【小説】開高健の「パニック・裸の王様」。芥川賞受賞作の少年太郎の気持ちを鑑みる! | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【小説】開高健の「パニック・裸の王様」。芥川賞受賞作の少年太郎の気持ちを鑑みる!

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しばらくアドレスホッパーな日々が続いておりましたが、基本的に小生はエンジニアという職業を選んだこともあり、インドアも大好きでございます。

 

この日は久しぶりに仕事がありながらも、少しゆっくりとした週末を過ごせましたので、ADDressさんの茅ケ崎の拠点に訪れた際、「開高健記念館」を訪れたご縁で、1958年に開高健さんが発表した短編小説である第38回下半期芥川賞受賞作「裸の王様」を読み耽りました。

 

この小説では画塾を営む主人公を<僕>として表現しています。その<僕>の元に来ることになったのが、大手絵具会社の社長息子である大田太郎。この小説はそんな家庭を顧みない父親である社長と、第二婦人で教育熱心な母親との狭間で萎縮してしまった少年太郎の気持ちを激しい憎悪と笑いの衝動が交錯する中、描かれた作品でもあります。

 

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※以下、図はあくまでイメージとして使っていますので、小説とは全く関係ありません。

 

大田太郎は友人である山口の紹介で<僕>の画塾へ来ることになりました。<僕>は実際に太郎に絵を描かせましたが、どの絵を見ても人間がいなく、努力を途中で放棄した類型の繰り返しの絵しか描けていなかったのでした。

 

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読者の皆様は、絵心はお持ちですか。小生は絵心というものは当時は全く興味がありませんでした。書いても書いても、下手くそな絵ばかり描くので、美術という教科が大嫌いになりました。いつも美術の通信簿は2。上手に描けないから、中学校のときは美術の授業をさぼって絵を描くという謳い文句で外で昼寝をしていたくらいです。

 

そんな小生ですが、妹は美大、前妻(初めてその話をしますが笑)も、美大だったので次第に美術にも興味を抱くようになったのは最近のことです。

 

小生の話は置いておいて、<僕>は太郎に絵を描かせてみたがどの絵を見ても人間がいなく、なにひとつとして感情の浸蝕を受けない、無機質な絵ばかりを描くのでした。

 

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さきに申し上げると、小生がこの小説を見て感じたことは、子供に絵を描かせてみるのも面白いことであるのかもしれません。お母さん、お父さんの絵を描く子どもはきっと、お母さん、お父さんに愛情があるのでしょう。漫画の絵や怪獣の絵を描くのであれば、そのことに夢中になっているかもしれません。子どもが表現するアートには訴えかける何かが存在することは間違いないと思います。

 

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ある日、生徒の一人が小川でエビガニを釣ったことを話しているのを聞いて、太郎は田舎にいる時、スルメでエビガニを釣ったことを<僕>に話したのでした。家は執事まで雇うほど豪華な屋敷。後妻はピアノや塾など、近所の子どもは危ない子供もいるからと距離を置くタイプの過程で育った”太郎”がです。

 

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読者の皆様はどうですか、子供の頃川遊びなんてしましたか?僕は田舎育ちだったので川遊びが大好きで、ザリガニやウシガエル、ナマズやヘビなどありとあらゆる生き物を捕まえるのが楽しくて仕方ありませんでした。そして捕まえた生き物を図鑑で調べ、まだ捕まえたことのない生き物を求めて、また川や山へハンティングしにいくのです。

 

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話は戻り、<僕>はそれを聞いて翌日、太郎と電車に乗り、川原に小魚を取りに行きました。そんなボンボン育ちの太郎ですが、<僕>の期待通り懸命に小魚を取ろうと藻と泥にまみれ、川蟹取りに夢中になるのです。

 

小生は一度川で捕まえた蛇をバケツに入れ小学校に持っていたことがありました。苦労して捕まえた蛇を皆に見せてびっくりさせようと意気揚々と小学校へ行きました。学校へ付き、チャイムが鳴るころには既にその蛇は跡形もなくどこかへ消えていました。その事を担任の先生に言うと・・・。あとは皆様がご想像の通り、大問題になり、全学年を授業停止に追いやったのであります。大目玉どころか親は呼び出しくらい、大変な騒ぎになりました。

 

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小生ももうすぐ男の子が生まれますが、でもこれくらい男の子ならヤンチャでもいいと思っています。「蛇は捕まえてもいいけど、学校に持ってくとみんなびっくりするだろ?。蛇が怖い人もいるんだから、それならお父さんに見せなさい。ただ毒蛇もいるから、一緒にお父さんと獲ろうな」というかもしれません。

 

小説にお話しは戻り、ある日のこと、新聞の小話と、大田社長のご縁で、児童画コンクールの審査会が開かれることになります。

 

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読者の皆様、そこで太郎は何を書いたと思いますか。あのボンボン育ちの太郎が、フンドシをつけたチョンマゲの男が松の堀端を闊歩する「裸の王様」を絵にしたものだったんです。

 

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全部物語を言うと、読者様の楽しみを奪ってしまいますので、物語の顛末はこのくらいにしておきます。太郎が描いた「裸の王様」は何をメッセージとしていたのでしょう。そう思うと、子供が描く絵って興味が湧いてきませんか?

 

昨今のこのご時世の教育に対しても、この小説は問題提起を投げかけています。「上手な絵を書きなさい」といって絵本や他の美術家が描いた作品を子供たちに模写させてはいないでしょうか。そんなことやったら子どもの創造性を奪うことになってしまいます。

 

そうではなくて、「なんでもいいからイメージしてみたものをそのまま書いてごらん」。上手い下手は関係ないと思います。子どもが投げかけるそのメッセージを教師や親が受け取り、何を考え何を発想しているかを見極める。そして子供が訴えかけるメッセージから、悩みや感情、葛藤を受け取り、そして”指導”ではなく"教官"ではない”共感”。それが考える力を養うことにつながるのはないかと僕はそう思います。

 

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子育てなんて円転滑脱とした話術のように物事が進まないのは当たり前。

 

子どもが越中ふんどしの絵を描いて落選したっていいじゃないですか。僕もこの主人公の<僕>と同じように越中フンドシの殿様に黙礼して、ひとり腹をかかえて哄笑したいと思います。

 

written by パープル@いつでもどこでも働ける、リモートワーカーという生き方