忘れることをの大切さ (シュタイナー教育) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “人々は、四十分授業を行うとすぐにまた別の四十分授業を続けようとします。このことは、四十分間に学んだことすべてをもみ消してしまい、そして心性の中に恐ろしい混乱を引き起こしてしまうこと以外の何物でもないのです。(『教育芸術ゼミナール討議とカリキュラム講演Ⅰ』)

 

 シュタイナーは、四十分ごとに全く異なった学習内容を子どもに指導するような方法を批判しています。つまり、彼は、従来の細切れな時間割を改めようと考えているのです。そこでそれに代わるものとして、彼は「エポック方式」を提案するのです。

 エポック方式とは、午前八時から十時までの二時間(学校によって、開始時間や授業時間が若干異なります)、同じ教科の領域を数週間にわたって集中的に指導する方式のことです。この方式によって重要視されていることは、一定の期間にわたって一つの事柄に子どもの心を集中させようとしている点です。また、それとともに、集中して学んだ事柄が本当の意味で身につくように、いったん忘れることも大切とされています。”(P132)

 

 “正しい授業は、授業することについてだけでなく、忘れることについても正しく考慮されなければなりません。(『現代の精神生活と教育』)

 

 エポック方式の導入によって、たとえば一つの領域として算数が数週間にわたって取り上げられると、半年近く算数は登場しません。それでは算数の内容は忘れられてしまうのではないか、という危惧が一般的には生じるでしょう。しかし、シュタイナーは、忘れることを怖れないどころか忘れることを奨励するのです。忘れることに教育的意義を見出しているところは、これまでの著名な教育学者や教育家の中にもあまり見られない発想です。

 もちろんシュタイナーは、記憶された知識を子どもは忘れさえすればよい、というようには全く考えてはいません。あくまで彼が重視しているのは、子どもの頃に記憶された知識がいったん忘れ去られることによって潜在意識の領域に移行し、そこで内面的に消化されてそして必要な場合に適切なかたちで思い出される、という作用です。なぜなら彼にあっては、学習内容は、忘れることと思い出すこととの適切(リズム的)な繰り返しの作用によってよりいっそう成熟し、ついに本当の意味での子どもの能力になると考えられているからです。したがって、忘れることは「実りの多い休憩」と呼ばれ、否定的に評価されるべきものでは決してなく、むしろ肯定的に評価されるべきものなのです。このような考え方に立脚するために、学習の内面的な過程を問うことなく、ただどのくらいの知識を記憶しているのかを問うような教育ないしはテストは、全く否定されるべきものになります。つまり、エポック方式の導入は、「実りの多い休憩」としての忘れることを保証するとともに、その必然的な結果としての知識の量を問うようなテストを拒否するシステムです。

 一般に我が国では、覚えることは無条件に肯定されがちです。おそらく、テストの準備という点が最も大きな理由でしょうが、忘れることも肯定されてもよいのではないでしょうか。日常生活においてすら、覚えることは大切であっても忘れることも同様に重要です。なぜなら、適切に忘れなければストレスを貯めることになり、ひどくなれば精神病や心身症を病むこともありうるのではないでしょうか(ちなみに、幼少時代から現代に至るまで、筆者はよく忘れるためかストレスを貯めた経験がありません)。

 教師が、「一度忘れてもかまわないよ」や「必要な時に思い出せばよいのよ」などと子どもに言って指導するなら、子どもは教育内容について健全に学ぶことができるでしょう。また、教師も気持ちよく教えられるのではないでしょうか。発想の転換をしてみてはどうでしょうか。”(P137~P138)

 

     (吉田武男「発想の転換を促す シュタイナーの教育名言100選」(学事出版)より)

 

*この本は、シュタイナー教育について、非常によく纏められた本だと思います。著者の吉田武男先生は、小学校の教員から筑波大学の教授になられた方で、もともとルドルフ・シュタイナーの思想、シュタイナー教育に関心を持って研究しておられたようですが、かといって人智学協会や特定のシュタイナー信奉者たちのグループには属しておらず、それらとは一定の距離をおかれています。それ故か、ただシュタイナーを無条件に肯定するのではなく、シュタイナーの言葉の解説と共にご自身の考えも述べておられ、読んでいて安心できます。100のシュタイナーの言葉の選択もすばらしく、とても勉強になる本でした(著者による「あとがき」だけでも読む価値があると思います)。もちろん、この本を読むだけでシュタイナー教育が理解できるわけではありませんし、そもそもシュタイナーは、「重要なのは素晴らしい教育プログラムを作成することではなく、学校の中にその一部となりきっている素晴らしい人間が存在することだ」と語っています。とはいえ、この本からは多くの有益な情報を得ることができますので、子どもの教育について悩んでおられる方、シュタイナー教育に関心を持っておられる方にはぜひ読んでいただきたいと思います。

 

 “聖師さまはしばらくしてから真面目なお顔をなさり、

 「もうわしの言うことは全部『霊界物語』と『神霊界』に言い尽くしてある。神典として残してある。だから、わしが恋しくなったら物語を読め。」

とおっしゃいました。そこで私は、

 「読んでも、片っぱしから忘れてしまいますので‥‥‥」と申し上げました。すると、

 「忘れてもかまへん。読んでさえおけば、それが血となり肉となって、まさかの時にご内流となってでてくるのだから、読んでさえおけばそれでよいのだ」

 と申され、‥‥‥”

 

       (三浦玖仁子「花いろいろ 出口王仁三郎聖師側近七年の記録」より)