追悼 坂東竹三郎2 | 有限会社宮岡博英事務所のブログ

有限会社宮岡博英事務所のブログ

ブログの説明を入力します。

御戒名、法融正空信士。

魚屋宗五郎じゃありませんが、こうなっちゃっちゃあおしまいだな。

の感があります。ただし、歌舞伎役者、坂東竹三郎の名は永遠に生き続けます。

 

四代目尾上菊次郎=四代目坂東竹三郎

【四代目尾上菊次郎が眠る。東京芝の臨済宗南禅寺派の金地院】

竹三郎の師であり、芸の上の養父が四代目尾上菊次郎。

坂東竹三郎という名は、五代目坂東彦三郎の前名でもあり大きな名前です。

対して尾上菊次郎は菊五郎の門人が名乗る名前故に

四代目坂東竹三郎が四代目尾上菊次郎を襲名するにあたって軋轢が生じました。

六代目菊五郎さんが相手役(女形の)として愛し、重宝した名女形が三代目尾上菊次郎。

この人が早世します。次なる相手役を渇望するうちに指名されたのが竹三郎。

「菊次郎になっちゃえ」ということでなったが、「せっかく竹三郎を継いでいるのに

弟子の名前である菊次郎になるのか」と十五代目羽左衛門さんからご勘気を被ったそうです。

 

六代目さんは「よっちん、よっちん」と大変な可愛がり方で、多くの共演ブロマイドがあります。

六代目さんが亡くなった時も菊次郎は涙を流していて、竹三郎も「あの人が泣いたのはその時だけ」とのこと。

竹三郎が悔しがったのは、『寺子屋』の戸浪をやることが決まっていて、菊次郎に教われると思っていたのに

源蔵に回ることになったこと。『六段目』の勘平も浅葱の東京式でやれると思っていたのに、上方型でやることになった

こと等、いろいろ聞きました。

以上のような経緯もあり竹三郎は菊次郎になるつもりはなく

「梅幸さんご存命のうちに菊五郎劇団にお返しした」と聞いております。

 

ヘビースモーカー

亡くなった後に部屋から隠してあった煙草がカートンで見つかったという煙草好き。

松竹座の正面脇に喫煙所があるが、一般のお客様に交じってモクモク煙草をふかしている

竹三郎の姿を見かけた方も多いことでしょう。

巡業先なんかでも会館の前でよく煙草を吸っておりました。

まあ、煙草が旨く感じるんだから元気な証拠だと思っておりました。

 

二人薪車

【四代目尾上菊次郎の坂東竹三郎時代のブロマイド】

尾上笹太郎が名題昇進にあたり、坂東薪車を襲名することになった。

しかし、この時に坂東薪車が既に存在した。

【かたばみ座の坂東薪車の紹介。かたばみ座ニュース】

東京で小芝居の最後の砦として活動していた『かたばみ座』の坂東薪車その人である。

竹三郎によると、四代目菊次郎の兄の三代目竹三郎(この人は20歳で早世)の弟子だった人。

昭和32年の記事では現役バリバリの様子である。

竹三郎は「坂東竹若さんは大歌舞伎に入ったが、薪車さん(かたばみ座の)はどうしたんやろうか」

と言っていた。「”二人薪車”ということで新聞にニュースとして載ったんや」とも竹三郎。

 

かたばみ座を研究する舘野太朗氏によるとかたばみ座の薪車さんは「昭和39年10月スミダ劇場(今も現存する浅草松屋の上階にあった劇場。

ここをかたばみ座は本拠地としていた)で引退興行を行った」

とのことだが、その後の消息と没年が不明である。どなたかご教示お願いします。

なぜ、”二人薪車”という現象が起きてしまったのか?

かたばみ座のメンバーの名前を見ればわかるように、座頭の坂東鶴蔵、坂東竹若をはじめとして

中核メンバーは二代目坂東彦十郎の門下(弟子)で構成されている。

この彦十郎の子が四代目尾上菊次郎、四代目中村富十郎である。

彦十郎は横浜の小芝居の立物(大看板)であった。

”薪車”は坂東鶴蔵が若き日に名乗っていた時期もあるのでややこしい。

四代目菊次郎としては父彦十郎が門人に与えた”薪車”の名前なのに、さらに別の人物が名乗ることは公認していない。

それ故に将来を嘱望していた自分の弟子である笹太郎に薪車を襲名させて文句はあるまいという心境ではなかったか?

 

*かたばみ座については座員経験もあったSMの巨匠濡木痴夢男氏が活写している。

 

 

 

伝説の「竹三郎の会」(2013年8月国立文楽劇場)のプログラム

若干在庫がございます。送料込みで1100円で頒布します。

メール、電話にて承ります。ご住所をお知らせください。

先にお送りしますので、到着次第のお振込みをお願いします。

 

朝顔の絵も竹三郎筆。絵も巧かった!

 

有限会社宮岡博英事務所 http://hana-ni-awan.com/
お問合せ:Tel/046 876 9227
email: hana-ni-awan@oct.email.ne.jp