「創造的断念」の道 〔R・シュタイナー〕 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “……意志を強めることによって偉大な事業をなしとげられるという考えは、ある程度までしか正しくありません。ある点では、意志の強さと行為の偉大さとは比例しないのです。とくに霊界と関係を持つ行為は、特別、意志の強さと関連しません。たしかに、私たちが生活している物質界においては、行為の偉大さは意志衝動の強さに依存しています。物質界では、目的に達するために努力、緊張を必要とします。けれども、霊界ではその逆なのです。霊界において、偉大な行為、大きな働きをなすには、積極的な意志衝動の強化ではなく、諦め断念が必要なのです。身近な事象から考察を始めましょう。自分の熱望を表に出したり、できるだけ活動的であることによって霊的な働きを行なうのではなく、願望や欲望を抑制し、熱望の充足を断念することによって、霊界では何らかの働きをなしとげるのです。

 内的な霊的作業を通して何事かを地上において成就しようとしている人がいる、と仮定してみましょう。その人は何よりも第一に、自分の希望や欲求を抑制することを学ばねばなりません。物質界では、滋養のある食物を摂ることで肉体が丈夫になります。霊界での意味深い行為は、断食やその他の方法によって、望みや欲望を抑制することによって達せられます(こういったからといって、断食を勧めているのだとは思わないでください)。偉大な霊的行為、魔術的所業はつねに、このような自分の中に現われる願望、欲求、意志衝動の断念という準備過程を必要としています。「意志」を放棄することによって、あれこれと希求することなく、人生を流れゆくままに任せ、カルマとその作用を静かに受け入れ、そして、この人生においてなしとげようとしている事柄をすべて断念すると、たとえば、思考の働きは力強いものとなります。

 よい食事や飲み物を好む人が教師や教育家になった場合、その人の語る言葉は生徒に届きません。欲望の多い教師が語る言葉は、生徒の耳を素通りしていきます。それなのに、このような教師たちは、自分の煩悩を省みないで、生徒の理解の悪さを叱るのです。高い次元から人生を理解し、中庸を守り、必要以上の食事を摂らず、とくに、運命を受け入れるよう心掛けている人は、やがて自分の語る言葉が霊力を有するようになっているのに気づきます。言葉だけでなく、視線も力を持つようになります。それどころか、生徒のそばにいて、晴れ晴れとした思考を持つだけで、生徒を励ますことができるのです。どれほど深く、自分の要求を断念しているかにかかっているのです。

 高次の世界における霊的活動の正道は、断念の道です。ただ、このことに関しては無数の迷妄が存在します。外見上はほとんど区別のつかない迷妄が存在するのです。迷妄は正常な霊的行為につながることはありません。苦行や自己虐待は、多くの場合、裏返しにされた肉欲にほかなりません。霊的な力を得るために行なう苦行にしろ、他の熱望から行なう自己虐待にしろ、肉欲への意志から発しているのです。ですから、霊的なものに根ざした断念のみが意味を持ちうるのです。ここで、私たちは創造的諦念、創造的断念という概念を自分たちのものにしようと思います。この創造的断念を魂の中で体験することは、私たちの日常生活の遙か彼方に存在する宇宙進化の表象を得るために、非常に重要なことなのです。創造的断念という概念を把握することによって、私たちは人類の進化の深みの中に歩みを進めることができるのです。太陽紀から月紀への移行期に何かが生じます。地球進化に関係している高次の世界で、断念が行なわれるのです。”

 

(ルドルフ・シュタイナー「薔薇十字会の神智学」(平河出版社)より)

 

*霊性の修行においては、このように諸々の欲望を「断念」することの方がより重要であるというのは、宗教家や精神的な指導者について判断する上で、一つの基準になると思います。

 

*こうなると、真に霊的な人物がほとんど世に知られないままで一生を終える、あるいは多くの人から誤解されるのはやむを得ないことなのかもしれません。グルジェフは、求道者の体内に形成される「磁力センター」について言及していますが、やはり霊的な人物との出会いには天命があるのだと思います。

 

 

 

 

 


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