自宅から自転車圏内に東京都の薬用植物園なるものがありまして、

これまでにも何度か立ち寄ったことはあるのですけれど、

たまたま花の季節にもなってきましたので、またしても拙いながら写真を撮ってみたり。

例によって大鑑巨砲的な一眼レフを構えた方々の脇からこっそりと携帯で…。


この時期の目玉(?)はといえば、一般家庭で栽培を許されない、

いわば薬用植物園ならではの植物でありますね。


ケシ@東京都薬用植物園


ご存知の方もおいでかと思いますが、何を隠そう?「ケシ」なのですね。

奥の方に柵が見えますけれど、普段は二重に厳重な柵が施されておりますが、

ほんの一時期、外側の柵が開かれて少しだけ近寄れるようになるのですよ。


まだまだ花はこれから…ということですけれど、大ぶりな花はなかなかに見事ながら、

やはり邪悪な気配が濃厚に感じられたりもするところです。

麻薬にもなるけれど、医薬品にもなるという微妙な立ち位置ではないですかねえ。


ところで、邪悪な気配といいますと、こちらも相当なものではないかと。


ケジギタリス@東京都薬用植物園


説明書きにはこのように書かれています。

ケジギタリス(Digitalis lanata Ehrh.)
ジゴギシン(強心利尿薬)などの製造原料とされるが、一般の使用は不可(有毒植物)。

薔薇をして「美しい花には棘がある」てな言い方をしたりしますけれど、

毒があるとなれば、本能的に「近づいちゃいけん」という信号が感知されるのですかね。

きれいな花と見えなくもないながら、どうしても邪悪さが気になってしまうわけです。


油断するとうっかり近づいてしまい…みたいなふうだと、こちらになりましょうか。


イチハツ@東京都薬用植物園



また説明書きを引いてみましょう。

イチハツ(Iris tectorum)
中国では鳶尾と呼び、解毒・水腫などに用いる。中国、ビルマ原産。古く日本に渡来した。中国では根茎を薬用とする。(有毒植物)

こういうのにふらふらと無防備に近づくとろくでもないことになったりするんですよね。

(と、比喩的発想から、ちと妄想気味ですが…)


てなこと言いながら、

妖しげな花ばかり撮っているではないかとはどなたも仰らないでしょうけれど、

傾向の違うところをひとつ見てみるかなと。


アーモンド@東京都薬用植物園


何だこれ?と思うわけですよ、何かの実だろうとは思うものの…。

看板によれば「アーモンド」なのだというのですが、すぐには結びつきにくいような。

あいにくと薬効のほどは書かれてなかったものの、

「アーモンドなら、何かに効きそうだぁね」と思ったりしますね。


ところでふと考えてみるとですね、ケシはともかくとしても、

その他にも先のジギタリスの仲間とか何だとか

「有毒植物」と書かれたのがたくさん植わってるわけですね、無造作に。


いけすかない誰かしらに、煎じて飲ませちゃうとか…。

こんなの使ったら、一発ですよね、葉っぱだけだと何だか分からないでしょうけど。


ハシリドコロ@東京都薬用植物園


摂取してしまおうものなら気が狂ったように走り回ってしまうとかいう「ハシリドコロ」であります。

昨今また食中毒といいますか、そうしたことが伝えられてきますけれど、

気をつけなきゃいけないのは植物にも、かなりありそうだなと思うのでありました。

この間アルファポリスというサイトで弊店のご紹介 をいただきました際、その紹介文に

「掲載内容はジャンルもさまざまですが、その中にある“世界を巡る旅を空想する”はユニークです。

 どこかへ行きたいけど現実には無理という方、“空想旅行”はいかがですか?」

てなふうに書いていただきました。


たぶんに(というより完全に)自己満足的な内容ながら、

ご覧いただけた方に僅かばかりでも「旅を想う」ような感じが伝わっていたのなら、

これまた嬉しいことではないかと。


ですので、しばらくほったらかしになってしまった「空想旅行」の続きを空想するといたしましょうか。

といっても、これって何?と思われる方もおいででありましょうから、イントロをつけることにしました…。







世界を巡る旅を空想する…
地球は、世界は狭くなったと言われますね。
確かにその気になれば、どこへなりとも出向けるのかも…ですが、
思うに任せない現実にせめて旅行ガイドやタイムテーブルを眺めながら

