先に思いつきで訪ねてみた八王子城跡 は、

実は豊臣秀吉の小田原 攻めに当たりその支城を壊滅させていく作戦の一環で
前田利家・上杉景勝連合軍の攻撃され、やむなく落城という経過をたどった城であることを

知ったわけですけれど、それで当然のように思い出されるのが、忍城のことでありますね。


現在の埼玉県行田市にある忍城。

早い話が「のぼうの城」でありまして、まだ映画を見ていなかったと出かけたのでありますよ。


Chain reaction of curiosity


しばらく前に本では読んでいて、

内容的には面白かったことを覚えている「のぼうの城 」でありますが、
どのような映画になったものやら関心はあったのですが、

元々は去年のうちに公開されるはずだったのだとか。


とうに完成を見ていたところながら、見せ場にもなっている忍城水攻めのシーンが

東日本大震災のときの津波被害を想起させるてなことで
1年ほどのお蔵入りを経て、公開されたもの。


上のフライヤーをご覧いただいても
「2011年秋 決戦!」てな言葉が見えるのはそのせいなんですなぁ。


とはいえ、水攻めのシーンが何だって津波を思わせるのだろうかと

俄かにはピンと来なかったのですね。

映像(ドキュメンタリーのフィルム等はありませんから、映画やTVで作られたものですが)では
水攻めシーンを見たことがないように思うのですが、小説で読んでイメージしたことはあります。


中国征伐で備中高松城に秀吉が仕掛けた水攻め、

その場面が司馬遼太郎 「播磨灘物語」に出てきて、その時に抱いたイメージそのままに、

小説「のぼうの城」を読んだときにも「水攻めはこうね」みたいに思い浮かべていたという。


それがどういうものかと言いますと、
堤を設けて(と言っても尋常な作業ではないでしょうが)城の周囲を水浸しにし、
外部との連絡・交渉を一切遮断するという作戦。


なんだよ、それじゃあ「のぼうの城」の映画、そのままじゃん!と思うなかれ。
どこが違うのかと言いますと、思い描いた水攻めは静かな静かな印象なのですよ。


巡らした堤の中に水が引き入れられ、ひたひたと水嵩が増していく。
ともかく高いところへ高いところへ逃げる中で、広大な湖にぽっかりと城の上部が浮いているかのよう。
すっかり孤立した城の中ではやがて兵糧も尽き、飢えが始まる。
誰も気付かぬうちにあちらにもこちらにも痩せ細って言切れた亡骸がそのままにされている。
全員が餓死するか、降伏するか…。


こうした状況は、すべて気味の悪い静けさの中にあるのだろうと思っていたわけなのですね。
ところが、映画の中ではこの高松城への水攻めも、それを石田三成が真似た忍城水攻めも
怒涛の如く逆巻く水が城に襲いかかる様を映し出したのでありました。


関東平野では台風や集中豪雨の際に河川が決壊することがありますけれど、
あれだけの波濤にはそうそうなるものとは思われないのですが、どうでしょう。


この映画の水攻めのシーンが東日本大震災を想起させるとはその通りでしたけれど、
本当のところは東日本大震災の津波を見て

この場面のイメージを作り出してしまったような気がしてしまいます。


そうした制作裏話は知りませんので(そうだったとしても、そうとは言いにくいでしょうね)

何とも言えませんが、とまれこのシーンを見ただけで、

「あ、こりゃエンタメ作品なんだな」と思ったのでありますよ。


てなこと言いつつ、

小説の方も読んだときに内容は面白いけれど「小説としてはどうよ」的な印象がありましたので、
そもそも小説からしてエンタメ的なのかもですが、どうも細かなところまでは覚えていない。


ですから、映画のことをあれこれ言いつつ、実は小説のままでした…みたいなことがあるかもですが、
それはそれでご容赦いただくとして、映画の話です。


ちと水攻め談義が長すぎてしまいましたので、

ここでは忍城守備軍の総大将になってしまった成田長親と
やはり攻め手の大将になってしまった石田三成の人物像になで触れるしましょう。


「のぼう」とは「でくのぼう」のことで、これは成田長親のこと。
城主の従兄を「でくのぼう」とは言いにくいので「のぼう様」などと呼ばれるわけですが、
言葉の音感そのままに「ぬぼ~」とした人物であろうという想像は難くない。


