フランツ・フォン・スッペ のオペレッタはおよそ忘れられた存在になってるとを書きましたけれど、
かつて日本では独特の受容があったことを思い出したのですね。


それは「浅草オペラ」でありまして、以前のエノケン のCDを聴いたときにも
浅草オペラ版のアリア(?)が何曲か入っていたようでしたが、例えば「恋はやさし野辺の花よ」とか
「ベアトリ姐ちゃん」とかいったあたりは、スッペの原曲だという。


それにしてもベアトリーチェという名前がベアトリ姐ちゃんになってしまうあたり、
これが浅草!だったんでありましょうかね。


ちょうどスッペを思い出す元がエラリー・クィーンの短編でしたし、
その作者の「神の灯 」の鍵を川端康成ばり?の情景描写が担っている

といったことからのつながりでもって、川端康成の「浅草紅団」を読んでみることにしたのでありますよ。


浅草紅団・浅草祭 (講談社文芸文庫)/川端 康成


しかしまあ、川端作品といえば「伊豆の踊子 」や「雪国 」、「千羽鶴」、「山の音」、「古都」と
タイトルひとつとっても抒情的なイメージであるわけですけれど、
この「浅草紅団」というタイトル、かなり異色だよなぁとは思っていたのですね。


個人的には川端作品の情景描写には「文学」を感じたりもしていたのですけれど、
この「浅草紅団」、タイトルを裏切らない異色作といいましょうか。


作者本人が小説と言ってますから小説なんでしょうけれど、
作中に本人も登場して作中人物と言葉を交わし、行動を共にし…という具合で、
どうにも浅草探訪のルポルタージュといった方がしっくりくるような気がしないでもない。


時代は昭和初期ですから、

同じ浅草でも大正年間に流行ったらしい浅草オペラの時代とはいささか異なるであろうものの、
魔界として度合いはいや増したのではという気配が濃厚に漂っていて、

作家としてはそれを活写したかったということになりましょうか。


もちろん浅草が持つ独特の空気は

しばらく吸っているともはや逃れられなくなる瘴気のようなところがあり、
それが人間の虚飾を剥ぎ取った生々しい姿でもあろうと考えもし、
作者自身ひとりの人間として「堕ちるとは…」みたいなところに興味を持っていたのかもしれません。


されど、タイトルの「浅草紅団」とは不良少年少女たちが自称するグループ名なのですけれど、
そこに混じっている小さな男の子が言問橋の幅の狭い欄干を渡っていくシーンに象徴されるように
落っこちそうで落っこちないぎりぎりの線を歩んでいく者たちの姿が描かれています。


大人になってしまうともはや無間地獄の世界かもですが、
少年少女たちの素行はなかなかに酷いものでありながら、

また一縷の望みがあるのではと思えてくるという。


その点で、どうやら団長と思しき弓子という少女(10代半ばの設定だったかな…)の、
世の中を見切ったようでいてあれこれ思案し、明らかに悪いこともしながら相互扶助の意識があったり、
なかなかに微妙であって、それが作者にも魅力的に映ったのでしょう。

(たぶんモデルがいるのでしょうね)


ちなみに当時の浅草の姿を示すひとつとして、こんな部分を引用してみましょうか。
女学校に通う親戚の娘が作者を訪ねてきたが、外出の用があり留守番をさせてもおけないから
一緒に連れて行ったというくだり。行き先はもちろん浅草です。

その日約束のある浅草へ連れて行ったのだが、

電気館の楽屋で、ジャズの踊子と六七人で写真をとったものだ。
「おじさん、あの写真どこかの本に出やしない?」と、

少女はそれから私と会う度に、そのことばかり心配している。

浅草へ行ったことが、先生に分かるというのだ。彼女の女学校は、観音さまへお参りするほか、浅草へ行くことを禁じているのだそうだ。

なんでも浅草というところは、江戸であって江戸でない場所であったそうな。
そもそも徳川家康が秀吉に遠くへ退けられる形でやってきてから江戸は都市然としていくわけですが、
浅草自体は金龍山浅草寺(ようするに観音さまですな)を中心にした町の構えが出来上がっていたそうな。


