先に読んだ「安政大変 」のところで、小石川にあった水戸藩上屋敷が地震で潰れて…

と言いましたけれど、なんだか歴史の皮肉みたいなところを感じたりしますよね。


水戸学を通じて当時は尊王攘夷の急先鋒であったような水戸藩には大きなダメージがあった一方で、
江戸城は桜田濠に面した彦根藩邸にはおよそ被害がなかったというのですから。


どうやら地盤の違いといえばそれまでやもしれませんけれど、

いっとき水戸藩が後始末に大童になったその時期に、
さして被害の無いことを背景に?じんわりと登場してくるのが彦根藩、
早い話が井伊直弼その人でありまして、安政5年(1858年)には大老に就任するわけです。


井伊直弼と言えば、大老就任の翌々年に水戸藩脱藩浪士に桜田門外で討たれてしまうのでして、
歴史の流れ的には(これも多分に明治史観でありましょうけれど)

どうも悪人の親玉としか思えなかったりするところもありますが、

どうなんでしょうねえ。


そもそもこの時期、

「尊王攘夷」が声高に叫ばれて「佐幕開国」というのはどうも守旧派の印象があるものの、
どうも「尊王」「攘夷」「佐幕」「開国」の組合せは一筋縄ではいかず、
そうした中で井伊直弼という人を考えるとどうなっちゃうのかいね?というところでもあります。


ですのでちいとばかり探究をと思いましたが、とにかくもやもやとした印象というか、
漠たる知識しか持ち合わせていないものにとっては読みやすい本で入り込もうと思ったわけですね。
新潮新書の一冊「井伊直弼の首」であります。


井伊直弼の首―幕末バトル・ロワイヤル (新潮新書)/野口 武彦


もっともこの本の前に吉村昭 さんの本を読んでいて、
水戸藩の親分(家督は譲って藩主でなくなっても)であった徳川斉昭(水戸斉昭)は

「尊王佐幕攘夷」ではないかと、パターン化した組合せと違う表現が出てきてですね、

「ふ~ん」とは思ったものの、そのままにしてしまってました。


改めて考えてみると、

「尊王」というのが天皇至上主義で他の権威を認めない!とする者ばかりではなかったのだなと。
斉昭にすれば、天皇は天皇で上に戴いているのに違いないものの、

幕府が無くなっていいとはちいとも考えていない。


実際、一橋家を継ぐことになった息子の慶喜を

十四代将軍にしたくてしたくてしょうがなかったようですから。(後に十五代将軍にはなりましたが)

慶喜はなるほど英邁であったにせよ、多分に親バカが入っていそうではあります。


とはいえ、本音として天皇を奉じて幕府なんぞどうとでもなれと思っていたのならば、
いくら親バカでも息子を将軍にしたいと思わないですものね。


そういう点では幕府を見限ってはいない、

斉昭流の言い方やり方で幕府を叱咤激励していたのが相当に煙たがられたにしても。
その極端な言い分の一つが「攘夷」の過激さでしょうか。

そうなってくると、なるほど「尊王佐幕攘夷」なのだなと思わないではない。


では、その水戸藩の浪士に天誅を喰らってしまった井伊直弼はどんな立場であったかというと、
どうも先行きの見通しをつけた上で自分なりの国家観、国家論を持っているという人ではなかったような。


育った環境からすれば、元々彦根藩主のお鉢が回ってきたのも決して約束されたものでなく、
不遇の日々をしのいでようやっと手に入れた地位ということで、栄達願望が強いと同時に
手に入れたら離さないという方向の力というのもまた強かったのだと。


そうした権力行使が露骨に出てしまったのが、どうやら「安政の大獄」であったとも言えそうです。

例えば、取調べでも「死罪は免るべし」といったふうに考えていた吉田松陰にしても

結果死罪にされてしまったり、弱い立場にはとことん強く出るタイプというのはありますよね。


そうしたタイプは同時に強い立場にとことん阿る…とまで言っては言いすぎかもですが、
やはり歴然とした差のある武力をちらちらさせつつ通商を迫る外国勢とは
(もちろん適宜の、場合によってはギリギリの交渉をさせたにしても)条約締結に至るという。


