この間、目黒の庭園美術館 に行って「森と芸術」なる企画展の話はまた後ほど…としてしまい、
うっかりするところでありましたけれど、この時には松岡美術館にも足を伸ばしたのでありました。


目黒というところは意外に見どころ立ち寄りどころのある場所でして、
どことどこをつないで見てくるかは常々迷うところなのですね。
たまたま目黒区立美術館で開催中の企画展「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ 」は
先日見ておりましたので、こたびは庭園美術館から松岡美術館へのはしごにしたわけです。


それにしても、庭園美術館の方はそこそこに来場者がありながら、
そこを少々裏手に回りこんだところというだけで松岡美術館はがらがら。


混雑が苦手な者にとっては楽園とも言えるところですけれど、
かつて訪れたときにアンリ・マルタン の色彩に目を瞠らされた美術館だけに、
何だってこんなに来場者が少ないのだろうと訝しく思ったりするわけなのですね。
(ぐるっとパスを使えば、タダだというのに…)


まあ、仏教美術やら焼き物関係の展示も多いので、その分西洋絵画のスペースが少ないものの、
現在開催しているコレクション展「西洋絵画の中の人びと」はなかなかの見ものではないかと。
(残念ながら先に触れたアンリ・マルタンの作品は風景画なので、今は展示されてませんでしたが…)。


「西洋絵画の中の人びと」展@松岡美術館


そんな中でちょっと惹かれたものを少々備忘的に。
まずは、創立者である松岡清次郎が西洋画を蒐集するきっかけになった作品と言われる

シャガール の「婚約者」(1977年)でありますね。


マルク・シャガール「婚約者」(同展フライヤーより)


同じようなモティーフでたくさんの作品を制作したために

「焼き直し」と揶揄されたりもするシャガールは、
確かに「ご指摘のとおり」と思えるところもあるのでして、

この「婚約者」にしても男女のカップル、花束、故郷ヴィテブスクの街並みと

いつもながらの要素の詰め合わせではあります。


さりながら、これまで青ベース、赤ベース、白ベースの作品に目を奪われたことはありつつも、
ここで対面した「婚約者」は碧ベース。

これがまた何とも、えもいわれぬ情感を湛える元になっておりますよ。


また、後期の作品だからでしょうか、

浮き立つ感情そのままにカップルが飛翔している姿をたくさん描いたシャガールも
ここではさすがに落ち着いた年代になったのか、地に足が着いているようにも見えないではない。
仮に浮いていても、かなり遠慮がちにほんの少々と言った具合。
このあたり、もしかしたら「焼き直し」にも効用があるのかなと思ったりもするところではないかと。


お次はブグローの描いた「編み物をする少女」(1874年)といきますか。


ウィリアム・アドルフ・ブグロー「編み物をする少女」(同展フライヤーより)


どうもブグローといいますと、

昨夏ゲッティ・センター で見たような神話画あたりを思い出してしまうのですけれど、
ここでは真正面から少女と向き合った肖像を描きあげておりますね。


深く濃い瞳で見る側をじいっと見つめる眼差しと濃い髪。
もしかして
ジプシー 系の少女かなと思ったりするところですけれど、
飾り気のない身なりと、決して愉しみでやっているとは思われない編み物からも

あれやこれやと思いを馳せてしまうのは必定でして、
まさしく肖像画は単に顔かたちを写すのみならず、

その人となりといったものまで見透かせてしまうものだと改めて感じるわけです。


絵を見てあれこれ思い巡らすという点では、

デルヴォー の「オルフェウス」(1956年)という作品もまたしかり。


画像がないのになんですが、
右手の門の陰にいる女性がエウリディーチェで、真ん中に立つ男性がオルフェウスで、
彼の目の前にはマンホールの形になった冥界の入り口が…といった解説には「なるほど」と。


ただ、後姿ながら右手の女性は真ん中の男性に比べて年配の感じがありますから、
これもいつもどおりに母親と自分の姿を
オルフェウス神話 に仮託して描いたものなのでしょうね。
仮託の意味合いの方はじいっくり考えてみようとは思いますが…。


…とこうして挙げていったら次々とになってきますので、
余計なお世話ながら目黒に行ったらやっぱりここにも立ち寄られたら如何と思うわけです。
もちろん、自然教育園の散策も、
江戸名所 のひとつ目黒不動の参詣も、
奇を衒ったところで寄生虫館の見学も、それぞれにまたよろしではありますけれど。

先に目を通したアール・ヌーヴォー、アール・デコの入門書
その建築のところにフランク・ロイド・ライトが紹介されていたものでから、
ちょっとばかり探究してみようかと。


