この間、ブグロー のことを書きましたときにその最後のところで、

でジャン=レオン・ジェロームの名前を出したのですけれど、
実はジェロームのことは一昨年まで全く知らなかったのですね。


ブグローで画像をあげた元の写真、これはゲッティ・センター で撮ったのですが、
そのゲッティ・センターでちょうど特別展としてやっていたのがジェローム展でありました。


ジャン=レオン・ジェローム展@ゲッティ・センター


そのとき初めて知った名前でしたし、

ゲッティ・センターといえば常設展示を見るだけでもお腹いっぱいになれる場所ですから、
特別展までは手が回りかねるだろうとは思ったのですけれど、

この看板にくくっと来てしまったという。何せ「Spectacular Art」ですものねえ!


とまあ、こうした閃きめいたものに誘われて覗いてみた特別展は

「いやぁ、大したもんだ!」と思わずにはいられないものだったでして、

確か80ドル近くする分厚い図録を思わず買ってきてしまいましたですよ、勢いで。


帰ってきてからこの画家ことを検索したりしたものの、あまり大した情報はなく、
まあそのうちじっくりこの英文図録を読んでみようかい…と思っているうちに容赦なく月日は経っていく…。


ところが、先日三鷹市美術ギャラリーで「芸術家の肖像」展 を見たときに

ジェロームの肖像写真も展示されていて、そこに画家の紹介文がありましたので、

この際ジェロームを知るために引用させてもらうとしましょう。

ヴスール出身。フランス・アカデミスムを代表する画家・彫刻家。ドラロッシュ、クレールに師事。新古典主義の流れを組む歴史画を多く描いた。特に東方を題材にした作品を得意とした。エコール・デ・ボザール絵画部門教授として伝統的かつ保守的な美術教育を重んじ、印象派の作風を嫌悪。1869年サロンの審査でモネ、ルノワール、セザンヌらを落選させた。

うむむ、モネ、ルノワールセザンヌ の宿敵は

ブグロー以上にジェロームであったのかと思ったりしたわけですが、
先に読んだ「楽園のカンヴァス 」ではアンリ・ルソーに
「私が敬愛していたブーグローともジェロームとも」云々と言わせていましたので、
ブグローにも触れたからにはジェロームにもと思ったというわけでありますよ。


印象派 の宿敵でありますから、

当然にジェロームもブグローと同様にアカデミスムの側でありまして、
やはり画風として新古典主義ということになりますですね。


ただ、ブグローが描いたものとはずいぶんと印象を異にするのは、
古代ローマ 、そして東方への多大なる興味がジェロームにはあったということになりましょうか。


ジャン=レオン・ジェローム「Pollice verso」


ゲッティ・センターの特別展の看板に使われたのがこの「Pollice verso」ですけれど、
これなど古代ローマのコロッセオ で行われていた剣闘士たちの闘いを描いて非常にドラマチック。


なんでもタイトルの「Pllice verso」というのは「曲げた親指」てな意味らしいですが、
英語版では「Thumbs down」と言われているようで。


握った手の親指だけ立てて下向きにする。
いい意味合いでないことは分かりますが、改めて絵を見てみれば
「あらら、いるいる!観客席にThumbs downしてる人たちが」と気が付きます。


ジャン=レオン・ジェローム「Pollice verso」(部分)


闘いの果てに相手を打ち負かした剣闘士が勝ち誇って観客席を見上げると、
観衆はこぞって親指を下に向けているとなれば、

もはや「やっちまえ!始末しろ!」という群衆の声が聞こえてきそう。
そうしたことまで考え併せるとジェロームの絵のドラマチックさは弥増すような気がします。


ところで、こうした激情的な作品とは打って変わって静かな、
そしてブグローとはやはり仲間だなと思われるような作品も残していますですね。
例えばこれは「ピグマリオンとガラテア」という一枚です。


ジャン=レオン・ジェローム「ピグマリオンとガラテア」


ピグマリオンが自分で(ここでは)彫り上げた像であるはずのガラテアに恋してしまい、
それに応えるようにガラテアの上体はもはや人体と思しきものに変化をしてきてます。
脇にはしっかりと矢をつがえたエロスがいるという。
静かではありますが、やはり物語性はたっぷりかと。


