久世星佳の退団後は2期下の真琴つばさが順当にトップへ昇格したが、それでも未だ天海より2期上級生だった。月組は榛名由梨以来、榛名の一時出向はあったものの生え抜きのトップが続いてきたが、真琴は花組出身で大滝子以来久々の他組出身のトップとなった。また同時期花組の愛華みれ、雪組の轟悠、星組の稔幸と4人同期でトップの記録も作った。それぞれ愛華は伝統の正統派二枚目、轟が骨太の立ち役、稔は王子様タイプという印象で、真琴はビジュアル系というか月組伝統のアイドル系という感じだった。

 

 大劇場での披露公演1997年(H9年)「EL DORADO」で相手役風花舞とコンビを組み、二番手に姿月あさと、三番手汐風幸と花組出身の3人が並んだが、香港公演メンバーによる宙組新設により姿月あさとがすぐに抜けて、星組から紫吹淳が移動。汐風も雪組に組替えとなり花組から初風緑が移動してきて、結局また花組出身者が揃うこととなった。1998年(H10年)「黒い瞳/ル・ボレロ・ルージュ」で風花が退団すると、次に雪組に組替えとなっていた檀れいが戻ってきて真琴とコンビを組むことになった。当時トレンディドラマで話題になった浅野温子・浅野ゆう子の“W浅野”にあやかって、劇団は同時期花組で愛華とコンビを組んだ大鳥れいと合せて“Wれい”とはしゃいでいた。

 

 一方で当時月組には風花に次ぐ二番手娘役として千紘れいかがいた。入団当初は男役だったがその後娘役に転向し、歌唱、ダンスともに優れた生徒で、当初は誰もが風花の後は千紘が真琴とコンビを組むものだと思っていた。そしたら、である。そのせいかどうかは知らないが、真琴と檀の関係性も素っ気ないものだったと聞いた。その後千紘は在団のまま劇団四季のオーディションを受けて合格、2000年に退団してそのまま「ライオンキング」に出演することとなった。

 

 これはあくまで個人的な憶測だが、当時1994年以降雪組と宙組で一路真輝、高嶺ふぶき、轟悠、姿月あさとの相手役としてトップ娘役の座を占める花總まりがいた。普通ならばそろそろ潮時だろうと考えて劇団としては敢えて千紘を真琴とは組ませずに姿月あさとの次の相手役に取っておいて、ビジュアル的に見栄えが良い檀と真琴にコンビを組ませたのではなかろうか。しかしながら一向に花總が辞める気配はなく、2000年姿月も予想外に早いトップ2年で退団となりとうとう…、という顛末だったではないかと勝手に妄想している。

 

 そんなことがあったせいか、檀はその美貌は抜群だったもののファンからのえらいバッシングに見舞われることとなった。当時開設して間もなかった劇団HPの投稿欄は、直接間接に檀へ対する批判や誹謗中傷に溢れていったん閉鎖され、その後検閲制で復活するということになってしまった。

 

 また2000年は“新専科”騒動で、二番手だった紫吹と三番手初風緑が専科へ移動するという事態も発生。その後は組子で汐美真帆、大空祐飛、霧矢大夢、大和悠河が二番手グループを作るような形になったが、このグループは当時“シューマッハ”と呼ばれていたらしい。特に大和は早くから抜擢されたりCM出演等結構露骨な積極的なプッシュがあって、第二の天海祐希を狙って売り出しを図っているのがはっきり見えた。

 

 2001年(H13年)「いますみれ花咲く/愛のソナタ」で新築なった東京宝塚劇場のオープニングを飾る。「いますみれ」は新東宝劇場のこけら落しの作品で、専科から春日野八千代、松本悠里を迎えての上演となった。「ソナタ」はオペラ「ばらの騎士」を原作として、瀬戸内美八の退団公演「オルフェリウスの窓」以来の東京で初演となった。そして大劇場公演では「愛のソナタ/ESP!」が真琴の退団公演として上演された。

 

 この後に檀は専科へ移動となった。かつて高汐巴とコンビを組んでいた秋篠美帆は、高汐の退団に際して次のトップと組むことはないと劇団から言われて退団を決めたと伝え聞いたが、檀は劇団に留まり専科で活動を継続した。その後星組で湖月わたるとコンビを組んで宝塚時代を全うするのは星組編で述べたとおり。