この条約締結といった開国への流れを酷く忌避したのが、孝明天皇であったそうでありますから、
その意味では「尊王攘夷」はやはりひと組の言葉にはなり得ますね。

そうしたこともあって、時の政権を握っていた大老井伊直弼が象徴的に「ぬぁんと不届きな!」となる。


でも、ここの判断というのは情報量の違いがあるような気もしますよね。
どれほど不甲斐ないのか、考え方が違うのか、そうしたことはあったとしても、
とにかく押し寄せてくる外国勢力と直接的にやりとりしていたのは幕府の側であって、
長崎のオランダ商人なども通じて客観情勢も含めてより多くの情報を幕府は持っていたはずです。
必要十分であったどうかでなく、少なくとも京都の朝廷よりは持っていたでありましょう。


どこで折れるかは苦渋の選択ながら、折れないという選択肢はないというのが幕府の判断。
それを精神論で乗り切れる、やっつけられるかのように考えてしまうのは、いかがなものか。


歴史に「もし」はありませんけれど、

このとき開国の方向に舵を切っていなかったら、どうなってたんでしょうね、この国は。

もちろん内容的には不平等条約としての禍根を残すということはあったにしても。


だから、井伊直弼がそこにいてよかったのだと言い切ることはできませんけれど、
あのような時期にこうした人物が登場してきたこと自体が、

なんだか皮肉な感じだなぁ…と思ったりするのでありました。

怖がりだ!というわりには薦められるままに見てしまったのが

映画「ヘルボーイ」でありました。

ヘルボーイ [DVD]/ロン・パールマン,ルパート・エヴァンス,セルマ・ブレア


アメ・コミからの映画化だというふうに聞きましたので油断をしていたのですが、
最初の方のオカルティックな導入からして、見ていて穏やかならぬものがあるというか。
まあ「インディ・ジョーンズ /失われた聖櫃」の最後みたいなものと言えなくもないですが。


その後、オカルト色は決して濃くならずに進んだことには安心したものの、
どうにもこうにも出てきた怪物の生臭そうなこと。
言ってみれば「エイリアン」系でしょうか。


なんかぬるぬるしてますしね、一頭倒すと必ず二頭生まれて出る卵というのがまた気色悪い。
(ちなみに、これは自慢ですが?「エイリアン」シリーズは一作も!一度も!見たことないです)

と、最初からケチばかりつけておりますが、少々お待ちください。
ケチだけつけるのに書き始めたのではありませんので。


ヘル・ボーイというのは、冒頭のオカルトっぽいと言った部分で冥界との通用口(?)が開いたときに
こっち側(人間の世界ですね)に来てしまったあっち側(冥界です)の子供でして、
こっち側の科学者(いいもんです)に育てられて、なんともまあ立派に大きくなったという存在。


以前、片方しかなくなってしまった角を取ってしまおうとしている、

平櫛田中 作の鬼の小さな彫刻のことを書いた折に、

鬼が角を取ってしまったら「鬼らしくなくなる」てなふうに言いましたけれど、
この映画に登場するヘル・ボーイにも大層な角があるようですが、

これを大胆に切り落としておりまして、この切り口をですね、

爪切りのやすりならぬグラインダーで削ってるんですよね。


まさに「鬼らしくなくなろう」としているところは、
つまり姿形は違えども「心はすっかり人間なのよ」ということなのでしょう。
それだけに人間の女性エリザベス(セルマ・ブレア)実に健気に愛しておりまして、