人が集ればそれこそ悪い奴も現れるわけで、壊れ窓理論ではありませんが、
そうした連中にとって水があうようならば、自ずとその数も増えていこうというもの。
浅草はそうした独立国のような成り立ちがあるのそうです。


もとは日本橋 の近くにあったという幕府公認の遊郭(旧吉原)が明暦の大火(1657年)の後、
浅草に移転して新吉原を形成したのも、このさい臭いものはひとまとめにする感があったかもですね。


そうした浅草の毒気が抜かれるのは1957年の売春防止法の施行でしょうけれど、
昭和の後半の浅草の凋落ぶりは決して今でも回復していないのではないかと。


物語は昭和初期。
戦後の浅草しかしらないものには、その賑わいもその毒気のほども想像するしかないのですけれど、
魔都といわれたかつての上海と引き比べるのは適切ではないかもですが、
日本にもこのようなところがあったのだなぁと思わずにはいられない「浅草紅団」でありましたよ。

昨年の9月でしたか、千葉県市川市の東山魁夷記念館 を訪ねたのですけれど、その折に

有名な東山作品である「緑響く」が長野県茅野市にある御射鹿池(みしゃかいけ)の風景と知って
「行ってみるか」と盛り上がったときがあったのですね。


蓼科に隣接したエリアだったものですから、
どうせ行くならマリー・ローランサン美術館 もついでにと検索してみてびっくり!
HPには2011年9月30日でもって閉館とあるではないですか。


閉館前に出かけるにはもうなんぼも日がないと慌てて日程のやりくりするも空しく、
あれよあれよという間に10月になってしまったのでありました。


元はといえば東山魁夷から始まった目論見でついでに寄ろうと思ったローランサン美術館が
閉館してしまったんならいつ行ってもいいか…と思っている間に早や一年が経とうとしているわけです。


ところで、美術館が閉館となると抱える所蔵品はどうなってしまうのだろう…と思うところではありまして、
かつて秩父にあってワイエス作品を展示していた加藤近代美術館
青山にあってシャガールエコール・ド・パリ の作品のあったユニマット美術館 あたりの作品は
どこでどうしておろうかのぅ…と思ったりするのですね。
そして、このマリー・ローランサン美術館の所蔵作品もまた…。


ところがですね、実に藪から棒にというのは個人的印象ですが、
マリー・ローランサン美術館の所蔵品にたんまり出会える展覧会に遭遇したのですね。


「マリー・ローランサンとその時代」展@ニューオータニ美術館



ニューオータニ美術館で開催中の「マリー・ローランサンとその時代」展。
確かにローランサン 作品が見られるとは思いつつも、

それが昨年閉館したローランサン美術館のものであるとは
思いも寄らなかったのでありまして、まさかと思ってニューオータニ美術館の人に聞いちゃいました。


「マリー・ローランサン美術館って、なくなっちゃったんですよね?」と。

やはり答えはイエス。これからは作品もなかなか見られなくなるだろうとも言っとりましたよ。

どうやら本展はローランサン美術館の閉館前の最終企画だったようで、

その後あちらこちらを巡回し、最終的にこのニューオータニ美術館にやってきたようです。


何度も言っているようにニューオータニ美術館は非常に小粒な会場ですので、途中展示替えがあって
9月30日までの開催ですから、8月21日の展示替え以降にもう一度行こうかなと思っているところです。
なにしろああた、これを逃すといつ見られるか分かったもんじゃありませんぜい!


ところでこの展覧会もですね、小粒ながらもぴりりと!といった感がありまして、
ローランサンの作品はもとより、タイトルに「その時代」とあるように

同時期にパリで活躍した画家たちの作品もまたなかなか粒よりに展示されているわけです。


もちろん大きな美術館が持つ超有名作のようなものはありませんけれど、
巡回先の美術館が相互に貸し合って構成された珠玉の作品群てな趣きなのですよ。


ルオーヴラマンク 、キース・ヴァン・ドンゲン、ユトリロ藤田キスリング
それに20世紀初頭のパリを背景としているだけにバレエ・リュス にまつわる展示などもありました。