この主題はジェロームのお気に入りなのか、同じタイトルでもう一枚、別バージョンがありますね。
こちらの方はガラテアを正面から捉えている分、殿方にはより人気かも?ですが、
不思議なことにというのも変ですが、上の絵ほどの物語性は感じない。
パッと見、なんだかモデルとくちづけを交わしているふうにしかみえないようだからでしょうか。


ジャン=レオン・ジェローム「ピグマリオンとガラテア」別バージョン


もっともこう言ってはなんですが、
ジェロームはブグローほどには女性(ありていに言うと裸婦)を描くのが

得意でなかったのかなとも思いますですね。


とまれ、やっぱりジェロームは「Pollice verso」のような作品でこそ持ち味が発揮できるのかも。
何しろこの絵を見たリドリー・スコット 監督が映画「グラディエーター」の製作を思いついたとも

言われているようですし。

ドラマ性を喚起させる、それことがジェロームの本領なのかもしれませんですね。

ずいぶんと以前の新聞のコラムですが、
たぶん紹介されている本を「いつか読もう」と思って切り取ってあったのでしょう、
ひょこっと出てきましたので、これを機会に読んでみるかと思ったのですね。


紹介されていたのは、アンブローズ・ビアス作「アウル・クリーク橋の一事件」。
コラムを書いているのは作家の筒井康隆 さんでありました。


アンブローズ・ビアスの名前はもっぱら「悪魔の辞典」の作者として知られているわけですけれど、
この「悪魔の辞典」なる書物、てっきりオカルティックな内容とばかり思っていたものですから、
およそ近寄る気にもならなかったのですね(何せ怖がりですから…)。


ではありますが、筒井さんが先のコラムにこんなふうに書いておられるとなれば、
いささか気になるではありませんか。

…岩波文庫から出ているビアスの短編集「いのちの半ばに」を読んだ。…残念ながら短編として凄いのは…「アウル・クリーク橋の一事件」だけだった。それでもこの作品ひとつでビアスは文学史に残る作家になり得ている。

この作品ひとつで文学史に残るとまで言われるとなればやっぱり読んでみようと思うわけですが、
筒井さんが岩波文庫版では凄いのが一編だけというのであれば、
では別のアンソロジーで試してみるかと思ったわけでして、

ちょうど古典新訳文庫にビアス短編集が見つかったのですね。


アウルクリーク橋の出来事/豹の眼 (光文社古典新訳文庫)/光文社


さて、この短編集は

筒井さんが褒めちぎった「アウルクリーク橋の出来事」(古典新訳文庫でのタイトル)を含めて
14編が収録されていますけれど、やはりアウルクリークのショッキングさは群を抜いているような。


南北戦争のさなか、南軍の助けになるようなことをと考えたペイトン・ファーカーは

アウルクリーク橋の爆破を目論みますが、北軍側に捕まってしまい、

自らが爆破しようとしたアウルクリーク橋の上で今まさに絞首刑にならんとしているという状況。


本来鉄道橋であるために枕木の間からは遥か下に川の流れが望める橋の上で、
両手は後ろ手に縛られ首に縄の輪をかけられて、枕木と枕木の間に渡された板の端に立たされている。
反対側の端に乗っている北軍兵士が板からどけば、たちどころに落下することになるわけです。


こうした絶体絶命の中、

ファーカーが苦しいと感じるとどうやら川の中に自分はいるらしいと気づくのですね。
川に到達するほど長くはない縄に吊るされるはずが、もしかすると助かったのか?


橋の上から撃ちかかる銃撃をかわしながら川を過ぎり、

無我夢中で森を抜けて我が家までたどり着くと、そこには最愛の妻が待っており、

妻に走り寄って抱きしめようとしたとたん、ファーカーの首に痛みが走る!