 彗星のごとく現れた天海祐希にあっという間に追い抜かされてしまった久世星佳だったが、元々二枚目役よりも悪役・敵役で存在感を発揮するような個性的な役者というイメージだった。しかし4期上級生ではありながら二番手として研7でトップに立った天海祐希の活躍を支え、そして堅実地道に精進を重ねてトップにたどり着いたという風に見えた。

 

 従来ならば新トップが前任者よりも上級生というのはあり得なかったことだが、天海があまりの早さで駆け上りそして去っていったため、劇団としても他にやりようがなかったのだろう。しかしこれはその後のベテラン返り咲きトップ人事の貴重な先駆けとなった。大地真央の後を継いだ剣幸のように、涼風真世、天海とアイドル性の高いトップが続いた後の久世はどちらかというと職人技が光る感じの芸風で、どうしても地味に感じてしまうのもしょうがないところ。相手役の風花舞とのコンビにも、むしろ玄人受けする渋さを感じてしまったのだった。

 

 トップ披露となった1996年(H8年)中日劇場「ME & MY GIRL」の配役を改めて見てみたら、久世ビルに風花サリーは良いとして、それ迄ジョン卿やマリア侯爵夫人については二番手男役・娘役が演じていたが、ジョン汝鳥伶、マリア邦なつきという渋さ。この様な配役の方がむしろ本来の姿に近いのだけれど、それまでの宝塚版の配役を考えると異色のキャスティングだった。まあジョンとマリアの配役に関しは、その後渋めの配役で落ち着いたようだが。

 

 結局二番手真琴つばさ、三番手姿月あさとに舞台上の華やかさは助けてもらいつつ、大劇場披露公演96年「CAN CAN」に続き「チェーザレ・ボルジア」、つかこうへい「鎌田行進曲」の宝塚版、バウ公演の「銀ちゃんの恋」と作品に恵まれたものの、1997年(H9年)「バロンの末裔/グランド・ベル・フォーリー」で退団となってしまった。「銀ちゃん」はその後大空祐飛主演で2回再演され、更につい先頃花組水美舞斗主演で上演されたばかり。華やかなトップスターだったとは言い難いが、この作品とともに長く記憶に残るだろう。

 

 天海、久世が予想外の早さで退団し、同じ頃に久世の同期である高嶺ふぶきもトップ在位約1年で退団と、この頃からトップスターの回転率が若干上がってきたように思う。当時阪神・淡路大震災の心理的影響を言う人もいたが、やはり“元宝塚トップスター”という肩書を持つ人が増えてきて、更に天海の素早い転身とその後の活躍状況を見れば、退団後芸能界での活動を考えて少しでも早いうちにと考える人が出てきたとしても、それはしょうがない事だろう。あくまで個人的な憶測にすぎないが、その辺の全体的な気持ちの流れが、その後の“新専科”騒動の遠因の一つになっていたのではないかとも思うのだが。

 

 又、この頃1996年から97年にかけて、元々月組にいた汝鳥怜、星原美沙緒、未沙のえるが相次いで専科へ移籍し、いつしかミナトボシトリオと呼ばれて各組の公演で重宝されるようになる。

 涼風真世はスター街道を一気呵成に驀進したが、一気に飛び越えたのが天海祐希。涼風と同じく、またはそれ以上のアイドル性に恵まれて、音楽学校の入学試験でお母様に『よくぞ生んでくださった!』と面接官が言ったとか、様々な伝説を持つスターだった。

 

 1987年(S62年)初舞台の雪組「サマルカンドの赤いバラ」の新人公演で早くも目立つ役が付き、月組配属直後の「ME & MY GIRL」の続演で研1ながら新公に主演、その後も連続して新公に主演した。1990年(H2年)バウ公演「ロミオとジュリエット」で初主演し、1991年涼風トップ就任に伴い二番手に昇進と、スター街道をトントン拍子どころかトンで行ったのだった。若手エースとして活躍していた頃のことだったが、とある公演でカーテン前に天海1人が出てきて注目を集めた後にカーテンが開いて天海をセンターにラインダンス、という場面があった。舞台上で他を圧倒するような存在感を発するその姿に、思わず口には出さず心内で『卑怯だ!』と叫んでしまったこともあった。

 