空想旅行に出かけてみようかと。

空想ながらも一回の旅は9~10日間と、実際に行くとしたらのリアルさも持たせて、
ひと筆書きのように断続的な空想の旅は続きます…。


途中いろんな寄り道がありましたけれど、フランス周遊も大詰めを迎えつつあります。

前回の到着地マルセイユ に戻って、地中海沿いの空想旅行を続けるといたしましょう。


【第1日目】 東京→マルセイユ→エクス・アン・プロヴァンス

マルセイユが廻りたりない…ということもあろうかとは思いますけれど、ここは一つエクス・アン・プロヴァンス まで入ってしまうことにしてしまいます。

【第2日目】 エクス・アン・プロヴァンス

プロヴァンスと聞いただけで、風景のイメージが浮かぶところです。そうした風景はもとより、エクスといえばセザンヌというわけで、セザンヌのアトリエ は何を置いてもですね。セザンヌに冷たく、作品が所蔵されたのは1984年になってからというグラネ美術館 にも寄っておきましょう。

【第3日目】 エクス・アン・プロヴァンス

しっかりとした下調べが必要とは思いますけれど、ぜひサント・ヴィクトワール山 に行ってみたいなと思うのですね。なにしろセザンヌが80回以上も描いた山ですし。東京のブリヂストン美術館で見られる「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」のシャトー・ノワールにも立ち寄れたらなぁと思うところであります。

【第4日目】 エクス・アン・プロヴァンス→カンヌ

マルセイユで乗り換えて3時間ほどでしょうか。コート・ダジュールの一角、カンヌに到着です。ここらで英気を養うためにも、浜辺でのんびり。または、沖合のレランス諸島にでも渡ってみましょうか。連絡船で15分ですし。ここの城塞は長らく監獄として使われ、デュマの「鉄仮面」のモデルになった囚人が入っていたそうですよ。

【第5日目】 カンヌ→ヴァロリス、グラース→カンヌ

カンヌももちろん素敵なところですけれど、周辺の小さな村もまたそれぞれに魅力的なんですね。ヴァロリスもグラースも30分くらいで行けてしまう。ヴァロリスの方には、ピカソが陶芸に出会った街ということで、 国立ピカソ美術館 がありますし、グラースの方は香水の町として有名なばかりか、その香しさにもマッチするフラゴナール美術館 があるのですよ。

【第6日目】 カンヌ→ビオット→アンティーブ→ニース

小さな村めぐりになってきてますが、ビオットはここにアトリエを構えていたという縁で国立フェルナン・レジェ美術館 がありますので、立ち寄り。アンティーブにもピカソ美術館ペイネ美術館 が。いやはやあちこちにいろんなものがあって困ってしまいますね。

【第7日目】 ニース

しかしまあ、地中海の陽光は多くの画家を惹きつけたものでして、ニースにもシャガール美術館マティス美術館 、デュフィのコレクションを持つニース美術館 などなどあるんですなあ。海岸でのんびりタイムも挟んで、見て廻りたいですね。

【第8日目】 ニース→ヴァンス→カーニュ・シュル・メール→ニース

いつものパターンよりも一日多いですけれど、ここまで来たら次回にというよりどうしても寄っておきたい。それがヴァンスにあるマティスによるロザリオ礼拝堂 。そして、ルノワールが亡くなるまでの12年間住んだ家のある カーニュ・シュル・メール です。

【9~10日目】 ニース→東京

そうそう、どこにも「泳ぐ」と書いてませんけれど、北海で泳ぐ よりは相応しい場所ですから、当然ひと泳ぎを忘れてはなりません。あちこち回るのが忙しくなってしまったら、最終日にひと泳ぎですね。でもって、帰国の途につくといたしましょう。

ということで、ずいぶんと欲張った感のあるコートダジュールの旅でありましたが、

地中海沿いの旅の続きを空想するのもまた、なかなかに楽しいものであるような…。    (つづく)

19世紀半ばロンドンのコレラ禍 ではありませんけれど、
伝染性の病気に対して一般人(医師とかでなくって)が抱く見えないものへの恐怖、
得体の知れないものがすぐ近くにいる(ある)かもしれない怖ろしさってあるだろうなぁと。


折しも震災後の被災地では感染症の懸念があり、
一方原発事故に絡む放射線にしてもまさしく見えないものの恐怖が風評被害まで引き起こしている現実があるのに「どうよ?」の感なきにしもあらずながら、

先に読んだ「感染地図」に続いてフィクションの感染ものを読んでしまったのでありました。
川端裕人さんの書かれた「エピデミック」であります。


エピデミック/川端 裕人


一昨年(もう?)だったか、豚由来インフルエンザがひとしきり騒ぎになりましたけれど、
C県T市で急に高熱を出して肺炎を起こし、手の施しようもないうちに死に至るという病いが

