新宿でちょいとばかり家具を見ようと専門店の入ったビルに向かう道すがら、
ポスターというよりは公演のフライヤーを何枚か連ねたような告知に行き当たったのですね。


そういえば、先日紀伊國屋ホールで「コラボレーション」 を見たときに、

ごっそりその後の公演フライヤーが配られた中で見かけたものでありました。


大きめに顔だけあしらわれた女優さんに何となく見覚えがあり、
木ノ葉のこという名前にも聞き覚えが…。


木ノ葉のこ ひとり芝居「猫を待つ女」


そうだ、ずいぶん昔にTVに出てたっけ、と。
和田アキ子とかせんだみつおとかとデストロイヤーとかと一緒ではなかったろうか…。
後から気づけば「うわさのチャンネル」という番組で、
実を申せば好みの番組とは言えないものの、たぶん家族の誰かしらが見ていたので、
何となく覚えているくらいなもの。


さはさりながら、

それっきり名前も聞かなくなっていた女優さん(タレントだとばかり思ってましたが)が
こんな小さな場所でひとり芝居の公演をやるのか…と思うと、

少々の興味が生じて結局見てしまいました。

ちょうど足を止めたところの地下にある多目的スペースが、この芝居の公演場所だったものですから。


「猫を待つ女」というひとり芝居で、主人公は売れてない女優。
(途中で、またオーディションに落ちたみたいな台詞があるから、たぶん)
かつてはTVのバラエティ番組で人気にもなったものの、今や飼い猫と会話をしつつ、
オーディションの結果を待ったりしている様子なのですね。


あんまり知らないのに、こんなふうに言っては申し訳ないのかもですが、
どうもこの脚本(件の「うわさのチャンネル」の作家が書き下ろしたようです)は
木ノ葉のこという女優さんご本人の過去を踏まえてというのか、意識してというのか、
そんなふうにして書かれているような気がしてしまうわけです。


話としては、その愛猫が姿をくらましてしまう(猫にはありがちらしいですね)。
そこで、猫探しが得意の探偵(?)に捜索を依頼して、
連絡を心待ちにしている日常が綴られているのですね。


しかし、結果的に猫は見つかるものの、帰ってはこない。
猫にも猫なりの別の生活が始まってしまっているから…と
猫探しの探偵は手紙で報告するという。


主人公はひどく悲しむわけですけれど、
それを吹っ切って前に進もうという気概を見せたところで幕となる。
さすれば、この猫というのは過去のしがらみだったりするのではなかろうかと。

大事に大事にしていたつもりが、逆にそれにしばられていた過去に訣別して、
新しい一歩を踏み出そうと言う。


この公演を演出した水谷龍二さんはこんなコメントを寄せていました。

木ノ葉のこが何故、一人芝居をやり始めたのか。それは彼女が女優としての可能性を模索するチャレンジに他ならないと思っている。

いったんはTVの人気者になったものの、その後はほとんど消息を聞くことがなくなっていて、
(あんまりTVを見ないので知らないだけかもですが)
これまでの間にはあれこれ大変だったのではないですかね。


それが、改めて女優としてのチャレンジとしてひとり芝居に挑むという。
これはこれで大変な決意でありましょうね。


持てるものを全部注ぎ込む姿勢なのか、台詞劇であることはもちろん、
ピアノの弾きますし(ご本人は日芸の音楽学部ピアノ科だそうな)、ダンスも踊り、
歌も歌えば、姿の見えない猫に語りかけるマイム風の部分もあるのですね。


舞台女優としては声(発声?)でいささか損をしているなと思ったり、
またあれやこれやと思うところはあるわけですけれど、
このチャレンジ精神には敬意を表したいと思うところです。

何しろ勇気のいることだろうなと想像して余りあることですから。


気づく気付かないは別として、
またもともと有名であるとか、そうでないとかいうことも別として、
どこかで誰かが頑張っている…ということは想像しておいていいことですし、
我が身の糧ともしたいところではあるなあと思ったりしたのでありました。


