これまた一度は行ってみようかと思っていたのが、

千葉県市川市にあります芳澤ガーデンギャラリーでありまして、

ちょうど開催されているのが「アンリ・ルソーと素朴な画家たち」展、

これなら行ってみちゃおっかな!というわけです。


「アンリ・ルソーと素朴な画家たち」展@芳澤ガーデンギャラリー


もっとも今回展は世田谷美術館のコレクションによるものらしいので、

「それなら世田谷美術館へ行ってもおんなじ?…」と意気ごみに水を差す要因が浮上しましたが、

「ま、世田谷美術館とて、今回展の作品がいっぺんに見られるとは限らんし」と、ここは前向きに。


JR市川駅から京成の市川真間駅を通り越して歩くことしばし、

「へえ~、こんなところに?」という住宅街に芳澤ガーデンギャラリーはありました。

まあ、それもそのはず、芳澤さんという方が市川市に土地を寄贈してできたものということですから、

かつては持ち主の住まいがあったのでしょうね、ここに。

個人宅としては広いねえ!と思いますが。


さて展覧会でありますが、

アンリ・ルソーを始めパントル・ナイーフ(素朴派の画家)作品を集めたものでして、

アンドレ・ボーシャン 作品4点ほどの展示から始まります。


素朴派なればこその、独学で絵を始めたような人たちだからなんですが、

あらためて塗りや陰の付け方、人物のバランス、遠近感、構図などなどを見るにつけ、

よくぞ「素朴派」という命名があったものだと感心するのですね。


下手っぽいとか子供のようだというところと紙一重の力を持ち、光を宿しているのですよね。

今回展に「海辺の船」という一作が展示されていたアルフレッド・ウォリス などは

大抵見るもの見るもの、船の向きがあっちゃこっちゃしてますものねえ。

それでも「なんだ、こりゃ?」で切り捨てられないものがあるという。


そうしたところに比べると、まだまだアンリ・ルソーやボーシャンは腕利きと言えそうですね。

そして、本展の注目作はといえば(と例によって個人的にですが)、

カミーユ・ボンボワの「活気のある風景」なる一枚ではないかと。


木々が高く覆いかぶさるように大きな並木道のそこここに何組かの人物が配されていますけれど、

タイトルにあるような「活気」のありそうな人はどこにもいないのですね。


そこでよおく見てみると「おお!活気を発見!!」となったのですが、活気があるのは「木々」なのですよ。

そうした目でみると、実に活気を呈した木々の具合。

これだけ元気に繁る木々だけに、木漏れ日はあるものの、ホントはもっと道が暗くなってないかい?

と思ったりするところですが、そこはそれ素朴派ですから。

これもまた、いい味ということで。


とまれ、ルソー、ボーシャン、ボンボワといった素人画家(?)の作品に目をとめ、

「聖なる心の画家たち」展という展覧会を開いたという画商で美術評論家のヴィルヘルム・ウーデ。

この人が見出さなくてもやがては誰かが…ではあったかもしれませんけれど、

よくぞ発見してくれました!と思うわけです。


絵の教育を受けてないてなことから敷居の低さを感じつつも、

何だか味のあるところを提供してくれるパントル・ナイーフの作品には和ませてもらえるものですから。

多摩センターに出向いたときに

多摩美術大学の美術館 を覗いたということはこれまでにも何度かあったのですけれど、
距離的にはもそっと近い武蔵野美術大学の美術館には行ったことがなかったのですね。


都心の大学ならばいざしらず、

多摩地域の大学ともなると駅から歩いていけるというところはそうそうないのでして、

つうことはちと町に出たついでにというよりはわざわざその大学に出向かないといけない。
多摩美のようにキャンパスとは別のところに美術館をもっているのは別ですが。


ということで、こたびは意を決して?出かけてみたわけです。
といってもゆうに自転車圏内ですので、むしろ遅きに失したというべきやもしれませぬが。


お目当ての展示が美術館とそして図書館の館内展示にあったのですけれど、
いざ出かけてみますと、美術館内では3展同時開催の全部と図書館展示を見たものですから、
4つの展示をひと巡りというわけです。
しかも全部無料!ムサビの太っ腹を讃えましょう!


