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日本国内の城郭を回遊してます



先日「古文書から知られる浅井長政の人物像」の講演会を紹介しましたが、



古文書を解読できる人たちってすごいですよねー。




こんなサイト(宇野藍子の「古文書入門・くずし字の読み方」 )があって、



時おり読んでるんですが



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状態です・・・。







さぁ、今日も元気に鬼ノ城レポいきまーすkai遊録



(せっかく書いたのにデータ消えたので、ちょいとやる気のないレポになりそうです・・・)






kai遊録 ジオラマ(加筆)



鬼ノ城レポ①(詳細はコチラ )で紹介しましたが神籠石式山城には


「谷を通過する場所に数段の石積みを有する城門や水門がある

という特徴があります。



今回はその6つの水門を紹介しまーす!顔文字






と、言いたいのですが、往時の水門ってどんなのなんですかね?


「水門の看板あるけど、どれ?」という状態でした凹む


バッチリ分かるぜ!というかたは、ぜひご教授くださいaya




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第0水門?                     第1水門?


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第2水門(なぜかパイプが・・・)         第3水門



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第4水門?                       第5水門



水の流れで「これが水門かな~?」と判断しただけで、間違っている可能性大です。


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湿地に入ってはいけません



「湿地?kai遊録



おそらく往時は池か何かで、雨や雪が降ったら湿地になるんだと思います。

降雨時の登城は危険なのでご注意ください雨です…





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南門                          北門


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東門の説明版



東門は遊んでいて撮り忘れました顔文字

(遊んでた詳細はコチラ → 第三回 城人オフ会 in岡山 報告③

「面白い替え歌」や「いつの間にか立入禁止区域事件」も紹介されてますので、ぜひどうぞワラッ



南門の石積みの復元を見る限り、栗石(裏込石)はなさそうですねほえ~








kai遊録 屏風折れの石垣


これぞ鬼ノ城のメインディッシュ屏風折れの高石垣kai遊録




(裏込石はないので“石積み”というのかもしれませんが、


案内板に“石垣”と書いてありましたので、そのまま“石垣”と表記します)




600年代にこんな高度な技術があり、こんな山頂部に巨石を積むとは驚愕です!aya{すごい!






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屏風折れの石垣からの景色




景色もよく最高ですが、崖っぷちには十分ご注意ください



この人たちみたいに、石の上に立っちゃダメですよ×



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城域の中央には礎石建物郡があり、礎石が見られます。


吉野ヶ里遺跡(弥生時代)には礎石がないんですが、いつから登場したんでしょうね考える


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礎石建物郡




鬼ノ城は桃太郎伝説のモチーフになった温羅(うらorおんら)伝説があります。


ものすんごくザックリ言うと


「鬼ノ城に住み着いていた温羅という鬼を、吉備津彦命(きびつひこのみこと)が討った」


ということなのですが、



屏風折れの石垣のところにあった説明版に


温羅と呼ばれる一族が朝鮮より渡来し居住した」とあります。



鬼というのは温羅一族のことですねンー


ペリー提督もそうですが昔の人は「恐怖の対象を鬼や妖怪」に例えますから。



鬼を討伐した英雄話が桃太郎になったんでしょうけど、


温羅一族が異国の人というだけで悪者にされたのでは?という気がしました。




どうでもいいけど“うら”って読むと桃太郎じゃなくて、


浦島太郎を思い出しちゃうから“おんら”て読もう(笑)




これにて鬼ノ城レポ完了ですEND


近頃、宣伝魔になりつつある?と思ってるkaiです。



さてさて、今日の宣伝は~



9/1(土)といえば、浅井長政の命日ということで、



『古文書から知られる浅井長政の人物像』



の特別講演会が開かれますよー!




会場は小谷城の大広間といういろんな意味でアツい講演会ビックリマーク



受講料は500円でバスチケットにお菓子とお茶付で、定員は100名です。



(詳細はコチラ →小谷城戦国歴史資料館 へ)



あとH24.12.2まで“長浜戦国大河ふるさと博”が開かれているようです。


あわせて、来場してみてはいかがでしょう?



