次に時代は雪組と星組で若いWトップが生まれてから3年後の、1973年へ戻ることにする。上月晃、甲にしきとともに3Kトリオと呼ばれた月組トップ古城都が退団し、次のWトップとなったのが大滝子と榛名由梨だった。両名共に雪組の郷ちぐさと同期で当時研11、榛名は専らダンサーとして評価されていたが、大は歌唱に優れたものはあっても演技面で今一つといわれていたようだった。ただし、当時の月組にはこの2人よりも目立った娘役スターの初風諄がいたので、このWトップは少々地味なものと見なされたらしい。2人よりも2期上の初風は入団時男役だったが入団直後に娘役に転向し、研1で映画「ローマの休日」を舞台化した「絢爛たる休日」の王女役に抜擢される。その後1960年代後半に星組で上月晃や南原美佐保の相手役を務めた後、1970年月組で八汐路まりの後を継いで古城の相手役となっていた。「ベルばら」の後になるが、1975年(S50年)「ラムール・ア・パリ」では初風がサラ・ベルナール役で主演した。

 

 そして1974年(S49年)「ベルサイユのばら」が初演されることとなった。当初ファンからは星組のゴールデントリオと呼ばれた鳳蘭・安奈淳・大原ますみでの公演希望が圧倒的だったが、大原の退団もあって当時アントワネット役に最も適していた初風がいる月組での上演となったのだろう。ただ一方で漫画を実の人間が演じるのは絶対無理、イメージを壊すなという原作漫画ファンから上演反対の声が上がったり、演出を担当することとなった長谷川一夫も当初は“清く正しく美しく”がモットーの宝塚で王妃の不倫の話を上演するのはどんなものか、と上演に対して難色を示したとのこと。中には「薔薇はイギリス王室の花で、フランス王室の花は百合だ!」という声もあったとか…。ただ当時の宝塚の非常に厳しい経営状態の中で、とにかく何かをやらなければいけないという意気込みからなんとか上演のこぎつけ、初風アントワネット、榛名オスカル、大フェルゼンで幕が上がることとなった。

 

 特に榛名はオスカルを演じるに当たり、舞台に立った時に元々の宝塚ファンだけでなく原作漫画のファンの期待も裏切ることのないようにと、とにかく漫画を片手にメイキャップの研究に勤しんだそう。また、カツラを二個合せてあのヘアスタイルを実現したとも聞いた。そしてオスカルに扮した榛名が舞台に登場すると、その姿が漫画そっくりと大評判を呼び榛名の人気は文字通り爆発したのだった。勿論長谷川一夫の自身の経験を生かした、観客受けを第一に考えた演出も重要な要素だった。スポットライトが当たった際の視線の向け方等細に入る指図によって少女漫画特有の瞳に宿る光までも実現させたり、役者にとってきつい態勢ほど客席から見て美しくなるという自らの経験による指導も効果を上げた。

 

 最近は劇画やアニメを舞台化した所謂2.5次元ミュージカルも随分一般化したけれど、その元祖はやはりこの「ベルばら」と言えるだろう。宝塚歌劇はこの公演を切掛けに息を吹き返して現在に至るのだが、現在も劇画原作の公演でその再現性の高さが評判を取るのは、この時の経験が伝統の一部として受け継がれているからだと思う。

 

 この初演は後で「アントワネット編」と呼ばれたように最も原作に近くアントワネットの生涯を綴った話で、フィナーレでは榛名オスカルと大フェルゼンに挟まれて初風アントワネットが舞台センターの立ち位置を占めていた。また物語の冒頭のアントワネットがオーストリアから馬車に乗って輿入れするシーンで、少女時代を演じた北原千琴の余りにも可愛らしく可憐なその姿は伝説となり、後に甲にしきが「ベルばら」で演りたい役は何との質問に対して少女時代のアントワネットと答えたとか。そして初演ではまだ脇役だったアンドレを演じたのが麻生薫という生徒で、松あきらや常花代の同期で音楽学校では良い成績を取っていながら中々役がつかなかった麻生の抜擢を、この同期生たちが喜んで演出家の所へ揃ってお礼に行ったとのエピソードも聞いた。なおこの初演は一本立てではなく大劇場での併演は「秋扇抄」、特に大ヒットとなった後の東京公演での併演が真帆志ぶきの退団公演「ザ・スター」だったため、かなりのチケット争奪戦となったとのこと。

 

 榛名は「ベルばら」を花組で再演するために1975年組替えとなり、入れ替わりに瀬戸内美八が花組から移動となった。その結果大が月組の単独トップとなり二番手瀬戸内、三番手叶八千予という体制になる。初風がソ連・パリの長期海外公演で休演した際、1975年(S50年)「恋こそ我がいのち」(東京公演は「赤と黒」に改題)では代役の舞小雪が相手役となった。

 

 ところで、月組ではこれ以前より初風と大の間で何やら不穏な空気が流れていたようで、榛名が花組へ組替えとなった後に状況はかなり悪化し組を二分しかねないまでになったらしく、結局事態を収拾できなかった責任を取って美山しぐれ組長を始めとして数名が退団することとなった。その後大も1976年(S51年)「長靴をはいた猫/スパーク&スパーク」で退団となる。当時トップの退団公演は、例えば真帆志ぶきの「ザ・スター」や上月晃の「ザ・ビッグ・ワン」というように、タイトルからしてスペシャル感のある公演を打つのが恒例で、当時『歌舞伎は襲名披露で稼ぎ、宝塚は退団公演で稼ぐ』と言われたほど、トップスターの退団公演は非常に大きなイベントだった。

 

 しかしながら大については「長靴」は童話劇でショーも特にスペシャル感はなく、しかも大劇場公演だけで東京公演はなし。更に退団後に金銭スキャンダルが報じられるなどもあったせいかどうかは知らないが、その後のOGイベントに名前を見ることはなく(度々改名を重ねていたようなので見落としたのかもしれないが…)、初演オリジナルキャストでありながら「ベルばら」上演史や歌劇団100年史でも大についてほとんど触れられることがないという、ほぼ黙殺状態となってしまったのだった。

 

 一方で初風は「ベルばら」後に前述の「ラムール・ア・パリ」に主演したり、ヨーロッパ公演に参加した後、退団公演として1976年(S51年)星組公演「ベルサイユのばらⅢ」に再度アントワネット役で特出し、鳳フェルゼンと相対することとなった。ところが長らく在籍していた月組のメンバーから最後は是非月組から送り出したいとの声が上がったとのことで、続く月組の東京公演は急遽「ベルばらⅢ」の続演となり、今度は鳳が月組に特出での公演となった。退団後は芸能活動から遠ざかっていたが、東宝版「エリザベート」初演のゾフィー役での突然のカムバックを皮切りに、現在に至るまで多くの舞台やOGイベントで活躍する姿を見せている。

 

 因みに「ベルサイユのばら」は後に梅田コマ劇場で森田日記という人の主演で舞台化されたり、フランスのジャック・ドミー監督で映画化もされ、現地ベルサイユ宮殿でのロケを敢行したり化粧品のCMとタイアップしたりと随分盛り上げようとしたものの、いずれもヒットには程遠い結果となってしまった。その際にライバル会社が対抗して打ったキャンペーンのCMソングが布施明の「君は薔薇より美しい」だった。元々宝塚とロココは相性が良いと言われていたが、図らずも「ベルばら」がそれを証明したこととなった。