これはこれで大層なお楽しみなんですが、
これに輪を掛けて心動かされたのがこの時期にパリに留学した日本人画家たちの作品ではないかと。


佐伯荻須 は言うに及ばず、印象派ふりかけのかかった児島虎次郎、

ヴラマンク味たっぷりの里見勝蔵、そして作風の変遷が見て取れるような小磯良平 の数点などなど。


もう何度も言ってて恐縮ですが、

どんなに有名な美術館のどんなに有名な作品でも混んでる会場は

それだけでげんなりして見る気が失せるたちだものですから(上野あたりのことを言ってますが…)、
ここのように絵に近づこうが離れようが、横から見ようが下から見上げようが自由自在と展覧会は
これ以上ない至福のときを約束してくれますですね。


と、いささかニューオータニのまわし者状態になってきたところで、
ひと言だけ申し添えますと、この美術館はホテル・ニューオータニの宿泊客はタダでは入れるらしく、
ひまつぶしに覗いてみました的な人たちががやがやがやとしてるときがあります。


どのみちそうした人たちは「こんだけ?」的に足早に去って行きますので、
ベンチでも腰掛けてやりすごすのが無難かと。
去ってしまえばもう、ローランサンもエコール・ド・パリも独り占めでありますよ!

(初めて行かれる方が驚かないように繰り返しますが、とにかくちっちゃい美術館ではありますが)

突然、オーケストラ・ボックスから、音楽が湧きあがった。序曲である。
「“詩人と農夫”だな」警部は、遠慮なく言った。「なにか、新しいやつはないのかね」

これは先に読んだエラリー・クィーン「神の灯」 の文庫に併載されていた短編、
「首つりアクロバット」(「首つりアクロバットの冒険」との邦題のが有名かも)の一節。


アクロバットで想像されるようにサーカス 団で起こる事件ですけれど、
引用はサーカスの開幕を告げる音楽が鳴り響く中で、
エラリーの父親であるクィーン警部が呟く一言であります。


そして「詩人と農夫」と言われれば、フランツ・フォン・スッペの曲に間違いなかろうと。
引用の中でも序曲と言われているとおり、

スッペが書いたオペレッタ(オペラか劇音楽の可能性も?)の序曲なわけですが、

早くに中身は失われてどんな話なのか、内容はさっぱり分からないのだそうですね。


それでも序曲だけは生き残って、今も息の長いチェロのメロディを聴かせてくれているわけですが、
それにしてもクィーン警部の言いようは…。


でも、何となく分かる気がしないでもない。
スッペで一番有名なのが喜歌劇「軽騎兵」序曲、そして二番手がこの「詩人と農夫」でしょうけれど、
すっかりポピュラー名曲的な位置を確保している一方で、どうも扱われ方は「軽い」感じですから。


スッペの序曲は華々しくて鳴りもよく、とっても分かりやすいドラマ性を持っていまして、
その分かりやすさは子供でもOKだものですから、「軽騎兵」なんかはミッキー・マウスの
「Symphony hour」(邦題は「ミッキーのオーケストラ」)みたいに

茶化されまくったりしてしまうのではなかろうかと(Youtubeへのリンクはこちら )。


とまれ、スッペの曲はもっぱら序曲ばかりが残っているわけですけれど、
モーツァルトロッシーニ も当たり前にやっているように本編で使われるメロディのさわりをつないで
短くまとまった曲にしてるのが序曲ですから、そのさわりのメロディを聴く限りにおいては
スッペも大したメロディ・メーカーだったのではないかと思うわけです。


さはさりながら、スッペ(1819~1895)の不幸?は
ヨハン・シュトラウス2世(1825~1899)と活動時期が被っていて、
しかも作品がオペレッタや劇音楽に極端に偏っていたということなのかもですね。


シュトラウスにもオペレッタはたくさんあるものの、その中で今に生き残っているのはほんの数曲。
ウィーン情緒濃厚なダンス・ミュージックの帝王であったシュトラウスのオペレッタでさえ、
この状況であることから考えれば当時のオペレッタは(言い方悪いですが)