…と、これから先を書いてしまうのは愚の骨頂なのでしょうけれど、

いっさい触れずにこの話のことを書くのは難しいですねえ。


ただ言えることは、いったい何が起こったのかということの理解は想像力を駆使するしかないんですが、
ともかく死に際してというか、死ぬ間際のというか、そういうときのフラッシュバックは
現実に行動する時間の流れとは関係なく、一度にうわっとやってくるものなのかも知れんなぁと。


ともあれ、最後の2行で「え?!」と思わされるような作りはビアスの個性なのかもですね。
他にも、最後の最後で「え?!」というのがままありました。
そして、およそその全てが「死」にまつわる話になっています。


となると、他の短編も読んでみてですけれど、死の瞬間、死の前後、そんな話が多いですね。
ですから、幽霊話(これが奇譚ではあるものの、怖がりにとってもさほどは怖くない)も

当然のように出てくるわけです。


そうした幽霊も絡む話の中で白眉と思われるが、

最後に収録されている「月明かりの道」でしょうか。


ある屋敷の主が帰宅すると、不審な男が屋敷から忍び出てくるところを目撃した。
中に入ってみると妻が無残にも首を絞められて殺されていた。
もう犯人と思しき者の姿はどこにもない。


こうした経緯の一部始終を3人の語り手によって繰り返し語らせるのですけれど、
それぞれの話は必ずしも噛み合っていない。


真相がはっきりしないままに終わってしまうというリドル・ストーリー ですが、
この語り手のうちに一人が霊媒師を通じて語る被害者の女性であるといえば、
誰しも思いだすのではないでしょうか。そうそう、芥川龍之介 の「藪の中」。


本書の訳者あとがきを読んで「ほぉ~」と思いましたのは、
アンブローズ・ビアスを日本に紹介したのは芥川なのだそうですね。


なにせ芥川自身が自分でそう書いているようなのですけれど、
1922年(大正11年)の随筆集にビアスのことをこんなふうに記したようです(「藪の中」も同年作)。

短編小説を組み立てさせれば、彼程鋭い技巧家は少い。評家がポオの再来と云ふのは、確にこの点でも当つてゐる。その上彼が好んで描くのは、やはりポオと同じように、不気味な超自然の世界である。

とはいえ、やはり訳者あとがきに

エドガー・アラン・ポー とアンブローズ・ビアスの違いとして指摘されるように、
前者が「死の恐怖」を描くのに対して、後者にとって「死はあっさりと既成事実になる」ことでありますね。


「黒猫」あたりを思い浮かべてもいいですが、

ポーがことさらに「死の恐怖」を煽って背筋を寒からしめるのに比べると、
ビアスの死は本当に唐突といっていいのかも。


そもそも死はそういうものでしょうから、
もしかするとビアスの本業がジャーナリストであることの面目躍如なのかもですが。

怖がりにとってはどちらがありがたいかというと、怖さが煽られないだけにビアスと言うべきでしょう。


が、ポーのゾクゾクもぎりぎりの許容範囲として捨てがたい(個人的にですが)。
そして、ごく一般的に好まれる?怖いもの見たさを満足させてくれるのか、

ポーの作品の方が多くの人に読まれている。


ビアスは芥川が言うように間違いなく「技巧家」ながら、

読み手受けの点で損をしているのかもしれませんですねえ。

小説を書くときに初心者に?書きやすいのは一人称の視点からだと言いますね。
要するに主人公=私の感情を推し量りやすいといいますか、
他人のことを想像するよりは手がつけやすいということでもありましょうか。


ただし、主人公=私として物語を作り出す場合には、
語り手が自分であるだけにそもそもその話を自分が書き残さならない理由が必要になると言われると、
さもありなむと思いますですね。


例えば「私が遭遇した不可解な現象を、今難しくとも後世には必ずや解き明かしてもらいたいと考えて、
手記を残すことにした」云々。


こうしたことが無いままに「私は…」の物語が展開されてしまうと、
ある作家がある小説を書きましたという外面的なことはいいとしても、
そこに提示された物語の「私」が語り手となる必然性が感じられないというか何というか。


これを第三者の視点と言いますか、神様のような離れた視点から話を描きだすとすると、
書き手の存在というものが普通は見えなくなりますので、
「こんなことがあった」、「あの人はこう思った」…てなことがいくら書かれていたとしても、
何故これが書かれなければならないかということを気にかけても仕方がないことになるのではないかと。


