人魚の霊 (大正の頃にあった話) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “……大正日日新聞には他の新聞がまねのできなかった霊的物語が連載され、それが社会に大きく波紋を投じ、興味あるものとなった。それは「神秘の扉」という題名で、霊の現象を写真入りで報道したものであった。

 「神秘の扉」執筆者は、当時の社長浅野氏はじめ各首脳陣の方々で、私共もまたこれに加わり、変わった種をあさった。ここでその一二の霊的現象について、「神秘の扉」に発表したものをあげておく。その一つは「人魚の霊」の問題である。

 ことの起こりは、私共青年のうち新聞社に宿泊していた数人の中に岡本という人がいた。この人には時々霊がかかり、いろいろと霊媒的な状態となる。ある朝、私の寝床のところにソッと来て、「一寸起きてくれ。何だかおかしい」という。見ると頭髪が水に濡れたようにベトベトになって、着物も水を頭から被ったようになっている。私は驚いて、「どうしたんだ」というと、すぐ彼は鎮魂の姿となり、身体を女のようにくねらし、口を切った。「われは明石の浦の人魚である」という。

 私はあわてた。こんなところで神懸かりされては困ると、神前につれて行き、「どうしたのだ」と聞くと、人魚と名乗る霊が、「この肉体がきのう、明石に海水浴に来た。そこで、よい霊媒が来たと、人魚を代表して、頼みがあるので、その時から懸かったが、この肉体がなかなか思うようにならぬので、今までいろいろと機会を待っていた」という。そこで、「何の用件か知らぬがわしでは判らぬ。サニワの上手な人が来るから、それまで待て」といって待たした。

 その間も霊媒とは自問自答の形で、いろいろと言い合っていた。そこへ社長秘書の滝川氏が来たので話をした。すると滝川氏はすぐ神前に行きサニワを始めたところ、明石海峡の昔の合戦や、明石の浜で多くの人が水死したことなど、次から次と話しだし、それらの霊が浮かばれないので、一大慰霊祭を行い、明石の浦を祓い清めてほしいという要求であった。しかし、そのことは判ったが、人魚というものが実際にいるかと尋ねると、「いる」と答える。どんな姿だというと、絵に描いてあるように、女体で腰のあたりから下が魚だという。「馬鹿なことを言うな、そんな姿の生き物がこの世にいるはずはない」と叱りつけると、「間違いはない、実際にいる、ここに懸かっているではないか」という。随分問答した結果、あるいはおるかもしれないということになった。

 昔から絵に描かれている姿も、何かの霊感なり、霊眼に映ったのではないかと思われる。ともかく、人魚という言葉があり、そういう絵のようなものを連想すると、その想念によって霊現するという霊界の消息から、あながち否定することもできない。まして霊媒の状態は水の中につかっている人のごとく頭髪はベットリし、身体から水分(汗)がふき出ている。着物も濡れて、何とも奇怪な状態になっている。

 本来この霊媒の頭髪は非常に堅く、針のように立っており、いくら油をつけても分けることができぬ性質のものであった。それが人魚が懸かっている間はベットリとなり、身体をくねらせるのだから、いかにも人魚の形態を想像させるものであった。”

 

    (「おほもと」昭和48年9月号 大国以都雄『神秘の扉 真信仰の回顧③』より)

 

*人魚とは奇怪な印象を受けますが、水死した人々の慰霊祭を要求してきたということなので、決して悪い存在ではないように思えます。また、「人魚という言葉があり、そういう絵のようなものを連想すると、その想念によって霊現する」ということで、今話題になっている「アマビエ」のことが思い浮かびました。霊界は意志想念の世界ですので、多くの人がアマビエの名とともに、その姿を意識することで、新型コロナウィルスに対抗する霊的な力として実体化し、パンデミックを鎮めてくれるでしょうか。