近頃、宣伝魔になりつつある?と思ってるkaiです。
さてさて、今日の宣伝は~
9/1(土)といえば、浅井長政の命日ということで、
『古文書から知られる浅井長政の人物像』
の特別講演会が開かれますよー!
会場は小谷城の大広間といういろんな意味でアツい講演会
受講料は500円でバスチケットにお菓子とお茶付で、定員は100名です。
(詳細はコチラ →小谷城戦国歴史資料館 へ)
あとH24.12.2まで“長浜戦国大河ふるさと博”が開かれているようです。
あわせて、来場してみてはいかがでしょう?
ちなみに、例のごとく私は参加しません(←
では鬼ノ城レポ行きまーす!(前回はコチラ )
前回は神籠石山城や版築土塁の話で、登城レポになってなかったですね。
【角楼 説明版要約】
・中国城郭で言う“馬面(ばめん)”、朝鮮半島での“雉(ち)”にあたる
・尾根続きで攻められやすいため、城郭の死角を補い防御力を高めるために、
城壁の一部を13×4mの長方形に張り出している。
・下半部は両側の石垣と同じように石垣積みで、
約4m間隔で一辺50cmの6本の角柱が石垣の間に建っていた。
・この上に建物などが建っていたかは不明。
ビジターセンターからちょいと山を登ること数分、最初に見えてくるのがこの角楼
“櫓”じゃなくて“楼”ってとこが戦国とは違うなーって感じますね
辞書をひいたら“楼”にも「物見台」という意味がありました
“馬面”をググって見ましたが、全然分かりませんでした。
中国式の城郭ということは沖縄の城で見られないかな~?
っていうか、普通の櫓とは何が違うんデショ?
日本の古代山城で初めて、敷石や石垣の間に立つ柱が確認できた遺構だそうで
けっこうすごい遺構なんだと思います。
【西門 説明版要約】
・鬼ノ城の城門は懸門(けんもん)という掘立柱の城門で、
通路床面に大きな石を敷き、床面と城門前面に2m近い段差を持つ。
・西門は日本最大の古代山城大野城の大宰府口城門をしのぐ壮大な城門。
(寸法などが詳しく書いてありますが、メンドーなので端折りました。
興味ある方は説明版をクリック願います)
こんなに7世紀の柱礎(ちゅうそ)がくっきり残ってるとは
城門を入ると正面にどーん!と壁が待ち構えてるんですが、
これって食い違い虎口的なものでしょうか?
でも“懸門”でググって見たら
「いつもはハシゴがかかっていて緊急時は取り外す、古代の新羅(しらぎ)に見られる城門」
と書いてあって、どうも鬼ノ城の城門とは違うような・・・?
鬼ノ城のあちこちで見られた御堂のようなもの。
賽の河原の積み石のような状態になってますが
ヤバイものじゃないですよね?
(観音寺城の積み石には礼したけど、鬼ノ城では一回もしてないゾ・・)
写真のには真ん中に大きな石があるけど、中には御堂の囲みだけのもありました。
くっきり掘られたお地蔵様!
すんごい技術高いですねぇ!
そして左に「五番」って彫られてるってことはは他にも最低1~4番はあったのかな?
でも旧字体の“伍”じゃなくて“五”ってとこが気になりました。
でもよくよく考えてみると家康さんの伝令がつけてる旗指物は“伍”も“五”も両方使われてますね。
現代で「広」と「廣」みたいな略字があるように、昔もあったのかな
ちなみに伝令がつけてる「五」は「互」のことで「仲間」という意味だそうです。
ちょいと短いですが、今回はここまで~
次回はコチラ