もともとTVをあんまり見る方ではないのですけれど、

たまに民放を見ようものならどうにもCMにげんなりしてしまうという…。


曰く「お客様満足度ナンバーワンです!」って、何の調査だか出てくる文字が小さくて分からんですし、

曰く「休日でも社員が対応いたします」って、過酷な職場なんだろうなと想像してしまいますし、

曰く「こんなに安くなりました!」って…おっと、かなり特定の業種に偏ってしまったかもですが、

まあ他も似たようなもんですね。


日本人の性分から言ってどぎつい比較広告は逆効果だと誰もが知っているので、

競争相手を露骨にこきおろすのはもってのほかにしても、

さりげない比較広告は洗剤の落ち具合(当社比ってやつですね)あたりでしょうか。


だからこそ相対的な優位性でなくって絶対的な優位性を謳うことになるのかもですが、

これはこれで鼻につくというか何というか…。


そうした最中にあって、大層インパクトの強いPRを目にすることになりました。

JR中央線の扉上のモニターで見たのですけれど、おそらくはTVや何かでも見られるものでしょうから、

ご存知の方も多かろうと思います。

「おしい!広島県」という広島のキャンペーンです。


ことほどかほどに己れの優位性を連呼する中、広島県のキャンペーンだというのに

みずから「おしい!」というキャッチコピーは逆転の発想かと。


土産はまいどまいどのもみじまんじゅうになってしまうのはなんともおしい!

厳島神社を造営に関わった平清盛も結局は源氏にやられてしまうとはおしい!

名物の牡蠣も結局は季節もので年中食べられないのはおしい!

なかなか優勝できない広島カープはやっぱりおしい!…などなどと

広島に関わるあれやこれやはみんな「おしい!」と喧伝するのですね。


もちろん、「おしいとはなんじゃあ!」と県民の怒りを見せるも、

「おしいはおいしいの一歩手前」と頑張る広島に結び付けて

大いに盛り上がりを見せるというストーリー性まで含めて、実にキャッチーな仕上がり。


電通が絡んでいるのか、博報堂が手掛けたのかはたまた?ではありますが、

これだけ見事な出来栄えはそうそうないんじゃないですかねえ。


「広島県おしい!委員会」とやらの活動方針の中には、こんなのがありました。

我々は「おしい!広島県」が流行語大賞を受賞することを密かに狙う。

密かにと言ってますが、夢じゃないのではないですかね。

個人的に広島とは何の関わりもないものの、ついつい応援したくなったりするところでありますよ。

久しぶりに広島にも行っちゃおかなとか。


ちなみにご存知なくって「何のことやら?」という方のために

「おしい!広島県」オフィシャル・サイト をリンクしておきますですね。

と、今気付きましたが、4月1日、エイプリル・フールにUPすると冗談みたいですけれど…。

カール・マリア・フォン・ウェーバーのオペラを映画化した「魔弾の射手」を見てきました。
序曲と「狩人の合唱」くらいは知っていたのですけれど、
ストーリーも何も知らずに聴くのも見るのも初めてで、「ほうほう、こういうお話だったんだぁね」と。


映画オペラ「魔弾の射手」


巧みな銃の使い手であるマックスが領主の前で行われる試射で成功すれば、
晴れて恋人アガーテとの結婚が許されるという状況ながら、どうにもスランプに陥ってしまったらしいマックス。


こうしたときにありがちな悪魔の囁きのようなことが起こるのですね。
狙ったところに必ず当たるという「魔弾」を一緒に作ろうではないかと持ちかける輩の唆しに、
魔弾を作るには悪魔ザミエルの助力が必要であることから一度は尻込みするマックスですけれど、
どうしても御前試射に失敗したくないマックスはついに魔弾作りに同意します。


さて、魔弾を手に入れたマックスが御前試射の場に現れ、

愛するアガーテもすでに花嫁衣装に身を包んで登場。


しかしながら、魔弾作りを唆した輩にはかつてアガーテに相手にされなかったという恨みがあり、
こちらの手にも魔弾が握られている。さあ、皆々の運命はどうなる?…みたいな話。


オペラの舞台でよく言われるのは、例えばプッチーニ の「ラ・ボエーム 」で貧しく病いに倒れるお針子ミミを
大変たっぷりした体つきの歌い手が演じることにとても感情移入できない…てなことがありますけれど、
これはここでのマックスにも言えてしまうのではないかと(上のフライヤーの真ん中の人物)。


試射が上手くいくかと悩み、アガーテを失うかもしれないという不安に苛まれ…という、
まあ二枚目の役どころと思うわけですが、「う~ん…」という感じ。
もちろん、歌唱のほどをどうのこうの言ってるわけではないんですが。


