙句の方策ではなかったかと思っている。まあ、傍からはピラミッド型のスターシステムが強固になりすぎて、動脈硬化を起こしたように見えるのだけど。

 

 よくスターの人事に関しては色々なうわさ話が聞こえてくる。しかし個人的に考えるに、いくら阪急という大企業が後ろに控えていると言いながら、いち営利企業の宝塚歌劇団として浮き沈みの激しい芸能界で100年を超えて存続し、しかもかつて同じく少女歌劇をルーツに持つSKD(松竹歌劇団)は既になく、OSK日本歌劇団も一度は解散となりながらなんとか生きながらえているような状況で、東西に専用の大劇場を二つ有しながら基本的に新作主義を貫くために座付作家を含めて多くのスタッフを抱えている、というような状況を維持するためには特別にシステム化されたビジネスモデルの構築が必要だろう。

 

 そしてそのビジネスモデルにおいて、人気スターの人事は言わば企業にとって最も重要な経営資産の運用であり、そこに個人的な思惑が入り込む余地はあまりないものと思う。一時の隆盛を極めたAKBグループの現況を見れば、“スター”の扱いの重要性が見て取れよう。ただし特にトップスターの人事は単に実力と人気だけでなく、タイミングというのも重要な要素になってくる。“新専科”騒動に始まる一連の動きはそのタイミングを力技で無理くり作り出したように感じた。

 

 という事で、朝海は舞風りらを相手役としてダンサーコンビを組み、2番手に貴城けい、そこに未来優希と壮一帆が続く体制となるが、2005年に宙組から水夏希が組替えで移動して来た。水は貴城より1期下だったため当初は3番手の位置付けだったが、やがてほぼ貴城とW2番手といえるような扱いになってきて、2006年に貴城は宙組へ移動となった。そして結局2番手水、3番手壮という体制となって、朝海は2006年(H18年)「堕天使の涙/タランテラ」で舞風と共に退団となった。また壮もこの公演後に花組へと移動となった。

 絵麻緒ゆうが入団した73期生は有望な男役が豊富と当時話題になり、実際天海祐希、姿月あさと、匠ひびきに絵麻緒と4人ものトップを輩出することとなった。娘役には初代ゾフィーの朱未知留もいた。星組では新人時代からまずまず順調に路線に乗り、麻路さきの時代の3番手から稔幸時代の2番手を務めたところで、2000年に”新専科”に移動していた。

 

 雪組でのトップ人事は、汀夏子以来平みちを除き組内で路線に乗ってきた2番手の内部昇格という形を取ってきたが、香寿たつきと汐風幸の“新専科”移動後は、轟悠に次ぐ2番手ポジションの役を専科から香寿や絵麻緒ゆうが特出で演じ、組子での2番手が曖昧な状況となってしまった。しかし轟の雪組トップとしての最後の公演となった2001年(H13年)「愛 燃える/Rose Garden」に際しては、絵麻緒が雪組へ移動となって正式に2番手として出演し、その後次期トップ就任となった。一応2番手に朝海ひかる、3番手に貴城けいという体制になったが、新専科生の出演もあって公演キャスティングと組の番手順がはっきりマッチしない時期だった。

 

 2002年(H14年)にトップ披露として、1995年(H7年)星組時代のバウ初主演作品「殉情」を再演する。この作品は谷崎潤一郎の「春琴抄」を石田昌也が舞台化した作品だった。そして大劇場披露公演となった「追憶のバルセロナ/ON THE 5th」で即退団、いわゆる“ワン切り”退団ということになった。記者会見で退団理由について「劇団の方針」と明言して騒ぎとなったのは有名な話。結局相手役となった紺野まひるまで、一緒に一作で退団することになった。絵麻緒の入団に際しては、従妹の毬谷友子から彼女の気質について憂慮する発言があったとも聞く。まあ、毬谷自身も結構ユニークな人だったようだけど。毬谷の父上は作家の矢代静一で、”遙くらら”の名付け親でもあった。

 

 それに先立つ丁度20年前、1982年(S57年)大地真央のトップ披露公演での一幕目「愛限りなく」も、同じく「春琴抄」を舞台化した作品だった。こちらは重鎮内海重典作で、この時春琴を演じたのは春風ひとみ。そして二幕目に上演されたのが柴田侑宏演出の「情熱のバルセロナ」で、こちらはスタンダールの「パルマの僧院」を原作としておりこちらの相手役は黒木瞳となった。一応大地・黒木のコンビは決まっていたので、多分未だ研2でヒロインに抜擢された黒木の負担を軽くするためにヒロインを分けたのだろうと推察する。

 

 とにかく20年の時を経て、“トップ披露”、“春琴抄”“バルセロナ”と微妙にキーワードが重なる意外な2人なのだった。