発生するという導入、なんだかフィクションとばかり言ってもいられないような気がしてきますよね。


ここで活躍をするのがフィールド疫学者のチームなのでして、
ちょうど「感染地図」でのジョン・スノーを思い出させます。
もっとも、そこから始まった(ともいえる)疫学も、
21世紀には統計的な発生源分析にもPCその他の機器を駆使することになりますが。


しかしながら、この未知の病いがその後の展開の中でパンデミックにまでなってしまうのか、
発症した者はもはや死に至るしかないのか、
発生源(本書でいう元栓)はいったいどこなのか、
こうした点が気になってしかたがないものですから、
自ずと夜に日を次いで読んでしまうのですよね、これが。
この止められないこと自体が感染症なのではないかと訝しく思うくらい。


しかもまあ、バイオテロの可能性やら、胡散臭い研究所の存在やら、
似非栄養食品が出てきたかと思えば、

動物愛護の名の下に病気のも含めてあれこれの動物を保護する場所が出てきたりと、
科学素人から見る限りそこいらじゅうに怪しさ満載の状況とあっては、
「いったい何が原因なのよ」と思ってしまうわけですね。


ところが!ところがです。
言われてみれば「なるほどな」なんですけれど、
フィールド疫学者たちが発見しようとしているのは「新たなウィルスが何であるか」ではなく、
「発生源はどこか」ということなのですね、そして、その元栓を閉めるのだと。


だからこそ、主人公である疫学者のひとり島袋ケイトは自嘲気味に言うわけです。
パンデミックを回避して終息させればフィールド疫学者の成功なのだけれど、
結果的には何もしなくても終息したかも知れず効果のほどが図りがたいと。


疫学者の仕事とは違って、例えば新型ウィルスを突き止めて、
これは○○という新たな病気でしたということを明らかにする研究の方が
科学的成果として受け止められるし、一般人にも分かりやすい。
ウィルスの発見がイコール事態の収束ではないにしてもです。


この辺りは考えさせられるところではないですかね。
こういう仕事って実はたくさんあったりするのではないかと。


自分の仕事が世の中にとって無くてはならないものという自負がある。
さりながら表立った評価を受けにくく、傍から見ると何をやっているのか皆目わからないといったような。


人間誰しも褒められれば悪い気はしませんし、
何かしらの比較のもとに貶められるとすれば腐りもしようというものではないかと。


医学のような分野とは全然畑違いで例えに出すのも恐縮ではありますが、
かつて携わった旅行の仕事なんかでも、ツアーに参加した方々が
どれだけ後々まで残るような「ああ、楽しかった!」が提供できるかが肝心であって、
単に無事に行って帰ってくるだけでは駄目なのですよね。


でもって、旅行後のアンケートでは概ね好評なのに

ほんの一部でも「今回の添乗員、最低!」(とまで言われたことはありませんが)的なことを

書かれた日には立ち直るのにしばらくかかるわけで…。


と、何だか話がずれてきてますが、
とまら先達ジョン・スノーも相当に理解を得られない中で元栓探しを行いましたけれど、
本書はフィクションながらおそらく実際に起こったら、疫学者の活動のみならず、
限りなく現実に近いことが書かれているのだろうなと思って考えてしまうところのある一冊でありました。


話としては、あれもこれもと盛り込まれた怪しい要素が全てクリアになる終わり方ではありませんけれど、それも含めて感染症対応、疫学のリアリティを表現しているやもしれませんね。

あ!ちなみにエピデミックはパンデミックの手前の状況のようで…。

まずは一枚の写真をご覧いただきまして…


Chain reaction of curiosity


「これ、いったいなんなの?ただの木?」と思われた方、正解です。
よく利用する喫煙所から見える、ただの木であります。


が、この時期降り注ぐ陽光を浴びると、
かの木肌はどうしてもとある画家の作品を思わせずにはおかないと
個人的には思ってやまないのですね。


それが、ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858-1899)なのですよ。
とまあ言ったところでですね、極めて個人的な思い込みみたいなものですし、
所詮は携帯で撮った写真でありますから、
「そうそう、セガンティーニよねえ」となるはずもあるまいと思いますが…。


ところで、本当ならこのGWの期間中にでも新宿の損保ジャパン東郷青児美術館に行って
「セガンティーニ」展を見ているはずでありましたけれど、
惜しくも開催中止となったのでして、であればせめてセガンティーニ探究をいささかばかりと
思ったようなわけでありますね。


「セガンティーニ」展@損保ジャパン東郷青児美術館(開催中止)