 涼風の退団を受けて研7で月組トップに就任し、1993年(H5年)「花扇抄/扉のこちら/ミリオン・ドリームス」の3本立てが大劇場披露公演となった。「扉」と「ミリオン」は翌1994年のロンドン公演のための試作作品でもあった。相手役として麻乃佳世が引き続きコンビを組むことになり、二番手に4期上の久世星佳、三番手に2期上の真琴つばさという体制となる。この披露公演の新公で主演したのが天海と同期の姿月あさとで、本公演と新人公演の主役を同期で分け合うという珍しい事態となっていた。天海がトップと決まった際にスケジュール表を見せられ、その最後が2年半後だったためにそこで辞めようと決めた、と後年本人が何かのインタビューで話していた。基本的にトップスターはなった瞬間に退団へのカウントダウンが始まるわけだが、いつ辞めるかについてはその時が来たら鐘が鳴るという話を聞く。しかし天海については先ず自らその時を決めていたようだ。

 

 天海と同期の73期生は入団当時有望な男役が豊富な学年と言われ、姿月あさと、匠ひびき、絵麻緒ゆうの4人がトップになった以外にも、有未れおや夏城令、後に娘役に転向した五条まい等がいた。しかし天海と姿月はトップ在位2年ちょっとで退団、匠と絵麻緒もワン切りで退団といずれも短期間のトップとなってしまった。

 

 ということで天海が95年末に退団するまでの、約2年超の間に本公演5回と外箱4回の公演をおこなった。それには1994年(H6年)「風と共に去りぬ」再演や、退団公演となった1995年(H7年)「ME & MY GIRL」再演も含まれるが、1994年(H6年)「ハードボイルド・エッグ/EXOTICA!」は折からの阪神淡路大震災のために大劇場公演が中止となり、東京公演のみ上演ということになってしまった。

 

 花の命は短いというけれど、宝塚歌劇のトップスターとして咲き誇るのは大体2年から5年くらいの間で、トップスターと言うからにはやはりその間にオリジナルの代表作が1作でもあってほしい。「風共」や「ME・MY」といった再演ではなく、例えば麻実れいの「うたかたの恋」、剣幸の「ME & MY GIRL」、一路真輝「エリザベート」のように後に何度も再演されるような作品や、大浦みずきの「キス・ミー・ケイト」や大空祐飛の「カサブランカ」といった、その人だからこそ上演できた作品。大劇場でもバウ公演でもいいからそんな公演があってほしいと個人的には思っている。

 

 天海のトップ在位中にオリジナルで印象に残った舞台というのが、残念ながら正直なところ記憶にない。個人的に敢えてあげるならば、本人が以前から演りたかったと言っていた1995年(H7年)最後のバウ公演「ある日どこかで」にその可能性があったのかもしれないと考える。クリストファー・リーブ主演の名作SF映画の舞台化だったが、結局特に話題になった記憶もなくその後再演されることもなかった。

 

 天海は常に注目を集める華やかな存在感を示してきて、彼女に憧れて入団したと公言する生徒も少なくない。在団中や退団後の活躍やインタビューを見てスターとしての魅力は判るのだけれど、在団中に“これぞ天海!”と言えるような決定打となる作品が見当たらないのが、個人的には宝塚歌劇のトップスターとしては今一つ物足りなかったところだった。

 個人的な見解になるが、特にこの頃月組のトップは見た目も華やかなアイドルタイプと、玄人受けするタイプに二分化されるように思う。涼風真世はそのアイドル型の代表的なスターで、フェアリー・タイプの男役として新人ころからスター街道を一気呵成に驀進していた。

 

 ある時涼風が舞台袖で出のタイミングを待っていた際に、舞台のスポットライトで浮かび上がった姿を見て後光がさして入るかのようだったと言った生徒もいた。前述の通り「ME・MY」でジャッキーを演じた時は男役の影を微塵も見せずに見事に演じ切り、元々歌唱に秀でたものはあったが演技力をもそれ以上に印象付け、宝塚の次の時代を背負う存在であることを観客に納得させて剣幸に次ぐ二番手として活躍の場を一気に広げた。

 