見た目「美女と野獣」そのものでありますね。


とはいえ、このエリザベスがまた爆発的な炎を扱うサイコキネシスの持ち主というのでから、
むしろ「X-men」の方が近いかもですが。


おっと「心はすっかり人間なのよ」という話でしたけれど、
あっち側(冥界側で、いわゆる悪いもん)から「おれらの側に戻って来い」と誘われるのを撥ね返して、
最終的に平和を取り戻すのに貢献するわけですよ、ヘルボーイが。


でもって、最後のところだったですかね。
「人は生まれや環境ではない、生き方だ」では言葉が出てくるのでして、
こうなると今度は「ザ・タウン 」のテーマということになりましょうか。


「ザ・タウン」では生まれや環境からすれば、

もはや銀行強盗を当たり前の生業とすることになるのでして、
何らかの気付きがあったとしてもその環境には雁字搦めの状態で

抜け出すことなど考えにくい状況だったわけです。

そこから踏み出すのは、言ってみれば「生き方」の問題にもなってくるという。


こうした環境がそんじょそこらにあるものではないと思う一方で、
どこにも無いとは言い切れないものであって、

この映画、この原作のアメ・コミのふるさとであるアメリカなどにはやっぱりあるのだろうと思ったときに、

この映画のメッセージなりがどう伝わるんだろうかと思ったりもしたのですね。


踏み出すことは難しいながら、

「生き方」の問題としてやってみようかというふうになるといいのですが。
たぶんに理想論とは知りつつも。

アール・ヌーヴォー の探究で、ついでのように出てきたアール・デコでありますけれど、
個人的には後者の方がいささか好みのような気もするのでして、
それで「そういえば!」と思い出したのが、東京都庭園美術館なのですね。


東京都庭園美術館 外観(同館資料より)


ご存知の方が多いと思いますけれど、
この美術館の建物は旧朝香宮邸として1933年に建てられたものをそのまま使用しているわけです。


フランス人デザイナーと宮内庁内匠寮の建築家による和洋合作ながら、
時代を反映して主調はもっぱらアール・デコでありまして、同館の案内に曰く
「当館は従来の美術館とは異なり、建物全体が美術品といえます」といのも
決して誇張ではないのですね。


そこで、ちょうど見たいと思いつつも会期終了が近づいてきた「森と芸術」展を覗きがてら、
これまで何度か行ったことはあっても展覧会ばかり見ていてちいとも目を向けずにいた建物を
とくと拝見してこようと思ったのですよ。


確かにそういう目でもって眺めるとですね、
実に凝った意匠がそこここに散りばめられておりますね。


ですから、いくら時代の主調がアール・デコとはいえ、この凝り様は?と思いましたら、
どうやら朝香宮様といいますお方は、渡仏したおり現地で交通事故に遭って長逗留となった折りに
1925年パリで開催された「アール・デコ展」をご覧になっておられるのだとか。
そこでの感興覚めやらずということでありましょうか、こうしたお邸になったものかと。


館内でおひとり、学芸員(単なる係りの人かも)をつかまえて、
展示作品そっちのけで扉やら壁面やらの話をしている方がおりましたけれど、
そういう気持ちも分からなくはない。


天井のレリーフ、シャンデリア、扉とその上部、暖炉、
腰板あたりに位置するところにも装飾、装飾、また装飾。
階段のところなんざあ取り分け目を惹くものとなっておりますね。


こうなってくると、美術館として展覧会の作品展示のために設えたパネルが
壁面を覆い隠してしまっているのがなんとももどかしいような気さえしてくるのですよ。
毎度のことですが、館内での写真撮影は不可ですので、同館資料からちょいとお借りして。


館内装飾(同館資料より)


ところで、この美術館は今年11月から(何と!)2014年春までの大改修でクローズされると言います。
その直前の10月6日から月末まで建物そのものの公開がなされるということでありまして、
今回のようなもどかしさを払拭するには、この機会に見せていただくにしくはなしでしょうか。