…とまあ、やおら文学の話から入ったわりには、実は映画の話だったりするのですけれど、
映画「インサイドマン」を見終えて、この視点のことがちと気になったものですから。


インサイド・マン [DVD]/デンゼル・ワシントン,クライブ・オーウェン,ジョディ・フォスター


ウォール街 の銀行に武装した4人組が多くの人質をとって立てこもった。
武装グループのリーダーであるダルトン(クライヴ・オーウェン )と
市警の交渉役フレイジャー(デンゼル・ワシントン )が緊迫したやりとりを続ける中で、
時間ばかりがどんどん経過していく。


目的は不明ながらむしろ犯人側が時間の引き延ばしを図っていると考えたフレイジャーは、
ダルトンとの接触を図り、隙をついて確保を目論むも失敗、警察指令車のビデオ画面には
人質射殺の光景が映し出されることになってしまった。


強襲やむなしと考えた現場指揮官のダリウス(ウィレム・デフォー)が突撃を指示したとたん、
行内で爆発音がしたと思うと、正面入口からたくさんの人間が溢れ出てきた。
誰もかも同じジャンプスーツを着込みフードを被って覆面という状態。
彼らは人質なのか、犯人も混ざっているのか、分からぬままに全員を尋問することに。


その後に分かったことは、行内から持ち出された金品は一切無く、
従って犯人の目的すら分からず、全員尋問も犯人特定には何の役にも立たなかった…。


ざっと大筋はこんなふう(かなり肝心なサイドストーリーははしょってます)ですが、
犯人グループの目的は何だったのか?果たして人質に紛れていたのか?といった謎は
やがて解明されていきますし、「インサイド・マン」とのタイトルもなるほどと思うところになります。


でもって、こうした話のメインの部分はというと、神様目線で描かれているのですね。
最終的にフレイジャーが自らの捜査の結果つかんだこともありますけど、
それだけでは分かっていないであろうと思われる犯行の一切を、映画の観客は見ているわけですから。


映画としてはなかなか面白く出来てますし、人物造形的に、特にダルトンの人物像には
いささか説明足らずと思しきところがあるとしてもそれはそれで構わないないとしてですが、
「おや?」と思いましたのは、先のメインのお話の前後、つまり映画の冒頭とお終いに
ダルトンが大写しになって登場し、まっすぐに前を見て語りかけるところなのですよ。


これだけまっすぐ見据えるとなると、当然語りかけられている相手は映画の観客ということになりますね。
状況的にも他に誰もいないのですし。


ここでダルトンは自分の名前を名乗り、銀行強盗を企てたことを暴露し…と語るのですが、
この語りの設定っていったいどうなってんの?と思ったわけでありまして。


単純にここだけを見ると、上の方でいうところの主人公=私的な視点であるなと思うものの、
物語は全体がそうであるわけではない。


主人公=私の回想がこれから始まるよぉ~!みんな見てねぇてなことで、
ダルトンの回想に繋がっていくというならありかもですけれど、
ちとこの設定はよおく考えると策士が策に溺れた感ありですね。


それでも最初の登場で「なんね?なんね?」と引きつけておいて、
最後には一応種明かししとかんとねという思惑だけでつけちゃったんだろうなぁとは思いますけれど。
とまあ、視点の設定はなかなかに難しいというお話でありました。

この間、T市にあるT百貨店でもって家族が買い物するのを待つ間、
本でも読むかとエレベータ前のベンチに腰をおろしていたときのことであります。


店内を動き回っているときにはさほどに気に留めることもないアナウンスが、
この腰掛けているときには何故かついつい耳を傾けてしまったりするという不思議。
もっとも、アナウンスの内容に「おや?」と思ったからでもありましょうけれど。

さきほど地階、食品売場、○○鮨にて「にぎわい」と「はなやぎ」の合わせて1935円、お召し上がりいただきましたお客様、お言伝てがございますので、お近くの係員までお申し出くださいませ。

「にぎわい」と「はなやぎ」というのはそれらしいのを勝手名付けておりますが、
要は最近デパ地下によくあるイートインのコーナーでそれらしい名前のセットメニューか何かを