最初に覗いた展示は「災厄防除-まもる姿・ふせぐ形-」というものでして、
魔除けの藁人形から虫除けの蚊取り線香や蚊帳、火除け関連で江戸火消しの装束や道具類、
盗人除けの鍵の類いに雨除け・雪除けの蓑笠や蓑合羽、そしていろんな災難除けの護符などが
ところ狭しと展示されていたのですね。


災厄防除-まもる姿・ふせぐ形-」@武蔵野美術大学美術館


こうした歴史的な風俗・習俗を伝えるようなものも美大の展覧会になるのかぁ…と思いつつも、
何もファインアートばかりが美大の領域でなくって、いろいろなデザインは全て研究対象でも
あるのでしょうね。実際、美術館の中の一角には「椅子のギャラリー」なんてのもありましたし。


この展示は予め見ようと思っていたものではなかったのですけれど、予想外に面白かったですねえ。
だいた藁人形というと「呪いの…」という枕詞をつけてしまいそうになりますが、
実は古来からの魔除けが本来の姿であったてなことは、この歳になるまで知りませんでした。


ちなみに屋外では超巨大な藁人形が展示されてました。

秋田県湯沢市に伝わる「鹿島様」というものらしいです。


鹿島様@武蔵野美術大学


美術館内もう一つの展示は「滝沢具幸 地の譜」と題したムサビの教授だった方の退任記念展。


「滝沢具幸 地の譜」展@武蔵野美術大学美術館



失礼ながらあらかじめ存じ上げない作家ではありましたけれど、
日本画の技法では抽象にも近い風景画・人物画で色合いが比較的落ち着いている分、
不協和音が走ることなく見ることができたのでありました。


さて、これから予定していた見ものとなりますが、美術館内のさらにもうひとつ。
「中村とうようコレクション展 楽器とレコードを中心に」というもの。


「中村とうようコレクション展 楽器とレコードを中心に」@武蔵野美術大学美術館


ポピュラー・ミュージックの研究家でもある中村とうようさんの音楽関連コレクションは
膨大なものでありましょうけれど、それがすべてムサビに寄贈されたというのですね。


ここでもまた「音楽関連コレクションが美大に?!」と思うわけですが、
全てはデザインに関わるところでありますし、大きな文化との関わりの中で美術的な側面というものを
捉えるといった考え方もあるのでしょうね、きっと。


「楽器とレコードを中心に」とありますように、楽器は主に中東・アフリカの民族楽器が展示され、
その素朴な形には思わず触って音を出してみたくなってしまうという(やりませんけどね)。


そして、レコードの方は昔々のレコード・ジャケット(ボブ・ディランが妙に若者だったり…)や
レコード盤自体に絵や写真がプリントされているレア盤の展示が。


ジャケット展示では自分の持っているフォーク・クルセダーズのライブ盤が飾られていて、
「もしかして、レアものだったのかな…」と思ったりした一方で、
勝新太郎の若かりし頃がレコード盤にプリントされているものには、本当にぶっ飛んでしまいました。
「こ、これ?勝新?!」と。(北川景子に似ている…という声が聞こえてきたりしましたが、ま、鼻なら…)


さて、最後になりますが所を図書館(新築のピッカピカ)に移して、
館内展示でみる「海のグレート・ジャーニー」という写真展を見てきました。


「海のグレート・ジャーニー」展@武蔵野美術大学図書館


インドネシアから沖縄の石垣島まで古代の人たちが手作りの船で航海(漂流?)したであろう足跡を
辿ってみる旅の記録なんですが、そもそもムサビで文化人類学を教えている関野吉晴さんの

プロジェクトだというのですね。関野さんは一橋大に探検部を作った方だそうです。


旅そのものの様子を伝える写真も見ものではありましょうけれど、
その航海をするにあたって船を作ることから始めたわけでして、船作りの道具などの展示もありました。


なんでも美大生に語りかけられたというのが「ものづくりを学ぶ学生なら、一から船を作ろう」ということ。
その「一から」というのが九十九里の海岸に出かけての砂鉄探しだったというのが凄いことではないかと。


砂鉄を集めて、たたら製鉄(「もののけ姫」に出てきますなぁ)するという。
出来た鉄で船を加工していく道具を作るのだと。そんなところから始めるとは!


話を端折ってしまえば「海のグレート・ジャーニー」は成功したということなんでしょうけれど、
とまれ、スタート地点の置き方が凄いですよね。

屋外展示でその船が置かれていましたけれど、やる気になれば何でも作れちゃうんですなぁ。


これでグレート・ジャーニー?