東京都庭園美術館建物公開


おっと「森と芸術」展のことにちいとも触れておりませんけれど、
こちらの方は図録(というより、監修者巌谷國士さんの本というべき?)をしっかり読んでから
思うところを書くといたしますかね。きっと会期終了後になっちゃうでしょうけれど。

ペリー率いる黒船が浦賀沖にやってきたのが嘉永6年(1853年)。
翌嘉永7年(1854年)には再びやってきて国を揺るがす大騒ぎの末、

日米和親条約を結ぶことになりました。


この年はどうも御難続きであったようで、

京都の大火があったあと、夏に伊賀で地震があり、その半年後には東海地震(マグニチュード8.4)、

さらに32時間後には南海地震(マグニチュード8.4-8.5)が続くのですね。


「こりゃあいけん!」と嘉永から安政へと改元するわけですけれど、
何とはなし「もう収まってくれよ」という思い「安政」という元号には窺えるのではないかと。


ところが、自然の営みは人智を超えたところにあるわけでして、願いもむなしく

安政2年(嘉永からの改元が旧暦の年末近くでしたので、安政2年は嘉永7年の翌年)の秋には
安政江戸地震(マグニチュード6.9)が起こってしまったという。
その後の「世直り」を広重が「名所江戸百景 」に描いたことはこの間書きました。


今と違って江戸の町は(他のところももちろん同様ですけれど)

基本的に木造家屋ばかりですよね。


東日本大震災の映像には、

木造と思しきもたぶんかなりしっかりした大黒柱を使った建物であろうものが津波にも流されず、
しっかと建っている姿が映っていたようにも思いますが、

江戸の町にそれほどしっかりした建物がどれほどあったものか…。


かなり人口が多い町になっていたということは、

長屋のような安普請がそこかしこにあったのでしょうけれど、
とても太刀打ちできようはずもなかったのではないかと。


何しろ水戸藩上屋敷(今の小石川後楽園)内に母と住まっていた藤田東湖が、
母を救わんとして落下する梁の下敷きとなって圧死したと言われているように、
大名屋敷ですらそうした状況では長屋住まいの庶民の被害たるや大変なものだったでありましょう。


ということで、その当時の様子を描いた小説がありましたので、手にとってみたわけです。
出久根達郎さんの書いた連作短編集「安政大変」というものであります。


安政大変 (文春文庫)/出久根 達郎


まあ、一編を先に触れた藤田東湖の話に充てているように、
まったく歴史的なところに配慮もなしに書かれているわけではないのでしょうけれど、
小説だからと言ってしまえばそれまでですが、伝わってくるのは江戸の人々の逞しさであり、
見方を変えれば強かさといったものが窺えるような。


これから夏に向けて電力の供給不足が懸念され、

あれこれ困った状況が続いている現代と比べて短絡的に

「電気の無かった江戸の人たちはそんなに困ってない。昔に戻りゃいいんだ」

的なことを言うつもりは毛頭ありませんけれど、難儀しつつも大らかさがあるように思わなくもない。

単純に引き比べないと言いつつなんですが、この辺りは現代人が失ってしまったものかもですね。


実際に大きな被害を生じた震災の後に読むのでなければ、よく出来た人情話の連作として
さらに楽しむことができたかもしれないなぁと思うのでありますが、
思いもよらず見上げた雨は広重を経由して、
東海・南海地震に引き続いて起こった安政江戸地震のことを教えてくれたということは
ようやく余震も鎮静化してきたところでも「ゆめゆめ用心怠るまじ」と諭してくれているのやもしれませぬ。

ふた月もの長い間に
彼女を訪れる人が誰もなかった それは事実
けれど人を憐れみや同情で
語ればそれは嘘になる

これは、さだまさしさんの「療養所」という歌の一節でありますけれど、
ここのところの「憐れみや同情」に痛く敏感になった時季があったのですね。


さださんの歌は、多分に物語的要素のあるものなだけに、
この部分だけ引っぱってきても「何のことやら…」ではありましょうけれど…。


おそらくは健常者であると言ってよいであろう自分が、
そうではないとされる方々に相対するときに憐れみや同情といった感情がきざしたとすれば、
それは言わば健常者の驕りなのかなと思ったり。


