話の矛先がウィリアム・モリス に向いたところで、

なかなかタイミングよく開催中の展覧会がありました。
いくつかの巡回を経て目黒区立美術館にやってきた企画展

「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」というものです。


「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」@目黒区立美術館


この辺りの企画で混み具合はどうであろう?ということをすぐに気にするたちながら、
思いのほかと言いますか、逆にびっくりするほど空いていたおかげで、
あっちへ行ったりこっちへ行ったり、近づいたり離れたり

自由自在に見て回れるうれしい展覧会だったのですね。
が、ラファエル前派 とかウィリアム・モリスへの関心というのは、こんな程度だったのかな…。


英国美術の流れとしては、

まさにタイトルどおりに「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」なわけですが、
どうも逆のような、つまりウィリアム・モリスからラファエル前派へといった思い違いをしばらくしておりました。
だんだんと「どうやら違うようだ…」ということに気付いてきたものの、
今回のような展覧会で流れを示してもらうと「なるほど」度合いがいや増すといったところでしょうか。


とにもかくにもこれら一連の流れに大きな影響を与えたジョン・ラスキンに関して、
まずは展覧会場の解説から引いてみるとしましょう。

形骸化した当時の芸術を憂い、芸術家を職人が分離しえおらず人々が日常の労働の中に創造の喜びを見出していた「中世」を理想に掲げた。

そこから、ラファエロ をひとつの規範とするアカデミーに対して、
より古いところへ立ち返ろう、象徴的にはラファエロより前に!ということで

「ラファエル前派」が生まれてくるという。
でもって、ここでまた展覧会場の解説の引用を少々。

自然に忠実な描写や叙情的で神秘的な題材の選択など、その解釈は単一ではない。

というわけで、ラファエル前派のややこしいところは、こうしたボーダーの曖昧さにもあろうかと。
そもそもホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイ 、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティを中核にして、
1848年9月に「ラファエル前派兄弟団」が出来ますけれど、先ほど「アカデミーに対して」と言いましたように
若手作家の新芸術創造の意気込みが、当初はあったのかなと思うわけですね。


それが1853年に、ミレイがロイヤルアカデミー の準会員になってしまったところで、
ラファエル前派兄弟団は「事実上の解体」状態になったというのですが、
ラファエル前派なる言葉は世紀末までしっかり生き残っていくような。


取り分けウィリアム・モリスとの関わりで言うならば、

その生き残った言葉上のつながりなのではないか、
その実はラファエル前派との関係というよりはロセッティとの関係なのではなかろうか

と思ったりしたわけです。


ところが、今回のようにラファエル前派に類するというか、
その周辺にいてお互いに影響を受けたであろう作家たちの作品を眺めているとですね、
例えばモリスの盟友であるバーン=ジョーンズ にしても、
アーサー王物語 」を題材にするような点でロセッティに近しさを思うところはあるにせよ、
自然の描写、取り分け草花を緻密に描き出したりするあたりは、

むしろミレイの「オフィーリア」を思い出したりするのですよ。


この草花を緻密に描き出す、この辺りがモリスの装飾芸術にも繋がるものにも思えるわけでして、
ホルマン・ハントから「モデルを普遍化しすぎる」と言われたロセッティの唯美主義っぽさと
(ロセッティは違うモデル使いながら、どれもロセッティの絵の顔になってるような…)
アーツ&クラフツ運動として展開された生活芸術には理論上裏表のところはあるにせよ、
ラファエル前派の元の元であるラスキンの考え方に忠実なのは
ロセッティよりもモリスであり、バーン=ジョーンズだったのかもと思えてくるのですね。


そんなこんなを考えて見ますと、本展での一番の見ものといば、
「東方三博士の礼拝」と題されたタペストリーなのではなかろうかと。


モリス商会「東方三博士の礼拝」(本展フライヤーより)


バーン=ジョーンズを中心にモリス商会の面々が関わって制作されたこのタペストリー。
19世紀後半のイギリス芸術にあれこれ思いを馳せるに格好の一枚かも。

そうそう、モリス商会のドル箱商品?であったステンド・グラスもいいですね。


ウィリアム・モリスのデザインによるステンド・グラス「シンバルとリュートの奏者」(本展フライヤーより)


ステンド・グラスもかなりの部分をバーン・ジョーンズに負っていたようですが、
これはモリスのデザインだそうです。


ただこの間モリス自身は絵描きを諦めたてなことを書きましたけれど、
それでも展示されていたいくつかのデザイン下絵を見る限り、

こちらの才能はどうやら本物だったなだなぁと思ったのでありますよ。

これまでにも何度か(断片的に?)触れていたように思いますけれど、
中学・高校・大学と吹奏楽…より具体的にはトロンボーンを吹いとりました。
といっても、いつの間にやらやってた年数よりやらなくなった年数のが長くなってしまいましたが…。