仮にそこら辺を離れてみたとすれば、

隠者役ルネ・パーペ (上のフライヤーの下の人)は出番が少ないのに存在感あったなとか、
そも映画であることから考えて、ドイツの森の様子が印象的で「何かありそう…」な雰囲気たっぷりだなとか、
あれこれ思うところはありますので、先ほどの一事をもって感想終了!とは考えてませんけれど。


ところで、映画版では時代背景をナポレオン戦争の頃、

つまり19世紀初頭に置き換えてあったわけですが、
だから「魔弾の射手」は銃の使い手なのかなと思っていたのですね、最初は。


元々のオペラでは1650年代の設定のようですので、

欧州を広く焦土と化した三十年戦争(1618-1648)の直後。
というわけで、この「射手」はてっきり弓の使い手だと思い込んでいたのですが、
よく考えてみれば日本に「種子島」(銃のことですね)が伝わったのが1543年ですから、
とうに銃はあったわけで、とんだ勘違いでありました。


同じ頃にパパ・ブリューゲル が「雪中の狩人 」(1565年)で

銃らしきものを背負っている狩人の姿を描いてますから、
銃が軍用だけでなく民生用としても広く使われていたのだろうと、改めて思ったわけです。


ピーテル・ブリューゲル「雪中の狩人」


そしてWikipediaによれば、オペラの背景とされる1650年代には

火縄式から火打ち式への大きな変化が銃には起こっていたそうな。
ますますもって、弓矢の時代でななく銃の時代だったわけですね。


ただ自分の思い込みに固執するわけではありませんが、
どうもこのロマンティック・オペラには銃よりも弓矢(ボウガンかな)の方が似合うような気が。
14世紀頃の伝承に登場するウィリアム・テルやロビン・フッドの世界がしっくりくるかなぁと。
とまあ、こういう言い方はたっぷり固執してますですね…。

実にたくさんの出版社がありますけれど、何となく各々の出版社なりのイメージといいますか、
「らしさ」のようなものをまとっているように思われます。


極めて個人的な印象かもしれませんけれど、例えば岩波書店ならば
文庫や新書くらいは手にするもののハードカバーはいささか敷居が高い。


みすず書房かなんかになるともそっと敷居が高い気がしますし、
白水社もそんな気がするものの、「uブックス」はかなりいいかもと。
新潮社のクレスト・ブックスもかなり目を引く品ぞろりですかね。


いちいち挙げていったら切りが無くなりますけれど、
それでは双葉社はとなると「クレヨンしんちゃん …?」と思ってしまったり。

そうでなくても、週刊大衆ですし…。


ここでやおら双葉社を出してきたのは、
あんまり出版社名でもって思い込みをしてはいけんのではないか…と今さらながら思ったのでして、
契機はまさに双葉社刊、沢村凜さんの「ディーセント・ワーク・ガーディアン」を読んでの印象なのですよ。


ディーセント・ワーク・ガーディアン/沢村 凜


月刊誌「小説推理」に連載された連作短編五編の最後に書き下ろし一編を加えて、単行本化されたもの。
初出が「小説推理」ですし、新聞のミステリー紹介コラムで見かけたものですから、
推理モノと思って読み始めたところ、ミステリ風味はむしろ希薄と言ってもよい程度でして、
主人公の職業ならではのものの見方が現実の世相と相俟って「考えてしまうよなぁ…」という内容なのですね。


といっても、さほどに重苦しくなくさらりとしつつ、よく考えるとさらりと流せないよねというところでしょうか。
ここでの主人公の職業というのが労働基準監督官。目の付け所からして、時流に適ったものかなと。
タイトルの「Decent work guardian」、適切な労働の守護者というわけです。


それにしても、法を遵守するかどうかといったときに、
労働関連法令ほど「守れなくても、ま、仕方ないか」と思われていたり、
そもそも「そんな法律あったんですか」的な認識不足、理解不足に曝される法律は少ないんじゃないですかね。


働くことに極めて勤勉な?日本人の場合ですと、

本来労働基準法で守られるべき対象の「労働者」である当人が
「働くことに邪魔になる法律」と思っていたりするところがあったりしますものね。


例えば労働基準法第36条。時間外労働を制限した条文そのものよりも、

使用者と労働者代表が協定を締結しないと残業させられないという
「36協定」(サブロク協定、サンロク協定とも)に関する条項といった分かりやすいでしょうけれど、
ともすると「こんなのがあるから、サービス残業になっちまうんだよな」と