ちなみに、例のごとく私は参加しません喜ぶ(←





では鬼ノ城レポ行きまーす!(前回はコチラ



前回は神籠石山城や版築土塁の話で、登城レポになってなかったですね。


というわけで、改めて鬼ノ城にいざ出陣kai遊録






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角楼


【角楼 説明版要約】


・中国城郭で言う“馬面(ばめん)”、朝鮮半島での“雉(ち)”にあたる


尾根続きで攻められやすいため、城郭の死角を補い防御力を高めるために、


 城壁の一部を13×4mの長方形に張り出している


・下半部は両側の石垣と同じように石垣積みで、


 約4m間隔で一辺50cmの6本の角柱が石垣の間に建っていた。


この上に建物などが建っていたかは不明




ビジターセンターからちょいと山を登ること数分、最初に見えてくるのがこの角楼高台



“櫓”じゃなくて“楼”ってとこが戦国とは違うなーって感じますねaya



辞書をひいたら“楼”にも「物見台」という意味がありました本




“馬面”をググって見ましたが、全然分かりませんでした。


中国式の城郭ということは沖縄の城で見られないかな~?考える



っていうか、普通の櫓とは何が違うんデショ?



日本の古代山城で初めて、敷石や石垣の間に立つ柱が確認できた遺構だそうで


けっこうすごい遺構なんだと思います。









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西門(復元)

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西門跡の説明版                  西門の復元の説明版


【西門 説明版要約】


鬼ノ城の城門は懸門(けんもん)という掘立柱の城門で、


通路床面に大きな石を敷き、床面と城門前面に2m近い段差を持つ



・西門は日本最大の古代山城大野城の大宰府口城門をしのぐ壮大な城門。


(寸法などが詳しく書いてありますが、メンドーなので端折りました。


興味ある方は説明版をクリック願います知らん顔




こんなに7世紀の柱礎(ちゅうそ)がくっきり残ってるとはおーっ



城門を入ると正面にどーん!と壁が待ち構えてるんですが、


これって食い違い虎口的なものでしょうか?aya




でも“懸門”でググって見たら


「いつもはハシゴがかかっていて緊急時は取り外す、古代の新羅(しらぎ)に見られる城門」


と書いてあって、どうも鬼ノ城の城門とは違うような・・・?aya





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御堂?



鬼ノ城のあちこちで見られた御堂のようなもの。


賽の河原の積み石のような状態になってますがコソコソ・・


ヤバイものじゃないですよね?


(観音寺城の積み石には礼したけど、鬼ノ城では一回もしてないゾ・・汗



写真のには真ん中に大きな石があるけど、中には御堂の囲みだけのもありました。




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くっきり掘られたお地蔵様


すんごい技術高いですねぇ!おおーっ!!


そして左に「五番」って彫られてるってことはは他にも最低1~4番はあったのかな?aya



でも旧字体の“伍”じゃなくて“五”ってとこが気になりました。



でもよくよく考えてみると家康さんの伝令がつけてる旗指物は“伍”も“五”も両方使われてますね。


現代で「広」と「廣」みたいな略字があるように、昔もあったのかなンー



ちなみに伝令がつけてる「五」は「互」のことで「仲間」という意味だそうです。





ちょいと短いですが、今回はここまで~バイバイ



次回はコチラ

みなさんしろろろーん!hi*



これでネタがわかった人は、受験者さんでしょうか?



日本城郭検定(HPはコチラ )の公式キャラクターが決まりましたよー。



只今、絶賛名前募集中です。



ネットでぱぱっと応募できるようなので、ビビッ!と来た方は投稿してあげてください(^^)





日本城検定(HPはコチラ )の申込期間が延長してH24/8/20(月)になりました。


こちらは会場が少ないですが、我こそは!というかたはぜひどうぞ。



と、宣伝してますが、私は両方とも受けません顔




では、まだまだ始まったばかりだよ、岡山レポいきましょい!




