【散歩】たみ散歩「神奈川・茅ヶ崎」Vol.42 海が広がる湘南らしい雰囲気を持つ街を散策する!⑤ | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【散歩】たみ散歩「神奈川・茅ヶ崎」Vol.42 海が広がる湘南らしい雰囲気を持つ街を散策する!⑤

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※注:この記事はコロナの影響で外出禁止措置が出る前の2019年11月9日のぶらり散歩の記事です

 

引き続き、一年通してマリンスポーツを楽しめるサーファーの街「茅ヶ崎」を散策致します(前回の記事はこちら)。

 

「菱沼海岸」の交差点まで来ましたので、ここから「ラチエン通り」を歩いていきます。



「ラチエン通り」には茅ケ崎ゆかりの小説家「開高健」さんの記念館があるんです。行ってみましょう。



こちらが「開高健記念館」でございます。



「悠々として急げ」 by 開高健



「入ってきて人生と叫び 出て行って死と叫ぶ」 by 開高健



開高健さんの言葉には何か胸に突き刺ささるものがあります。観覧料は200円です。それでは入ってみます。記念館は写真撮影はNGですので、開高健さんをご紹介します。



ふつう私は小説家として暮している。ここ五年ほどは湘南海岸の茅ヶ崎市である。海岸から三百メートルか四百メートルほどのところでひっそり起居している。月曜日と木曜日の夕方になると二キロ離れたところにある水泳教室へ行くために外出するが、それ以外はほとんど家にたれこめたきりである。



開高健は1974(昭和49)年に、東京杉並から茅ヶ崎市東海岸南のこの地に移り住み、1989(平成元)年になくなるまでここを拠点に活動を展開しました。その業績や人となりに多くの方々に触れていただくことを目的に、その邸宅を開高健記念館として開設したものです。

建物外観と開高健が名付けた「哲学者の小径」をもつ庭と書斎は往時のままに、邸宅内部の一部を展示コーナーとして、常設展示と、期間を定めてテーマを設定した企画展示を行っています。

なお、夫人の牧羊子さんが亡くなられて、遺産継承者である夫人の妹の馬越君子さんが土地建物を茅ヶ崎市に寄贈されたことから、開高健記念館の管理を茅ヶ崎市が、また、展示および運営については開高健記念会が茅ヶ崎市から受託しています。(開高健記念館案内板より)



尚、記念館では写真やパネルによる生涯の説明、愛用品の展示、書斎の展示、ビデオによる本人のインタビュー映像などがあります。

記念館の外は写真撮影OKですので、開高健さんの生涯や言葉を頭に巡らせながら、「哲学者の小径」をもつ庭を散策します。



こちらでは邸宅内部の展示コーナーとなっています。



以下が紹介されていました。

開高健。1930年、大阪府生まれ。58年、「裸の王様」で芥川賞を受賞。 「闇シリーズ三部作」と呼ばれる「輝ける闇」」「夏の闇」「花終わる(未完)」など著書多数。

70年5月、釣りエッセーの取材で銀山平を訪れ、その後「夏の闇」の構想を練るために銀山平の釣り宿「村杉小屋」に6~8月にかけて滞在。釣り好きで、キャッチ・アンド・リリースの信条を貫き、自然や魚資源保護活動に影響えた。89年、58歳で死去。91年、銀山平で記念文学碑の開幕式が行われた。釣りに関してはルポ「フィッシュ・オン」やアマゾン釣り行記「オーパ!」といった著書がある。

 

記念会によると、本名は「たけし」だが、海外では「ケン」とサインすることもあったという。

お隣は、「常設展」となっており、昭和史とほぼ重なるように生きた彼の58年間にわたる生涯を振り返ることができます。



私もこの記念館を訪れてから「裸の王様」を読んでみました(記事はこちら)。短編小説「パニック」の記事も書いています(記事はこちら)。



漂えども沈まず。 by 開高健

どんなにあちこちを転々としても、職を転々としてもいいじゃない。心が沈まなければ。そうこの言葉から感じました。

ここから再び「ラチエン通り」を歩きます。



なにやらお菓子屋さんを見つけました。



イル・ド・ショコラ ラチエン通り店



ここでちょっとお茶菓子で小休憩することにします。次回は、そのお茶菓子を紹介し(記事はこちら)、駅方面へ戻りたいと思います。お次は「【散歩】たみ散歩「神奈川・茅ヶ崎」Vol.42 海が広がる湘南らしい雰囲気を持つ街を散策する!⑥」をお届けしますのでお楽しみに!

 

written by たみと