「三脈術圖解」 「三脈問答」 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

*誰にでも簡単にできる危険予知法「三脈術(三脈法)」については、既に過去にも紹介させていただきましたが、どうも最近頻発する地震が気になりますので、「天災豫知集」(昭和11年発行)に収録のより詳しい資料、守田寶丹翁の「災害豫防術」「一名天壽保全法」(明治43年)の中の「三脈圖解」「三脈問答」からの引用の一部とを以下に記載しておきます。この方法はいずれ何かの役に立つかもしれませんので、ぜひ多くの方に覚えておいていただきたいと思います。

 

「三脈圖解」

 

・「三脈問答」より

“(問)ここに旅人あり。ある峠を越えんとし、脈を診て平脈なれば、安心して越すも害なきや。

 (答)勿論なり。然れども、(一)その時の診脈は、必ず越ゆべしと決断したる上にて脈を診るべし。(二)其の決心曖昧にして「越すべきか」「越すまじきか」と云ふ疑心ありては、脈状も自ずから判然せざる故に、止まるならば止まり。越すならば越す。と云へる決心の上で診脈せねば不可なり。(三)但し時に臨みての用意に、平日怠らず三脈を試し標準を知り置くべし。若し俄に脈を診る時は人格卑しき人の如きは、さまざまに心動くが為めに、標準を失い惑いを生じ、不結果を見ること無しとは言い難し。故に常々心がけ、少なくとも日夜五六回診脈するを肝要とす。是れ人身要愼無上の神術なればなり。呉々も疑心を加ふるべからず。(四)按ずるに三脈術は、実に小生が十五歳よりの研究とは云へ、今日に至り漸く十中の二三を了得するに止まり未だ、我に八斗の才なく、その確論を得るに至らざるは頗る遺憾なり。願くば同志の人々を集め、是等の研究を試み、その理論を一層明瞭にせんことを深く望むものなり。

 

 (問)此の巻中の実験談の中に、荒金銀次郎氏が妻の病死を三脈に感じ、出先より直ちに帰宅するや、果たして妻の死期に遇ひたりと云ふ結果報告あり。然れども銀次郎氏が、若し出先にて三脈の変を知れども、我身の上とのみ思ひ心顛倒してその所置に苦しむが如き場合には、如何心得てよろしきや。

 (答)(一)銀次郎氏の如きは、妻の病状の重態を察し、常に其の経過を案じ、規則正しく三脈を試みつつありし故に、早くも其の一事に感通せしものなり。(二)之れに反して、我身の上のこととのみ思ひて、三脈を試みしならば、恐らくは平脈にして、此の如き場合には感応せざりしなるべし。故に三脈の感応は、二十四時間前に知るを得るとは云へ、その災厄や大小軽重に依り、時間の長短の観念もあるやうに覚えたり。(三)其の證を挙げれば、陸中山田港、清川善五郎氏の如き、三陸大津波の折などは、二週間前より三脈に兆を顕したるにて知るべし。(四)右等の條件を考察すれば、必ず其の災厄の種別によりて、三脈にも種々異なれる徴候あるは、恰も医師の脈拍を検して、病根発生の原因を探求すると同一の論にして、決して二十四時間前に感応するとのみは、断定し難きことなり。(五)故に小生の深く希望する所は、此の三脈術をして帝国大学及び、総て陸海軍兵学関係中の一科目となし、生理学の両方面より年頃に此の奇術を研究せば益するところ、蓋し甚大無限なるべし(下略)。”

 

(紫雲荘編纂「天災豫知集」より」)

 

*「三脈法」を御存じの方でも、これを単に24時間以内の現在自分がいる場所での安全を確認する方法だと思い込んでおられる方が多いようです。しかし、「三脈問答」の中にあるように「峠を越える、越えない」の判定にも使えるということですので、たとえば旅行先での身の安全を出発前に確かめることもできますし、自分だけでなく親族の安否の確認や、あるいはワクチン接種の可否の判断などにも応用できるはずです。

 

 

・戦時中の体験談  〔野口晴哉先生(野口整体)〕

 

 “あれは敗戦の色が濃くなり、東京が連日連夜の空襲に脅かされていたころのこと——―。

 先生は道場に通ってくる人達に、『三脈をみる』ということを教えてくれた。

 

 「左手の親指と中指で、両耳の下の脈を軽く押さえ、その左手首の脈を、右手の中指で軽く押さえる。三つの脈が揃っていたら、その場に居てもいい。もし乱れていたら、すぐに其の場を離れなさい」

 

 体は危険な場所を、すでに知っているということであろう。講習生の中で「そんな非科学的なことを‥‥」と、せせら笑った人がいた。そのAさんに、或る日バッタリ、目白駅で出会った。すると彼は息をはずませて、

 「一昨日の空襲で防空壕に飛び込んだ時、三脈をみたんですよ。揃っていないので、『ここは危険だぞ!』と叫んで飛び出したら、三人ばかりがついて来たので、夢中で走って走って逃げました。やはり爆弾が落ちたんですよ」

 Aさんは何ともいえない複雑な表情をした。防空壕には、まだ大勢の人が残っていたという。”

 

(「月刊全生」昭和56年11月号 野口昭子『予知』より)

 

