短縮法によって独特の視線から「死せるキリスト」を描いたアンドレア・マンテーニャ は、
どうもドナテッロから影響を受けていたということのようでありました。


そこで、ついでにドナテッロ(1386~1466)も探究しておこうと思ったのですけれど、
画集(のつもりで借りたのですが)を見てみると、実は彫刻家であったようで…。
(ルネサンスに疎いはおろか、彫刻にも疎いことがバレバレですが)


なにしろ美術館に行くことはままあるものの、もっぱら油彩画を主目的としておりますし、
そうでなくても、水彩、デッサン、彫刻等にまで丹念に見ているゆとりもなかったり。


それだけにしばらく前にも書きましたように、
水彩画をスキップしてしまうことのもったいなさ に気付かされたりもするわけなのですね。


そして、彫刻作品にしても、日常的には通りすがりざまに見やる程度。
これまでの例外は、ローマのボルゲーゼ美術館 で見たベルニーニ

その他いくつかのケースで足を止めることがあったくらい。


ではありますけれど、ドナテッロのような作品に出くわさないとも限らないとすれば、
これまた彫刻作品もいま少し見るべくして見てもいいのかなと思ったのですよ。


さて、そのドナテッロであいますけれど、1336年フィレンツェ生まれ、
本名をドナート・ディ・ニッコロ・ディ・ベット・バルディといい、
仲間内からドナテッロ(ドナテルロとも)と呼ばれていたのだそうな。
(入力ミスで、何度も「怒鳴ってろ」と入れてしまいました…)


ドナテッロ「受胎告知」


画集というより作品集というべきかですが、作品をあれこれ見ておりますと、
いかにもルネサンスの香り漂う宗教作品が並んでいる中で、
なかなかに異彩を放つものに出会うことになりました。


それだけに?先日の大河ドラマ「江」 が「本能寺の変」の場となり、、
信長と森蘭丸の最期を見るに及んで、またまた妄想が走り出してしまったわけなのですね。

天正十年一月 安土城


イエズス会の宣教師ルイス・フロイスが信長に謁見を乞うた。
九州の切支丹諸大名が翌月に派遣することとしている遣欧使節の出立を信長が黙認を与えた礼を述べに来たのである。


「こたびの使節派遣は、御屋形様のご不興もなくまもなく出立の運びとなりますこと、あらためて御礼を申し上げます」


黙ったまま頷いた信長の心中を図ることに、フロイスは身体じゅうの神経を研ぎ澄ませていた。
意に添わぬものならば、信長が黙っているはずはない。


イエズス会の考える本来の目的とは別であっても、
必ずや遣欧使節の成果が天下に号令する信長の実利となって現れねばならぬ。
長の旅路とはなろうものの、帰朝の暁にこそ真価が問われようとフロイスは肝に銘じていた。


「さて、ここに珍しきものを持参いたしておりまする」


フロイスは信長の切れ長の目に一閃の光を見た。
西洋の文物に対する信長の興味は並み大抵のものではないとフロイスは充分承知していたのである。


「御屋形様におかれましては、武に秀でたお方であるばかりか、美しき品へのご関心も一方ならぬものがおありと伺っております。 そこで、つい先ごろの交易船にて渡りこしましたものをぜひご覧いただきたく、持参いたしました」


フロイスが懐から取り出だしたものは、丁寧に折りたたんだ一枚の版画であった。
そこに写し取られた西洋の彫像の姿を目にした信長の高揚を、フロイスが見逃すことはなかった。


「蘭丸殿に似ているとは思われませぬでしょうか」


「これは、お主の国の仏像のようなものか?美しいのう…」


「これに描かれました像そのものをご覧になりたいとは思われませぬか」


信長が答えることはなかった。
が、フロイスにはそれで充分であった。

天正十年二月 フロイスからヴァリニャーノへの手紙


数日のうちにも、遣欧使節はいよいよ出立と伺い、くれぐれも神の御加護がありますよう願っております。さて、このたびの使節派遣にあたり、織田様の確たるご内意のほどは測りかねるところですが、例の品に関しては、版画にてご覧にいれましたところ、格別のご興味を示されておられます。たとえレプリカにもてぜひぜひご帰朝に際しては御持ち帰りいただけましたら、この後の布教にも好都合となるは必定と思われます。

天正十年六月二日未明  京都 本能寺


「よもや光秀に、かほどの器量があったとはのう…蘭丸、我が身の全てを余すことなく焼き尽くせよ」


蘭丸は信長の覚悟の言葉に無念の思いが突き上げてくるのを感じた。
ところが、まさに全てを焼き尽くさん勢いで迫りくる炎を前に、信長は涼しげな顔つきを見せたかと思うと、独り言のように小さな声でひと言呟いた。

「遣欧使節が持ち帰るものを、ひと目見ておきたかったのう…」


「御屋形さま!!」

天正十年七月 フロイスからヴァリニャーノへの手紙


この手紙が寄港地ごとに遣欧使節の後を追い、いち早く御手に落ちることを願っております。
このたびの日本国の政変は、いささかお聞き及びこともおありかと存じますが、ようやくその後の情勢も落ち着きを見せてまいったところでございます。


六月二日未明のの謀反により信長殿を討ち果たした明智光秀殿も、毛利殿との逸早い講和を得て馳せ参じた羽柴殿に破れ、どうやら天下の行方は羽柴殿に大きく傾くところとなっております。


つきましては、ご出立に際して格別のご手配をお願いいたしました品はもはや無用となり、この後の情勢を見定めつつ、別途のご依頼を申し上げることとなりましょう。羽柴殿にも引き続き布教の御墨付きをいただかねばなりませんから。

とまあ、このように史実に全く無い妄想を語ってしまいましたけれど、
その元となりましたのが、ドナテッロ作によるこの「ダヴィデ像」であります。


ドナテッロ「ダヴィデ」


巨人ゴリアテを倒した故に、

ミケランジェロ作のように筋肉質の肉体美を誇る姿が浮かんでくるダヴィデですが、
これは何としたことでありましょう。


確かに足元を見れば、
ゴリアテの首を踏みつけていてダヴィデと知れるものの、何とまあ華奢な少年であることか。
それ以上に何やら妖しい中性ふうというか、アンドロギュノスといいましょうか…。


ではありますが、とんだお戯れになってしまいました…。

史実に忠実であることを目指した吉村昭 さんには激怒を買ってしまいそうでありますね。