セガンティーニは1858年、イタリア はトレント県のアルコで生まれます。
といっても当時はリソルジメントの前でオーストリア領ですけれど。


貧しい一家で母を早くに亡くし、
どうやら身寄りをたらい回し的な境遇で育つジョヴァンニ少年であったようですが、
絵の才能では秀でたところを示したことからミラノの美術学校に通うことになります。
貧しくとも、こうした運は用意されているようですね、天才には。


ところが、2年ほどでこの学校を辞めてしまうことに。
セガンティーニはこんなことを言っていたのだそうです。

生まれつきの芸術家には、美術学校は役に立たない。ここは多くの画家を育てても、ひとりの芸術家も生み出さない。

美術界で一廉の存在ででもあれば言えるやもしれぬ一言ですけれど、
二十歳になろうかどうかくらいの若造がよく言えたものです(あっぱれ?!)


要するに、ここでもアカデミズムと袂を分かつ存在がいたわけですね。
そして、自然を愛し、外光を愛するところから
「マッキアイオーリ」のグループと交流したりしていくことに。

やがて、より雄大な自然を求めてスイスに分け入っていきます。


分け入ると言いましたのは、スイスの誰やらのつてを頼ってどこそこに引っ越した…てなことでなく、
誰やらのつてもなければ、どこそこのあてもない状態。
つまりは、スイスに入るというだけであてのない移動だったわけですね。
しかも、家族連れで(とても凡人にはできないと、個人的感想…)。


そして、たまたま心惹かれた標高1207mの小さな村サヴォニンに住まうようになって、
「アルプスの画家」らしさが開花していくわけです。

ゲーテ の「もっと光を」ではありませんけれど、
セガンティーニの方は「もっと高さを」てなことになりましょうか。


ジョヴァンニ・セガンティーニ「湖を渡るアヴェ・マリア」(1886年)


こうした地理的な高みに精神的高揚ですとか神や天への近さを思ったのか、
8年ほど後に標高1815メートルのマロヤという村に移り住むことになるのですね。


しかしながらこの物理的な上昇は、アルプス の荘厳な風景の中に
見た目だけでないものをセガンティーニに見せるようになったのかのしれません。
セガンティーニのお孫さんのインタビューによれば、こんなふうです。

アルプスの自然を見つめ続けた結果、人や動物や山など、あらゆるもののなかに神が宿っていると考えるような宗教的な人間になったのだ。人の少ない場所を求めて、より高いところを目指したのも、そのためなのだ。

アルプスの山々を、そして山々の中に見えるものを描き続けたセガンティーニは1899年、
戸外での制作中に急な病いに襲われて亡くなりますけれど、
その場所は標高2731m、シャーフベルクの山頂でありました。
なんでもセガンティーニが登ったうちの最高所であったそうな。


セガンティーニと聞いて即座に思い浮かべるのは、アルプスの風景と

そこに暮らす人の日常といったもの(例えば西洋美術館の「羊の剪毛」 とか)ですが、

ウィーンのベルヴェデーレ上宮で見た「悪しき母たち」 が強い印象を残すように

「それだけではない!」とは思っていたのでして、
こたび開催予定であった展覧会ではきっとそこらへんの何かがつかめそうだと楽しみにしていたのですね。


とまれ東京での展覧会は無くなりましたので、

それならばやはり行かずばならぬのではなかろうかと。
サン・モリッツのセガンティーニ美術館へ。


なかなか奥まった不便な場所ですが、

そうしたことも踏まえてプランニングするのもまた楽しからずやでありましょう。
いつとは知れぬことながら、セガンティーニの絵に近づくには、

セガンティーニが目指した場所でこそという気がしないでもありませんから。

高校の頃だったでしょうか、友人たちとの他愛もない会話の中で
「今、何のレコード、欲しい?」みたいな話になったときのことであります。
当時はCDでなくしてLPレコードの時代です。

友人たちはおそらくその当時に流行っていたロックなりポップスなり、
はたまた歌謡曲(この言葉も死語か…)なりのアルバム名を挙げたのではないかと思いますけれど、
考えてみれば一人だけどうやら浮いたことを言ってしまったわけですね。

答えて曰く「二つのバッハ!」と。
欲しいと思ってたものですから率直に答えたものの、
しばし「ふたつのばっはぁ!」と大笑いに取り巻かれたものでありました。

その頃は、黎紅堂のようなレンタルレコード店もありませんでしたから、
やおらレコードを購入するという冒険はかなり勇気を要したわけで、
(一介の?高校生が失敗覚悟で購入する勇気ということですが)
FM放送のエアチェックを通じて新しい音楽を蓄積することが一般的に行われてました。