 二番手というのは主演のトップと相対する立場で友人役から敵役まで様々な立場の役柄が回ってくることが多く、また別箱で主演する機会も増える非常に面白い時期であり、この頃に様々な役柄をこなして経験値をあげることでそれだけ後に引出しを増やすことになる。まあ、二番手のままで退団する人や二番手期間が長期になるケースもあるが、それは置いとくとして、2000年の新専科騒ぎ以降1~2公演二番手を務めただけでトップになる人がちょくちょく見られるようになったが、できればもう少し時間をかけてトップ修行をさせてあげてほしいと個人的には考える。天海祐希でさえ研7でトップになる前に、約2年涼風の二番手を務めていたわけだし。

 

 涼風について見れば、かなり充実した二番手時代を送ったのではないだろうか。1989年(H元年)「新源氏物語」夕霧/惟光や同年「天使の微笑・悪魔の涙」メフィストフェレス、またバウ公演1988年(S63年)「リラの壁の囚人たち」、1989年「赤と黒」に主演。平安貴族に悪魔、そしてスパイや野心家の青年と幅広い役柄を演じていた。

 

 そして剣幸の退団を受けて次のトップとなり、1991年(H3年)「ベルサイユのばら」が披露公演となったが、これは「オスカル編」と称して初めてアントワネットが登場しない物語となったことで話題となったが、これは当時の月組の陣容でアントワネットができる娘役がいなかったことが理由らしい。コンビを組んだはずの麻乃佳世はアランの妹ディアンヌで、こだま愛に次ぐ二番手娘役として活躍してきた朝凪鈴(あさなぎ りん)は本公演で退団だったので最後の花道に、とはやっぱりいかずにロザリー役。やはり、ちっとばかし柄ではなかったようだ。

 

 涼風オスカルは正に適役だったけれど、「ベルばら」の成り立ちを考えるとアントワネットが出てこないということは、本来の主人公消失という事になってしまうのでそれもどうかと思うのだが…。この頃からか宝塚での舞台化に際して、本来のの主役が変わったりすることが目立ってきたように思う。

 

 同年の次作「銀の狼」はいかにも正塚晴彦なサスペンスで、記憶喪失の殺し屋役と涼風らしからぬ異色の役柄に挑戦することとなった。そして翌年1992年(H4年)「PUCK」で妖精を演じ、これが当たり役となった。最近“昔妖精、今妖怪”などと自ら称しているようだが、人間離れ(以外?)な役を演じた時の涼風は他の追随を許さなかった。

 

 二番手が天海祐希でトップ涼風と併せて、非常に華やかな組み合わせとなった時代で、天海に抜かれた形となったが三番手の久世星佳がこの二人を堅実に支えていた。翌1993年(H5年)「グランドホテル/BROADWAY BOYS」が退団公演となるが、この公演はブロードウェイ俳優・演出家であるトミー・チューンが演出・振付を担当して話題となった。またこの「GH」でも冴えない会計士オットーが主役となって涼風が演じ、また主役変更が議論を呼んだ。後年珠城りょう主演で再演された際は初演で久世が演じたフェリックス役が主役となり、涼風の大ファンだったという美弥るりかがオットーを演じたのは、未だ記憶に新しいところ。

 

 相手役としてコンビを組んだ麻乃佳世は元々涼風のファンだったとのことで息の合ったコンビとなったが、個人的には今一つ印象が薄かった。一方この頃活躍した娘役に羽根知里という生徒がいて、同期に紫ともがいて隠れ気味ではあったものの、個人的には当時一番の贔屓だった。涼風と一緒の退団公演となった「グランドホテル」では、バレリーナのグルシンスカヤを演じて退団の花道を飾った。

 

 音楽学校を受験する前は工業高校にいたという異色の経歴や、二字の芸名(一字姓+一字名)というのが鳳蘭以来ということで当初は注目を集めたこともあったらしい。剣幸を最初に舞台上で意識したのは大地真央のトップ披露「愛限りなく」で、春風ひとみ扮する春琴に言い寄るすかしたボンボン利太郎役だった。「ガイズ&ドールズ」ネイサン役で、ドスを利かせた『クラップやろうぜ!』の台詞も記憶に残っている。アデレイドは条はるきで観たかったのだが退団してしまったので東京公演は春風で観劇したが、それでも良いコンビネーションを見せてくれた。

 

 そして大地が退団を発表して剣が次のトップと明かされたが、正直月組は榛名由梨、大地ととても華やかなスターが続いた後で剣というのは、個人的に嫌いではないしとても堅実ではあるけれど、何だかとても地味に感じてしまったのが正直当初の印象だった。若いころはよく女優の野川由美子に間違われたとのことだったが、愛称の“ウタコ”は口が大きいからと京唄子師匠に因んで名づけられたらしい。