そして、ちょっと前にジェームズ・クック の乗ったエンデヴァー号が小さいと感じたのですが、
そこに置かれたカヌーのような物体で航海したというのですから、
人間のチャレンジ精神というのは大変なものだなぁと思ったのでありました。

しかしまあ、1週間だったシドニーへの旅の見て歩き紀行よりも駿豆紀行といういささか地味な旅の方が

書くこといっぱいだったってのは「どうなってんの?!」と思うわけですけれど、

思いのほか結構ツボにハマった旅だったのかなぁと。


そうはいってもお終いはやってくるものでありまして、

シドニー見て歩き紀行 に倣い(?)こたびもまた「落ち穂拾い編」で幕を閉じることにいたします。

これまでの記事に漏れた写真のあれこれ、見てやってくださいまし。


まずは清水で次郎長 の菩提寺から生家で向かう途中で見かけたお店ですが、

何を売っているのかさっぱり?なものの、「高くない」ということだけはよく分かりますよね。


一番高くない店?


お次は御穂神社から海岸に続く「神の道」に沿った松並木で見かけたもの。

何とはなしに印象派の画家たちが描いたエトルタの断崖を思い出させるというか(単に象かも…)。


御穂神社「神の道」の松


三保の海岸 からバス通りに戻る道で奇想建築を発見!


三保の奇想建築?


続きまして、土肥金山 の中から「坑内風呂」のワンショット。

人形ですけどね、何も女性でなくってもねえ、ああた…みょ~に淫靡ですなぁ…。


土肥金山の坑内風呂


最後はちっとばかり真面目に。

米国への渡航を申し出て叶わず、ペリー艦隊 から連れ戻されるという憂き目にあった吉田松陰ですが、

立派な像となって玉泉寺 近くに立っておりましたよ。


吉田松陰像


いやはや、長らく駿豆紀行にお付き合いいただき、ありがとうございました。

しばらくはごくごく普通の内容に戻って精進致す所存でございまする。

思いがけずも下田で飛び乗った黒船電車 はゆっくりのんびり眺望を楽しませてくれつつ、
2時間弱かけて熱海に到着したわけです。


このまま帰るにはちと早いか…と車中で算段しておりましたのが、

MOA美術館に寄ってみようということ。

熱海には何度も来ていて、駅の裏側の斜面を見上げれば「おお、そこに」ということは知りつつ、
行ったことがなかったものですから。


駅前からバスで急坂を上ること7~8分で美術館の入口に到着します。
それにしても、行かれた方はお分かりかと思いますが、とんでもないところですね、ここは。


建物に入ってすぐに待ち受けるのは長い長いエスカレータでして、
東京の地下鉄でいちばん深いといわれる新御茶ノ水駅のエスカレータよりも長い。
(新しい駅がたくさんできてるので、この情報自体古いかもですが…)


「ほぉお」と思いつつ上っていき、エスカレータの降り口までくると、
目の前にはまた同じくらいの長さのエスカレータが!
これを降りるとさらに次、それを降りてもさらに次。


だんだんと空恐ろしくなってきてしまったのですね。
母体が宗教関係だからなんでしょうか、何かの効果を狙っているのかと勘ぐってしまいますが、
「逆効果」というのはあまり考えられてないのかなと…。


悪酔いのような余韻をひきずりつつ眺める常設展示は、
なんだか見るともなしに…みたいになってしまったものの、特別展では予期せぬ見ものに出会えました。


これもNHK「日曜美術館」だったでしょうか、紹介されていたのは。
陶芸家の三代徳田八十吉追悼展で、確かこことは違う美術館の紹介でしたので
巡回してきてたのかと。


三代徳田八十吉追悼展@MOA美術館


基本的には陶芸も「ピンとこない」部類なんですが、八十吉作品を紹介番組で見たときの

その色鮮やかとグラデーションの妙にびっくらこいたのですね。
これが陶芸?ガラスじゃないの?と。


何よりこの色遣いは侘び寂びも関係なければ、形がどうのという目利きらしき知見はちいとも必要がなく、
つまりは素人向けとも言えそうですが、いわゆる陶芸作品に接することによって湧いてくる感興とは
違ったものなのではないですかね。