本当なら使用者に向けられるべき矛先が本来の意図と違うところで法律に向けられてしまったり。
法律解釈が捻じ曲げられてしまった点では、労働者派遣法など最たるものではなかろうかと。


そんな労働関連法規の遵守を指導・監督する役割が労働基準監督官にあるわけですが、
場合によっては特別司法警察職員として、悪意の法律違反を摘発して送検したりもするという仕事なのですね。


こうしたことがミステリーっぽいお話の主人公たりうるところですけれど、
今回の記事タイトルにした「普通に働いて、普通に暮らせる」は主人公のモットーとするところであって、
そのような労働環境を実現させるべく日々業務に邁進するあたり、
行動において猪突猛進といったふうではないにしても、熱血がつきそうな正義漢ぶりが窺えなくもない。


そしてこういっては何ですけれど、
現実の労働基準監督署の方々の意識ってどんなだろうと思ってしまったり。
これまでの対応如何では、先に触れた労働者派遣法の捻じ曲げられ方も
もそっと違うものになっていたのでは思ったりするのですね。


たくさん働くの美徳のような考え方が依然としてある中で、
その対極にはなるたけ働かない、楽をするということを至上と思う向きもまたあったりしますが、
いずれにしてもどうしてこう極端になってしまうのでしょうかねえ。


主人公のモットーのように人が皆、一般に「普通に働いて、普通に暮らせる」という視点にならないのは
なぜなんでしょう…。


…と書いてくると、がちがちの法律談義のお話かと誤解の種まきになってしまうかもですが、
働くということはとても日常的なことであって、誰にとっても生活と大きく関わっていることだけに、
その日常とのささいな出来事と絡めて描かれた6編のお話は、

傑作、面白い!すごい!というものではないにせよ、佳品の集りかなと思うのでありました。


そうそう、主人公が奥さんと離婚の危機にあるときに一人息子と唐突に語り合う世界平和の話などは
父と子という立場で考えれば、これはこれでいろいろ考えてしまう部分だったりするでしょうね。
この部分はほとんど労働環境云々と関係ないところながら、

後からさりげなく本筋に結びつけるようなところも「うまいじゃん!」と思ったりするところでありますよ。


その電話は何とも唐突に掛かってきたのだった。

「だ~れだ?」


とても掛けてきた方が言う台詞ではない。
が、このふざけた電話の主をすぐに思い浮かべてしまった自分には戸惑わざるを得なかった。


「由美か…?」ふぅ~!我知らず深い深いため息が漏れた。
「ねえ、春の声、聴きにいこうよ」


間違いなく由美だ。
相変わらず人の話を全く聞かない。


「春の声?」
「今度の日曜、暇?聞くまでも無いか」
「おまえなぁ…。たまたまだよ、たまたま。たまたま空いてんの」


由美はひたすら自分のペースで喋り、待ち合わせの場所と時間を詳細に説明すると、
こちらが抱える膨大な疑問を差し挟むチャンスを与えるものかとばかりに「じゃ、日曜」と言って電話を切った。


「ドタキャンするかも知らねえぞ。こっちは連絡先、わかんねえし…」ともはや相手のいない電話に言ってみたものの、当日は指定の場所に30分も前に着いている「自分て…」と思う。


それにしても「分かり易いところ」とは言え、とんでもない場所を指定してきたものだ。
「初台にあるコンサートホールが入ったビルの2階に人間の形した銅像があるから、そこで」と由美が言ったとおりにビルの中ながら広い空間の真ん中にぽつんと銅像が確かに立っている。さすがに、これに寄り添って30分はもたねえよなぁ…。


そうこうするうちに、由美が駆けて来た。
どうしていつも駆けているんだろう、こいつは。


連れていかれたのは、オーケストラの演奏会。
由美が聴きに行こうといった「春の声」は、ヨハン・シュトラウスという作曲家が作ったワルツの名前だった。


演奏会が終わって、ホールと同じビルの中にある珈琲専門店の椅子にどさっと腰を落とした由美が「どうだった?春の声」と聞いてきた。


この手の音楽はほとんど聴かないが、何だか華やいだ雰囲気というか、
「春になったんだなぁ」っていう幸せな気持ちを歌っているんだろうことは伝わってきたので、そんなふうなことを答えた上で、ここぞと疑問をぶつけることにした。とにかくペースを持ってかれないようにしないと、何も聞き出すことはできない。


あれもこれもと聞きたいことは山ほどながら、
口をついて出たのは「どうやって、アパートの電話番号が分かったのか」という質問だった。
本当はいの一番に聞くべきはこれではないと分かってはいるが、もはや聞いてどうなるものでもない。


