宣伝歌による雨乞いの話 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “本年(昭和三年)六月十一日、私は商用のため隠岐國に渡航した時、全島にわたって永い間降雨なく灌漑のよくない多くの田面は、全く乾し上って立稲は将に枯死せんとしてゐた。私は其の日より瑞霊大神(みづのみたまのおほかみ)様に雨を祈ってゐた。十二日朝西郷町を発ち、五里を隔ててゐる五箇村に向かって自転車を飛ばした。高い高い峠を越え、杉の密林の間を縫うて、水若酢神社についたのは正午ごろであった。祭神は往昔隠岐國に神政を布いて居られた、和氣之巣命の長子水若酢命である。

 社前に跪いた私は、天津祝詞を奏上し、宣伝歌を奉唱し、慈雨を降して万民の悩みを救はれんことを祈った。すると、雲もなく雨も降ってゐないのに、前額の真中に水の迸(ほとばし)りを感じた。不思議に思って仰ぎ見たけれども何事もない。祈りを終わってお得意先へ行ってゐる内、嬉しくも雨は降りだした。感謝の祈りを捧げつつ、私は西郷に向かって帰って行く。

 高い山を越えて中條村へと進んで来る。見ると此辺は未だ雨の降った形跡が見えない。私は、「月光世に出づ」の宣伝歌を心を込めて奉唱し、雨を祈りつつ自転車を飛ばした。すると黄金の雨は遂に沛然(はいぜん)として降って来た。多くの人々は一様に空を仰いで天啓を讃美し、喜びに面を輝かしてゐる。

 其の後二日間はよく降り続いて、隠岐全島は恐ろしい干害の悩みから救はるる事が出来たのである。そして三日目私が此島を離るる日の朝には、蒼天一片の雲影なく、天津日は照り輝いて、地上萬物に生色は漲ってゐた。大教祖のお筆先に、「うぶの心になれ」と御示しになってゐる。私が雨を祈らして頂いたときの気持ちを顧みてみると、村民の難を救って頂きたいと、親なる神の愛の乳房に縋った心!只それだけであった。一生懸命に御祈念をしたのでも何でもない。

 其処に旧来の雨乞の形式を打破せられてゐる、深遠微妙な神意を窺ひ知らなければならぬ。嗚呼、天地を動かす言霊の威力よ!廣大無辺なる宣伝歌の霊験よ!私達は天地をも動かす権威ある言霊を惟神(かむながら)に賦与されてゐる日本神帝國同胞の幸福を、神明に感謝しなければならぬ。”

 

       (「神の國」昭和3年12月号 杉野元義『神の認識から天國の園へ』より)

 

*「月光世に出づ」の宣伝歌は、「霊界物語 第二十八巻 海洋万里 卯の巻」 に掲載されています。