ヴィヴァルディ といえばやっぱりヴェネツィア でありまして、
そうとなれば、ここらで一度はマルコ・ポ-ロの探究ということで。
とはいえ、まず手にしましたのはつい先日読んだ「夏目ホームズ
」の作者、
柳広司さんの「百万のマルコ」ですから、これまたパロディなんですけどね。
ただし、タイトルの「百万のマルコ」から紐解いていきますとですね、
マルコ・ポーロはどうやら実際に「il milione」(イル・ミリオーネ、イタリア語で百万の意)と
呼ばれていた(自称していた?)のだそうですよ。
ヴェネツィア商人であったマルコ・ポーロは東西交易の結果として莫大な財産を得たので
百万長者のという意味での「イル・ミリオーネ」だとか、
旅の話を語って聞かせるときに何ごともスケール大きくやたらに「百万」という数量的表現を使ったからとか、
はたまた話自体そもそも「大ボラ」ではないかと思われてたからとか、理由はさまざまですが。
(イタリア語には、un milione di frottoleという言い回しがあって、「嘘八百」に相当するらしい)
ということで、本書は「東方見聞録」にある話に多少(多分に?)味付けを施して
「そりゃ、ホラ話以外の何ものでもなかろうよ」という大風呂敷をマルコが語ったものを記録したという体裁。
しかも、どの話もマルコが大苦境に陥ったところで何故か話はいきなり飛んで、
「こうしてフビライ・ハンの使いの役目を無事に果たしたのである。神に感謝、アーメン、アーメン」
と終わってしまう。
話を聞かされえる方はたまらないわけで、肝心な部分を簡単には語らないマルコに代わって、
「どうやって苦境を切り抜けたか」を聞いてる側が推理しあう…この辺りが作者ならではなんでしょう。
読んでいていかにもTVの連続ドラマに似合いの題材だなぁと思いましたけれど、
先の「夏目ホームズ」同様に押さえるべきところは妙にうまいこと実際のところを取り込んでいるのでして、
話をするマルコはジェノヴァの牢獄の中、
の書き取りもピサのルスティケロという実在の人物だったりするという。
それなりに面白く読ませてはもらいましたけれど、
さすがにこれをもってマルコ・ポーロ探究と言いがたく、
続いて手に取ったのが「マルコ・ポーロは本当に中国へ行ったのか」という実にキャッチーなタイトルの一冊。
それだけにこの本のオリジナルが出回った当時(1300年頃)、
「歴史的事実に茶々を入れるな!」的な誹謗中傷が渦巻いたとか。
考えてみれば、原題も同様に「Did Marco Polo go to China?」という疑問形であって、
「マルコ・ポーロは中国へ行っていない」との断定が表紙を飾っているわけではないのですが…。
で、読んだところはどうであったかといいますと、要するに「東方見聞録」に信を置く限りにおいて
「マルコ・ポーロは中国へ行った」と言えそうだということでしょうか。
つまり、「行ったんだ」と自分で語ったこと以外にどうやら証拠はないようなのですよ。
中国側(当時はモンゴル支配の元朝でしたが)の資料には、マルコ本人が言っているように
「中国には十七年間滞在し、フビライ・ハンの覚え目出度くあちこちの辺境視察を任務にあたった」
ような記述が全く無いそうで。
これに反論しようとすれば、「マルコ・ポーロに言及する記録が見つかっていないだけで、
中国に行っていないと言い切ることはできない」てなことになるのかも。
今後、何かしら新たな発見があるかもということでしょうか。
ただ、中国側資料には「マルコが来ていた」という証拠もないわけですが。
となればなおのこと「東方見聞録」自体の信憑性のほどは?と言うことになってきますですね。
フビライの命に従ってマルコが元朝版図の辺境のあちらこちらに行ったという話は裏付けが取れないながら、
紀行文的な側面、旅のようすやら滞在先での珍しい物産等々に関する記述はどうかということになります。
元々の成立過程として「東方見聞録」はマルコ・ポーロが「書いた」ものではなく、
マルコの語りをルスティケロが書き取る形であって、その原本は残されていないのだそうです。
そして、構成に伝わるのは数々の写本になりますが、
未知の世界を紹介した内容に興味を抱く人たちが多かったのでしょう、
たくさんの写本が作られるものの、どうやら話を写していく中では写し誤りもままあり、
また悪意ではないにせよ様々な改変加筆等が行われたようなのですね。
後世の写本といわず、そもそもの書き取り手であるルスティケロは英国王エドワード1世の御用作家として
アーサー王伝説に纏わる物語などを書いた人でもあったそうですから、
最初からついつい物語的なまとまりや面白さを念頭に文章をいじった可能性だって無きにしもあらず。
となれば、記述の信憑性云々を言えるものなのかどうかと言う気さえしてこないではないですね。
ただ、マルコ・ポーロの旅の真偽に疑問を呈した著者の考えたことからすると、
例えばヨーロッパ世界にない、つまりマルコも含めて誰も見たことがない聴いたことがないようなことを
記録していないのは何故なのだろうという点がひとつあります。
中国に17年もいて(マルコの言うように辺境地域へ旅から旅であったとしても)、
万里の長城を見たことはなかったのだろうか。
また、纏足の女性に出会う機会はなかったのだろうか。
はたまた、お茶の文化に触れる場はなかったのだろうか…。
いずれも、欧州側からは目新しい、新奇な、珍奇なことどもだったでしょうけれど、
「東方見聞録」には全く記載が無いのだそうですよ。
簡単に結論だけもってきてしまうのは適当ではないのですが、著者の考えはこうなります。
まずマルコの父ニコロと叔父マッフェオが商旅の延長で東方に出向き、フビライ・ハンの謁見を受け、
ローマ教皇への親書を携えて帰朝したのは事実であろう。
二度目の東方行でマルコも同行することになったとされているが、
マルコ自身は行っても商売上の出先事務所のあった黒海近辺までで、それより東には行っていない。
交易の十字路のような場所で入手できるペルシア等が起源の東方紹介文献で知りうる限りの知識を使って
(つまりは情報を得ている範囲内で)ルスティケロに語って聞かせたのではないか。
てなことで、マルコ・ポーロと言えば「東方見聞録」の作者であって、東西文化の交流に功績があった
(中国の餃子をイタリアに紹介してラヴィオリが出来たとか、またその逆とかいう説もあるそうで)
とされるわけですが、「そうともいえんぞ」という気も。
もちろん、本書の中で展開されるのも推論で「行っていない」確たる証拠があるわけでありませんが、
「んな、ばかなことがあるわけが無い」と思い込んでしまってるようなことにも、
そうでない可能性があると考えてみる発想、これは持ってていいよねと思うのでありました。
はて、マルコ・ポーロはフビライ・ハンから数多の財宝を得た百万長者であったのでしょうか、
それとも稀代の大ぼら吹きだったのでありましょうか…。









