女人神聖論 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “仏典でもバイブルでも女性を卑しめて書いています。しかし、大本では男女同権をむかしから説いています。ことに大本開祖は女性であり、また歴代の教主も『お世継ぎは代々肉体が女であるぞよ』とお筆先で定められています。しかし夫婦同権とは言っていない。家庭では夫唱婦随が原則だと説かれています。

 仏教では女は不浄なものだとされ、女人不成仏といって、女性は成仏できないとされたものです。だから法華経には竜女が忽然として男性に変じて成仏したと、いわゆる「変性男子」が説かれ、女人成仏のためには、女人のままでは成仏ができないので、いったん男性に変じてはじめて成仏ができるとされたのです。なんたる女性侮辱ぞと言いたいところでしょう。そんな思想の社会的反映として日本の各地には「女人禁制」の結界が各地につくられたものです。霊山霊地と言ったようなところに限ってこれが設けられ、女人の登山を許さなかった。たとえば。富士山や霧島山はもちろん、大和の大峰山、近江の飯道山、四国の剣山、石鎚山等々至るところに『女人立ち入るべからず』の禁札が立てられ、こんにちなお厳重に守られているところもあり、ときどき問題を起こしています。

 大本の開祖さまは今から七十二年前、明治三十四年十月十九日、断然この禁を破って「女人禁制」の弥仙山に登り、しかもそこの中のお宮に一週間もお篭りになったのです。そのために間もなく警察署から開祖さまを訊問所へ入れようとしているところだったが、聖師さまの弁明によって連れ帰られたと記録されています。二年後には改めて開祖、聖師夫妻、現教主直日先生等このお山にご参拝されたのですが、地元の二又部落では今日もなお女人禁制が守られ現在でも婦人は登山しないとのことです。

 バイブルにも女性を卑しめた記事があります。旧約聖書の創世記に人類の始祖アダムとイヴの物語のところに、妻イヴが蛇の誘惑によって、神から禁ぜられていた「智慧の木の実」を食べてしまい、のち夫のアダムにもこれをすすめて食べさせてしまったので、その罪によって神さまからイヴに『女は一生男に従うべし、そして女にはお産の苦しみを与える』という罰を与えられたことがみえています。人間の始祖がすでに罪を犯して楽園を追放されたのだから、それから生まれてくる人間は、生まれながらにしてすでに罪びとであるという、いわゆる「原罪観(オリジナルシン)」が出てくるわけです。しかし、クリスチャンに言わせると、「キリストの十字架」のあがないによって、その罪が許され清められたので、その後生まれてくる人間は罪なくして生まれてくるのだという。神との間にそういう新しい約束ができたというのでキリストの教えを新約といい、その聖書を「新約聖書」というのだと言っています。

 仏典には女性の活躍はほとんどみられませんが、大本のバイブル霊界物語にはたくさんの女人成仏が説かれており、また女の天人、天使が無数に出てきます。”

 

       (「おほもと」昭和48年5月号 三浦一郎『大本の特異性(一)』より)

 

 

・スワミ・アドブッターナンダ(聖者ラーマ・クリシュナの高弟)

 

 “あるとき、ラトゥ・マハラージ(注:スワミ・アドブッターナンダのこと)は男性信者の一団に語った。「女性を虐待する男性がいるが、彼女らに対して決して手を上げるべきではない。彼女らがどれほど耐え忍んでいるか君たちは知らない―― 彼女らは忍耐そのものなのだ。女性を虐待したら、彼女らはそれをどこに転じればよいだろうか?彼女らは母なる女神のあらわれなのだ。『母』がさげすまれれば、主はお怒りになる。だから、君たちの安寧は彼女らを幸福にすることにあるのだ。シーターの涙がラーヴァナの民を滅ぼしたように、女性の涙は君たちを滅ぼすだろう」”

 

(スワミ・チェタナーナンダ「スワミ・アドブッターナンダ 教えと回想」日本ヴェーダーンタ協会より)

 

*「シーターの涙がラーヴァナの民を滅ぼした」とは、叙事詩「ラーマーヤナ」の中の話です。ヴィシュヌ神の化身ラーマ王子の妻シーターは、悪魔ラーヴァナによって彼の王国ランカーに連れ去られてしまいます。そこでシーターを取り戻すためにラーマ王子とその従者たちがランカーへ進軍し、ラーヴァナに戦いを挑むというのがその内容なのですが、その戦闘で、ラーマ王子の忠実な従者である猿の神ハヌマーンは、ラーヴァナの都を火の海にしてしまいます。

 

*聖者ラーマ・クリシュナは、「女性はすべて母なる女神のあらわれである」として、男性信者に女性を尊重するように教え、同時に女性の信徒が断食などの苦行を行うことを禁じました(女性には断食ではなく『称名』が勧められています)。もしかしたら「女人禁制」とは、本来は、女性があまりにも厳しい行をすることがないように配慮するためのものだったのかもしれません。