*ロシアのウクライナへの軍事侵略が始まってから、あるウクライナの方に、この三脈法をお教えしたのですが、どうも迷信とみなされたらしく全く相手にしてもらえませんでした。このブログの読者の方で、もし誰かウクライナ人の知り合いのおられる方がいらっしゃれば、ぜひこの方法を教えてあげてくだい。

 

*野口整体においては、『人が死ぬ四日前から鳩尾に硬結ができる』と説かれています。驚いたことに、この現象は病死だけでなく事故死などの自殺以外のすべての死にあてはまるのですが、ルドルフ・シュタイナーも『(自殺以外の)死は死ぬ六日前からはじまる』と同じようなことを言っています。どうやら人の死というものは、既に死ぬ数日前に確定してしまっているようです。しかし、あくまでも確定しているのは『自殺以外の死』であって、つまり自殺を回避できた未来が確実に存在しているのです。世の中に絶望して自殺を考えている方に対しては、エドガー・ケイシーは、霊的な方面に目を向けて生き方を改めるならば、必ず物質的な援助も与えられると言っています(「あなたが他者との関係において霊的生き方を適用するならば、必要なものは与えられる。なぜなら、神がすべての自然に衣を着せ給うのではないのか?銀と金も神のものではないのか?そうであるなら、そのように行動せよ!」)。そしてそのために、「出エジプト記19章5節」「申命記30章全体」、さらに「ヨハネ福音書の14章、15章、16章、17章」を読んで、それを自分の人生に当てはめて考え、実行するよう勧めています。現実の絶望的な状況にではなく、自分を超えた「無限なる存在」に意識を向けることこそが、自殺衝動を克服し、現実の状況をも変化させるきっかけとなります。 

 

 “主は何度も繰り返しこう言われた。「私を試して見よ――私が汝に祝福を注がないかどうか、試して見よ」と。それを行え。”(3538-1)

 

*それから、以下のラマヌジャンのエピソードからすると、「死の運命」については、もはや決定していて誰にもどうしようもないものもあれば、まだ回避することが可能なものもあるようです。

・シュリーニヴァーサ・ラマヌジャン(1887~1920)のエピソード

 

 “彼の心の内奥で数学的なものと形而上学的なものとが手に手をとって緊密に結びついていたことを物語る逸話は数多い。例えば、パシャイアパ大学生の頃、病を患っている子どもの両親に向かって、子どもを『方違へ』させるように警告したという話が伝えられている。彼の説明では

 「人間の死はある空間と時間との結節点でのみ起こるものだから」

 また、流血で赤く染まったスクリーンに一本の指で楕円積分を描いている夢をみたこともあった。”(P69)

 

 “友人達は口を揃えて彼が占星術や夢占いに関心があった、と述べている。竹馬の友であるアーナンタラーマンの回想だが、その兄の夢を判じたラマヌジャンは、「残念だけど君の兄さんは表通りで不慮の死を遂げるよ」と予言した――事実、そうなった。マドラス時代からの友人、K・ゴーパラーチャリによれば、ラマヌジャンが幼い頃から数学に惹かれたのも夢――ひとりの行商人が薬の呼び売りをしている夢――のせいであった。

 隠微なる力の実在に対するラマヌジャンの信念は、少なくともインドにいた頃は、決して弁明したり隠匿したりすべきものではなかった。また、生活の片隅に葬り去るべき自分だけの確信でもなかったし、単に思索を弄ぶだけの愛玩用の理論でもなかった。それは、常に彼の行動の原点だったのである。

 渡英前の、慌ただしい時期にも寸暇を惜しんで親戚や知人たちのために宗教行事に吉兆とされる日時を占星術で占ってあげたのもこのためである。手相占いから自分が三五歳までに死ぬことを確信していて、友人にもそのことを打ち明けていた。また、アーナンタラーマンの記録では、トリチノポリ近郊のある寺院に心の病を癒やす力があると信じていた彼は、悩める人がいればそこへ行くように勧めていたという。さらにパシャイアパ大学にいた頃のことだが、瀕死の子供を抱えた家族の夢を見たラマヌジャンは、早速その家族のところへ出向き、夢のお告げに従って、子供を別の場所へ移すようにと命じた。「人間の死は時間と空間が交わる接合点でのみ起こるのだから」。”(P269)

 

(ロバート・カニーゲル「夭折の数学者ラマヌジャン 無限の天才」工作舎より)

 

*ちなみにラマヌジャンが帰依し、夢でお告げを受けていた「ナマギリの女神」とは、最高神ヴィシュヌの十の化身(アヴァターラ)のうちの四番目「ナラシンハ」(ライオンの頭の人間)の妃である女神です。彼が発見した数々の数式も、『夢の中でナマギリの女神が舌の上に書いてくれた』 ものだそうです。

 

*あと、重大な事故に巻き込まれたが奇蹟的に無傷ですみ、後で身につけていた木の御守りが真っ二つになっているのに気づいた……、四国遍路の途中に突然『杖』がはじけて割れた……などという話を読んだり、実際に耳にしたことがありますが、自分が帰依している神仏が「身代わり」になって下さるということもあります。さらに2011年の東日本大震災の約一年半前に、浅草の浅草寺境内の敷石が、突然バラバラと音を立てて魚の鱗のようなかたちに隆起した話がありましたが、大災害の前には必ず神仏からの何らかのお示しがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 


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