ですが、これを野村萬斎が演ずると、

確かに「たわけ者」ではあるものの、どうも才気走ってしまうのですよね。


一方で石田三成(上地雄輔)ですが、

官僚的才能ではピカ一としても戦陣での大将としてはどうなのか。
よく言えば?正義感が強い余り、他人のことを思いやるところがないために人望がなく、
それだけですでに大将の器ではないということになりそうです。


そして、始めのうちは傍らに寄り添う大谷吉継(山田孝之)が

「こりゃあ、いくさ下手」だと言わんばかりの顔をしてしまうのに頷けてしまうのですね。


ところが、何としても一旗挙げてと思うと高飛車な人柄の長束正家(平岳大)を使者に送り込んで

開戦を決意させるような策を弄する。


かと思うと、結果的に城を落とせぬままに小田原陥落の連絡で戦闘中止になってしまい、
本来ならば意気消沈、逆切れして猛り立つなんつうことになってもおかしくないところで、
妙に爽やかに「敵ながらあっぱれ」的なさわやかな態度を示す…

とまあ、この定まらない三成はどういうこと?と思ったり。


細かく言えばああだこうだになりますけれど、
とにかく「エンタテインメント」なんだと思えば、それなりに笑えるところはままありますし、
それはそれで悪くないとは思っておるところでありますよ。