当時(あるいは今でもかもしれませんが)ブラバン、ブラバンと呼びならわしていたのですけれど、
吹奏楽が正確にはブラス・バンドではないと気付いたのはいつ頃だったでしょうかね。


映画「ブラス!」に見るような金管バンドが「これぞ、ブラス・バンド!」と言われれば、
「なるほど」と思わざるを得ない、吹奏楽に入ってる木管楽器は真鍮製ではありませんから。
(もっとも、いずれにも打楽器はつきものですが…)


ブラス! [DVD]/ユアン・マクレガー,ピート・ポスルスウェイト,タラ・フィッツジェラルド


でもって、このいわゆる「ブラス・バンド」をいつか聴いてやろうと思いつつも、
月日は夢のように流れていくのでして、その気になればいくらでも機会はつかまえられたでしょうに、
何十年?も経ってようやく耳にすることができたわけです、いわゆるブラス・バンドの音色を。


CDでは(その筋?には有名な)ブラック・ダイク・ミルズ・バンドとか、
映画「ブラス!」で取り上げられることにもなったグライムソープ・コリアリー・バンドとか、
聴いたことはありますけれど、演奏会で直に聴くのは初めてということで。


たまたまアマチュア・バンドながら東京シティコンサートブラスという団体の演奏会があると知って、
出かけてみたのでありますが、なるほどやっぱり吹奏楽とは別物だと思ったわけなのですね。


先に触れたように木管楽器が無いということのみならず、
吹奏楽ではいわば金管の花形と思しきトランペットが一本もない!
加えて言えばホルンもない編成になっているという。


ですから、高音域はコルネットが受け持って、

ホルンがわりに中音域をテナーホーンがやって、少し下をバリトンがやっているのでしょう。


これまであんまり突き詰めて考えてみなかったのですけれど、
おんなじように真鍮製の金管楽器でありながら、

その形状が音としても現われるようなのが不思議といえば不思議です。


つまり、丸い感じの音と尖った感じの音、くぐもり系の音と突き抜けた音といいましょうか。
高音域の担当で言えば、前者がコルネットであり、後者がトランペットと言ってもよいかと。
ただ、くぐもり系と言ってしまっては誤解を招くやもしれませんので、柔らかい音とも言えるかもです。


ということで、この本来的なブラス・バンドは多彩な音色というよりは音の質の均一性、
あたかも
タリス・スコラーズ で感じたような、そうしたものを目指しているが故の編成と言ったらよいでしょうか。


上から下まで、コルネット、テナーホーン、バリトン、ユーフォニアム、テューバと

見事に丸まっちい楽器を取り揃えているわけです。


そうすると、ここでいささか異彩を放っているのがトロンボーンということになりますが、
やはりハーモニー楽器としてのトロンボーンは全体の中では異質ながらも、
他に代替の利かない貴重な存在といえるのかも(と、いささか持ち上げてます…)。


とまあ、そんなことをあれこれ考えつつ聴いていたわけですけれど、

アマチュア・バンドの良さはやってる人たちがとにかく楽しそうだということですかね。


思い返してみても、懐かしくあれこれ思い出されますが、
演奏会をやる以上たくさんの人に聴きに来てほしい、楽しんでほしいとは思うものの、
その実やってる自分たちがいちばん楽しい。
当然、顔つきにも現れるわけです。


ともすると、プロ・オケの演奏会で(そういうお顔つきなのか知れませんが)
なんだかつまんなさそうに演奏してる姿に出くわしたりしますけれど、
やっぱりやってる方が楽しそうだと、こちらも釣り込まれるところがありますよね。

ところで、震災がらみでありましょうけれど、


アンコールの最後に演奏されたのがあの!「ふるさと」なのですね。

これが何とも金管バンドに合っているのでして、
このまるまっち系で編成したバンドには例えば賛美歌のような、
穏やかでしかも同質の音色でハーモニーを奏でる感じの曲が適しているやに思えるという。


