漱石めぐり
でひっぱってしまってますが、最終回であります。
神保町まで来ていましたけれど、ここで少々関わりのある食べ歩きから始めることに。
神保町から靖国通りをそのまま進みますと、やがて小川町、淡路町となります。
外堀通りとの交差点を左へ折れてしばし、ちょっと裏道に入ったところに
松栄亭なる洋食屋さんがあるのですね。
明治40年(1907年)創業の老舗ですけれど、漱石との関わりは開業前だと言います。
初代が店主となる前は、ある大学教授宅の料理人だったそうなんですが、
そこへやってきた漱石にありあわせの材料で作った料理が喜ばれ、
開業後は今に続く定番メニューとなったのだとか。
この「洋風かきあげ」(900円、ライスは別で200円)が、漱石のお気に入りであります。
料理が出てきたときに「ソースとからしはお好みでどうぞ」と言われたものですから、
結構な下味がついているのかなと思って、そのまま食していたのですが、
(それこそお好みながら)ソースもからしもたぁっぷりで食した方が良いかもですね。
確かにパリッと揚がってるわりに、中身のふわふわ感は不思議な印象で、
「おお、これが!」と思わなくはありませんけれど、
漱石の時代に比べて旨いものがタンとある今日この頃ですので、
エピソードを関係なくただ食するなら、別の料理がいいのかも…。
やっぱり関わりがあるということでなら、「三四郎」に登場する上野精養軒という手もありますねえ。
と、ここで少々ショートカットで地下鉄を使うことに。(東京メトロのスタンプラリーですし)
ちょっと戻って東京メトロ千代田線の新お茶の水駅から西日暮里へ出ます。
神田からJR山手線で日暮里へ出る手もありますが、今回は地下鉄を立てておくとしましょう。
と言っても本当は日暮里からの断然近いんですが、立ち寄ったのは羽二重団子本店であります。
芋坂へ行って團子を食いましょうか。先生あすこの團子を食ったことがありますか。奥さん一辺行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます。
というふうに「吾輩は猫である」に出てくる芋坂の団子というのが、
この羽二重団子というわけですけれど、気になるのは引用の最後の部分。
「猫」の登場人物たちは、団子を食いながら酒を飲んだんですかねえ?
これはあんまり真似たいとも思えない…。
さて、日暮里駅と通り抜け跨線橋を越えると、やおら下町風情が漂ってくると谷中銀座でして、
その先を昔は藍染川がという小さな川が流れていたそうな。
二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上で百姓が大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。「三四郎」より
うぅむ、なかなかにいい感じです。文学してる感じがしますね。
ただ、今は畑も無ければ森もありません。
だいたい、川そのものが暗渠化されていて知らずに通ったら、さっぱり?です。
景色だけから往時を偲ぶことはもはや不可能ですね(って、ここばっかの話じゃありませんが…)。
谷中から坂を下って藍染川沿いに千駄木へ抜ける。団子坂を一気に上りきったところで左に入れば、切り立った懸崖に出る。街中にあって汐見という云われは、かつては江戸前の海辺まで見通せたことによるらしい。
と、これは引用でもなんでもないんですが、
なんとなくここらあたりは地名を並べてだけでも文学散歩めくなあと思っただけの戯れであります。
そうこうするうちに、根津神社のほど近く、
日本医科大学の建物の間を縫っていきますと、漱石の旧居跡にたどり着くのですね。
明治36年(1903年)ロンドンから帰ってきた漱石がまず住まったのがこの場所で、
ここで「吾輩は猫である」が執筆されたことから「猫の家」とも呼ばれたという。
住まい自体は明治村に移築してあるということで、今は碑が建つのみでありますけれど、
碑文は川端康成 が書いたと言われるとすこぉしだけ「ほぉ!」と思ったり。
てなわけで、これまたゆかりのあるであろう東大が目の前まで来たところで、
結果的に3回も書いてしまった漱石ゆかりの地をめぐる散歩のお話も一巻のお終いにございまするぅ。