企画展、特別展というとついつい美術館、博物館を思い浮かべてしまいますけれど、

図書館のものもなかなかに興味深いところでありまして、

しばらく前に見た都立中央図書館の「船と冒険 」なる企画展示でもって

改めて思ったところであるわけです。


でもって、ふと「こんなのやってる!」と気付いて出かけた国会図書館の企画展示。

「日本と西洋 イメージの交差」というものですけれど、

これがまあ大層面白いものでありましたよ。


もちろん(?)入場無料でリーフレットまでもらえるあたり、

先日訪ねた国文学研究資料館 と同様に国民への還元でありましょうかね。


「日本と西洋 イメージの交差」展@国立国会図書館

展示の内容を簡単に言ってしまいますと、日本に西洋人が渡来するようになった戦国期以降、

江戸、幕末、明治までの間に西洋人から見た日本、日本人はどういうものであったか、

逆に日本人から見た西洋、西洋人はどういうものであったかを文献展示と解説で示したもの。


貴重書と思しきものの現物(当然ガラスケース入りですが)を間近に見られると、

ただの解説でふんふんと思うだけでなく当時の雰囲気が立ち上ってくるようでもありますね。


話の説き起こしととしては、

マルコ・ポーロ の「東方見聞録」によって伝えられた「黄金の国ジパング」というイメージ。


そもそもマルコ・ポーロが日本のことをそのような国だと思い込んでしまう背景として、

旧約聖書の創世記に「エデンは東方にあり」てなふうに記されているところからして

東(日の昇る方角)に対するイメージはかき立てられていたであろうと。


紀元1世紀になると地理学者ポンポニウス=メラが著した書物には

極東の太陽が登るところに金の島、銀の島がある…てな紹介がなされているのだとか。


ポンポニウス=メラが実際に極東を旅して見てきたことでもないしょうに、

旧約聖書の記述を端緒としてイメージは増幅されていったというべきか、

そうしたことがマルコ・ポーロに影響したのでありましょう。


果ては19世紀に至っても画家ゴッホ が日本を「光あふれる国」だと考えて憧れ、

ピエール・ロティの小説「お菊さん」に心酔していたことなどにもつながってくるとは

息の長い固定イメージでありますね。


ですが、実際に日本を訪れた西洋人はどう捉え、

それを伝え聞いた側ではどう受け止めたでしょうか。


信長 ・秀吉時代の宣教師オルガンティーノは

「毎日、日本人から教えられている。これほど天賦の才能を持つ国民はいない」と

書き記しているといいます。


とはいえ、離れたところで宣教師から伝えらる情報に接する側では

例えば切腹という蛮習や、ましてやキリスト教に対する迫害などの方が耳目を引くなのでしょう、

まわり回って文学作品にも誇張されて使われたりするケースが出てくるのですね。


1719年ですから8代将軍吉宗の時代、

この年に刊行されたダニエル・デフォーの小説「ロビンソン・クルーソー」には

「日本人は嘘つきで残酷で陰険な国民だ」と書かれているのだとか。


逆に日本側への西洋事情の伝播に関しても、

「オランダ人にはかかとがない」(どうやら靴にヒールが付いているかららしいですが)てな噂があったり

「絵本異国一覧」という本では「イギリスには火食鳥がいる」とか書いてあったりですから、

あんまり余所のことを言えたものではないかもですが。


てなふうなあれこれをまだまだ書き足りないほどに紹介していたこの企画展示。

分けても、「シーボルト事件」の原因となった地図(部分的ながら本物!)が展示されていて

「ほぉ~!」と。


さすがは国会図書館といいますか。

こうした企画は見逃せませんですねえ。

以前にもオーケストラ演奏会のプログラミング に関して触れたことがありますけれど、

プログラムに組み込みにくい曲というのがありますね。


繰り返しになるところもありますけれど、

オーケストラの演奏会といいますのはだいたいのところ、

全体2時間くらいの枠の中で途中1回の休憩を挟むわけですね。


すると、昨今は途中休憩が20分ですから

前半が40分程度で休憩の後に後半が60分てなことになります。

これは前半より後半にたっぷりしたものをもってきた方が満足した気がするからでしょうか。


ただここで示した時間というのは演奏時間とイコールではなくして、

始まる前の拍手やら終わってから繰り返される拍手の時間込みということになります。


で、プログラムに組み込みにくい曲ということなんですが、

曲としてメインをとれそうなものでありながら、時間が短いというものなんですね。


例えば、ハイドン の交響曲、とりわけザロモン・セットと言われる最後の方の曲とか、

モーツァル トの三大交響曲(39番、40番、41番ジュピター)とか、

そういったあたりでしょうか。


これらは曲としてのたっぷり感はありながらも、いかんせん時間的に短い。

つまりはメインに据えなきゃいけない面持ちでありながら、

演奏会の後半に置くには短すぎるということなんですね。


それでもモーツァルトの三大交響曲は何とかプログラムに紛れ込むケースがあるものの、

ハイドンの交響曲に至ってはとんと取り上げられないという。

で、そんな曲のひとつにベートーヴェン の交響曲第5番、俗に言う「運命」が当てはまろうかと。