そうそう、木ノ葉のこさんもアメブロ仲間(勝手に仲間にしてますが…)だったようで、

懐かしいと思われた方(?)は、こちら をご覧になってみてはいかがでしょう。

漱石めぐり でひっぱってしまってますが、最終回であります。
神保町まで来ていましたけれど、ここで少々関わりのある食べ歩きから始めることに。


神保町から靖国通りをそのまま進みますと、やがて小川町、淡路町となります。
外堀通りとの交差点を左へ折れてしばし、ちょっと裏道に入ったところに

松栄亭なる洋食屋さんがあるのですね。


洋食 松栄亭


明治40年(1907年)創業の老舗ですけれど、漱石との関わりは開業前だと言います。
初代が店主となる前は、ある大学教授宅の料理人だったそうなんですが、
そこへやってきた漱石にありあわせの材料で作った料理が喜ばれ、
開業後は今に続く定番メニューとなったのだとか。


この「洋風かきあげ」(900円、ライスは別で200円)が、漱石のお気に入りであります。


漱石お気に入りの「洋風かきあげ」


料理が出てきたときに「ソースとからしはお好みでどうぞ」と言われたものですから、
結構な下味がついているのかなと思って、そのまま食していたのですが、
(それこそお好みながら)ソースもからしもたぁっぷりで食した方が良いかもですね。


確かにパリッと揚がってるわりに、中身のふわふわ感は不思議な印象で、

「おお、これが!」と思わなくはありませんけれど、
漱石の時代に比べて旨いものがタンとある今日この頃ですので、
エピソードを関係なくただ食するなら、別の料理がいいのかも…。

やっぱり関わりがあるということでなら、「三四郎」に登場する上野精養軒という手もありますねえ。


と、ここで少々ショートカットで地下鉄を使うことに。(東京メトロのスタンプラリーですし)
ちょっと戻って東京メトロ千代田線の新お茶の水駅から西日暮里へ出ます。
神田からJR山手線で日暮里へ出る手もありますが、今回は地下鉄を立てておくとしましょう。

と言っても本当は日暮里からの断然近いんですが、立ち寄ったのは羽二重団子本店であります。

芋坂へ行って團子を食いましょうか。先生あすこの團子を食ったことがありますか。奥さん一辺行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます。

というふうに「吾輩は猫である」に出てくる芋坂の団子というのが、

この羽二重団子というわけですけれど、気になるのは引用の最後の部分。
「猫」の登場人物たちは、団子を食いながら酒を飲んだんですかねえ?
これはあんまり真似たいとも思えない…。


さて、日暮里駅と通り抜け跨線橋を越えると、やおら下町風情が漂ってくると谷中銀座でして、
その先を昔は藍染川がという小さな川が流れていたそうな。

二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上で百姓が大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。
「三四郎」より

うぅむ、なかなかにいい感じです。文学してる感じがしますね。
ただ、今は畑も無ければ森もありません。

だいたい、川そのものが暗渠化されていて知らずに通ったら、さっぱり?です。
景色だけから往時を偲ぶことはもはや不可能ですね(って、ここばっかの話じゃありませんが…)。

谷中から坂を下って藍染川沿いに千駄木へ抜ける。団子坂を一気に上りきったところで左に入れば、切り立った懸崖に出る。街中にあって汐見という云われは、かつては江戸前の海辺まで見通せたことによるらしい。

と、これは引用でもなんでもないんですが、
なんとなくここらあたりは地名を並べてだけでも文学散歩めくなあと思っただけの戯れであります。


そうこうするうちに、根津神社のほど近く、

日本医科大学の建物の間を縫っていきますと、漱石の旧居跡にたどり着くのですね。


明治36年(1903年)ロンドンから帰ってきた漱石がまず住まったのがこの場所で、
ここで「吾輩は猫である」が執筆されたことから「猫の家」とも呼ばれたという。


漱石旧居跡 石碑


住まい自体は明治村に移築してあるということで、今は碑が建つのみでありますけれど、

碑文は川端康成 が書いたと言われるとすこぉしだけ「ほぉ!」と思ったり。


てなわけで、これまたゆかりのあるであろう東大が目の前まで来たところで、
結果的に3回も書いてしまった漱石ゆかりの地をめぐる散歩のお話も一巻のお終いにございまするぅ。