 

 披露公演1985年(S60年)「ときめきの花の伝説/ザ・スイング」を観ても、その地味な印象はあまり変わらなかった。ただ、相手役としてコンビを組んだこだま愛との相性はとても良い様だったし、演技・歌唱・踊りのどれに対しても真面目堅実にこなす姿には好感が持てた。ただ当時月組で剣に続く二番手というのがはっきりせず、郷真由加、桐さと実、涼風真世の3人で二番手グループを形成しているような状況だった。学年としては桐が一番上だったが、当初は郷が先頭を切っていた。

 

 そして1987年(S62年)「ME & MY GIRL」が上演された。当時ロンドン・ウエストエンドやNYブロードウェイでも上演中とあって「ロンドン、NY、宝塚同時上演!」と宣伝を打っていたのを思い出す。舞台は大ヒットとなり全てはまり役となった同じキャストで次の公演も続演となり、結局月組はこの年1年間ずっと「ME・MY」という事になってしまった。余りの評判の良さに本家ロンドンの舞台でも、最後に宝塚風のフィナーレが追加されたとか。

 

 この舞台では勿論主人公の剣ビルとこだまサリーの好演が光ったが、郷ジョン卿と春風ひとみマリア公爵夫人、桐ジェラルドと涼風ジャッキーの両コンビが抜群のアンサンブルで舞台を盛り上げた。特に涼風は当時若手男役ホープでありながら、ビルの誘惑シーンではあられもなくすらりとしたおみ足を晒して、観ていたこちらの方がドキドキしたほどだった。何でも演じた当の本人は、何も気にしていなかったという噂を後で聞いたのだけど…。

 

 未沙のえるパーチェスターや汝鳥伶(汝鳥怜)のジャスパー卿、そして園みはる(星原美沙緒)ヘザーセットも揃ってミナトボシ・トリオの原点となったと言えよう。特にランベスクウォークの湧きたつような興奮は今でも忘れがたい。舞台半ばまで甲冑を着たまま、舞台上で立ち尽くした大海ひろの健闘もあった。この続演での新公に研1で主演した天海祐希は、もはや伝説になったと言えるだろう。月組は元々芝居の上手い組という印象だったが、これを機に「芝居の月組」の評判が高まったと思う。

 

 月組が1年間「ME・MY」漬けとなった後が1988年(S63年)「南の哀愁/ビバ!シバ!」。「南の」はかつて春日野八千代と乙羽信子のコンビで初演後に何度も再演されてきた作品で、クラシックな雰囲気漂うメロドラマ。一方「ビバ!」は久しぶりのショーということで「ビバ!シバ!」ならぬ『“ビシ!バシ!”や』と嘆いた生徒がいたそうな。「ME・MY」以降涼風が郷を抜いて二番手へ一気に駆け上がって行った。

 

 結局郷は1988年(S63年)「サウンド・オブ・ミュージック」で春風と共に退団。春風も別格娘役として大きな活躍していたので惜しまれての退団となった。翌1989年(H元年)「新源氏物語」の再演で桐も退団。月組は剣トップに二番手涼風、三番手に急成長を遂げた天海という体制になっていた。榛名由梨、大地真央という大スターの後を継いで、約5年間のトップ在位の間に次世代へ続く道筋をキッチリ形作ったと言えよう。そして1990年(H2年)「川霧の橋/ル・ポワゾン」で剣とこだま同時退団となった。「川霧」では天海の悪役が印象に残ったが、それ以上にそれまで清純派として可憐なダンスが特徴的だった舞希彩が演じる女郎の哀れな姿が記憶に残っている。

 

 最近トップの退団公演は作品の質よりも、最後にファンが見たいスターの姿を見せることに主眼を置く傾向があるようで、『サヨナラに傑作無し』との声を聴くこともある。しかし「ポワゾン」については既に全国ツアーで何度か再演された上に、「川霧」についても月組新トップ月城かなとの博多座におけるトップ披露作品として上演が予定されている。一本立てを除いて退団公演の芝居とショーの両方が再演されるのは、今のところ多分「川霧/ポワゾン」だけじゃないかと思うのだが。