帝国ホテル・ライト館の謎 ―天才建築家と日本人たち (集英社新書)/山口 由美


世界的な建築家なのでしょうけれど、

その名の聞き覚えは多分に帝国ホテルの設計というところですので、
手に取った本もそんな関わりで集英社新書「帝国ホテル・ライト館の謎」というもの…なのですが、
どうも読み進むほどに感じるのは「フランク・ロイド・ライトって人は、そんなに凄い建築家だったのかぁ?」ということなのですね。


本書に腐す部分が多いとかそういうことではなく、
むしろ違った目でみれば「こう評価できるのでは」といったというふうに書かれていたりするのでして、
ル・コルビュジエ、ミース・ファンデル・ローエと並んで

「近代建築の三巨匠」にその名を連ねているフランク・ロイド・ライトの、
一般的な評価を一冊の本の印象で覆してつもりもありませんが、

まあ、これは読み手の側の受け止め方ということでもありましょうかね。


そもそもロイドの名が日本でつとに有名なのは、
やはい帝国ホテルほか手がけた建物が日本にあるからでもあろうかと思うわけですが、
その帝国ホテルの出来栄えやいかに?と言えば、

何でも落成式当日(1923年9月1日)に関東大震災が発生しても、
「おお、びくともしないではないか!さっすが、ライトの作品はすごい」という神話が出来てしまって、
本当のことが言いにくくなってしまったのやもしれません。


本音といえば、本書にも出てくるさまざまな証言のひとつとして、
特徴となっている大谷石の多用は雨による浸食の結果あちこちで雨漏りしていたということがあります。


元々ライトが装飾に凝った(この点では建物のみならず内装などにもですが)挙句、

工期や経費が大幅に予定を超過して作られたにも関わらず、なのですね。


ライトの生涯を振り返ってみれば、教会や役所、

そしてこれまた有名なニューヨーク のグッゲンハイム美術館の建物を手がけていますけれど、
これらは皆かなり後の方の作品であって、

帝国ホテルに携わった頃というのは有名になりつつあったとはいえ、
もっぱら住宅というか邸宅の設計で注目されていたのだと言います。


「オーガニック・アーキテクチャー(有機的建築)」という概念でもって、

建物を建てる場所の自然環境にぴったりと合致して、
あたかもその建物がそこに「生えている」ことが不思議でもなんでもない、

自然にも何ら影響を与えず、自然とともにある建物…
みたいなものを追求していたそうなのですね。


浮世絵の蒐集・研究を通じて「日本通」と思われたところに、

頼んだ方も引き受けた方も過誤があったのかもですが、
どうやら日本の高音多湿の自然環境は甘くはなかったようですね。


ところで、ライトは自分の理想を追い求める場、

それに賛同する徒弟(学生とはいわないらしい)を集めて共同生活する場を作っていて、
それを「タリアセン」と称したそうです。


どっかで聞いたことがあると思ったら、

去年行った軽井沢 で立ち寄った施設の名が「軽井沢タリアセン 」。


どうもライトと何かしら関係あるようにも思えないところでしたので、

名前だけ借りたのでしょうけれど、ライトの本家タリアセンは、

どうやらその集合生活ぶりが「宗教団体」を思わせるようなものであったらしい。


日本の娯楽施設に安直に拝借するのも「どうかいねえ」と思うものの、
実態がそのような場でなくって、ほっともしたのでありますよ。


そうそう、そんなこんなの帝国ホテルですが、手がけることになったきっかけやら
相当に恋多き男であったプライベートな部分(ちと手加減して良い表現してますが)あたりに関しては、
どうぞ本書に当たってご覧くださいませと譲ってしまいますが、

思い切り負の部分だけクローズアップしたかのようはありながら、
そうは言っても、明治村に移築された部分を一度は見てみようかいと思ってはおりますが…。

福島県から帰ってきました。

東北新幹線あらばこそでしょうけれど、近いですね、東京から。


ところで、先に郡山で駅前ホテルへの移動くらいでは

震災の様子は分からないてなことを書きましたけれど、

翌日市内の訪問先をぐるぐるしながら見かけたところを鑑みれば、

未だ復興途上であることが分かってくるのですね。


そんな中で、ひとつ発見がありました。

駅前のバス・ターミナルや駅西口から続く大通りのあたりのそこここに、

こんなフラッグが見られるのですよ。


ようこそ 楽都 郡山


「ようこそ 楽都 郡山」と書かれているのでして、

福島県郡山市が音楽の都、いわゆる「楽都」であるという認識がいささかもなかったものですから、

「そうだったの?」という印象なわけです。


でもって、上の画像から読みとれないものと思いますが、

「楽都」と「郡山」という言葉の間には(遠慮があるのか?)小さな文字で「東北のウィーン」と書いてある!