先に「サロメ」の話 に触れましたけれど、
「サロメ」と言えば、どうしたってオーブリー・ビアズリー(1872-1898)に話が及ぼうかと。


オスカー・ワイルド の戯曲「サロメ」の

英訳版刊行(ワイルドは最初、フランス語で書いたとされる)にあたって、
その挿絵を担当したのがビアズリーだったわけです。


元々はフランス語版「サロメ」に接していたビアズリーは、

その印象で一枚の絵を描き(後の挿絵の原画ともなりますが)、
それを気に入ったオスカー・ワイルドがビアズリーに白羽の矢を立てたといいますね。


オーブリー・ビアズリー「サロメ」挿絵より「クライマックス」


もっとも起用しておきながら、

(一枚の絵ならともかくも)全体的にはワイルドのお気に召さなかったそうでありますが…。


ビアズリーはわずか25年ほどの一生涯でありますから、

無邪気が抜けないのもいささか止むを得ざるところでしょうけれど、
見方によっては揶揄しているともとれる姿で、絵の中に似顔絵まがいで人物を登場させるところがあり、
オスカー・ワイルドあたりも自分が弄られてると思えば、面白くないところでありましょうね。


より確信犯的には、ビアズリーが私淑するホイッスラー に絵を評価されなかったことから、
ホイッスラー夫妻を風刺画に描きこんでしまうという児戯に等しいものあったようです。


もっとも、後にアレクサンダー・ポープの「毛髪掠奪」(「髪盗み」とも)に

ビアズリーが付けた挿絵に感銘を受けたホイッスラーとは仲直りしたようではありますが。


オーブリー・ビアズリー「毛髪掠奪」挿絵より「化粧」


ところで、その作風のほどはと言えば、もう独特としか言いようがありませんよね。
さりながら、影響を受けたとされますのは先のホイッスラーのみならず、
ビアズリーが絵画への道を歩むことを決意するきっかけを作ったバーン=ジョーンズ、
(何でもアポなしでアトリエを訪ねたにも関わらず、親しく接して美術学校を紹介してくれたとか)
そして同じくラファエル前派 のロセッティ、さらには何と!マンテーニャ という指摘もあるという。
世紀末的でありながら、実は古典も押さえているのですねえ。


ところで、ビアズリーが絵の世界に飛び込むのに、

バーン=ジョーンズが背中を押したと言いましたけれど、
ビアズリーは音楽教師をしていた母親や寄宿学校の恩師の影響で、

音楽や芝居、文学の世界にも深く接して、本人もかなり多芸多才な能力があったようなのですよ。

ですから、自ら戯曲をものしたりということもあって、絵ひと筋というわけではなかったと。


芝居と音楽なれば、オペラということになっていきますが、

ワーグナー には傾倒したようで、「タンホイザー」の翻案と思しき「丘の麓で」なる作品(元は「ヴィーナスとタンホイザー」を改題)を書いたりしています。


とりわけのお気に入りは「トリスタンとイゾルデ」だったようでありまして、
愛と官能の織りなす耽美的な世界に魅せられていたのでしょうね。


そうした世界を描き出すにあたって、
先に触れた「毛髪掠奪」の挿絵あたりはそこはかとない色気となっていますけれど、
どうも尖鋭化すると、もはや個人的には付いていき難いところに行ってしまいます。


アリストファネスの「女の平和」に付けた挿絵などは(敢えて画像を付すことはしませんが)
ともすると春画まがいと言っても、あながち的外れではなかろうかと…。

(春画も芸術なのかも(?)ですから、一概に貶めてるのではないものの)