ほとんど2時間サスペンスドラマのように量産されては忘れ去られていったのではないかと

思ったりするわけです。


その送り手としてスッペがおり、あたかも「火サス」は忘れられても、
「聖母たちのララバイ」を何となく覚えてるように序曲だけが伝えられていったと。


スッペにしても、シュトラウスがいなければもしかして
膨大なダンス・ミュージックを書いていたかもしれませんが、それは想像でしかありませんので、
すこしでもスッペを見直すためには彼の残した序曲に改めて耳を傾けることでしょうか。


それも「軽騎兵」や「詩人と農夫」でない曲、「美しきガラテア」や「怪盗団」、
そして「ウィーンの朝昼晩」、「スペードの女王」(プーシキン とは関係なさそうです)てなあたりは
どうでしょう。


オペレッタの本体が失われたというと忘れられた作曲家のように、
またポピュラー名曲といってしまうと無名演奏家によるお手軽な名曲集の作曲家のように
思えてしまうところですけれど、いざスッペの序曲を聴こうとすると

かなり大どころの指揮者がまじめに取り上げているのですね。

スッペの真髄は序曲にありてなものでしょうか。


ちなみに今回はカラヤン 盤を聴きながら書いておりましたけれど、
どうもこの演奏は化粧の濃い大年増がやおら舞踏会に登場したふうでしたので、
もそっとあざとくないのがいいかなとは思ってしまいました…。

昨日の朝のことですけれど、
職場に向かう途中の植え込みで「お!」と思って携帯を取り出して、撮った写真がこれなんですね。


雨上がりの蜘蛛の巣


何だと思われますか?
って、クモの巣だってことは一目瞭然か…。
でも、前の晩の雨がしずくになっていっぱいついてて、
「自然の造形はすんばらしいのぅ!」などと思ったりしたのですよ。


普段はこんなふうに思うこともあんまりないですけどね。
クモの巣があるところを気づかず通り抜けようとして、顔に斜めに走る妙な違和感でもって
「うぉ、クモの巣じゃったか」と顔をこすりこすり通り過ぎるてなときには、
「こんにゃろめ!」と思いますですからねえ。


たまたま雨がかかったというだけの違いですが、

「こんにゃろめ!」が「おお!」になるのですから実に実に不思議なものです。

不思議と言えば、常々何でなんだろうなぁと思っていたのがみみずくん たちの挙動でありますね。


なぜかこの時期、炎天下の地面でのたくりまわっている姿が見られます。
しかも、一匹二匹(みみずはいっぴきにひきでいいんでしょうか…)でなくして、
そっちにもこっちにもあっちにもという具合。


やがて干からびてしまうのでしょうけれど、土の方にでも戻してやろうかと思いつつも、
あの激しいのたくりには出した手も引っ込むというものではなかろうかと。


で、要するにこのみみずくんたちの挙動はいったいなぜ?と思っていたわけなのですね。
暑いところに出てきて、しかもアスファルトの上に来ちゃっては隠れることすらできない。


しかしながら、これはどうやら季節モノなのだそうですよ。
立春、啓蟄、春分といったように季節を二十四に分けてある二十四節気というのがありますけれど、
この二十四をそれぞれさらに三分割した七十二候というのがあるのですね。


二十四節気でいう立夏を三分割した真ん中にあたるところの言葉が「蚯蚓出」、
蚯蚓=みみずくんが出てくるということをもって季節感を表しているわけです。


二十四節気は1年12カ月の倍であることから、ざっくり言っておよそ15日単位の季節感ですが、
七十二候はその三分の一ですから、およそ5日ごとという実にこまめな季節感ですね。


でもって、みみずくんの登場は立夏の真ん中ということなのでだいたい5月の10日あたりでしょうか。
夏が立ってほどなく、例年のようにみみずくんがまた顔を出す季節ですというところなのでしょう。


ただ、顔を出したみみずくんが「やべ!暑くなってきた」と感じても
5月ならばまだ土に戻れる余裕があろうものの、7月ともなればもう自殺行為以外の何物でもない。
嗚呼、世は無常でありますなあ。


ところで、七十二候にあるからといってみみずくん登場の謎が解明できたわけではないですので、
またまたあれこれ検索してみるのですが、どうも決め手がないのですね。


多く言われているのは、だいたい雨の降った翌日によく見かけられるのでは?ということ。
これの論拠としては、みみずくんの住まう土が雨水に浸り呼吸困難に陥ってしまうからということのようで。