岡山城のお次はお昼ごはんを食べていざ、桃太郎伝説の鬼ノ城桃太郎


(お昼ご飯の話は後日別記事で書きます~)




kai遊録 高速道路から見える鬼ノ城




こんな尾根が続いている山の一角に城があるんですね~ほえ~


「あの茶色くハゲてるとこが鬼ノ城だよー」と教えていただき、急いで撮影!


なんで皆さん道路から見える城が分かるのだ?カメラ(←どれもこれも山にしか見えない人)





車一台がやっとと通れる道をそろそろ~っと進んでいきますよー。



こんなトコあまり人も来ないだろうと思いきや、


けっこう対向車が降りてきて、乗ってるだけなのに私ヒヤヒヤしてたよガクブル



ドライバーの幸村!さんに大感謝!!aya




その途中“経山城 ↑”という看板が目に付いて、




すぐさま「行きたい!」と反応する、さらさん。


さすが特攻隊員・・・顔




帰りも鬼ノ城にある案内板見て「これくらいなら行けないですかね」


鬼ノ城ぐるりと一周したのに疲れてないのかい?汗




帰宅後調べてみたら、確かに石垣とか堀とか芳しい遺構があるそうだよ。



ここのパンフ、落としたのか手元にないから、そのときに寄りたいなーズゥーン







kai遊録 西門(復元)と版築土塁(復元)




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版築土塁(復元)                   岡山城 西手櫓横の土塀(築地塀?)


おおお~!顔



 版 築 土 塁 ~!!  (はんちくどるい)



石垣とはまた違う重厚感がありますね~。


これに苔が生したらどんな感じになるのかな?顔妄想






先日、紹介した岡山城 西手櫓の土塀は瓦をミルフィーユ状態にしてますが、



版築土塁は土だけで造ってありますね~。



鬼ノ城の版築土塁の底面は石垣



これが“築地塀”と“版築土塁”の違いなのかな?考える



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ビジターセンターにあるジオラマ

この版築土塁がおよそ2.8kmに渡って築かれています。



なんか万里の長城みたいだなぁ星に願いを(実際に見たことないけどね)


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ビジターセンターにある展示説明版


あんな細い棒でつつくなら、一度に盛る土は少しにしないと、ズボッって突き刺さっちゃいますね。


それを2.8kmも造るとなるとどれくらいの人手と期間がかかるんでしょう?


 

鬼ノ城って“謎の城”なんですよね。



現在有力な説は


663年の白村江(はくそんこう)の戦いで、唐&新羅(しらぎ)の連合軍に負けた倭国が、


侵攻を恐れて築城したものとされています。



古代西日本で築かれた“神籠石式山城(こうごいし式やまじろ)”とのことです。




特徴は


1.谷を取り込み、山腹を取り囲む場所にある




2.標高200~400mの山頂から中腹にかけて、


 数kmに渡って一辺が70cmくらいの切石による石積みを配し


 その上に版築土塁を有する。 (切石=岩を割った石)




3.谷を通過する場所に数段の石積みを有する城門や水門がある。




4.文献資料に記述が見られない



(引用元:


ウィキペディア 神籠石 (最終更新 2012年5月10日 (木) 01:40 )より)




はへぇ・・・(・Д・;)



引用元のページに“御所ヶ谷神籠石”の石積みを写真が載っているのですが、


それはもうキレイな布積み(この時代の石の積みかたもそう呼ぶかは不明)ですおおーっ!!



石積みの中身に栗石(裏込め石)はあるんですかね



栗石の有無はともあれ、こんな高い技術を持っていたのに、


この後、切石や石積みの技術が衰退した理由が気になりますaya






この日は雨が降るか降らないかとハラハラしながらの登城で


(雨が降ったら鬼ノ城は登城中止の予定だった)


けっこう風があったにもかかわらず、みなさんチャレンジャーです汗3


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今回はこの辺で~バイバイ



次回は コチラ