どうしてこうなっちゃうのかな…という点では、
病弱であった(実際、短い生涯…)ことが影響しているところもあるのでしょうけれど、
ビアズリーの、この言葉がそのまま作品に通底しているのでしょう。

私には目的がひとつある。グロテスクだ。もしグロテスクでなければ私は無に等しい。

それでも、最晩年の作でテオドール・ゴーティエの「マドモアゼル・ド・モーパン」に付けた挿絵には

こんなのもあるのですね。


オーブリー・ビアズリー「マドモアゼル・ド・モーパン」挿絵より「猿を連れた貴婦人」


胸をはだけている点は原作譲りとして置いておくとして、あれこれ直截的な表現に走らずとも、
この物憂さ、気だるさだけで十二分に耽美的世界を描けることが想像できるわけです。


となれば、ビアズリーに健康の心配が無かったならば、

どんな絵を残していったろうかと考えたりもしますが、
病弱で結果短い生涯であったからこそオーブリー・ビアズリーがあったのでもありましょうね。

夏目漱石ゆかりの場所 を巡っての続きであります。


生誕と終焉の地である早稲田を後にして早稲田通りをしばらく行きますと、
神楽坂に出るのですね。


大久保通りと交差する神楽坂上の交差点からほんのひと息で、
和紙問屋であった相馬屋に到着します。


こういってはなんですが、

今では店構えからして普通に街中で見られる文房具店になってしまっておりますけれど、
明治中期頃から販売を始めた原稿用紙は、多くの作家の御用達であったとか。
相馬屋さんのHPから、紹介文の一節を引用させていただきましょう。

初代が紙漉き源四朗(現在は「郎」)の店名で、東京・神楽坂に和紙の問屋を開いたのが1659年。明治の中期に和半紙だった原稿用紙を尾崎紅葉の助言で洋紙にして売り出したのが「相馬屋製」で夏目漱石、北原白秋、石川啄木、坪内逍遥といった文豪たちにご愛用頂きました。

…ということで、文豪・漱石もこちらの原稿用紙で作品を紡いでいったのでありまして、
そうなれば、やっぱり買っちゃうわけです、原稿用紙を。



相馬屋製原稿用紙


なんとはなしでも、肖れそうな気がするではありませんか。

ところで、相馬屋さんのちょいと先、斜向かいくらいのところにあるのが善国寺。


ここは毘沙門天として有名でして、

実は今年初めの新宿山ノ手七福神巡り でも訪れた場所なのですが、
漱石作品に登場していたとは、そのときは知らなかったんですなぁ。

神楽坂の毘沙門の縁日で八寸ばかりの鯉を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えても惜しいと云ったら、赤シャツは顋(あご)を前の方へ突き出してホホホホと笑った。
「坊っちゃん」より

確かに正月早々に寄ったときには大層な賑わいではあったなと。


さて、神楽坂を下りきってお堀を越え、

ずんずん行きますと靖国通りに行き当たりますので、ここを左に折れて程なく、

時代は変わっても今だ相当数の店が軒を連ねる古書店街に入っていくのですね。
神保町であります。


すこぉしばかり裏道に回りこむと、錦華小学校(現・お茶の水小学校)なのでして、
「明治十一年 夏目漱石 錦華に学ぶ」という立派な石碑が建っているという。
いかな文豪たりとて小学校には通ったわけですな。