で、灼熱地獄が待ち構えるかも知れないというリスクを冒しても土から這い出してしまうという。
なんだか「上は大水、下は大火事、なぁんだ?」という昔むかしのなぞなぞを思い出してしまいます。

(答えはお風呂)


これだと、立夏がどうのというよりの雨との関係、つまり梅雨になると雨が増え、
その分みみずくんたちを見かけることが増えるてな話になるのかなと想像しましたが、
そもそも七十二候発祥の地である中国に梅雨があるのか?と。


このあたりモノ知らずを暴露しまくっとりますが、梅雨は元々中国から伝わった言葉で
じめじめして黴が生えやすい雨だから「黴雨(ばいう)」と呼ばれていたそうです。
それが見た目にも印象もよろしくないと同音異字を当てて「梅雨」としたとか。
なかなか洒落てるではありませんか。


では、いったい「梅雨」をして「つゆ」と読ませるのはいったい?となるわけですが、
子供の「何で?どうして?」みたいなふうにどうにもきりがなくなってきましたので、
雨はじまりの雨おわりということで、今日のところはこの辺で…。

今さらではありますけれど、芝居というのも多様な表現が可能な媒体ですよねえ。


映画であれば、昔なら特撮、今ならCGでもって

無いものをあるかのように見せることができるわけですが、

芝居の場合は何せ目の前で人が演じるという制約がある。


ところがそれを逆手に取るかのように、

明らかに無いものを、まるであるかのように見せてしまう。

「人間には想像力つうものがあるんだけんね」ということを強く意識させると言いましょうか。


先日見た「高き彼物 」のように比較的日常と思しき情景の中で展開するような場合には

さほど意識することもないのですけれど、いっぷう変わった舞台装置からして何かありげなケースでは、

正しく想像力が刺激されることによって見る側の先を読む妄想がともすると暴走気味にもなったり。


このほど見てきましたトム・プロジェクトのプロデュース公演「重力」は後者であって、

その後の展開を舞台の進行に応じて「ああでもない、こうでもない」と

都度リセットしながら臨むといった具合でありました。


トム・プロジェクト プロデュース公演「重力」@赤坂REDシアター


フライヤーに記された物語のほんのさわりの部分を引いてみるとしましょう。

ある部屋で男女四人が目覚める
皆、記憶があいまいで何故ここにいるのか分からない
周りは土と岩で覆われ抜け出すことが出来ない
何より不思議なのは世界が90度傾いたかのように部屋が横倒しになっている事だった

どうです?なかなか想像力を刺激しそうではありませんか。


ただ、部屋の傾きの件は何らSF的要素はないことがすぐに明らかになるのですけれど、

なぜ傾ける必要があったかは、目線の置き方という配慮があるということ、

そして普通の人間があまりに当たり前と思っている上下左右は

必ずしも誰しもの目線と同一ではないことに気付かされるのですね。

例えば、長い闘病生活でベッドに寝たきりの人の場合とか。


そして、何故か分からずそこに集ってしまった四人の関係が二転三転しつつ、

徐々に明らかになっていくという。


時に映画「シックス・センス」的な立場に四人の中の何人かがあるかのようなほのめかしもあり、

かと思えば全員がとなれば今度は映画「アザーズ」状態になってしまうような・・・。


とまあ、興味津々で話は進むのですけれど、

先日エラリー・クィーン を読むときにやったような気のつけ方をしていますと、

かなりの確率で予想ができてしまうのですよね。


まさかほんとにそうではあるまい…と何度も思うわけですが、

結果的にはやっぱり!と。


傾いた家を再生する、家族の関わりを再生する…

てなことになるとどうしても東日本大震災のことを思い出すわけですが、

題材から言っておそらくは作者もそこから離れることはできなかったでしょう。

それだけに、ハッピーエンド以外はありえない。


それだけに、一度終わってもいい局面のあとにもうひと情景入っているのは、

いささか蛇足のようでもなり、こうせざるをえなかったのかなとも。


とまれ、芝居小屋という限られた空間、セットの転換もない限られた材料でもって、

話の広がりを見せる芝居のありよう。

これはもうたまりませんですねえ。