一般的な吹奏楽があれこれの楽器の多彩な音色で勝負する点では、

むしろオーケストラに近いわけですが、
本来的なブラス・バンドは別物の個性があるのだなと思ったのでありました。


そして、こんなふうな演奏会を聴いておりますと、

また吹きたいような気もいささか…。

先日タリス・スコラーズ を聴いたときに
メイン・プログラムであるビクトリアの曲に挟まれて曲が演奏されたビバンコでありますけれど、
なんでもサラマンカ大学の楽長を務めたこともあったと解説に書かれていたことから、
「おお、そういえば!」と思い出したのが、文学座のアトリエ公演で今上演中の芝居でありました。


かなりの好物である別役実作品 なのですけれど、

いったいどこがどう繋がって思い出すのか…と言いますと、
タイトルが「にもかかわらずドン・キホーテ」というもの。


文学座アトリエ公演@にもかかわらずドン・キホーテ


本来の話の中で、騎士道物語にトチ狂ってしまったドン・キホーテ を何とか正気に戻そうとする者が
サラマンカ大学の学士であったのではないかと。


ま、そんなこんなで思い出した別役芝居(どうやら新作?)でありますが、
最初から「やってくれるなぁ」と思ったのですね。


舞台中央のベッドでは誰やらいびきをかいて寝ている様子。
鶏の鳴き声が聞こえて、袖(つまりは室外)から声が掛かるのですね。
「ドン・キホーテのだんな!」と。


つまりはベッドでいびきをかいて寝ている人物がドン・キホーテで、
声を掛けているのはおそらく従者のサンチョ・パンサであろうと誰もが想像するのではなかろうかと。

しかし、しかしですよ。


呼びかけられた人物には「自分がドン・キホーテである」という自覚がない…。
では呼びかけた人物はどうかというと「だんながサンチョと言ったから…」という具合。


それもそのはず、騎士道物語に入れあげた挙句に

「世直しの遍歴の旅に出かけるドン・キホーテとはわしのこと!」と思い込んでしまい、
もはや翌朝早くに出立だぁとなったひと晩が明けてみると、思い込んでいた当人が正気に返っていたという。


そうなってみれば、「ドン・キホーテとは誰?」、「サンチョ・パンサというのも誰?」、
「世直し、遍歴、なんのこと?」というわけなのですよ。

ここいら辺の男1と男2(登場人物に名前は与えられていない)のやりとりは、あたかもお笑いのよう。


ですが、取り巻き連中がやってくると、

「さっさと旅におでかけなさい」と追いたてられてしまうキホーテとサンチョ、
というかキホーテらしき人物(男1)とサンチョらしき人物(男2)。


ガラクタでこしらえた甲冑を身につけ、ロシナンテと思しき木馬にまたがり、
「皆がそういうなら…いざ!」となりますが、そもそも旅立ちを考えたこと自体覚えがないのですから
またしても二人で「どこへ?」となるわけです。


当然のように旅立って途中で出くわすことごとも奇妙なことばかり。
かけあい漫才のようなやりとりがたくさん出てくるのですけれど、

このあたりのエピソードはいくらも代替が利く感じではあります。


ところが後半になると俄然深刻さが出てくるのでして、かの二人を旅立たせた連中の思惑、

その思惑を「薄々知ってる」さらなる取り巻き連中の様子が見えて、一面なるほどと。


そちらサイドのごたごたの最中に思いがけずも戻ってきてしまった、かの二人。
一方、思惑の陰にあった悪だくみが露見して皆散り散りにとんずらを決め込むと、
打って変わって取り残されてしまう二人になるのですね。


先の旅立ちでは皆に追い立てられるように出かけていって、

あれこれのことに対処してきたのではありますが、
取り残されてみると逆に何かをせずにはいられない。


しかも、その何かには目的が与えられていた方が意気も上がるし、

自分も納得できるのではないかと。


見れば、逃げ出した中の一人であった風車番の親父がそのままにして、

意味のなく回り続ける風車 があそこに!


無意味に回っているのなら、止めなきゃいかん!と思い立つ男1。
男2が「なぜそんなことを?」と聞いたところで、所詮他に意味のあるようなやれることなど何もなく、
少なくとも回っていることに意味がないなら、止める方が意味があるとでも考えたのでしょうか。


かくして、風車に突撃する二人。
舞台袖から聞こえてくる、激突の音。
誰しも「あ~あ、やられちまった…」と思う瞬間。


うむぅ、哀しいかな。
これが人間の姿なのでもありましょうかね…。

何らかのテーマを持った紀行文というのは、

なかなかに旅心をくすぐるものでありますね。


もちろん関心のあるテーマに関わるからこそ手に取るわけで、当然と言えば当然ですけれど、
それでもものによっては「これ、本としてどうよ?」てなものにも出くわすことがありますから、
絶対とまではいえませんが…(こちらの方を敢えて例示しようとは思いませんが、確かにある)。


