議論は人を愚かにする | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・インマヌエル・スウェーデンボルグ

 

 “ここで思い出されるのは、アルゼンチンの生んだ二十世紀最大の文学者の一人、ボルヘスがスウェーデンボルグを評したことばである。ボルヘスはこう言っている。

 

 「エマソンやW・ホイットマンのように、スウェーデンボルグは、議論が誰をも説得しないこと、また真理はそれを聞く人々によって受容されればそれで十分だということを信じていた。彼はいつも論争を避けた。彼の神学著作のどこにも巧妙な議論はなく、ただ簡素で静謐な肯定だけがある。」”

 

     (高橋和夫「スウェーデンボルグの『天界と地獄』」PHP研究所より)

 

・ルドルフ・シュタイナー

 

 “ある事柄について議論がなされるということは、その事柄について人々はよく知らないのだというしるしです。知があれば知が語られるのであって、議論をしようとは思いません。好んで議論がなされる場合、真理についての知がないのです。議論は無知からはじまります。議論が開始されるのは、議論の対象となる事柄についての厳粛な態度が失われたしるしです。知の消失が議論によって示されるのです。霊学の領域において、議論への意志は本来、無知のしるしなのだということを充分に把握しておくことはとても大切なことです。議論ではなく、学習への意志、理解への意志を育てなくてはなりません。”

 

       (ルドルフ・シュタイナー「輪廻転生とカルマ」水声社より)

 

・エドガー・ケイシー

 

 “議論から得られるものはほとんどありません。しかし、心がけと祈りからは、多くのものが得られます。(1438-2)”

 

 “書くときにも、説教するときにも、教えるときにも、このことをいつも心にとめなさい。あなたがどんなに話し上手であっても、声をあげ過ぎたり、口数を多くしてはなりません。共に瞑想し、人の話をよく聞いて、よく考えることも大切です。それはあなたが意識を拡大する媒介になるのです。(2800-2)”

 

      (林陽編訳「エドガー・ケイシー名言集 知恵の宝庫」中央アート出版社より)

 

・G・I・グルジェフ

 

 “各自の内部で、自己同一化の根源まで研究する必要がある。自己同一化を観察したとき、人は普通それをとても良い特徴と考え、〈熱狂〉〈熱中〉〈情熱〉〈自発性〉〈霊感〉などの類の名で呼び、そのうえいかなる領域であろうと、自己同一化の状態でしか真に良い仕事はできないと考えている。そのため、自己同一化との闘いはいっそう困難になる。現実には、これはもちろん幻想にすぎない。自己同一化の状態にあれば、思慮あることは何一つできない。もし自己同一化の状態とはいかなるものかを知ることができれば、彼らは意見を変えるだろう。人は物になり、肉の塊になる。わずかな人間の外観さえ失うのだ。ハシシュその他の薬種を吸う東洋では、そのパイプに自己同一化するあまり、自分自身がパイプであると思いこむこともよくある。これは冗談ではなく真実だ。彼は実際にパイプになる。これが自己同一化だ。しかもこれには、ハシシュやアヘンは全く必要ない。店や劇場やレストランにいる人々を見てみなさい。あるいは彼らが議論しているときとか、とりわけ彼ら自身よくわかっていないことを証明しようとしているとき、いかに言葉に自己同一化しているかを見てみなさい。彼らは、〈貪欲〉〈欲求〉〈言葉〉と化し、彼ら自身のものはひとかけらも残らないのだ。”

 

       (P・D・ウスペンスキー「奇蹟を求めて」平河出版社より)