お茶の水小学校門脇の石碑


もっとも優秀だった金之助少年は飛び級していったそうでありまして、
その後、府立一中、一高、東大と進むとあっては、こちらの方は肖れそうもありませぬ…。


とまあ、いささかトホホとなったところで思い出しましたが、

このお茶の水小学校にたどり着くのに、ちいとばかりうろうろしてしまって(要するに見つからない)、

そのときにですね、漱石とは全く関わりないんですが、こんな碑も見つけてしまいました。


東京音楽大学発祥の地


最初は「お、東京音楽学校?」と思ってしまいそうでしたが、

文字通り東京音楽大学、東京音大ですな。


しかしまあ、歩き回ってみると、いろんなものに出くわすもので…というところで、本日はこの辺で。
漱石めぐりも次には終わりますので、よしなにお付き合いくださいませ。

クリント・イーストウッド監督の最新作「ヒアアフター」を見てみたのですね。


主題そのものは異なるやもですが、「ミリオンダラー・ベイビー」でも

最終的に「死」と向き合うことになりましたけれど、往年のマカロニ・ウェスタンのヒーローも

御年80歳を超えては尚のこと「死」に関わった題材を扱うことになったのでありましょうか。
タイトルの「ヒアアフター」がそもそも「来世」の意なのだそうで。


Chain reaction of curiosity


始まりはインドネシアの地震に起因する大津波。
バカンスに来ていたビーチでこれに巻き込まれたジャーナリストのマリー(セシル・ドゥ・フランス)は

瀕死の状態から覚醒して後、自らの脳裏に焼きついた臨死体験をことあるごとに思い出してしまいます。


パリ に戻っても、TVでの仕事も本番中にぼんやり気味で干されてしまい、
本来執筆を予定していた本も結局は全く内容を変えて、臨死に関する著作を書くことになってしまうという。


一方サンフランシスコでは、死者とコネクトできるという特殊能力を持つジョージ(マット・デイモン )が、この能力を使うことより隠すことにやっきになっているのですね。


死者との交信を望む人は多いながら、

それによって思い出したくない過去を突きつけられてしまうというケースを
ジョージは何度も見てきたわけで、そうしたことが繰り返されるにつけ、

ジョージ自身もいたたまれなくなるわけです。


さらにロンドン では、幼い双子の兄弟のうち、事故で兄を失ってしまった弟の方が

何とか兄とのコンタクトを図りたいと霊能力者を訪ね歩き、

数々のまやかしにあっている姿が見られ、しばらくは3地点並列で話は進みます。
が、ロンドン・ブックフェアでこの3人が交錯するに及んで、糸は撚り合わされるのですね。


話は端折りますが、最後の最後、お互いがお互いのことをおそらく理解できる人物として、
マリーとジョージは出会うことになり、これはこれでハッピー・エンドなのだなと思えるところなわけです。


ここでまた、本筋では想定外の想像を巡らすことになってしまいますけれど、
マリーとジョージの出会いがハッピー・エンドとされるのでいいんだろうかな?ということなんですね。


自らのことを理解してくれる人、分かってくれる人どうしの出会い、
そこのところだけを捉えれば、ハッピーと言っていいのでしょう。


ただ、ごくごく普通の人とは異なる体験(臨死)をした人と

ごくごく普通の人が持ち合わせない能力(霊能力)を持った人というのは

とても特殊な存在なわけですけれど、

そうした人たちが特殊な人どうしでしか結局分かり合えないのだとしたら、
やっぱり違った印象を持ってしまうのではないかと。


「特殊」という言葉で括ってしまっては語弊のあるところではありますが、
いわゆる「普通の人」というものとの比較において、

さまざまな特殊さ、特別さ、変わった何かしらを抱えた人がいるわけで、
そうした人の多くはたぶん本人の意思・意図とは関わりなくそうなっていると思われます。


そういった人たちの世界は狭まらざるを得ない…てなふうな結末に見えてしまうと、
いささか愕然とするわけですね。

もちろん傍目でああだこうだ言えることではないにしても。


だからといって、そのことに対して何ができるわけでもないですし、
これは自分の努力が足りないとか、考え方を変えればで済む話でもなさそうです。


人間の限界といってはそれまでですが、そんなことまで考えてしまうところではありました。

たぶんもおそらくもなく、この映画はこんなことを言いたいのではないとは思うのですが…。