ところで、コナン・ドイルの「赤毛連盟」 に出てくる悪者の一人が
ウィリアム・モリスという名前であったことをこの間書きましたけれど、
しばらく前に古本屋で買ったまま読んでなかった本を思い出し、
これを機会に読んでみたのでありますよ。


題して「ウィリアム・モリスへの旅」というもの。
もちろん「赤毛連盟」の悪人を訪ねる旅であるはずもなく、
あのアーツ・アンド・クラフツ運動で有名はウィリアム・モリスの生涯を15の旅に絡めて
(といっても、中には旅というより引越しも含んでますが)
紹介して行く本なのですね。


ウィリアム・モリスへの旅/藤田 治彦


個人的なことを言いますと、

美術関係では絵を見てあれこれ考えるだけでも許容量いっぱいいっぱいですから、
先日平櫛田中 のところで彫刻までは手が回ってない状況を書いたように、
やっぱり装飾芸術の類いまでは目を向けてる余裕が無かったのでして、
そうなるとウィリアム・モリスがその筋で有名とはいえ、あまり知るところ無しであったのが本当のところ。


それでも、ちょっと前にバーン=ジョーンズ の評伝を読んでいたのがかなり助けにもなって、
オックスフォードの入学試験で席が隣同士になって以来の盟友でありますから、
一度なぞった道筋を別の面からもう一度なぞるような感じだったわけです。


ともに聖職者を目指してオックスフォードで出会ったウィリアム・モリスとバーン=ジョーンズ。
ところが青年期に特有の迷いというか、逆の一念発起というのか、

二人して聖職からの方針転換を行い、モリスは建築家を、

バーン=ジョーンズは画家を志望するようになるのですね。


バーン=ジョーンズが絵描きの道をひた進むのに比べて、

モリスの方は言えば天職を見出すまでになかなか苦労をしたような。
一時期画家をも志したようですけれど、自分は人物が描けない…と悟ったようです。


ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館 で、

モリスが妻のジェーンをモデルに描いた「イゾルデ」を見ましたけれど、モデルの立場とすれば、

ロセッティ のモデルとなったときみたいに煌びやかにバーンと全面的に描いて欲しかろうなぁ
と思ったりするわけで、モリスを悩ましたジェーンとロセッティの微妙な関係にも

繋がっていそうな気がしてしまいますね。


とまれ「ラファエル前派 」が掲げた中世芸術への帰還と

モリスが(ラスキンの影響で)信奉したゴシック賛美は波長を同じくするところがあって、

結果的に装飾芸術に自分の才能を見出したモリスが大陸のアール・ヌーヴォー にも連なる運動を

主導していく様子が、そのときそのとき関わった土地や旅先に絡めて伝わってくるわけですね、本書を通じて。


こうなりますとですね、やっぱりあちこち訪ね歩きたくなりますよね。
普通の旅行ガイドブックでは触れられることなどまずないであろう、
ロンドン郊外の生地ウォルサムストウ、

ゴシック建築を愛でる旅で訪れるフランスのエヴルーやルヴィエ、

ロセッティの出自でありバーン=ジョーンズが讃えたイタリアとは反対の

「北の人」との自意識から訪れたアイスランドなどなどなど…。


旅の軌跡は旅人の生き方の一面を表わしてもいるのだなと思うものの、

顧みれば節操のない旅の繰り返しであることに思い当たると、我が人生や如何とも思ったり…。

日頃の運動不足解消にと自転車でひょいひょい走っていって、
とりあえずたどり着きましたのが府中市美術館であります。


結構面白い企画展が開催されるのですけれど、

今現在は「府中市美術館の50点」という展覧会でありまして、
同館所蔵の約1800点の中から選りすぐりの50点を展示するという限りなく常設展に近い企画展は、
やっぱり震災の関係で何かしらの企画がキャンセルされたからでありましょうかね。


ただこうした展示の時は本当にゆったりのんびり見られるのが、

混雑苦手な者には至福とも言えるものでして、何度も行きつ戻りつしながら、

はたまたぐいっと近寄ってみたり、遠めでみたり、右に左にうろうろと…。


でも、いささか不規則な動きをすると、隅に腰掛けた係りの方がすっくと立ち上がって

臨戦態勢?を取るのがおかしくもありかわいそうでもあり。


展示はといえば、江戸絵画、西洋絵画、近代洋画、現代美術の4つのコーナーに分かれておりましたが、
順路はあってないようなところもありますので、ふらり入り込んでみますと現代美術のコーナー。
なかなかに刺激的な滑り出しを迎えたわけです。