およそ30分の演奏時間。これは、メインに置くにはやはり短すぎるような。

ですが、この曲の演奏に接するとき、演奏する側も聴いている側も

これ以上の長さがあったらとてもじゃない!という曲なのでありますよ。

ひっさしぶりに演奏会でこの曲を聴いて、つくづくそう思ったのでありました。


読売日本交響楽団演奏会 2012年12月1日

この演奏会では敢えてベートーヴェンの交響曲第5番をメインに据えるために、

時間配分的には前半を長くしていました。


それもブラームス の合唱曲を3曲並べ、その中に「運命の女神の歌」、「運命の歌」を入れて

ベートーヴェンと併せ、「運命」にまつわる曲でまとめるという考えられたプログラミング。

こうした工夫はもっともっとしてほしいものだと思うのですよね。


何しろベートーヴェンの交響曲第5番は改めて聴くほどに、

メイン・プログラム以外に置かれようがない構成と内容だからなのですよ。


有名な冒頭に現れる「タタタ、タン」の音型をこれでもかというほど積み重ねてできている音楽。

CDではついつい聴き流すという不遜な?ことをしてしまいがちですが、

コンサート・ホールでこの曲と対峙させられるときには、

濃密な凝縮度のあまりの緊張感で肩が凝るような思いさえあります。


とりわけ、今回指揮したラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスによる演奏は、

第3、第4楽章がアタッカ(休止なくつながっている)なのはともかくとしても、

第1楽章から第2楽章、第2楽章から第3楽章へのつなぎの部分も

ほとんどブレスを取るくらいの呼吸でつながっていってたものですから、

ほっと息を抜く瞬間もなかったわけです。


高年齢化する聴衆に「せきばらいタイム」を提供しないという

緊迫感の途切れない30分余でありましたよ。


実に奇を衒うことのないオーソドックスな演奏。

ともすると「オーソドックス」という言葉が「特段変わり映えのしないごく普通の」とか

下手をすれば「陳腐な」とかいう意味でばかりとられがちだったりしますけれど、

ロシア正教 が「Russian Orthodox Church」であるように「正統性」といった意味に立ち返って

受け止めるべき演奏であったのだと思うのですね。


それだけにベートーヴェンの書いたこの曲の本領を、

冒頭の「ジャジャジャ、ジャ~ン!」だけでなく全曲として演奏会で聴く機会があれば

逃さずみなさまにも体験してみてほしいものだなぁと思ったりするのでありますよ。

ただ、くれぐれも肩凝りにはご注意を…。

先に武者小路実篤記念館 を訪ねてその著作の装丁などを見てきたものですから、
やはりここで実篤作品を一度手に取っておこうかと。

いくつか有名作はありますけれど、分けても最も有名なものと思われる「友情」であります。


ずうっと昔、一般に青春といった言葉で語られるような時期に読んだと思っていたのですが、

知っていたのはあらすじのあらすじである「恋と友情の板挟み」といったことだけで、
読んでどこかしら思い出すということが無かったからには、
もしかすると有名作だけに読んだ気になっていたということだったのかも。


だいたい「恋と友情の板挟み」といった話は何も本作だけのものではないでしょうから、
別の作品(小説のみならず映画か何かの可能性も)で触れて、勘違いをしていたのかも知れず。
ですから、ある意味新鮮な気持ちで読むことができたともいえるわけなのですね。


それにしても、いわゆる青春期に本作を読んでいたとすれば、
野島の言動、思考にはもっともっと我が身に擬えての痛さを感じていたかもしれんなぁと思うところです。


と、いきなり野島という主人公の名前を出してしまいましたけれど、
お読みになったことのない方もおられましょうから、

当たり障りなく(ここまでは内容に触れてもよかろうと)
新潮文庫のカバー裏側にある文章から引っ張ってみるとしましょう。

脚本家野島と新進作家の大宮は厚い友情で結ばれている。野島は大宮のいとこの友人の杉子を熱愛し、大宮に助力を願うが、かねてから大宮に惹かれていた杉子は野島の愛を拒否しパリに去った大宮に愛の手紙を送る。野島は失恋の苦しみに耐え、仕事の上で、大宮と決闘しようと誓う―

何だか伏せておいた方が読む人にいいようなことまで全部書かれてしまっているような。
でも、これだけに要約してしまうと身も蓋もないような話にも見えてしまう気もしないでもないですし、
どろっとした印象を受けるかもしれない。


ですが、亀井勝一郎の寄せた解説,、なんと昭和22年の解説でして

「友情」のロングセラーぶりが窺えようかと思う所ですが、

これでもってちと先の印象を濯いでもらうといたしましょうか。

文体は非常に簡潔で明るい。どんな複雑な思想をも、のびやかに明るく、平端にかく、だから深刻好きの近代的文学青年には好まれないところがある。あまりやさしいので物足らぬと言った人もある。決してやさしくはないのだ。「友情」をみると、実に多様な意図がはりめぐらされ、きめのこまかい、神経のよくゆきとどいた作品であることがわかる。そして相当にしつこい。しかも全体として清楚で明るい、これが武者小路氏の独自の風格である。作柄は大きい。

