初演「ベルサイユのばら」で男装の麗人オスカルを演じ一躍時の人となった榛名由梨だが、芸名の“榛名”は“戦艦榛名”に因んで名づけられたとか。

 

 榛名は花組で再演の「ベルばら」のために組替えして安奈淳とWトップとなっていたが、大滝子の退団を受けて月組に復帰し改めて単独での月組トップ就任となった。同時期に星組から順みつきが組替えでやって来て、ここに榛名・瀬戸内・順の強力な3トップ体制が出来上がることとなる。一方娘役陣も初風諄という大スターはいなくなったものの、初風の役を新公で多く務めた小松美保、舞小雪、そして北原千琴と強力な3人が揃う。初風・大の対立で一時は荒れたものの、この3トップ×3娘役の体制となって月組は当時の劇団にあっては一気に最も強固なものとなった。大劇場披露公演は1976年(S51年)「紙すき恋歌/バレンシアの熱い花」芝居の二本立てで、「紙すき」では瀬戸内と舞が主演し「バレンシア」で榛名と小松が主演コンビとなった。

 

 「ベルばら」で一山当てて取りあえずは長年の苦境を脱出した宝塚歌劇だったが、せっかく盛り上がったブームを何とか継続する方法を考えなければいけない、ということでポスト「ベルばら」対策として「風と共に去りぬ」の“レビュー化”(当時の新聞評ではこの言葉を使っていた)が企画されることとなり、翌年1977年(S52年)に月組・星組での連続公演が決定された。前述の通り、これが自分にとって初の生舞台・生宝塚となったわけだ。

 

 ここで問題になったのが舞台でのメイキャップだった。「風共」と言えばもちろん映画のクラーク・ゲーブル/バトラーとヴィヴィアン・リー/スカーレットのイメージが先ず浮かんでくる。スカーレットはまだ良いとして、問題だったのはゲーブル/バトラーの口髭だった。当時は未だ敵役や脇役、老け役ならともかく主役トップスターには絶対的な清潔さが求められていて、髭をつけるなどもっての外という時代。しかし、やはり口髭はバトラーのイメージの象徴のようなもの。悩んだ挙句に一幕若い時代のバトラーは髭なしにして、二幕壮年期は髭ありという苦肉の策、というか奇策で対応することにした。しかしながら当時の東宝劇場の支配人がこれに大反対して、『 (髭を)箱根の山は越えさせない!』と発言して大いに話題となった。

 

 榛名は髭がいやらしく見えないように長さ、形、装着する角度等、毎日鏡とにらめっこで研究を重ね、さらに違和感を失くすために一日中付けてみるなどしたらしい。そのような努力もあって「風共」は大ヒットし、髭も何とか箱根の山を越えて東京公演も幕を開け、今日の興隆へとつながる基礎をより強固なものとしたのだった。ちなみに榛名バトラーは南部男の意地を見せ、順スカーレットと正面から四つで組む迫力を感じさせるものだった。アシュレイの瀬戸内美八、メラニーの小松美保、ベルの舞小雪、スカーレットⅡの北原千琴とそれぞれ適役で、バランスの取れたアンサンブルで作品をまとめていたと思う。対して鳳蘭バトラーは髭も洒脱に、遥スカーレットを手の内で転がすような大人の色気を感じさせた。因みに植田大先生は「ベルサイユのばら」「風と共に去りぬ」と、ロシア革命に題材に取った1981年(S56年)「彷徨のレクイエム」を革命三部作と称している。

 

 「ベルばら」では漫画キャラの実現、「風共」では髭と革新的な道を開拓してきた榛名が次に挑んだのが、1980年(S55年)「アンジェリク」。フランスの小説を原作とした少女漫画の舞台化で、榛名は顔に傷がある主人公ジョフレを演じた。美しさが売りの男役トップの顔に醜い傷なんて!とやはり話題になったが、もう榛名も動じることなく不快感を与えぬ傷のメイキャップを工夫して難なくこなした。また、この舞台で当時三番手だった大地真央が演じたフィリップが、人形のように美しいと評判を取ったと記憶している。この「アンジェリク」の続編が後に雪組で麻実れい・遥くららのコンビ披露公演として上演された1980年(S55年)「青き薔薇の軍神(マルス)」で、フィリップを麻実が演じた。大地と麻実という2大スターに演じられて、“フィリップ”も本望の事だろう。なお、この「アンジェリク」でヒロインアンジェリクを演じた小松美保が退団し、次に雪組から来た五條愛川とコンビを組むこととなった。また、その前年1979年に榛名はトップでありながら月組の副組長となっていた。

 

 榛名は1981年(S56年)「新源氏物語」で光源氏を演じる。この作品は舞台機構を生かした宝塚ならではの素早い舞台転換が評判となり、出演陣の好演も相まって非常に高い評価を得た。特に葵の上/有明淳と六條御息所/条はるきの車争いから、生霊となった六條に葵が取り憑かれて亡くなるまでを盆回しを駆使しながら一気に見せた下りは、さすが宝塚と内外で評判となった。そして自分にとってこの舞台で最も衝撃的だったのはフィナーレだった。実はこの公演は前物が大地真央の大劇場初主演作「ジャンピング!」という30分ほどのショーで、初演「新源氏」はフィナーレ付の2時間超の作品、そしてそのフィナーレで和装に羽根をつけた衣装がでてきたのだった。さすがにあのフワフワした大羽根ではなく、和装に合うように雉羽根主体にデザインされたものではあったけれど、とにかく驚いた。

 

 1982年(S57年)「あしびきの山の雫に/ジョリー・シャポー」を最後に榛名は大地真央にトップの座を譲る形で専科へ移動した。「あしびき」は榛名が花組時代安奈淳とW主演した1976年(S51年)「あかねさす紫の花」に続く柴田侑宏の作品で、後の1988年(S63年)雪組公演「たまゆらの記」と併せて万葉三部作とされている。専科移動後の第一作は1982年(S57年)バウ公演「永遠物語」で、映画「無法松の一生」をミュージカル化した作品。無骨な松五郎をヒロイン吉岡夫人/条はるきを相手に情感豊かに演じた。1984年(S59年)春日野八千代、神代錦ら重鎮と共に専科公演「花供養」に出演、てっきりこのまま第二の春日野八千代の道を進んでいくものと思っていたが、組公演の重要な役処で脇を固めるような形で出演を重ねた後、1988年(S63年)星組公演「戦争と平和」で退団となったのだった。後年榛名が退団後に現役生と一緒に上演された「永遠」を観たが、現役時代と変わらぬその見事な演技だった。