最初の一点は、周年行事が盛んなこともあってか、岡本太郎作「コンポジション」(1951年)。
作品解説には「調和のとれた『きれいさ』に反する挑発の現れ」とあって、
先に見たドラマ「Taroの塔 」でも描かれたとおり、生き方も作品も「挑発」であったのが
岡本太郎さんなのだとろうと思ったりするのですね。


ただ、何がなんでも「調和」や「きれいさ」がよろしくないわけではなかろうと思うにつけ、
こうした煽り方を含む作品には近寄りがたさを感じてしまわないでもない。


「調和が保たれれば後はいらない」とか「きれい、きれいがあればいい」ということでもないにせよ、
ぶっ壊す姿勢、つまりは挑発ですけれど、

それ以外の方法はなかったのかといえば、たぶんあるわけですが、
たぶん岡本さんは生ぬるい手法で納得することも予定調和のように思えたのかもですね。


描き方、制作手法としては岡本さんと同じではないせよ、根底にある思いは同じなのかなと
思われる作品が連なるコーナーは、ある種神経を逆撫でされる気のする場所であったりするのですね。

そんな中で、むしろ制作の手法として突飛ながら、むしろほっとする作品のひとつが、
斎藤義重「作品4」でありました。


キャンバスがわりの板に電動ドリルを近づけてできた傷痕がたくさん。
実際はドリルというよりドライバーのようなアタッチメントをつけていたのでしょう、
板に穴が開くのでなくって、硬いものにあたったときに、その上を流れてしまってできる傷痕といったふう。


当然のようにそうした傷痕は予測不能で不確実な跡を残すのですが、
そうした不確実さを「調和への反発」みたいなふうに仕上げるのでなくして、
あくまでひとつの作品としての仕上がり(要するに調和なんですが)へと導く手の加え方をして
バランスを取っているのですね。だからこその「ほっとする感」かもしれません。


続いて入り込んだ「西洋絵画」のコーナー。
はっきり言いますと、ほっとする度合いが高まるわけです。

アカデミー派のアレクサンドル・カバネル(1823-1889)の「エステル女王」から始まって、
超有名な画家たちではないにせよ、主にバルビゾン派 らしき作品たちが並ぶ中では
ほっとひと息つくのも当然と言えば当然のような。


アレクサンドル・カバネル「エステル女王」


これが日本の「近代洋画」となると、またちょっと軋む感が。
偏に個人的な思いでしかありませんけれど、どうも明らかに日本っぽい要素、
例えば農村、漁村の風景であるとか、日本髪を結った女性像であるとか、
そうした題材が油彩で描かれることの違和感を抱いてしまうものですから。


それだけに黒田清輝 描くところの「大磯風景」はタイトルからして明らかに日本の景色ながら、
印象派 ふうのタッチによって、いわゆる日本的なるものに結びつくことの無い見た目を持つことで、
先入観を排除してくれているのですね。


黒田清輝「大磯風景」


ということは、油彩のてかてかした感じが「日本ふうなるもの」としっくりこない…
(多分に個人的見解ながら)そう思わせるのかもしれないのでして、
明治以降に日本で洋画が広まる中で「油彩ながらむしろ薄暗い見た目の絵」が多いのは
そんなことも関係があるのかなと思ったりしてしまうわけです。


さて、最後に「江戸絵画」でありますけれど、ここでは「迫真」をテーマとしていたようで、
なるほどそれに適うものとして小泉斐の「富岳写真」(1846年)を挙げておこうかと。


タイトルに「写真」とあるものの、今日の「写真」ではないのでして、
文字通り「真を写す」ことに努めた画文集というわけです。


古来、富士の秀峰を描いたものは多々あれど、富士に登って…というのは早々ないのでして、
登る苦難から、山頂の様子、下りかけて振り返り見る頂きなどなど、

時系列で富士探究に是努めているという。


富士講 の人たちのように、

後に富士に登る人たちには大いに助けとなるガイドブック足りえた内容でありましょう。


ということで、ふらり訪ねて見た府中市美術館の50点でさえ(と言っては失礼ですが)、
あれこれかような印象やら感想やらを思い巡らすことになるのですから、
特別展、企画展ばかりが美術館であるはずもなく、

コレクション展もまたまた楽しからずやなのですから、

収蔵品で勝負してこその美術館!てな気もしないではないのでありました。

(どことはいいませんけど、ここって体のいいイベント会場だよなぁって思う美術館がありますし…)