素人故の乱暴な言い方になりますが、
「陶芸ったって要するに器でしょ、お茶飲んだり、刺身盛ったりするんだよね」

と思うところがあるのですね。


ところが八十吉作品の場合、

形なるほど器ながら花を活けるとかふぐさしのせて透ける絵柄を見るとか、
他のものとのコラボを排除している、つまり自己完結してるわけです。


非常に月並みな言い方になりますけれど、

これはこれで足し引き無しのひとつの「小宇宙」なんでしょうね。


入口から展示室にたどり着くまでの間に思わぬ心身の疲労を感じましたが、
ともかくも特別展でホッとできたのでありました。


あ、そうそう、ちなみにですが、
ここの美術館の有名な所蔵品である尾形光琳「紅白梅図屏風」は冬場しか見られないようですね。

昔むかし、中国が唐と呼ばれた時代のこと。

山東の泰安という村に杜氏という一族が住んでおりました。


元は漢の時代から続く山東貴族の傍流ということで

たいそう羽振りも良く暮らしておりましたが、

生来働くことを知らずに過ごしてきた一族は先祖の遺産を食い潰すばかりで

家運も傾き、今では夫婦二人きりとなっておりました。


そんな夫婦に念願の一人息子が生まれますと、それはもう大喜び。
また、子春と名付けたその息子が幼い頃から目立って利発だものですから、

家名再興への期待もあって、子春の可愛がりようは並大抵ではありませんでした。


夫婦の望みといえば、息子には勉学に不自由ない暮らしをさせて、

やがては科挙に合格し進士となってもらいたい。

一度は没落の憂き目にあった杜氏一族の行く末の安泰を夢見るのでありました。


幾年かの後、立派な若者となった杜子春が科挙合格を目指して

勉学の総仕上げをするために洛陽の都へと出立するときが来ました。
涙ながらに別れを惜しみ、振り返ればいつまでも大きく手を振る父母を村に残して、

子春は意気揚々と都を目指したのでありました。


しかし、このときまで僅かに残った先祖伝来の品々を売り払うなどしながら勉学を支え、

精一杯の金子を子春にもたせた父母がもはやこの日の食べ物にも困るありさまであろうとは、子春は知る由もありませんでした。


さて、洛陽の都に着いた杜子春はといえば、

田舎暮らしであった若者には見るもの聞くもの珍しく、

いろいろ興味津々ではありましたけれど、

吉報を待つ父母を思って勉学に邁進する毎日でありました。


しかし、井の中の蛙大海を知らずの故事どおり、

いかに田舎で抜きん出た才を誇ったにせよ、

杜子春が自信満々で臨んだはずの門は固く閉ざされたままでありました。


再起を期して当座の暮らし向きのための用立てを父母に書き送ったところ、

まもなく僅かばかりの糧を得ることができましたが、

そうしたことも父母のなりふり構わぬ借財によるものとは

思ってもみない子春でありました。


そうして改めて挑んだ科挙ではありましたが、やはり杜子春には門は開かれず、
やむなくもう一度用立てを子春が送らんとしたときです。

故郷の知人から突然に短い知らせが届いたのです。


困窮のあまり他人の家で盗みを働こうとして見咎められた者があり、

逃げ出そうとするので打ち据えたところ、思い余って力が入ってしまった。

ぐったりしたところを引き起こしてみれば、子春の父母。

ほどなく息を引き取ったのだということでありました。


もはや杜子春には、栄達の道は閉ざされ、父母はなく、

今このときの糧すらなくなってしまいました。


途方に暮れるあまり都のうちをあてもなくさまよい歩いたのちに辿り着いたのは西の大門。

歩き疲れた体を門にもたせかけ、天を仰ぐことしたできない子春でありました。


ところが、こうした事の次第を仙術によって全て見知っていた者がひとりおりました。

この人こそ杜子春の故郷である山東は泰安のすぐ近くにあります泰山で

修行を重ねた仙人の鉄冠子でありました。(続く)




またまた久しぶりに創作めいたこと(例によって二次創作 ですが)をやってみました。


このあいだ両国界隈を散歩 しました折りに出くわした芥川龍之介 の文学碑に、

「杜子春」の一節が刻まれており、改めてこの作品を読んでみたところ、

鉄冠子はなぜ杜子春に声をかけたのだろう…

その後の子春の行動をどう説明したらいいだろう…

てなことをあれこれ考えてしまったことから、このようなことに。


本当は先に申上げればよかったのですが、

紙芝居のおじさん口調で読んでいただくと「いい感じ」になるのではと思っております。


ところで、「杜子春」の物語をご存知の方もそうでない方も、

後編をUPするまでに一度お読みいただくと(短い作品ですので)、

いくらかお楽しみいただけるやもしれませぬ。


そうでないと、ただのなんつうことのない作文に思われることでしょうから。

(お読みいただいた後にもそう思われるかもですが…)

とまれ、後編は来週早々にもUPできればと思っております。