ですので、FM放送の詳細な放送内容の掲載をメインとした情報誌が発行されていたわけです。
音楽之友社の「週刊FM」とか共同通信社の「FMfan」とか、
後発ですが小学館の「FMレコパル」とか。

「レコパル」という名前なぞは、
端からFM放送の録音を前提にしてることがよく分かりますよね。
レコーディングのパル(友)ですから。

個人的には「FMfan」の番組表を食い入るように眺め、
印付けまくりでカセットデッキの録音ボタンの押すタイミングを、
それこそ息を詰めて用意したものでありました。

「FMfan」なる雑誌は表紙に一枚のアルバム・ジャケットが配されるのですが、
そこに現れたのが、何をかくそう「二つのバッハ」だったのでありますよ。

内容としては、イタリア協奏曲等のチェンバロ独奏曲が片面に収録され、
反対面には同じ曲のジャズ版が入っているという企画ものなのでした。

結局そのレコードも買うことはなく、FM放送で一部を聴くだけに留まりましたけれど、
スウィングするイタリア協奏曲がほとんどジャズを聴いたことのなかった者には
とても新鮮な音楽に聴こえたものなのですね。

後になってですけれど、
バッハをジャズ風に演奏するというのは結構普通にあることを知りました。

クラシック音楽では古典派以降、楽譜どおりの演奏が当たり前になって、
唯一コンチェルトのカデンツァに残された即興的技量を見せる部分も
予め作られたカデンツァになっていきました。

ですが、バッハの時代にはまだまだ即興の技量が見せ所のひとつでもあったわけで、
楽譜には和音しか書いていないとか、はたまた楽器編成なども特段の指定がなされず
演奏する側の裁量に任されてるところもあったのですね。
先日聴いた「音楽の捧げもの」なんかも同様ですけれど。

後にジャズの領域で展開される即興性が目新しくも思えたりしたものの、
実はバロックの時代に先祖返りしたといった方がいいのかもですよね。

でも、そうであるなら何もバッハでなくてもいいわけですね。
それこそヴィヴァルディでもヘンデルでも…。
ところがどうもジャズの世界でのバッハの取り上げられ方は別格な気がしないではない。
やっぱり響きが相当にクールでかっちり書かれているからこそ、
揺らしたくなる…ところもあるのかなと。

というところで、ジャズ版バッハを久しぶりにいくつか聴いてみることに。
まずは「プレイ・バッハ」というアルバム・タイトルが
そのままプレイヤーその人を表すまでになってると言われるジャック・ルーシエを取り出しました。

デジタル・プレイ・バッハ/ジャック・ルーシェ


ジャック・ルーシエのピアノをメインに置いた、ベースとドラムスによるトリオですけれど、
フランス出身ということがステレオタイプな先入観でもあるのか、
非常にスタイリッシュな、そしてソフトなバッハですよね。

もしかして、オリジナル版バッハに入る以前の、
バッハ入門にはある種打ってつけだったりするのかも
と思ってしまうほどの聴きやすさがあるような。

お次はジョン・ルイスのピアノ・ソロを中心にした平均律クラヴィーア曲集ですが、
時折ギターやベース、そしてヴァイオリンやヴィオラまでも寄り添う形で演奏されているのですね。

プレリュードとフーガ Vol.1/ジョン・ルイス


先ほどのジャック・ルーシエが聴く者に「どうだい、楽しいだろう」とバッハの敷居を低くするものなら、
こちらのジョン・ルイスは本来のバッハに最大限の敬意を払いつつも、
バッハの時代には即興性に自由度が高かったことをもって?
自分の語法(つまりはジャズですが)に引き寄せているわけですけれど、
研ぎ澄まされた冷徹さは「これも紛うことなきバッハ」であろうと。

ジョン・ルイスにはゴルトベルク変奏曲の録音もあって、
ルイスの奥様が演奏するチェンバロによる原曲と
ルイスの自由な演奏が交互に出てくるという企画でやってます。

ところでバッハとジョン・ルイスと来れば、忘れてならないのは
MJQ(モダン・ジャズ・クァルテット)のアルバム「コンコルド」に収録された
「朝日のようにさわやかに」(Softly, as in a morning sunrise)ではなかろうかと。

コンコルド/M.J.Q.


先の例のようにバッハの曲に取り組むというのとは違いますけれど、
曲の頭と最後に「音楽の捧げもの」の「二声の同度カノン」をさらりと配して、実に印象的!
これは一度聴いたら忘られませんですよ。
というところで聴いてみますかねえ、「朝日のようにさわやかに」。