かといって「エレファント・マン 」のケンドール夫人のように、
どこかしら具合のよろしくない何かしらを抱えている方を
いわゆる健常者と全く何も変わらないかのように対するというのもまた傲慢さを感じなくもない…。


とまあ、こうしたことを枕に振ること自体いかがなものかとは思いますけれど、
話として何かと言いますと、昨日辻井伸行さんのピアノ独奏によ
ベートーヴェン の「エンペラー」を聴いてきたのでして、
読響のオール・ベートーヴェン・プログラムで、いわばメインの曲と言ってよろしかろうかと。


2009年のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝して以来、
マスコミ等での取り上げられ方は相当なものですから

おそらくはクラシック音楽をお聴きにならない方でも辻井さんのことはご存知ではないかと。


指揮を執るパオロ・カリニャーニの腕に寄り添うように登場した辻井さんの姿、
そして小さな体全体で、このベートーヴェンのでっかい曲を軽やかにこなしてしまう姿、
どうも俄かには結びつきにくいところではありました。


が、そうしたことはともかくとして、
ピアノから立ち上る一音一音の何と粒立ちのよいことでありましょうか。
おそらくもなにも、大変な大変な努力の結果として体得したテクニックのなせる技なのでしょうけれど、
ともするとテクニックが勝つと(いやテクニックに負けると?)弾き崩しめいたことにもなろうかと思うところが、
そうしたことはかけらもなく、いかな速いパッセージであっても一音の形は現前とあるなという印象。


思えば、単に聴く側からすればある程度は流れで聴いてしまうこともあるものの、
弾く側になってみれば、しかも指の具合とか、鍵盤の押され方とかを

目で見て確かめながらということができないとなれば、
音そのものを確かめる術とせざるを得ないのではなかろうかと。

あの粒立ちはその辺にも関わることであろうかと思ったりしたわけです。


ピアノ協奏曲の前後に演奏された「フィデリオ」序曲や田園交響曲にしても
いささか速めのテンポながら(オペラ指揮者ならではの?)

実に表情付けの豊かな演出巧者らしいカリニャーニの指揮と、
激するところも臆するところもなくぴったり寄り添った独奏は、

エンペラーと呼ばれる大きな協奏曲の必ずしもニックネームどおりの大仰さでない

きれいな音楽として提示してくれていました。


そして演奏が終わると、万雷の拍手ですね。
聴衆側の「待ってました」感のあるようなところには「おいおいおい…」と思ったりするところですが、
それに応える辻井君(やおら君付けですが)、片手をピアノに添えながら前後左右に深々と礼をするわけです。


それだけでも、努力などというものからは程遠い凡人の自分であるだけに、
ピアノに向かわなくともあれこれの大変さが付いて回ったろうに「こんな良い子に育って(たぶん)」と、
その健気な姿にうるうるする目を禁じようもないのでありましたよ。


ただ、このうるうる目が禁じようもない精神状態というのは、
やっぱり憐れみや同情だったのかな…てなふうに思い至るとですね、あんまりいい気がしない…。
うむぅ…です。


ではありますが、1988年生まれと言いますからまだ22~23の若者である辻井君には
これからもこの後もおそらくは山のような「ブラヴォー!」がとぶんでありましょうね。


そのこと自体が悪いわけでもなんでもありませんけれど、

大人の世界と言う奴はなかなか一筋縄でいかない、

きれいごとではすまない世界でもありましょうけれど、
粒立ちの良いピアノの音色から辻井君の心の中に立ちあらわれているであろう

「音楽」をこそ大事にして永くその音楽を聴かせてもらえるようであってほしいものでありますね。


と、あんまり音楽の話ではありませんでした…。