文庫で130頁足らずの作品ですのでいわゆる大作ではありませんし、

平易な文章ですらすら読めてしまう。


ですけれど、これに感けてしまうと亀井解説にあるとおり

「もの足らぬ」ということにもなってくるのですが、騙されてはいけんよ!と。


先に野島の言動、思考と言いましたけれど、

そこここにその機微を感じられるようになっているのですね。
はっきり書かれる場合もあれば、醸されるに留まる場合もある。
そしてそれに気付いてみれば、擬えてみての痛さが一入ということになってくるわけです。


野島という人間は、非常に他人からの評価を気にする人間ですね。
その場合に、ただただ他人からどう見られるかの物差しで我が身を処することに徹してしまえば、
ある意味、楽な処世術ということにもなるかもしれませんが、
それには野島自身の自我がどうにも突っ張ってしまっている。


ですから、当然のように他者とのすれ違いも多く起こり、

その度に悩み、落ち込み、思い返しては「向こうが悪い、こちらは悪くない」と考えたり。
そうした様が、小説の主人公である以前に、そこらの人であったり、

ともすれば自分であったりともなろうかと。


個人的には自分に擬えられる要素が極めて強いなぁと、

今ならいささか客観的に見られますけれど、昔ならそうもいかなかったのではと考えると

「さぞ痛かろう」と思ったのでありますよ。


ところで「恋と友情の板挟み」の結果はといえば、
先に引いたあらすじに書かれてしまってますのでうまくいかなかったことが知れてますけれど、
ちょっと前に映画「チキンとプラム」 のところに書いた「叶わぬ恋」に関わるようなことが
最後には用意されている点で、作品としてはちと「仕組まれた」感があり、

僅かな違和感なきしもあらず。


とやかく言いましたが、人が成長する過程で、とは大げさですが歳を重ねる過程で
「友情」に登場する人物たちの誰かにどこかで、あるいはそれを混ぜ合わせたりしてみると

似ていることを通過するんではないですかね。


その辺り、深刻そうなところもそうはならず描き切っているのは実篤作品の個性でしょうし、
そんな部分はユーモラスにも感じられますが、ほんの一文だけ引用してみるとします。


恋焦がれている杉子の兄であり友人の仲田(野島の思いをまだ知らない)に対して
野島が恋愛論を滔々と一人語りした後、ふと我に返ったところでしょうか。

野島は自分で云っているうちに、なんだかわけがわからなくなった。

ありますよね、こういうこと。
取り分け恋などしているときには。

武者小路実篤記念館 は、京王線の仙川駅とつつじヶ丘駅の中間にあるのですけれど、
実篤邸には仙川駅が近く(実際、実篤は仙川の家と呼んでいたそうな)、
記念館にはつつじヶ丘駅が近いという位置関係なのですね。


個人的にはより西郊からのアプローチだものですからつつじヶ丘駅を利用しましたが、
駅の北口からは深大寺へのバスが出ていることを発見したものですから
「行ってみよう!」と思ったわけです。


が、深大寺ってのはこんなに人が来るほどの観光地だったのかと再認識を迫れらる人出でして、
名物の深大寺そば(大盛りで700円は観光地のわりに安いのでは)を食すことで