食べたお客を探しているらしいのですね。


これを聞いて一番最初に思い浮かんだのは「食い逃げか?」ということですが、
これほど愚かな想像はありませんでした。

食い逃げした人がこのアナウンス聞いて名乗り出るわけがない。


それでは店の側が釣銭を間違えて少なく渡してしまったのだろうか。
ここで「多く渡してしまった」と思わないのは、よほどの酷い間違えでもなければ、
わざわざ客を呼び寄せて「金、返せ!」と店側が迫るとも思われないような気がしますし。


でも、例え少なく渡したとしても釣銭間違えなんぞで店内アナウンスかけるんだろうか。
うむう、「お言伝て」とやらが妙に気になるではありませんか。


続いて考えたところは、食い物のメニュー名やら金額やらが妙に具体的で、
まあこれだけでは個人を特定できない以上個人情報ではないわけですが、
実際の該当者にとってみればいささかプライバシーに障るところかもしれんと。


案内にあった○○鮨にいる客はともすると
「あら、あの人が『にぎわい』と『はなやぎ』を食べた人かしら?」なんつうふうに見られたりして。


というところまで考えが及ぶと、実はあのアナウンスは

「ほれほれ、名乗りでねえともっとばらすけんね!」というブラックメイルの小出しかもと
思えたりもしてくるわけですが、こうなると想像というより妄想に近づいてきたような。
それにしても、不思議なアナウンスでしたねぇ。


不思議なアナウンスといえば、別の要素の不思議さもあってですね、
先にアナウンスの引用の最後の部分、「お申し出くださいませ」の「ませ」のことです。


近頃は過剰な敬語だろうと誤った丁寧語だろうと、
なんとなくその方が婉曲と思うような手段は全て盛り込んだ言葉遣いがなされる傾向にありますけれど、
そうしたことを踏まえて考えてみると、この「ませ」は誰かが思いついた使用法なんだろうなぁと。


ここでの「ませ」は実際には「ませー」と緩く伸ばしつつフェイドアウトするという、
なかなかアナウンスも熟練を要するなと思わせる口調なのですね。


先の文でいえば「お申し出ください」ではちと堅いな、
かといって「お申し出くださいますようお願いいたします」てなふうでは文語調に過ぎる、
では「お申し出くださいませ」といきたいところだが、「ませ」で切れるとやっぱりキツいかも。
んじゃぁ、ここはひとつ緩くフェイドアウトということで…。


おそらくはこんなふうに「ああでもない、こうでもない」の結果

生み出された技なんじゃないかと思いますね。

アナウンスを担当される方のうちのどなたかお一人の癖のようなものとも考えたですが、
しばらくして語り手が変わっても「ませー」のフェイドアウトは変わらないところからすると、
「ませ」の語尾はこのように処理するのだとマニュアル化されているのかもしれません。


この「ませー」は果たしてT百貨店の固有種なのか、はたまた他のデパートにも通ずるものなのか、
いささかの興味が起こってまいりましたですよ。

先に読んだ「楽園のカンヴァス 」に、こんな一節がありました。

自分たちの時代がいまにもそこの壊れかけたドアを蹴破ってやってくると信じておりました。ルソーが固執してやまなかった「サロン・ド・ムッシュウ・ブーグロー(官展)」などくそくらえ、と唾していたのです。

ここでの「自分たち」とはバトー・ラヴォワール(洗濯船)をアトリエとしていたピカソ
そこに出入りした多くの芸術家をざっくりひとまとめで言っているわけですが、
新しい芸術の創造を目論む若者たちにとってサロン(官展)は

守旧派の牙城であってまさに「くそくらえ」対象以外の何ものでもなかったのでしょう。


そして、ここで「サロン・ド・ムッシュウ・ブーグロー」と言われてもいるように、
フランス美術界に君臨していたのがウィリアム・ブグローだったのでして、
彼らにとってはサロン同様、ブグローの作品も旧態依然といったふうに見えていたのでしょうね。


