「回心」への呼びかけ (メジュゴリエ) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

〔メジュゴリエの聖母マリア〕  (「回心」とは、 私たちの故郷、エデンへ帰還すること)

 

 “イスラエルの民の歴史(それゆえに私たちの霊魂の歴史)を通じて見いだされるこの語のヘブライ的な根は、断念や超人間的努力といった否定的概念を次から次へと思い起こさせるけれども、現代語の含意からそれほど遠いものではない。ヘブライ語のテシュヴァという語(「帰還」を意味する)は否定的であることとはまったく反対に、国外追放からの帰還という積極的なそして慰めに満ちた含意を思い起こさせる。ついに家に帰る、ついに!

 それゆえ、追放された者はついに愛する故国に、愛する者のところに、彼が両親によって宿された家、生がよいものであり愛が支配する家、彼の根元、存在の源泉へ向かう家に帰ったのだ。彼は家庭と家族から遠く離れて、悲惨な欠乏の中で、野蛮な人々の間で奴隷として心も身体もともに貧しい中で、存在の窮乏を耐えてきた。そしてここで彼はついに愛する家族や友人たちと再び結ばれる。彼は自分の世襲財産を取り戻し、再び安全となり、その杯はあふれる。

 メジュゴリエでマリアは私たちに、最も重要なメッセージは回心ですと告げておられる。もちろんそのとおりである。もし私がイエスと共に御父の御心のうちに住んでいないならば、私は死んだ人間である(ヨハネ1・18)。

 「世界は神から遠いところにいます。それが平和がない理由です。」

 マリアは私たちにそう告げられる。

 「私はあなたたちを神の御心に近づけるために来ました。」

 マリアはまさにこのために来られる。”

 

 “「あなたの神なる主を心を尽くして愛しなさい……」

 レヴァヴ、ヘブライ語の「心」はよい衝動と悪い衝動の両方を含んでいる。イエスによって引用された申命記のこの句は。あなたの心の中には肉と石の両方があるということを示している。どの人間の心もどちらか一方であることはない。しかし、支配的であるのはどちらか一方、肉か、あるいは石かのいずれかである。神は石を流れる水に変えられる。あなたの自己全体をもって神を愛しなさい。そうすれば少しずつ神はあなたの内部のまだ石であるものを生ける肉に変えてくださるだろう。それがマリアがこのメッセージにおいて意味しておられることだ。”

 

    (シスター・エマヌエル「メジュゴリエの証言者たち」ドン・ボスコ社より)

 

 

・神教宣伝の大精神

 

 “お前たちは信者をつくるとか、教えをひろめるとか云っているが、それが間違っているのだ。世界の人民は元々神様の氏子であって、忘れてゐる人に知らせに行くのであるから、信者をつくるなど云はないように。(明治末期)”

 

        (木庭次守編「新月のかけ 出口王仁三郎玉言集」より)