「大学に聞いたの」
「んな、大学だって、卒業生の個人情報を…」
「じゃあ、教えてくれなかった方が良かったってわけ?」
「いや、そうは言わないけど…」
「学生のときにとっても大事なものを預かって、そのままになってしまったので返したいって言ったの」
「大事なものだなんて、そんなテキトーな…。いったい何だか聞かれなかったのか?」
「それこそ個人情報でしょ」


どうにも話が進まない。とにかく由美は電話を掛けてきたのだ。
演奏会に誘われて一緒に聴き、今ここで一緒に珈琲を飲んでいる。
これまで何年も桜の時期に同じ場所で待っていたのは、今こうしてここにいるようなことのためではなかったか。
ただ、今言えるのは「かつてはそうだった」ということでしかない。


あっという間に珈琲を飲み終えた由美がそそくさと腰を上げそうになったところへ、
ここを逃してはならじとなんとか口早にこう伝えた。
「再来週の土曜、空いてないか?本当の春の声を聞きに行こう」
「お!お誘い?」
にこっとして由美は頷いた。


急かされるように待ち合わせの時間と場所を伝えると、
「わかった、じゃ再来週ね」と言い残して、また由美は軽やかに駆けていった。
いつも取り残されてばかりだな…しめった笑みを浮かべずにはいられなかった。


「さ、どこに連れてってくれるのかな」
「ま、とにかく、乗った乗った」


二人だけのドライブに、昼時のオフィス街に弁当売りに来るようなこの車は…。
手近のレンタカー屋で「これしか残っていない」と言われたので仕方がない。
趣味を疑われるかとも思ったが、そんなことを気にかける由美ではなかったし、
ひとつひとつのことが「今さら」といえば今さらだ。


「かなり山奥へ行くんだね、外はずいぶん寒そう」
「だから厚着してこいって…」
「今はね、薄いインナーの重ね着でなんとでもなるの。日頃から怠りなし。アラサーだもんね」


そうなんだよな、気がついてみたらアラサーか…。
「さあ、着いたぞ!」
「うぉお、滝が凍ってますね!ううむ、絶景絶景!」


はしゃぐ由美を抑えて、耳をすませてみるように言う。
「ん?これは…水の滴る音?流れてる音も?」
「どう、春の声」
「少しずつ融けてきてるんだね。うんうん、春の声だね」


そうなんだ、ガッチリと固まっていると思ってたものも、時間が経つと解けちゃうんだよ、由美。ましてや俺たちにはあったのは細い糸のようなもの、それさえも果たしてあったのかどうか…。


帰りの車中、由美は助手席の窓を開け、
まだ肌寒い風に髪を靡かせながら流れ行く景色をぼんやりと眺めていた。
すこしだけ笑みを浮かべながら。


もしかしてこいつ、やっぱり可愛いかも…。
そう思いかけていた自分に戸惑ったものの、運転に集中することでなんとか紛らそうとしていた。


朝待ち合わせた場所まで戻ってきた。
隣に座ったまま、由美はいつになく何を言わずに黙ったままだ。

こいつ、何待ちだ??と妄想が走り出しそうになるところをぐっと抑えて、正面を向いたままこう言った。


「おれさ、もうじき結婚するんだ」


由美は黙っている。
と思ったのは、ほんの一瞬だったかもしれない。


「え?…お、そうなの!おめでとう!結婚式、乱入してあげようか?」

そこにいたはやっぱりいつもの由美だった。


「冗談、冗談!」と言いながらそそくさとシートベルトをはずし、
車から降りた由美は助手席の窓から覗き込んでいた。
この行動の速さは間違いなくいつもどおりの由美だ。


「春の声、素敵だったね。今日は遅くなってもいいかなって思ってんだけど。そいじゃ、またね!!」
これもいつもどおり。由美は軽やかに駆けていった。


「そいじゃ、またねって。おまえの連絡先、知らねえんだけど…」
また、そこにいない相手に喋っていた。こっちはこっちでいつもどおりだ。


由美の連絡先は分からないけれど、もう連絡を取ることもないだろう。
でも、駆け去るときにちらりと見えた由美の横顔は半べそかいていたような。
それにしても「今日は遅くなってもいいかなって思ってた」ってのはどういうことだ?