取りあえず来たことにしようと。


そばはそそくさと食べ始めてしまいましたので、

ご当地ものということで飲んだ地ビールの写真を。


深大寺ビール


今はほんとにいろんなところにありますですね、地ビール。

というところで、深大寺は境内をかすって、目的地をその裏の方に修正したのですが、

取りあえずはワンショット。


深大寺


これ以上、下に振ってしまうと人の頭だらけになってしまいますので…

と書いていて、そういえば柴又の帝釈天 もそんな感じだったかと思い出しました。

東京にもやはり観光地はあるものですね。


でもって、柴又には寅さんがいるのなら、こちらには…。


鬼太郎茶屋@深大寺

ひと目で分かるキャラクターが壁に描かれているのですけれど、

クローズアップしてしまうとそれこそすぐに分かってしまいますので、下駄の大写し。

要するに「ゲゲゲの鬼太郎」でありますね。


「ゲゲゲの女房」を見たことがないのでピンときませんでしたが、

どうやら調布が舞台だったようで、そのゆかりのようでありますなぁ。


ところで、目的地を深大寺でなくってその裏側に代えたと言いましたけれど、

その目的地というのが神代植物公園です…が…。


神代植物公園


前から「おやぁ?」と思っていたんですが、

深大寺(じんだいじ)と神代植物公園(じんだいしょくぶつこうえん)は隣合わせの立地で、

おなじ「じんだい」なのに片方は「深大」、もう片方は「神代」とはこれいかに?と。


現在の町名表示から言うと、

どちらも深大寺元町(植物公園は深大寺北町、深大寺南町にもまたがる)ですので、

では植物公園の「神代」が特殊なのかというと、神代中学校もあれば、神代高校もあるてな具合。


この機会だからと調べてみますと、

深大寺は何とまあ733年(天平5年)に開かれたという古刹でありますから、

あたりを深大寺村と呼ぶようになったのは自然なことであったような。


これが(やおら話は飛びますが)明治になって近隣との町村合併が行われた際に、

どう考えても深大寺村の知名度は一頭地を抜いていながらも、周りの村々にしてみれば

合併して「深大寺村」では吸収合併されたようなものと思えてしまうところから、

音が一緒で別の読み方をすれば「かみよ」の意にもなる「神代」を持ってきたのだとか。


ですから、一時期は正式な行政区分として神代村(神代町)は確かにあったわけで、

学校なんかにはそうした名称を今に受け継いでいるところがあるということに。

…ああ、さっぱりした。


ということで神代植物公園をしばし散策したのでありますが、

有名なバラ園もさすがにもう終わりが近いですなぁ。

頑張って健気に咲いているのもままありますが、その容色にはいささかの疲れが…。


この手の知識に疎い者には、

品種名を見るだけでも「こんな名前が…?」という驚きがありましたので、

ちと見つくろってみますとマジョリカ、デスティニィ、スヴェニール・ド・アンネ・フランク、

アイスバーグ、オレンジ・ジュエル等など、だんだんこそばゆくなってくる気がしたものです。

(花の名前の表記は、神代植物公園の表示どおりにしてます)


そんな中で日本のものらしき名前のついた花はやはり日本の季節の移ろいにも強いのか、

わりと凛と咲いていたような。例えばこのあたり。


緑光@神代植物公園


ふれ太鼓@神代植物公園


上が「緑光」、下が「ふれ太鼓」という品種のようですね。

とまれ、一面に咲いている頃にみるとさぞや見事とは思いつつも、混むんだろうなぁとも。


一方、ダリアも時季としては咲いていましたけれど、

どうも大味な感じですね。なにしろ花がでかい。

ですので、こちらはわりと小ぶりな「センチメンタル」という品種を一点だけ登場させましょう。


センチメンタル@神代植物公園


外の空気が冷えていましたので、今度は温室の方へ。

ここはここで奇妙な?植物が多々あるわけですけれど、

「おお、これが」と思いましたのがこれです。


パピルス@神代植物公園


「パピルス」と表示されているからには、

古代エジプト で紙がわりに使われていたあの!パピルスなのではないかと。


何かしらを書きつけられるものになる素材でありながら、

茎の先端からひげのように伸びているものを見るとむしろ筆を思い浮かべてしまいますですね。


カカオ@神代植物公園


そしてお次はカカオの木。実がいくつも生っているのが見えますでしょうか。

そうなんですよねえ、熱いところでしか育たない。

どうしても「アメイジング・グレイス 」、「チョコレートの真実 」との関わりを思い出してしまうという。


長くなってきましたので最後にしますが、睡蓮の咲く池があったのですね。

そして、睡蓮といえばとにもかくにもクロード・モネ となるわけです。


睡蓮@神代植物公園


でも、温室の中にあるということは、

モネがジヴェルニー の庭で育てた睡蓮とは違う種類なんでしょうかねえ。


何分、この分野もまた知らないことだらけだものですから、

何かつけ「おや?」と思うことばかりの散策でありましたよ。