テレパシー 〔エドガー・ケイシー〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “……‟知るがよい―― 汝の主なる神は宇宙の第一原因なりと!”。知るがよい、汝の主なる神は万物の本源なりと! したがってこうしたコミュニケーション、もしくはかかる実験においてある実体の「心」が行う活動にかかわるもろもろの能力は、実体同士の接触のために、もしくはそれによって、起きるものではないのである。

 テレパシーはしたがって、外部にあるもの―― あるいは自我の外側にあるものへの呼びかけや依存や追及などであると仮定したり、想像したり、提案したりすべきものではなく、むしろ自我が己の内なる神聖なものへ調和することなのであり、この〈神聖なる〉ものは一つの宇宙意識もしくは唯一の宇宙原理なのだ。

 したがってこのことこそ、かかる研究の基礎として定義されるべきものである。そしてそれ以外の原因を信じたり探し求めたり願望したりする者たちはといえば、―― まあ、とにかく彼らの経歴を別に控えておくがいい。そうすれば、ますます頻繁にこの者たちが聖書の中の例証もしくは実例であるような者たちであることがわかるようになるであろう。

 すなわち絶好の例を一つ挙げるならば、最初の王であったサウルがそうである。ここに我々は、神の人である預言者から透視的、(あるいはこうした言い方を使いたければ)テレパシー的に情報を求めた人間の例を見いだす(訳注:サムエル記上参照。サウルは神の声に従って行動し、イスラエルの最初の王となったが、後に神の声にそむくふるまいがあったため神に見捨てられ、余儀なく降霊術によって死せる預言者サムエルの霊を呼び出し、我が身の破滅を宣告され、そのとおり戦場で重傷を負い自害する)。要するに我々は、こうした実験を促したり調べたり記録したりしようとする者たちの、念頭にあってしかるべき実例として用いられる出来事を見いだすのである。

  実地の応用に関しては、あなた方がかかる実験で互いに協力し合い対等化し合うときに、こうした調和によって発達する諸々の能力をどうするか、にかかっている。このグループの中には天賦の才能である能力を実験してきた者たちもいるが、この場合の‟天賦の”とは、自分自身を無限なる存在である神に調和させる心のもろもろの機能を用いることによって生まれつき発達した、という意味である。

 また、完全に己の内部にある意識ではなくして、誘惑者になりたいと願う者たちにそそのかされた意識に、自分を同調させてしまった者たちもいる―― そもそも物質的・肉体的意識の中で絶えず試みられるいかなる同調においても、この種の意識に引っかかりやすいのである。したがって、こうした実験に参加する各人の体験によって得られるものに対し、しかるべき考慮もしくは評価がなされなければならない。

 次のことを以って、いかなる者―― 然り、万人にとっての、一つのよりどころとすることができよう。すなわち、かかる実験もしくは試みが心を引きつけたり疲れさせたり、あるいは混乱させたりぼんやりさせたり、あるいは肉体のエネルギーに負担をかけたりするようであれば、知るがいい、あなた方は間違えて同調しているのであり、―― 空電妨害が、それもどこかのご大層な源から入り込んでいるのだ”

 

 “……テレパシーのみならず他のすべての超感覚的知覚の現われを論ずる際に、エドガー・ケイシーのリーディングがいくつかの同じ論点を繰り返し強調していることがわかる。それはまず第一に、真の目的に関して内省せよということであり、二番目は内なる神聖なもの、すなわち宇宙意識に帰依する必要性をはっきりと自覚せよということである。終始強調されたことは、宇宙意識が建設的なものであり、破壊的なものではないことである。”

 

質問—三 この力は順当に、そして自然に発達するのでしょうか?それともわざわざそのために計画的な努力を払わなくてはいけないのでしょうか?

解答—三 要するに、この力の発達に身をさらすことだ。それも無理にそうするのではなく、瞑想に入り―― 線系統を通して原動的影響力の影響が強まりつつさまざまな中枢へと及ぶようにさせることによって。すなわち、まず自分自身を浄め、次に⦅必要なものを……訳者⦆求めている一人一人の人間のために完成された者となるうえで必要となる例のものを―― 象徴やしるしを通して―― 獲得するために瞑想に入るのだ。

 

質問—四 私には病をいやす能力が備わっているでしょうか?

解答—四 こうした能力は発達させることができる。この能力は万人のためになるが、例の唯一つの原因に由来するものでなくてはならぬ。それ故に、ほかならぬあなた自身の人生をこのような力の行使に値するような生き方で送るがよい。あなた自身の栄光のためではなく、およそ善と完全無欠さを備えた一切の賜物を与えてくださる神の栄光のために。(三〇八三-一)

 

 (H・L・ケイシー「エドガー・ケイシーからのメッセージ 精神生活ガイドブック」たま出版より)

 

「テレパシーへの鍵」

 “テレパシーはESPの最も一般的な形態であり、最も簡単に開発されるように見える。

 「意識的テレパシーの原則と技術を教えてください」とある人が頼んだ。

 「永遠不変なる神の存在の意識である」というのがその答えであった。「なぜなら、神はすべての力であり、すべての思想であり、すべての質問に対する回答であるからだ。神の存在の意識に同調一致すればする程、神から啓示されたことの影響を知ろうとする欲求が高まり、この結果、意識が物質的現実面に働くようになるのだ」

 「先ず人間同志の間で始める。特定の時間を決めて、その時互いに相手が何をしているかを書き留めるようにしなさい。これを二十日間行えば、あなたはテレパシーへの鍵を手に入れたことに気づくであろう」”

 

(マリー・エレン・カーター「エドガー・ケイシーの予言 アトランティスの教訓」たま出版より)

 

*昨日、「指談」について紹介させていただきましたが、結局これは単なるコミュニケーションの技術ではなく、ある種のテレパシー能力の発現ではないかという気がします。それで、今回エドガー・ケイシーに関する本の中から、テレパシーについて書かれているものを紹介させていただきました。「永遠不変なる神の存在の意識」との同調が、テレパシー能力発現の前提であることから、必然的にこの能力(のみならず、すべての霊能力)は、本来、利己的な目的で求めるべきではないことがわかります。主なる神との親しき交わり、周囲の人々との霊的な協力、祈りや瞑想などについて、より詳しくは、ケイシー自身が「私の最大の業績」と語った、「神の探求 Ⅰ、Ⅱ」(たま出版)をお読みください。