またしても「そうなの?」と思ったわけです。


市のHP にはその辺りの事情がつらつら書いてありますけれど、

必ずしもストンと腑に落ちる感じではありません。


さりながら、「こりゃすごい!」と思いましたのは、

(知っている方は知っているのでしょうけれど)福島県は合唱王国なんだそうですね。

分けても、郡山にある高等学校は大変な実力であるらしい。


何しろ、全日本合唱コンクールで1980年から2010年まで31年連続金賞を受賞し、

そのうちの23回が最高位と言われる文部科学大臣賞だったという高校があるかと思えば、

昨年の2010年は、その高校のお隣さんとも言うべき高校が同じコンクールで同時に金賞を得、

先の実績ある学校をかわして文部科学大臣賞を得たという。

全国大会なんだか、福島県大会なのか分からない…ような状況が、合唱にはあるようです。


「ウィーンに擬えるとは大きく出たもんだ」と揶揄するのはたやすいことながら、

「日本の」とも言わずして「東北のウィーン」と言ってるあたりに謙虚さ(?)がうかがえますし、

合唱という限られた分野ながらも大きな実績がある以上、決して出まかせではなさそうです。


現実には、郡山市における音楽の殿堂とも思しき郡山市民文化センターは被災しており、

来年3月を復旧の目途として閉館しているといいますから、

別の場所を使いながら「楽都」らしい活動を展開していくのでしょう。

とまれ、こうしたスローガン的なものは人心をまとめる求心力にもつながりましょうし、

復興への力ともなろうかと考えれば、むしろ応援したくなったりもするところです。


「町起こし」的なスローガンは日本全国それこそあっちにもこっちにもありましょうけれど、

今このときだからこそ、妙なる歌声が大きく響かんことを願ってやまないのでありますよ。

そうした思いが、こたびの土産ということになりましょうかねえ。

郡山から白河に移動してきました。


東北本線の普通列車に乗っておりますと、

折しも下校時刻にあたっていたのでありましょうか、

高校生がたくさん乗り込んでくるわけです。


男子生徒はおしなべてひとりふたりで現れてはすぐに寝込んでしまいますが、

女子生徒はグループでわいわいとと言う具合。


耳を傾けるでもなく、話し声が聴こえてしまうわけでして、

すると微妙なイントネーションの違いが…。


列車は郡山から白河へ、つまりだんだんと東京へ近づくことになるわけですが、

なぜだか郡山を離れてから乗り込んで来る女子生徒の方が、

より際立った特徴を示しているのはどうしたことでありましょうや。


とはいえ、自分は東京で生まれ育った者ながら

両親ともに茨城出身とあって中々に微妙なイントネーションの持ち主。

それに似た抑揚で話す女子学生たちがそこにいたのですね。


それでもお国言葉というには、

標準語というのか、東京言葉というのか、そうしたものと雑居状態になっているものの、

なんとはなし「いいよなぁ…」と故郷もたない者には思えるのでありました…。

旅や散歩の話というにはちとそぐわないところでありますが、

珍しく出張で昨晩から福島県は郡山市に来ております。


ホテルに入ってしばらくすると、7時半くらいでしたか、ぐらぐらぐらと。

東京にいるとすっかり収まったかに思われる地震ですね。


こちらもかつてほどではなくなったのでしょうけれど、

やっぱりまだ揺れるんだなぁと。

福島の方は地震よりもすっかり原発の話になってしまってますものね。


駅からホテルに入るくらいの間では、

あれほどの大きな地震があったようにはまったく思われませんでしたが、どうなんでしょう?

それより放射線量はどうなってんの?という気がしないでもないですが…。


ところで、初めて気が付いたのですけれど、郡山行きのJRの乗車券を買いますと

「(北)郡山」」と書いてあるんですね。

同じ運賃で乗っていける北郡山駅があるのかというと、どうやらなさそう。


答えとしては、関西本線に郡山と言う駅(豊臣秀長の居城のあった大和郡山ですな)があって、

区別するためらしい。


JRには同じ駅名が無いのだと聞いていたように思うのですが、

(だからやたらに、武蔵何とかという駅名があったりするわけですが)

実際にはあったのですねえ。


というところで、今晩には白河に移動いたします。

っと、今日はこのくらいで。