一人残された車の運転席で、妄想を始めそうな自分の頭に自分でひとつ拳固を落とした。
目の前に散った星の瞬きがひと段落したところで、車を発進させた。
自分が向かうのは由美が走っていった先と交わることはないのだと思いながら。





【関連リンク】


今年の冬はやけに寒かったように思う。

近くにある梅の名所でも、この寒さのせいで開花が遅れたまま花のない「梅祭り」になってしまったようだし。


「この分じゃ、桜の花もきっと遅いだろうなぁ…。ま、今年はもう関係ないけどね」


わざわざ言葉に出して独りごちてみたものの、そうでもしないと何だか収まりがつかないような。桜の開花をそわそわして待ったここ三年とは違う春が少しずつ近づいていた。


大学を卒業し入社した勤め先はこぢんまりした所帯なだけにどこまでが慰安でどこまでが仕事か分からない季節季節のイベントが恒例になっていた。分けても春の花見は格別な催しで、毎年の新人歓迎会も兼ねているのだった。


予め「いつ頃咲きますよ」とは言ってくれない相手なだけに、それを逆手にとって社員一同それぞれに開花日を予想するところから行事は始まる。そして、新聞の社会面の片隅に毎年Fホテルが出す「桜が咲き始めました」の広告が出た日を当たりとして、見事に言い当てた者がその年の花見の宴でお殿様扱い、お姫さま扱いされる無礼講というのが慣わしだ。


社員にとってこれほどの一大イベントに参加をしないという選択は、親兄弟の葬式のような事情でもあるか、さもなければ狭い所帯で変わり者と目されることをいっこう意に介さないマイペースさが無くてはできないことだったろう。


それほどの行事に、実はこの3年ほど参加していない。初めて不参加を伝えたときは本当にしんどかった。断りを告げたときに幹事が見せた非難たらたらの眼差しは「俺だって、行きたいわけじゃあねえよ。でもよ、協調性は必要だろ。協調性!」とでも言っているよう。


当然のように不参加の理由が問い質されたが、もちろん親兄弟の葬式ではない。予め「先輩にだけは」と事情を説明をしておいた先輩社員にとりなしてもらっていなければ、それこそいたたまれずに退職ということになっていたかもしれない。


辛うじて花見以外のイベントには積極参加の皆勤賞で臨み、社内での立場をなんとか持たせることができていたのだと思う。それでも最大のイベントに翌年も翌々年も不参加となると、その時その時の幹事がちらりとこちらに目は向けるものの、そもそも声が掛からなくなっていった。「きっと桜アレルギーか何かなのよ」という聞こえよがしの囁きも聞かれなくなった。


「今年は出ますよ」

例によって皆に開花予想日を聞きまわっていた幹事に告げたものの、いささか気負ってしまったせいか、事務所内の誰にも聞こえたようで、一瞬の静寂に続いて起こったどよめきが引いていくと、そこここでヒソヒソと囁き交わすのが聞こえてきたのだった。

「桜アレルギー、治ったのかしら…」


昼休みになると、たった一人だけ事情を知る先輩が真顔で昼飯に誘ってきた。

「お前、もういいのか?」

「いいのかって、花見のことですか、もしかして」

「もしかしても何も、それ以外何があるんだよ。待ちぼうけはもうおわりってか…」


大学を卒業する年の3月、一度だけデートをしたことがあった。あれがデートと言えるのならばだけれど。そして、またきっと桜の花の下で再会できるはずだった。


だからこのことに気付いてからは毎年、同じ時期に同じ場所で待っていた。でも「再会できるはずだった」というのは結果的には思い込みだったのかもしれない。


「20代がこのままでお終いってのも、何ですからねえ」

「いいのか、それで」

「まあ、運命ってやつですよ」

「かっこつけてる場合か!」


とこんなふうにこのときは笑い飛ばすしかないままに、久しぶりに参加した花見イベントでは「捨てる神あれば拾う神あり」でもあるのか、「お殿様扱い」を引き当てて、いやもう、飲んだ、飲んだ。そして、この3年のことを忘れることにした。


気持ちを新たにしてみると、いろんなことが新鮮で楽しいような気がしてきた。

そうして、20代が終わるほんの直前になって人生の一区切りを迎えつつあることを実感し始めたところへその電話は何とも唐突に掛かってきたのだった。


つづく




どうも春には創作めいたことをやってみたくなるようです。

この間読んだせきしろ さんの超短編小説みたいなのに接するとなおのことかもですね。


以前書いた「春を連れて帰る 」、「四月になれば彼女は… 」と(時系列的には行ったり来たりですが)

同じ流れにありますので、後篇の前に「春を連れて帰る」だけでもご覧頂くと腑に落ちることもあろうかと。


しかしまあ、相も変わらず恥ずかしげもなくよくUPしたものだと我ながら…。