さりながら、ルソーはそのブグローに範を見出していたというのですからおかしなものですけれど、
これも美術に関してアカデミックな教育とは縁遠いルソーならではの考え方なのかもしれません。
ということで、ウィリアム・ブグローをいささか探究してみようかというわけでありますよ。


ウィリアム・ブグロー「ニンフとサテュロス」


ウィリアム・ブグローは1825年生まれ。

近いところではウジェーヌ・ブーダンが1824年、ギュスターヴ・モロー が1826年生まれで、
ブーダンは印象派を準備し、モローは教え子たちの多様な芸術に深い理解を示したのに対して、
ブグローはといえば、アングル などの新古典主義そのままの絵を描き続けたばかりか、
新しい芸術など対してはおよそ理解を示すことはなかった…となれば、

守旧派と言われても仕方がないですねえ。


元々絵が好きで、地元では絵がうまいとも言われていたであろうブグローは、
1846年に二十歳かそこらでパリに出てきてエコール・デ・ボザールに入学するも、
入学時点ではなんとまあ100人中99番目の成績であったのだとか。
これまでが井の中の蛙であったと思い知ることになったかもしれません。


でも、むしろこれを奮発材料としたのか、

4年後の1850年にはローマ大賞(次点繰り上げとも)を得て、ローマ留学を果たすんですから、

負けじ魂の持ち主だったのでしょう。


けれど、こうした状況であれば独自の絵画を切り拓くみたいな方向よりも、

なんとか絵の技量を上げるためとアカデミスムの主流、新古典主義に入れあげるのも当然かと。
ただし、ご本人の指向とも合っていたのでしょうね。


ローマ留学ではさらに古典的なものに目を向けて、
ポンペイの遺跡から発掘された壁画などに大変な関心を寄せたようで、
それを歴史画・神話画に活かしていったその成果なのか、
後に彫刻家のエドモン・アブゥという人は自分の生徒に向かって
「ポンペイを知らないならブグローのアトリエを見に行け」てなことを言ったのだとか。


かつての劣等生がだんだんと画壇の寵児になっていったわけですが、
サロンで第一等になった1857年、その際に評論家の一人はこうほめちぎったそうです。

私たちはブグローに長く固執してきたが、このアーティストに関する記事が過ぎるということはない。彼の作品は、伝統を全て引き継いで、しかも新しい要素を含み豊かな将来を約束する。それに人が歴史画家に抱いている期待に、彼は他の誰よりもずっと忠実に応えている。だから…人の空中遊戯、きれいな卵型の顔、高貴な横顔、美しい手足の形、しぐさや体の曲線の細かいコントラストを写し取るだけの表現ではない。過去の空気を閉じ込め、外界から切り離され、象徴の不動の平静さに吸い寄せられブグローの目は時の背後からやってくる。

最終的には1884年、ついにフランス美術アカデミーの会長にまで上り詰めるのですが、
見る目は必至の思いで自分が培った新古典主義から離れることはなかったようです。
即ち印象派以降の数々の新しい潮流に目を開くことはなかったと。


それだけに絵を見る側、買う側も

アカデミスム絵画にいささか飽きてくるとブグローもまた忘れられていったようで、

例えば印象派以降の作品を多々擁する国立西洋美術館 でも

ブグローは僅かに見られるだけ(1点しか見たことなかったかな…)ということもひとつの証左かと。
松方コレクションが形成される過程は、時代がブグローを離れていった時代なのかもです。


ただ、今や主義主張の闘いのようなところから離れた現在からみれば、
ブグローの絵にも確かに魅力はあるといっていいのではないかと。


なるほど天使と若い女性の絵ばかりというのも外れていないわけですが、
それでも中にはぴくっと振り向かされるものもありますし。
ゲッティ・センター で見た一枚なんかもそのひとつ。


Chain reaction of curiosity



歴史に「もし」は無いわけですが、例によって想像力を多分に刺激するものではありますね。
もしブグローが印象派の絵画を認めて、サロンでも取り上げて…というように歴史が動いていたら、
その後の絵画史はどんなふうになったでしょうか。


もっともブグローが認めたとしても、

「それでもわしは認めん!」とジャン=レオン・ジェロームが言うかもですが…。